- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478021477
感想・レビュー・書評
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課長レベルの30代のミドルリーダーが時代を変えるんだと。
万年野党でなく、主流派の中に位置することとか、論理的思考でサンクコストサンクタイムに囚われないこととか、現場と中央の一次情報がちょうど集まる位置にいるんだってこととか、自分がトップだったらと仮定して考えろとか、本当に大事な頭の使い方と精神力とについて学んだ。 -
結果を出すリーダーはみな非情である。
上手いタイトルを付けますよね。中身が気になってつい手が出てしまいます。
オビにはこうも書いてあります。
組織内で楽なのは「あれも、これも」の議論だ。だが、意思決定は「あれか、これか」の引き算でなければならない。
そう。そうなんだよね〜。で、お買い上げです。ちょろいもんです。
著者の冨山和彦氏はボスコンなどを経て、2003年に産業再生機構のCOOに就任。その後も、様々な企業の社外取締役や社外監査役、政府関連委員を務めておられる方です。
ところで、産業再生機構のCOOってどうやったらなれるんですかね。少なくとも、コンビニに売ってる就職情報誌では募集していないようです。
サブタイトルである「30代から鍛える意思決定力」からも推測できるように、課長クラス(ミドルリーダー)を対象にした内容になっていて、とにかくお尻を叩きまくり、闘争心を掻き立ててくれる言葉にあふれています。
普段の読書では、どちらかというと結構なスピードで1冊を一気に読み切ってしまう自分ですが、今回だけは何度も咀嚼し、腹に落ちるのを確認しながら読み進めたため、読了するのに2週間くらいかかってしまいました。
考えさせられる部分を赤ペンでぐりぐりと丸で囲んでいったため、かなり汚くなってしまいましたが、その中から幾つかご紹介しておきたいと思います。
将来、トップリーダーを目指すミドルリーダーは、「現住所」を現場リーダーに置きつつも、マインドセットの「本籍」はあくまでもトップリーダーに置いて、戦略的な意思決定、現場の中に軋轢を生むような決断からも逃げず、中間「経営職」の職責にあたるべきである。
ミドルマネジメントになったら社長になったつもりで判断し、行動しておかないと、将来社長になったときに何も決められなくなってしまう。
今の役職が課長であっても、最高かつ最終責任者として考え、感じ、決断し、失敗も含めて結果責任を負うことのトレーニングなしに、リーダー研修は成り立たない。
課長の時に責任転嫁ばかりしている人、ストレスから逃げてばかりいる人は、それより上のポジションに上がったとき使いものにならない。意識して自分に負荷をかける、自分をストレスフルな立場に置いてみるくらいのことをやっておいたほうがよい。
報酬に不満を持つ部下に対し、「これは会社の方針だから」「人事部がこういう制度を入れたので仕方ない」では全く失格だ。「カネと人間」の問題から逃げる人間は、もはや課長レベルでも通用しない時代なのである。
本来、戦略的意思決定というのは、何を優先させるか、あるいは右か左のどちらに進むかという議論であり、何かを捨てなければならない。常に引き算の議論、「あれかこれか」の判断なのだ。
現場に近いところにいる課長クラスは、捨てられない戦略的意思決定がもたらす悲劇が一番よく見えるので、情理に流される。鳥瞰的に見ることが必要だ。
部下の人事評価をする際に重要なのは、「成果」と「能力」の2つの軸で評価することだ。
日々の仕事にストーリーを持って臨み、キャスティングを考え、舞台を演出する。それを繰り返すことで、リーダーと役者、双方のスキルが磨かれていく。
人をキャスティングする、仕事を割り振るときに一番やってはいけないのは、ケミストリー(相性)から入ってしまうことだ。
ケミストリーで目が曇ると、一人ひとりの比較優位を客観的に判断できなくなる。結果的に能力を発揮できないキャスティング、戦えないチーム編成になってしまう。
自分とは相性が合わないと思っている相手、どんなに嫌なやつであっても、比較優位は必ず持っている。それを冷静な目で見つめて、能力を最大限に引き出すのが、チームリーダーの仕事である。 -
そういう意味での非情ね。なるほど。
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必要なのは合理的な思考力と情に訴える伝え方。
訓練が必要だな。 -
自分が決してトップマネージメントを担うことにならなくとも、経営者のような視点で判断するつもりで仕事をしたいと思う。
特に、気に入ったフレーズは、「引き算」の戦略思考。
「あれもこれも」と何をするでも、付加しがち。これが反対派を納得させるキーワードになっている。「あれかこれか」、「まず、第一に」というのは、わかりやすい。まず、このフレーズから実践してみよう。 -
・そもそもリーd-あシップは、管理職になった後に鍛えるものではない。若い課長クラスのうちから、自分が社長のつもりで決断し、実行するスキルを磨くべきなのだ。それも、リアルにタフな状況において、若いときほど、失敗のコストは小さく、同時に、失敗からの学習能力は高い。
・リーダーに不可欠の条件はそんなに多くないが、外せないのは「合理的思考」力である。これは、いかなる場面でも必要になる。逆に社長になってから鍛えようと思っても、一朝一夕に思考のクセは直らない。
・大きな変化が起こるときは、上層部でそういう志をもっている動いているリーダーがもちろんいるわけだが、上と下の力がうまく共鳴しないと社会を動かす歯車は大きく転回しない。特に日本の場合は、共生型、共同体型の村組織社会のため、トップダウンで上からの改革を進めようと思っても、なかなか変わらない。ミドル層にいるリーダー型人材、つまりミドルリーダーこそが日本型改革のエンジンなのだ。
・上部構造では決められない難しい問題ほど、現場レベルで決められる場合が多い。幕末の維新の雄藩でも、島津候も毛利候も決められない問題については、西郷や大久保、桂に「よきに計らえ」となったわけだ。
・日本は現場力が優れているがゆえに、トップの意思決定力がなくてもこれまでなんとかなってきた。だがそれは、みんながゴールを共有できた右肩上がりの時代の話。現場力への過剰な依存が、今の停滞を招いているとも言える。
・将来、トップリーダーを目指すミドルリーダーは、現住所、を現場リーダーに置きつつも、マインドセットの本籍はあくまでもトップリーダーに置いて、戦略的な意思決定、現場の中に軋轢を生むような決断からも逃げず、「中間経営職」の職責にあたるべきだろう。
・今の日本で、失敗に不寛容な企業、失敗した経験がないリーダーは、極めて競争力が低い。
・日本は今有事なのだ。有事に戦闘経験がない、失敗の経験がない者がリーダーとして活躍できるはずがない。
・私がみてきたダメな経営者というのは、圧倒的に上に流される人が多い。一方で、情に背を向けて合理にひたすら突っ走る人もうまくいかない。だから誰よりも真剣にその問題を考え尽くし、悩み尽くしたうえで、最後にはなんとか折り合いをつけていくしかないのだ。
・社長は鳥の目で会社をみており、現場は虫の目で仕事に取り組んでいる。その両方の視点を持つには課長クラスが一番よいポジションだ。
・ミドルリーダーを志向する課長より、社長(トップリーダー)のような課長を目指すべしだ。逆に、決して「課長らしい課長」、「部長らしい部長」を目指してはならない。 -
かつてはあまりに当たり前だったのだけれども、悪貨は良貨を駆逐する、水は高いところから低いところへ流れるの如く現職ではなかなか通じない世界でもがく日々でした。自分の胸のうちにある思いを言葉にしてもらった思いです。それほどまでに勉強不足、努力不足を痛感した一冊。
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著者の主張はタイトルに書いてある。
中身を読まなくても大丈夫。