媚びない人生

  • ダイヤモンド社
4.00
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本棚登録 : 1679
レビュー : 182
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478017692

作品紹介・あらすじ

従順な羊ではなく、野良猫になれ
「自分に誇りを持ち、自分を信じ、自分らしく、媚びない人生を生きていって欲しい。そのために必要なのは、まず何よりも内面的な強さなのだ」
将来に対する漠然とした不安を感じる者たちに対して、今この瞬間から内面的な革命を起こし、人生を支える真の自由を手に入れるための考え方や行動指針を提示したのが本書『媚びない人生』です。
韓国から日本へ国費留学し、アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヵ国を渡り歩き、使う言葉も専門性も変えていった著者。その経験からくる独自の哲学や生き方論。

感想・レビュー・書評

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  • 「媚びない」というのは、物事の評価基準が自分の中に確立されているというのと同意義だと思っています。

    評価基準が他者にあると、人の目を気にして、権威を気にして、媚びてしまう。これは随分生きにくい、かと思いきや、それが板について当たり前のように順応している人もいる。
    でもそれは決して、自分の人生を生きている、と言えないのではないか。そんなことをふと思ったりもします。

    本書は読み進めていくと、実感としてすごく共感するところが多いです。「確かにそうだよね」と自分の中で言語化できていなかった想いが形になっていたり、迷いつつも信じて進んできた道を肯定してくれていたり、熱い言葉に励まされました。

    「実は、どんな道でもいい。真剣に取り組んで得られたものは、最終的にはどんな道であっても正しい道にしていくことができると私は思っている。
    だから今、自分が選んだ道が正しいかどうか以前に、それは自己責任で主体的に選んだ道なのか、その選んだものから自分がどう成長できるか、ということを感じることが重要なのだ」

    小5から一人暮らしをしていたという著者は、一人の時間、自分と向き合う時間の大切さについても繰り返し述べています。これは、私も年を追うごとに強く感じます。自分を深く掘り下げる行為、というのは自分の軸をしっかりと確立させる上で欠かせないこと。今は特に意識して余白の時間をスケジュールに組み込んでます。

    そしてじわりと染み込んできたのが、自分がコントロール出来ること、出来ないことを線引きして理解し、コントロールできるところにのみ全力を尽くしてコントロールできない部分について思い悩まない、という部分。
    そしてそこに留まらず、自分を成長させるにともない、自分にコントロールできない不可抗力の部分を少しずつ減らしていくという意識を持つことについても語られており、言われて初めて「そのとおりだ」と深く共感したものです。

    人は自分と向き合う中で、最終的には「生きるとはどういうことだろう」「死ぬとはどういうことだろう」といったところと向き合うことになるんだと思います。
    その答えを自分の中でしっかりと持っている人ほど、きっと強い。そしてそれは、本に書いてあったり誰かが教えてくれるというより、自分で見つけることで本当に自分の人生が歩めるというものだと思います。

    ゼミ生への最終講義で語られた内容というだけあって、励ましの言葉も多く、苦難のときこそ支えになる気がしました。
    私も環境を変えて次の挑戦をするんだという気概を忘れずに、自分の人生を真剣に生きたいものです。
    とても良い本でした。

  •  一時間で読める本にも関わらず、非常に熱く濃い内容です。一度きりの人生を充実させて生き抜くエッセンスが濃縮されています。人生観を変えてくれる必読の一冊です。

     著者は冒頭で、自分と向き合う大切さを主張しています。自分ととことん向き合い、悩み、信じることで、自分を強くすることができると教えてくれます。この「強さ」という言葉が著書のなかでキーワードになっています。「強さ」を著者は次のように説明しています。以下に一部を抜粋します。

    ・お金とか名誉とか外面的な意味での強さでなく、内面的な強さだ
    ・どんなに辛い逆境でもいつでも受けて立つ気概を持てる強さだ
    ・自身のすべての行動に対し結果に対する全責任を自分で負う決意の持てる強さだ
    ・生きるすべての瞬間を人生の最後の瞬間になるかもしれないという緊張感を持ち、その瞬間に対するすべての心血を注ぐことのできる、そしてその緊張感や集中力を死ぬその最後の瞬間まで持続できる強さだ

     著者の主張する「強さ」には、様々な思いが内包されていると思います。人間的な深さ、情熱、真摯な思い、愛情などなど、これらの思いを「強さ」という一言で簡潔に言い表していると思います。

     さらに著者は、人生を生きる意味を次のように教えてくれます。

     未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味なのだ。これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だ。

     自分を磨くことに終わりはなく、昨日の自分より今日の自分の方が成長しているよう、自分自身を絶えず磨いていく必要があると指摘しています。そして、その成長した自分の状態を実感することではじめて、自分の幸せを感じると説明しています。

     そして、自分自身を磨きあげ成長を続けることで、他者へ代替不可能な自分を創りあげることができると教えてくれます。ここまでくれば、素晴らしい人生を送れるはずです。自分が主体的になって仕事を進めることができ、周囲を動かすことができます。著書のタイトルとなっている、「媚びない人生」を送ることができるはずです。

     著者の主張を実現するのは、生半可な考えでは到底できません。自分自身を鍛えあげるという厳しい覚悟を持って望む必要があると思います。せっかくの一度きりの人生を、素晴らしいものにできるかどうかは自分次第であることを改めて痛感しました。

     自分自身の成長を感じるためには、過去と現在の自分を比較できるよう、日々の生活を記してどのような時間を過ごしているかをまとめておく必要があると思います。

     自分の場合、手帳やgoogle calendarを使って日々の生活を振り返るようにしていますが、著書を読んで、自分のやり方に改善の余地が大いにあると思いました。逆に言うと、過去と現在を比較しづらいので自分の成長を感じにくく、その結果、自分管理のモチベーション低下を引き起こしていると思いました。

     著者の考えは、熱く、濃い、厳しいものです。そのため、苦しさやつらさを感じてしまうと、よほど意志の強い人格者でないとおそらく長続きしないと思います。自分管理が楽しくなるような仕組み作りを行なっていく必要があると思いました。

     長く続いている習慣のひとつが家計簿です。付け始めて1年以上経ちますが、楽しくてやめられません。i phone アプリとエクセルを両方使って管理しています。アプリでは日々のメモを付け、エクセルでは毎月の収支をまとめています。毎月の収支は四半期毎に決算し、お金の使い方に問題が無かったかどうかを確認しています。目標の貯金額を達成できると、喜びを感じます。家計簿を参考にして、楽しさを感じられるよう、自己管理方法を改善していこうと思います。

    目次
    ●はじめに
    自分と向き合い、悩みなさい。そして、どんな瞬間においても、自分のことを信じなさい
    ●プロローグ
    「強さ」だけが人間を独立した存在に導く
    ●第1章 「今」と向き合う ~自然体になれる強さを手に入れる
    ●第2章 自分と向き合う ~富士山でなく、エベレストを目指せ
    ●第3章 社会と向き合う ~不可抗力に逆らわず、可抗力の統制に集中する
    ●第4章 他者と向き合う ~絶対不可侵領域を持った自己を育てる
    ●第5章 仕事と向き合う ~超ガラパゴス人材になる
    ●第6章人生と向き合う ~5年後の計画は立てるな
    ●第7章未来と向き合う ~純度の高い自分を創る
    ●おわりに
    絶対不可侵としての自己を確立し、どんな状況でもそれを貫くことだ

  • 「他者の評価や周りとの同調に自分の精神が疲れ果てていたりしてはいないだろうか?」
    一度、自分に問うてみてほしい。順従な羊ではなく、自由な野良猫のような人生を送るためには「強さ」を手に入れるしかない。作者ジョン・キムの言う「強さ」とは「他者が絶対不可侵的な内面的強さ」のことである。瞬間瞬間を生き、自己と向き合い続けることの大切さを綴っており自分のこれからの生き方を見直す本だと感じた。あなたも野良猫になってみてはどうだろうか?

  • タイトルの帯の従順な羊ではなく、

    野良猫になれ!


    のとおり、群れるな、孤独を愛せ。

    といった感じの、かなりマッチョ思考の本な印象。


    同僚と仲良くしすぎるな!

    みたいな記載もあってそこは若干ひく。


    ただ、社会の物差しではなく、

    自分の物差しを大事にすべきとか。

    感じさせることは多い。


    筆者はちゃんとフォローいれてるけど、

    勘違い系の若者を生みだしそうな内容ではあるなー。

  • *今も私が間違いないと思うのは、孤独な体験や苦しい体験は、後の自分を強くし、幸せにしてくれる。自分と向き合い、多くの書物に接する中で、私は幼くして、たくさんの発見をすることになった。自分自身、さらには周囲について、シビアに見つめる機会を得た。また、生きていく上で何が一番大切なのか、ということにも気づくに至った。例えば、世の中というものが、いかにうさん臭いか。簡単に信じてはいけないものか。常識や真実といったものの、いい加減さ。私が思ったのは、自分をしっかり持たなければ、こういったものに簡単に翻弄されてしまうのが、世の中だということである。そして、そんな羽目に陥っては、思うような人生を生きることはできないということだ。強くなければ、実は本当に自分が求める人生を生きていくことはできない。強さを身につけることで初めて、得られるものがある。実はやさしさもそうである。
    *そして人生の本質は、未熟から成熟に向かうことにこそある、と知った。人は何のために生きるのか。自分らしく成長するためにこそ、生きるのだ。そのためにも大事なことは、自然体で生きていくこと。自分らしい人生を生きていくことである。それは、自分自身が理想とする自分と、そのときどきの自分とのギャップを埋めることでもある。
    *世界を征服するより、自分を征服するほうが難しい。
    「強さ」を身につけるために、知っておくべきことがある。それは世界を征服するよりも、自分を征服するほうが、はるかに難しい、ということである。自分自身を振り返ってもらうのが、一番いいかもしれない。実は誰よりもやっかいで、気まぐれな存在だったりするのが、自分自身なのだ。合理的に動いているつもりが、まったくそうではない動きをしていることも多い。感情の起伏にしても、そうだ。特にそういう原因があるわけでもないのに、妙にイライラしたり、落ち込むときもあるし、逆に急にうれしくなったり、楽観的になったりする。このあたりのコントロールをすることは、極めて難しい。しかし、内面をコントロールできなければ、他者や社会を、まっすぐに、正しく見つめることはできない。それは冷静に考えれば、わかることである。内面のゆらぎは、そのまま視線のゆらぎとなるからだ。逆にいえば、内面を自分で完全にコントロールできれば、世界を見る目が確立する、ともいえる。本当にあるがままの世界を見ることができるし、すべてを自分の成長につなげる解釈ができるようになる。そうすることによって、実は自分の内面とはほとんど関係がない「外の世界」にとらわれることなく、自分らしい、自然体の自分でいられる。内面のコントロールとは、4つのコントロールである。感情、思考、言葉、行動である。この中でも、とりわけ難しいのは、感情のコントロールだ。いかに穏やかに、平常心を保ち続けられるか。これが一番難しい。しかし。これがコントロールできたなら、人生は大きく変わっていく。
    *相手への喜びや社会への貢献はもちろん大切である。私自身、自分が接する人たちすべてにポジティブなエネルギーを与えたいと思っているし、金銭的な価値に左右されないやりがいを今の仕事には感じている。しかし、前提条件としてなければならないのは、自分自身が幸せをしっかり享受できていなければいけない、ということだ。そうでなければ、自分が提供するものに対して、必ず対価を求めてしまうようになる。自分自身が、圧倒的な幸せを感じていれば、そんなことはなくなる。だからこそ重要なのが、自分自身で幸せの絶対的な基準を確立させることだ。
    余計な欲を持つこと、誰かが設定した基準を意識してしまうことだけで、幸せは遠ざかっていくことも多いのだ。幸せの基準を自分で設定できる人こそ、自分で幸せをコントロールできる人なのである。
    *必要なことは、何より自身の成長を意識することだ。未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる。
    *不満の原因は、自分の中で見つける。不満も成長の糧にしてしまうことである。自分を強くする道具にしてしまうのだ。不満を自分の原因に昇華できたなら、そのとき不満は不満でなくなるからである。例えば、おかしな上司がいる。それを不満にして吐き出してしまうのは、簡単なことである。しかし、それを一度、抑えてみる。上司に対する不満の原因は何かを、自分の内側で考えてみる。不満を学びの材料にし、成長の材料にし、反面教師にすることができるようになれば、ある意味で不満は感謝の対象にすらなってくる。世の中で起きることを自分でコントロールすることは難しい。しかし、起きたことに対して、どう解釈するか、は自分次第なのだ。不満を感じたとき、修行だと思って内面で解決しようと試みてみるといい。そして大切なことは、不満を言おうとするクセや習慣を、意識してなくしていくことだ。不満を吐き出すことは、一時的に心地よいものである。周りも賛同してくれる。しかし、やがて気がつけば、類が友を呼ぶように不満を言い連ねる仲間ばかりが集まるようになる。不満が、不満を持つ人々を呼び集めるのである。逆に大きな人間に見える人たちはは、そんな場所には絶対に来ない。言い訳もせず、愚痴も言わず、他者のせいにもしない。もし、そうした器の大きい人間を目指したいのであれば、もう不満を言わないことである。そして不満が集まる場にも、行かないことである。
    *学びに対して貪欲であれ。
    大人たちが応援したくなる、といえば、もうひとつ、学びに対して貪欲な若者である。目の前に学びの材料があれば、誰よりも早くそこに飛びつこうとする。学校などの学びの場だけではなく、あらゆる物事、あらゆる人との出会いを、学びにしようという意識が高い若者は、目の輝きがまったく違う。そこに迷いがあったり、恥ずかしさがあったりするのは、まだ学びに対して貪欲ではない証拠である。だが、学びに本当に貪欲な若者は、意外に少ない。周りの空気を読みすぎたり、妙な計算を働かせたりする若者も多い。これは、本当にもったいないことだ。そして社会に出れば、忙しくなったから、という言い訳が聞こえてくるようになる。実のところ、学校以上に体験で学んでいけるのが、社会に出てからなのだ。人生における自分を成長させるための学びの機会は、世の中に本当はたくさんある。
    学ぶための時間のようなものは設ける必要はない。すべての時間を学びの時間にする。世の中すべてを学校にして、すべてを学びの対象にする。自分に取り込んで考える。そういう意識を持つことだ。そんな若者を、忙しいからと日々を流されるままに過ごしていく若者とでは、同じことをしても、数年で成長の度合いはまったく違ったものになるのである。
    *人間関係のすべてにおいて、トラブルというものは、理不尽を単に真に受けて、そこで思考が止まってしまうところから発生する。そこで止めたり、そのままにしないことだ。受け手の考え方ひとつで、人間関係の危機は防げるのである。
    *従順な羊ではなく、野良猫になれ。
    野良猫というのは、自由で独立した存在である。飼い主はいるが、縛られない。餌はもらい、愛嬌も振りまくが、魂までは売らない。いつでも飛び出す気持ちを持っていて、でも今は飼い主にきちんと貢献する。いつでも組織を出ていける力を持つことである。自分の力だけで勝負ができる自分を少なくとも目指し、日々を過ごしていくことが大切になってきている。
    *内面こそが人生の始発駅であり、執着駅である。生きるということは内面を深めていく、成熟させていくプロセスである。死はいつか訪れる。いや、確実に訪れるという覚悟に基づいて、今この瞬間を最後だと思って生きていかなければならない。死と真正面から向き合うことで初めて人間らしい生き方ができる。ただ、生きているだけでは動物と何ら変わらない。
    *目の前に学びの機会が見えたら、誰よりも先にそれに飛びつくくらいのハングリー精神を持つことが重要である。そして極力、成長の機会(それが本人でも人でも環境でもよいが)は自ら作り出すようにすることだ。待つことはやめる。待つことで、自分の成長につながる絶好の機会を逃してしまうのだ。
    *途方もない目標を立ててみる。
    人間は目標設定によって限られた時間の中での集中力が変わってくるからである。日本では、特にその傾向が強い。作った目標には必ず到達したいという完璧主義が強いからである。
    *日常は自分が選択した結果に過ぎない。
    結局のところ、日常というものは、過去の自分の選択の産物でしかない。日常はそこにあるのではなく、自分がつくり出したものである。その意識を持てば、実は日常は大きく変わっていく。世界も広いが、自分の宇宙も途方もなく大きい。そのことに気づければ、世界観は大いに広げられる。自分で世界は変えられるのだ。
    *孤独とは、自分と向き合う時間。
    孤独は極めて大事なことだからである。孤独は決して、克服すべき対象などではない。むしろ孤独こそ自分の中で一番自然な状態で、自分の人生をしっかり感じられるもの。孤独に自分に向き合うことは、一番大事にすべき時間なのである。しかし一方で、自分が好きになれなければ、孤独は楽しめないともいえる。他者といたとき、一人でいるときよりも楽しめるのであれば、会う価値がある。しかし、もしそうでないなら、会う価値はない。一人でいる時間が楽しければ、それでまったくかなわない。どうして日本では孤独がこれほどネガティブに捉えられるのか不思議なことだが、孤独をもっと大事にするべきだ。孤独な時間、自分と向き合う時間こそ、絶対に確保するべき時間なのだ。自分に対する自信がないときの孤独は、たしかに怖いものでもある。だが、それを恐れて群れの中にいれば、自分はどんどん弱くなっていくことを自覚する必要がある。自分を信頼し、孤独を楽しもうとする姿勢も、必要なのである。
    *すぐに結果が出ることなど、大した挑戦ではない。
    一生懸命、努力しているのに、なかなか結果が出ないようなときがそうである。行動と結果にはタイムラグが必ず存在する。とりわけ大きな挑戦にこそ、タイムラグはある。実のところ、今日努力して明日結果が出る、などという挑戦は、大した挑戦ではないのだ。実は後から考えてみると、懸命な努力が結果を出す、まさに目の前に来ていたときでも、挑んでいる最中は、永遠に真っ暗なトンネルが続いている気がしているものである。これは、多くの偉人たちが、やはり自伝で語っていることでもある。もし、一生懸命に努力しているのに結果がでないと感じたときは、今こそ踏ん張るときだと思うことだ。もうギリギリのところまで来ているということを、自分に言い聞かせながらやっていくことである。そして、努力してなかなか結果が出ないときほど、努力すればするほど、最終的に得る結果は大きくなると信じることである。それがわかれば、努力し続けることで結果が出ないことは、喜ぶべきものであり、不安になったり、挫折感を感じたりするものではないことにも気づけるのである。
    *起きてしまったミスは、肯定的に捉える。
    ミスは誰でも起こす可能性があるもの、と考えるべきだ。もちろん起きてほしくはないが、起きてしまうミスもある。むしろ大事なことは、ミスを起こした後の対応である。自分がコントロールできる部分について、さてこれから何ができるか、と切り替えられるようにならないといけない。そうでなければ自分自身だけでなく、周りにもさらに迷惑をかけてしまうのだ。もちろんミスは反省するが、問われるのは、そこからの未来志向のアクションなのである。私であれば、こう考える。ミスしなければ、学べないことがある、と捉えるのだ。ミスをして叱られたり、周りから白い目で見られたりすると、人間というのはとても危機感が高まるものである。感覚も鋭くなり、ミスをした自分をそこで改めて確認できる。ある意味では、逆にミスをして恥ずかしい思いをして、叱られてよかったと思う自分にしていくには、どうすればいいのか、と発想を切り替えるのである。そういう意識を持つと、ミスしても、ある意味喜べてしまう、それを次につなげられる人間になれるからである。ミスを悔んだり、くよくよしていても仕方ない。問われるのは、それを自己成長にどう生かしていくか、なのだ。
    *成長に終着駅はない。
    ある世界的に急激な成長を遂げている企業の会長が、こんなことを発言していた。うまくいっているときこそ、最大の危機である、と。それはまさに人生にとっても、同じだと思う。
    *ある分野の頂点にだどり着くことができた人間は一流、という言い方ができる。しかし、頂点に立ったときに、自分の中で次なる頂点をまた設定できる。それをずっと死ぬまで設定し続けることのできる人こそ、超一流といえるのではないだろうか。これができるのは、世の中に広がる成功の評価軸などといったものではなく、自分の中で評価軸を持っているからこそ、である。人間は本当に死ぬ時まで、成熟し、成長していくことができる。
    安定した生活だけを目指し、周りと仲良く、同質の世界の中で、調和しながら、小さな成功と小さな成長を目指していく人生を目指すのか。もし、それを主体的に選択したなら、それでいい。しかし、本来は泳ぐ力があって、海に出ていろんなところに行ける可能性を秘めていると自分が信じられるのであれば、海に出るということ、大きな成長を目指して向かっていく道も、選択の中に入れてみてほしいのだ。それはまったく違う景色を見ることである。長期的には、泳ぎだけではなく、船を造ったり、乗りこなす技術を身につけることでもある。いろんな港にたどり着き、いろんな新しい経験や新しい出会いをし、食べたことのないものを食べたり、空気を吸ったり、無限の可能性を味わうことができる。そんな人生もあるのである。社会はたしかに、この道、という規範を作っているかもしれない。しかし、歴史を見てみると、社会が規定したものを鵜呑みにすることほど危険なことはない。そもそもメインストリームというのは気まぐれなものだ。100年前のメインストリームは、今のメインストリームではまったくなかった。100年後もそうなるだろう。ならば、チャレンジのしがいはある。そして成長に終着駅はない、という意識さえ持っていれば、大きな可能性が拓けていく。単なる一流ではない、超一流をこそ、目指してほしいのだ。
    *不可抗力に逆らわない。
    世の中には、自分でコントロールできるものと、できないものがある。おそらく多くの人がその事実に気づいているはずである。私ははっきりと線引きをしてしまったほうがいいと思っている。自分でコントロールできない不可抗力には逆らおうとせず、自分でコントロールできる可抗力の統制に集中する、ということだ。自分にできることは、その時点にできる最高のパフォーマンスをするだけである。結果は自分では決められないのだ。このあたりの線引きがぼんやりしていると、クヨクヨと思い悩んだり、不安が消えないままになってしまったりする。結果は相手に委ね、自分は限られた時間の中で最善の集中を高めてやっていくことしかない、と気づかなければいけない。逆にこの線引きができるようになると、結果を過度に意識せず、必要なパフォーマンスに集中できるようになる。結果が出たら、結果を真摯に受け止められるようになる。そうすれば、すべての瞬間において、穏やかに過ごせる。余計なプレッシャーにさいなまれることもなくなる。ただ、年月を経て自分が成長していくにつれて、自分にコントロールできない不可抗力の部分を少しずつ減らしていく意識を持っていくことは必要だ。例えば、いま他者を変えられないとしても、努力を積み重ね、実績を出すことで、自分の説得力は高まり、その結果、他者を変えられる可能性は高まる。不可抗力に縛られることなく、統制できる領域を増やしていくのだ。いきなり自分の思い通りの人生にすることは難しい。しかしこうして少しずつ、自分らしい人生を少しずつ形作っていけばいいのである。
    *読むべき空気と、読んではいけない空気があるのも、また事実である。だからこそ私は、あえて破っていい空気もあると確信している。それこそ8割は空気を読む。しかし、残り2割については、空気を読むことに懐疑的になるのである。なぜなら空気というのは、いろんな人たちが出すオーラの結晶としてあるものだからだ。だからこそそれなりにリスペクトするに足るものもある一方で、自分の感覚としては微妙に違和感を持つことも間違いなくあるはずなのである。何かが違うな、と感じる。自分のモノサシとは微妙にずれる。そういうときに大事になるのが、そこでしっかり声を出すことである。自分は同意をできない、していない、と意思表示をするのだ。出すことによって、場合によっては権威や大勢を敵に回すことになるかもしれない。しかし、出すべきときには、確固たる決意を持って出していく必要があるのだ。それをしなければ、自分の本位でないところで自分が形作られていってしまう。他者のモノサシによって、自分の人生がどんどん流されていってしまうのだ。そして、いつの間にか、自分の人生は何人のモノサシに取って代わられる。実際、問題意識を持って生きてきた人間の感性というのは、意外に鋭いものである。おかしいと感じたことは、本当におかしいことだったりする。実際、私も経験があるのだが、思い切って声を上げてみると、思わぬ共感の声や援軍が現れたりするものである。実は多くの人が、同じように違和感を持っていたということだ。だが、多くの場合は、声を上げたくても上げられない空気が漂っているものである。権威であったり、人数であったり、固定観念であったり。しかし、その空気が破れた瞬間、新しい景色が広がっていく。多くの人たちが本音を言える環境が作られるようになる。空気を破るときには、もしかすると白い目で見られるかもしれない。変人扱いされるかもしれないと感じるかもしれないが、結果的にそうなったとしても、自分を信じることだ。自分が本当にその信念を持っていたとしたら、周りの目など意識せずに声を出し、行動すべきである。もし、自分の判断が未熟でそれが失敗に終わったとしても、空気を破ろうとしたという事実は残る。そこには学びの材料が生まれるし、自身も生まれるのだ。
    *常識を疑い、前提を疑う。
    常識や前提というのは、時に極めてありがたいものである。なぜなら、自分で物事について考えなくて済むからだ。これこれはこういうもの。そう信じてしまえば、本当にそうなのかを自分で試すことなく、面倒な経験をすることなく、受け入れてしまうことができる。しかし、こうした物事を鵜呑みにする行為は、ある意味では自分を放棄する行為だと私は認識している。その場の空気についても、鵜呑みにする危険性が潜んでいるわけだが、それ以上に危険なのが、常識や前提なのである。
    たとえ世の中で常識や前提と言われていたとしても、一度自分の中でしっかり吟味し、消化してみる必要がある。それは本当に信頼に足るものか。受け入れてもよいものか。しっかり検討してから、判断を下すことが重要だ。なぜなら常識や前提も、これまた極めていい加減でうさん臭いものだからである。常識や前提も真実と同じであり、極めて社会的なもの、政治的なものだからだ。時間軸や空間軸にも依存している。そもそも100年前の常識は、今の常識にはならない。アメリカの常識が、必ずしも日本の常識ではない。その程度のものなのである。そのときどきの社会の人々の多数決や権威によって、恣意的に作られたものでしかない。それが、常識や前提だ。天から降ってきた心理などではない。このことをしっかり認識しておく必要がある。まずは、本当にそれは信じられるのか、自分自身に問うてみることだ。鵜呑みにすることなく、自分の中で冷静にじっくりフィルタリングする。もちろん、認められるなら、受け入れてもいい。しかしもし、それが自分に合わない、受け入れられないとなれば、大勢と逆に行く勇気を持つ必要がある。間違っているという意思表示をし、賛同する人たちを巻き込み、正しい方向へと変えていく。そんな変化の起点になるくらいの意識を持ってほしい。社会を変えるのは大衆ではない。個人なのである。その変革の起点に自分がなるよう、力をつけていくことである。人生は一度しかない。人生を進めていく上で間違った判断を自らに下してしまわないためにも、そうした行動の裏付けとしての実力を高める努力をすることが大切になるのだ。
    *他者の目を気にしない。評価を過大評価しない。人生のある瞬間に、私は重大なことに気がついた。自分を信じる力を最も阻害するのは、実は他者の目だ、ということである。他者のモノサシで自分を見つめ、自分を責めていくようなことばかりになっていく。逆に他者からの評価を気にしない度合いが大きくなればなるほど、自分を信じる力が大きくなっていく。もちろん自分の未熟さを認めることは、とても大切なことだ。しかし、そこに他者の視点を入れると、未熟さは不安となり、恐怖にまでなる。本来は、自分自身の未熟さを向き合わなければいけないはずが、気がつけば他者の目と向き合っている自分に気づくことになるのである。これでは、とても自分の強さになど、つなげることはできない。だからこそ、まずは、他者の目を排除することが重要だ。そうすることによって、自分を信じる力が大きくなる。その上で、自分の未熟さと向き合う。自分を信じながらも、自分の未熟さを知る。それこそが、自分を強くしていく第一歩になると私は考える。実際、他者の目を気にしないという決意が強ければ強いほど、それが実践できればできるほど、自分を信じる力は増えていく。自分のモノサシしかなくなるからだ。自分を信じるしかなくなるのである。8割、社会や他者、家族などの外に向いている視点やアテンションを、自分に向けるのだ。これまでは2割しか向けていなかった自分への視点やアテンションを、8割にするのである。その代わり、8割向けていた他者や社会への視点やアテンションを2割にまで落とす。ある瞬間に決意をして、意識して逆転させていく。そうすれば、自分が考えていることは、ほとんどが自分の中の問題として受け止めることができる。他者や外の環境に振り回されない確固たる自分の核をつくることができる。実際、他者の評価を意識するようになると、他者から評価されるための言動をするようになっていく。短期的にはそれは評価につながるかもしれないが、長期的にそれは相手に合わせた自分を作ってしまうことに他ならない。それは、自分らしい人生を送りたいと考え、成長させようとしている自分には、実はネガティブなものとなる。評価は自分でこそ、すべきなのだ。人間は褒められるとうれしい生き物であることは間違いない。評価を気持ちよく受け入れる瞬間があってもいい。しかし、過大に意識しないこと。他者の評価とは、バランスよく付き合うことである。
    *群れから離れる。群れの中にいればいるほど、自分の内面は弱くなっていくのだ。自立心は削がれ、妥協の気持ちが大きくなり、甘えるようになる。自分がどんどん失われていく。居心地のいい群れの中を自覚したなら、そこから距離を置く意識を持つことだ。あえて孤独になり、一人ぼっちになることである。そうすることによって、このままでは大変なことになるという危機感や緊張感が生まれてくる。群れから離れるというのは、自分の中で緊張感を高め、危機感を生むための戦術である。自分が一人で独立し、自立した形で生きていくための条件である。まずは、意識レベルで群れから自分を切り離すことだ。どうでもいい飲み会などには、行かない。行くことによって安心する自分を、弱い自分として認める。危機感と緊張感を自分で作り出してみる。実は自ら群れを出る勇気を持つと、新たな人との関わりが大きな喜びになっていくものである。人と出会ったり関わったりする喜びは、群れを出ることによって、むしろ大きくなっていくのだ。群れの中の一員としてではなく、自立した一人の個としての関わりを実感できるからである。群れを離れるといっても、他者に対して排他的になるわけではない。自分と向き合う時間を作り、自分というものをよりしっかりと創りあげていく。そして誰に対しても媚びずに、対等な関係を築き上げることを心掛けるべきである。
    *見せるのは結果だけ。過程は見せない。
    自分は頑張っている、と示しておきたい。そんな気持ちもあるのかもしれないが、結果が出る前に過程を見せようとする人が少なからずいる。しかし、これは自分の経験でもそうだが、絶対にうまくいかない。結果が出る前に過程を見せた瞬間、自分の内なる力が削がれてしまうのである。ところが、どういうわけだが、若い頃は頑張っていることを見せることが強さだと思えてしまう。しかし、本物の実績を積んだ人たちは、そんなことはしないのだ。だから、自分の過程を見せびらかせようとする人を評価もしない。もちろん過程は大事だが、社会に出たら問われるのは結果。その意識が必要である。苦労話を好む多くは、結果を伴わない人たちである。自分は努力をしたが、不可抗力の要素が発生して結果を出せなかった、という言い訳のために苦労話は存在している。しかし、苦労話をしない、という決意のある人は、結果だけで勝負する。だからこそ、努力の濃度が変わる。退路を断っているので、結果に対してストイックになる。必ず成功するようにマネジメントもする。目標に向かう気概がまったく違うのだ。なぜ自分は負けたのか。何が未熟だったのか。何が足りなかったのか。そこでも言い訳を一切排除する。外的要因も排除する。あくまで原因を自分の中で探す。そして、どうすれば、その原因を解決できるか必死で考えるのだ。ライバルが1時間頑張っているなら、自分は2時間頑張る。集中力を2倍にする。冷静に自分とライバルとの結果の差を分析して、自分で解決策を探すべきである。結果を生んでいる違いは、必ずある。そこを真剣に見つめる姿勢が、自らの成長につながっていくのだ。
    *最も確実なのは、最も常識的な努力の道を歩むことだ。誰よりも努力を黙々と実行した人間だけが、努力に支えられた結果を期待できる。もし、そうでないのに結果を期待してしまう自分がいたなら、それは自分を叱ったほうがいい。仮にそれで結果が出てしまっては、自分の人生にとってはむしろマイナスだと自覚したほうがいいと私は考える。それは、短期的には幸運と呼べるかもしれないが、長期的には不運のもとになるのだ。そうした意識を持つことによってこそ、日々、落ち着いた形で、冷静に、自分の目指すものに対してブレずに立ち向かうことができるのである。
    *動いた分、報われる。
    アクションを起こして、うまくいかなかった場合どうするか、と考える人は多い。しかし、たとえうまくいかなかったとしても、アクションはそれ自体で大きな意味がある。それは、アクションを起こすことによって、見えてくる景色が変わってくるということだ。それだけ自分が学べる、得られることが増えてくる。とにかく積極的に、アクション志向でいること。どんなに頭を使っても、アクションして見えてくることには絶対にかなわない。頭のよさだけでなく、動くことこそが、人生には大事なのである。
    *当事者意識を持つ
    一度しかない人生、脇役ではなく主役で自分の人生を生きたいと思っている人は多い。にもかかわらず、それを自ら降りてしまう人が後を絶たない。起きていることに対して、当事者意識を持たない人が、驚くほど多いのである。例えば仕事を委ねられる。やらされると思うか、自らこれは自分の仕事だと思って真正面から取り組むか。それによって、生産性も、仕事をしている間の充実感も違ってくる。やらされるという感覚はいち早く切り捨て、これは自分の責任としてやるべき仕事だと認識することである。これこそ当事者意識を持つことである。すべてにおいて、当事者意識を持っているのと、持たないのとでは、取り組むモチベーションがまるで変ってくる。これが、主役級の行動を生むのだ。結果に対して責任を負うのは上司や先輩だ、と思った瞬間に成長はなくなる。仕事もつまらなくなる。当事者意識も、責任感もない仕事になるからだ。たとえ自分が平社員であったとしても、所属している部や課で下した決断の責任は、自分で負う、くらいの心構えを持つべきである。そんな人間が集まった組織こそ、強い組織である。そして、こうした組織のメンバーは、間違いなく強い当事者意識を持ち、まるで経営者のような決意に基づいて行動していると思う。こうなると醸し出すオーラや空気感がまるで違ってくるのだ。当事者意識は、組織やトップも変えていく。ポジティブオーラはすぐに伝染するからだ。
    *書籍をA4の紙1枚にまとめられるか。
    どうでもいいことに、自分の7、8割のエネルギーを使ってしまうと、本当に大事なことに2、3割しか使えなくなる。本質とは重要性の度合いだ。度合いに応じて、優先順位を決めて、自分の時間とエネルギー、そして集中力を配分することが必要である。では、本質とは何か。何を本質として捉えるのか。わかりやすくいえば、何が一番、大切なのか、ということである。それを常に意識する。何が大切なのか、を意識し、本質に近づこうと努力する。例えば、プレゼンをするにしても、最終的に「これが言いたい」ということを、一言でまとめておくようにする。300ページある書籍1冊のエッセンスをA4に1枚にまちめられるかどうか。著者が言おうとしていることは、それほど多くはない。できるだけ短い言葉で、その書籍の本質を抽出してみるのである。もちろん最初からすぐにできるわけではない。しかし、意識して試行錯誤を続けること。大事なことは、本質の存在を意識しながら過ごすことだ。それが、本質を見つける精度を高くしていくことにつながる。
    *肯定のオーラの起点となれ
    同じ物事を前にしたときにも、ネガティブな捉え方をする人と、ポジティブな捉え方をする人がいるものだ。だが、それを周りで見ている人の受け止め方は、かなりはっきりしている。不満や反発、反感や言い訳、愚痴などに満ちたネガティブな人に対して、好印象を持つ人は少ない。逆に、ポジティブな物言いをする人からは、学びの姿勢が感じられる。謙虚に、前向きに物事を捉える人からは、自分も感化されるものだ。だからこそ、ネガティブではなくポジティブを心がけてほしいのだが、さらにもう一歩、踏み込んだ意識を持ってほしい。それは、肯定のオーラの起点をなることだ。人間が人から学ぶ姿勢は極めて重要である。しかし、ある程度、成長したら、学ぶという謙虚な姿勢のみならず、何かを人に対して与えていくという姿勢が大切になる。それは自分自身を成長させることであり、周囲からの信頼を高めることにもつながる。だからこそ、知識のみならず、様々な
    ことに関して、何らかの形で周りに与えていくという姿勢を、使命として、責任として持っておいてほしいのだ。いつまで経っても学ぶだけの人は、それだけの存在で終わってしまう。そこから一歩踏み出してほしいのだ。他者のために何かを与えるには、自分をどうするか。与えることに喜びを感じる人になることだ。実際、学びの姿勢も持ちながら、人に肯定のオーラを広げていく人たちがいる。そういう人は、ネガティブなこと、後ろ向きなことは絶対に言わない。批判はしても、必ず代案を出す。一見、攻撃するように見えたとしても、プラスαを加えることで、肯定の成長へとつなげていくことができる。肯定しながら生きていくことのほうが、間違いなく幸せであるはずだからである。だから、それを主導するのだ。自分が周りをポジティブにしていくためにも、ポジティブ発想と肯定のオーラの起点となることだ。それは間違いなく人生の充実につながっていく。
    *すべてを「師」に変えていく
    起きることはコントロールができない部分が大きい。しかし、起きてしまったことについては、それをどう解釈するか、そこから何を学び、どういう行動に出るかは、自分次第である。他者から制限されるようなことではない。日々の行動も同じである。人に会うにしても、すべてを何かの学びに変えようという意思が見える人は、目がキラキラしている。誰もが、こういう人と付き合いたいと感じるものだ。こういうオーラを醸し出す人と話をしたいと思う。常に出会いを学びにつなげようとしている人と、そういうことはまったく何もな考えていない人、人との出会いをネガティブに捉えるような人とでは、まったく印象が異なってしまうのである。日々起きることや、日常のすべてのことを自分の学びの材料に、自分を成長させていくための材料にする。そんな意識があれば、穏やかで平和な日々を過ごせる。自分の中でそうした意識を持った瞬間から、迷いや不安、不幸を感じることがなくなる。私自身がそうなのである。何かが起きたとしても、これは自分の次へとつなげるための神様のプレゼントだと思える。そうすれば、世の中に起きるすべてのことは、自分のために起きていると思えるのだ。この意識さえ持てれば、世の中を楽しみながら生きていける。起きていない未来に怯える必要もなくなる。何が起きても、次に生かせるのだから。できることに最善を尽くし結果が出たらそれを受け止めればいいのだ。
    *できるだけ日常の枠を超え、自らが成長する材料を探しやすくすることだ。その対極にあるのが、居心地の良さなのである。成長したい気持ちがあるのであれば、居心地の良さは、むしろ警戒しなければならない。居心地の良さを捨てて境界を越えてこそ、本当に強い自分を目指せるのだ。人生を生き抜いていくために必要なことは、実は安定して居心地の良い環境ではない。どんな環境でも自分の日本の足でしっかり立っていられる強い自分を創ることだ。最終的における自由を手に入れるために必要なのは、強い自分なのである。それこそが唯一、自然体で、穏やかな状態で人生を過ごしていくことを可能にするのである。教育の現場においても、私が育てたい人材は、どんなに抑圧された環境でも、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の意思で動ける人材である。みんなニコニコして和気藹々と楽しい場所は、たしかに居心地はいいかもしれない。しかし、それが未来の幸せを約束してくれるわけではないのである。
    *過去に縛られず、未来に怯えない。
    過去と未来を、今現在とどう向き合うか、ということにつなげていくことだ。これさえうまくいけば、漠然とした不安を消していく力が生まれる。そして心がけるべきなのは、過去から見た今の自分が常に成熟した自分であるべきだ、と認識することだ。そしてもうひとつ、未来から見た今の自分は、常に未熟であるように現在の行動をもってこれからの未来の自分を創り出していくことである。つまり、過去からみて成熟した自分、未来からみて未熟な自分を構築することだ。これこそが、過去に縛られず、未来に怯えない方法。それは実は、今この瞬間に挑み続ける、ということである。
    *瞬間を生きる。次の瞬間、死んでもいいように。
    人間は何のために生きているのか。人生の目的とは何なのか。私は、人間としての完成度を高めることこそ、目的ではないかと思っている。自分自らが誇れる人間になっていくという、そのプロセスを、死ぬまで続けることこそが大切なのだ。重要なのは、この瞬間に対して、自分のすべての心血を注ぐことだ。そういう意味で、我々は死生観を持つ必要がある。死を考えるということは、生を考えることでもある。ここでいう死生観とは、一人の人間としての限界と可能性を認識することであり、自分という存在を取り巻く唯一変えられない運命を冷静に眺めることである。生と死の間には限られた時間しか残されていない、という生の有限性を認識することである。こうした緊張感のもとで生きた人間は、いつ死んでも人生の価値は最大になっているはずだ。誰かと比較するようなものでは、もはやなくなっている。だから思う。人生は、生きる長さに価値があるのではなく、この瞬間、この瞬間に、どれくらいの緊張感をもって、懸命に生を尽くしたかどうかにこそあるのだ、と。つまり、時間に対する緊張感とは、命に対する緊張感なのである。人間の年齢と人間の成熟差は必ずしも比例しない。生きてきた時間がどんなに長くてもその人が価値ある時間を過ごして来なかったとすれば、それはこの世に物理的に存在した時間が長かっただけで、運命に翻弄された時間が長かっただけに過ぎない。重要なのは、瞬間に対する緊張感を持ち、瞬間を刻むことなのだ。時間の長さではなく、❝魂❞の温度をもって時間の濃度を限りなく高めていく。この瞬間にすべて賭けるということこそ、生きる人の権利であり、義務なのである。このことがわかった瞬間、くだらないこと、つまらないことには目が向かなくなる。人間としての完成度を高めること。その意識を持つこと。それは必ず、このかけがえのない人生を堪能し、充実させることにつながっていくと私は信じている。

  • 結構いい本だと聞いていたけどそれほど響かなかったのは、僕が本書の対象としている年齢よりもずいぶん上だからなんだろうと思う。20代前半の若者にとっては、バイブルになりうるのかもね。
    まあ、単に「意識の高さ」だけを植え付けるんじゃなくて、あんたら世の中のことようわかってないんやからとりあえず働いてみなはれ、みたいな忠告は実際的で、好感が持てる。

  • うーん・・いまいち。
    大半は観念的というか、言われて理解して、明日から実行できるような内容ではなく感じる。こういう感覚は、大半の人にとって経験を通じて体得する以外に方法はないのではないか。

    とはいえ、以下の幾つかは自分の考え方とも合い、興味深かったので抜粋。

    ・本当の就職活動は社会に出てから5年後に行うべし。社会をしり、自分を知ってから、本当の就職先を探すべし。

    ・目指すは超ガラパゴス化でいい。日本の携帯産業の問題は、その価値を世界市場に認めさせる事が出来なかった事である。

    ・故郷を出てみたかったのは、自分を誰も知らないところに連れて行きたかった

    ・私はたくさんの失敗をしてきたが、ほとんど覚えていない。

  • 慶應義塾大学大学院のジョン・キム准教授の著。
    ゼミの最後で学生達に送る珠玉の名言集。

    人生の価値は、自分が自分をどれだけ信じたかによって決まるとし、
    自分に対する絶対的な信頼を失わないこと、
    絶対不可侵領域としての自己を確立し、それを貫き通すこととある。

    その自分を信じるための生き方・考え方、自分の磨き方が書かれているが、
    どれも軽重を付けられない心に響く言葉ばかりだった。

    本書によれば、自分に不安のあることはポジティブな証拠とある。
    今の自分に不安のある方には是非読んで欲しい1冊。
    必ず何らかの示唆を与えてもらえる。

    個人的には「居心地の良さを警戒せよ」を胆に命じておきたい。

  •  詳細なレビューはこちらです↓
    http://maemuki-blog.com/?p=8819

  • なぜか、ビーチパラソルの下で読了。
    大学の授業最終日にこんな講義を受けたら一生わすれないだろう。
    私のような年齢で読んでも、気づかされることが多すぎた。
    いつも夢を持ってる私にはかけがえのない1冊。
    息子にも勧める。若い彼が読んだとき、ここに書いてある様々なことを
    語り合いたい。きっと、心に留まる場所は違うはずだけど、
    かならず、なにかが心に留まる。

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著者プロフィール

作家

「2020年 『一生忘れない読書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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