13歳からのアート思考 「自分だけの答え」が見つかる
- ダイヤモンド社 (2020年2月21日発売)


- 本 ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478109182
感想・レビュー・書評
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アートの<情報>を食べて、アートを理解したつもりになるのではなく、五感で感じること。
アートが怖くなくなる。
アートを自分のものとして捉えられる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
〈抜粋〉
「アートという植物」は、地上で輝く「表現の花」を咲かせているものもありますが、地上には姿を見せずに地下の世界で「根」を伸ばすことを楽しんでいるものがほとんどです。
植物全体として見たとき「花」が咲いているかどうかは大した問題ではありませんし、ましてや「花」が美しいか、精巧であるか、斬新であるかといったことは関係ありません。
20世紀の画家たちが、自分だけの“アート”を追求してきた過程は、勉強になった。最後のスティーブ・ジョブズの話からは「アート=人生」だと理解した。勇気づけられた。アーティストとしばしば混同される“花職人”の作る花にはタネも根もない。絵が下手でも関係ない。奇抜なアイディアなど無くていい。自分の興味の持てること、愛情の持てるもののほうにどんどん根を伸ばそう。
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『複雑な現代において、"美術"は"大人が最優先で学び直すべき科目"である』
と主張する中学・高校の美術の先生が書いた本。
美術に苦手意識のあった私でも、美術の面白さと深さを体験することができました。
本書は6つのクラスに分かれており、それぞれ美術作品を観て、段階的に"アート思考"について学べる形式。
とてもわかりやすく書かれているが、美術が深すぎて、一周回ってスタートに戻る感覚があった。
美術作品との向き合い方が少しわかった気がする。
久々に美術館行ってみようかな♪
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大変、面白い本でした。
この本を読んでいて、最近あまり、物事を深く考えたことがなかったことがなかったことに気づきました。
「やってみよう」というページがあってクラス1からクラス6まで6問の問いがあります。
スルーした問い(自画像を描くなど)もありますが、頭が疲れるくらいまで考えたのは久しぶりでした。
本の帯に藤原和博氏が「美術は『思考力』を磨くための教科だったのか!とわかる本」という推薦コメントを寄せていらっしゃいますが、確かにそう思いました。
アートについて考えるのは面白いことだとわかりました。(ただ、一人で考えているのは面白くないかもしれないです。そのためにこういう本があるのですね)
「アート思考」の授業を体験した中高生に「美術がこんなに楽しかったなんて!」「これからもずっと役に立つ考え方が身についた!」と著者は感想をもらったそうです。
著者は大人の方にこそ「13歳」の分岐点に立ち返っていただき、「美術」の本当の面白さを体験して欲しいと述べられています。
本文より
「アーティストのように考える」とはどういうことか。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
「アート思考」とはまさにこうした思考プロセスであり、「自分だけの視点」で物事を見て、「自分なりの答え」をつくりだすための作法です。
もう少し柔らかくいえば「あなただけのかえる」を見つける方法なのです。
「美術」で学ぶべきだったのは「作品の作り方」ではありません。むしろその根本にある「アート的なものの考え方=アート思考」を身につけることこそが「美術」という授業の本来の役割。
「美術」はいま「大人が最優先で学び直すべき科目」である。
美術館などでアート作品を見ても「よくわからない」「『きれい』『すごい』としかいえない」「どこかで見聞きしたウンチクを語ることしかできない」という悩みを耳にしますが、それは日本の教育が「探求の根」を伸ばすことをないがしろにしてきたからなのかもしれない。
「地下世界の冒険に夢中な人たちー真の『アーティスト』」。アーティストは、花を咲かせることには、そんなに興味を持っていません。むしろ根があちらこちらに伸びていく様子に夢中になり、その過程を楽しんでいます。アートという植物にとって、花は単なる結果でしかないことを知っている。
各クラスで取り扱った問いと作品
クラス1「すばらしい作品」ってどんなもの?/アンリ・マティス<緑のすじのあるマティス夫人の肖像>
クラス2「リアルさ」ってなんだ?/パブロ・ピカソ<アビニヨンの娘たち>
クラス3アート作品の「見方」とは?/ワシリー・カディンスキー<コンポジションⅦ>
クラス4アートの「常識」ってどんなもの?/マルセル・デュシャン<泉>
クラス5私たちの目には「なに」が見えている?/ジャクソン・ポロック<ナンバーⅠA>
クラス6アートってなんだ?/アンディー・ウォーホル<ブリロ・ボックス> -
子供向け、13歳を対象とした本というわけではない。美術嫌いとなる分岐点が13歳。中学校での美術が個人の創造性を奪っている。テーマに沿った創造物を作る時間、答えを求め、通知表で5段階に査定され、13歳を境にアート離れする。
文字のようなコードに意味を乗せる場合と異なり、表現方法も多様で、言葉を必要としない表現であるアートには、多義的な解釈があるはずで、そこでの多義性こそが「自分だけ」の答えだ。自分の感情を投射する。多くの共感を得て、強く感情が揺れ動かされるほど、本来良いアートなのかも知れないが、目の前の作品とは別の情報がアートの価値を高める事もある。アート自体にブランドやファッション性が付与され、希少性と相まって価格が上がる。
デュシャンの小便器がアートだというのは、そうしたアートの消費文化に対するアンチテーゼだったのではないだろうか。あるいは、炎上商法のように、自ら消費文化を利用したのかも知れない。あんなものを芸術だと有り難がる大衆は、裸の王様を称賛する量産型市民と変わらない。そこでは、価値観や思想が植え付けられたマスの枠内で限定的な差異が許されるのみだ。マスの価値観に吸い寄せられ、自分だけの鑑賞にはならない。
本書は、パブロ・ピカソのアビニヨンの娘たち、ワシリー・カンディンスキーのコンポジションVI、ジャクソン・ポロックやアンディー・ウォーホルを取り上げながら、そうしたアートの可能性を考えていく。
しかし、結局そうした著名な芸術家は、流行りの技法からオリジナルを導いたという意味ではマスの価値観を意識した存在であり、完全に自由な芸術領域を追えてはいない。商業主義的芸術家は買い手を意識せざるを得ないだろう。アートには、大衆指向の要素があって、通知表で5を目指す要素があっても良い。野良アートや趣味、自分だけの答えを否定さえしなければ良いのでは。 -
前々から早く読みたくてウズウズしていた本
思った通り面白くて一気に読んでしまった
なかなかな「アハ体験」となり、
薄々気づいていた自分に足りないものもわかった
また、なぜ自分が近代アートに興味を持たないかよく理解できた
この本を読むと恐らくそれぞれの気づきがあるように思う
(良いとか悪いではなく)そこを知り、向き合うことが大切
「あなたはアートをどのように鑑賞していますか?」
~美術鑑賞が好きなので美術館に足を運ぶが、まず予習を必ずしてしまう…
アーティストについて、作品について時代背景を調べ、解決や人様の評価を見てしまう そしていざ現地へ
作品を観る→解説を読む→作品を観る
こんな感じ(一般的よね?)
まっさらな状態で作品を観ることも当然ある
それは自分の知らないアーティストの作品やあまり興味をそそられない作品だ
こういうケースは好きか嫌いか、うまいかどうか、美しいかどうか、何か訴えられるものはあるか…
そんなふうにしか観られない
作品そのものに向き合い、やりとりなど全く出来ていなかった…
アート思考のプロセス
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
私達はSNSでいいね!をもらうことに夢中になってはいけないのである
(でも…ブクログ でいいね!をいただきいつもありがとうございます!)
自分なりの視点で「探究の根」を伸ばす
自分自身の内部に眠る興味や、好奇心、疑問を追求し、他人が決めたゴールではなく、いつしか自分独自の表現を花を咲かせる…
これが真のアーティスト
まさにレオナルド・ダ・ヴィンチがそうである
彼は尋常ではない好奇心に突き動かされ、気になることや疑問に思うことに、夢中になり、あらゆる事象を理解しようとした
ノートやメモ書きは7000ページにも及ぶが完成した作品は生涯でたったの9点
確かに正真正銘のアーティストだ
「アートの鑑賞」に焦点を充てているものの、勉強、仕事、趣味、人生そのものにあてはまる
自分の内側にある興味のタネを世間の目を気にしたり、やらなきゃいけないことばかりを優先して放置していないか
人の評価ではなく自分のものの見方、自分なりの答えを手に入れること
子供の頃、雲を眺め「アイスクリームがある!」「ライオンに見えるぞ!」といつまでも飽きずにたくさんの自分なりの答えを出したように…
注!)備忘録のためネタバレ有
■6つの「20世紀アート作品」でオリエンテーション
◎なぜ20世紀の作品なのか
→ルネサンス時代
依頼された絵を描く
主に宗教画と王侯貴族の肖像画
→17世紀頃
裕福な市民
「風景」「日常生活」「静物」などの絵を求める
いずれも「写実的な表現」が求められる
→20世紀にアート界の秩序を破壊した「あるもの」が登場
そう…「カメラ」ですね!
これによりアーティスト達の存在意義が根本から揺るがされる
ここから、アートの意義やアートでしか実現できないことへの探究が始まる…
6つの作品
①マティス「妻の肖像画」
「目に映るとおりに世界を描く」という目的から解放
〜マティスの色使いはとても楽しい
自由の象徴のようた
無秩序にさえ見える大胆な筆遣いも、なんの遠慮もない感じで悪くない
マティスの絵はすぐに「あ!マティス」とわかるところも好きだ
②ピカソ「アビニヨンの娘たち」
遠近法は半分のリアルしか写し出せない
人間の視覚の頼りなさを使って見たある意味リアルな世界の表現
〜確かに3次元の世界を捉える際、視覚でまず情報を仕入れた後、先入観的な知識や経験を無意識に使って、脳内で再構成され見ている
「遠近法」がリアルさの全てではない
だから敢えてピカソはさまざまな視点から認識したものを1つの作品にしたのか!
なるほど!
学校で習った気もする…(汗)
なるほどの納得はするものの、「ゲルニカ」以外にあまり惹かれる絵がないんだよなぁ…
③ワシリー・カンディンスキー「コンポジョンⅦ」
具象物を描くことからの解放
音楽を聴くときのように、「作者はなにを表現したかったのだろう」、「どう解釈するのが正しいだろう」などと勘ぐらず、ただただ自然に作品とやり取りすること
作者の意図と、鑑賞者の答えが異なってもこの2つが掛け合わさることで作品を作り上げることになる
〜作品だけに向かい合うって難しいな
無心に作品に集中できる時間て一体どのくらいだろうか…
特に知らなく関心の持てない作品というのは、見ているうちに気付くと他のことを考えたりしてしまう
④マルセル・デュシャン「泉(Fountain)」
アートに最も影響を与えた20世紀の作品
アート作品=目で見て美しいもの
というあまりにも根本的な常識を打ち破り、アートを「視覚」から「思考」の領域に移した
〜初めて知った作品
ただの男性用小便器!
そう、ただの男性用小便器にサインしただけの作品
うーん 確かにアートの概念を大胆に覆される
新品でもなさそうな便器なんてどちらかというと、いやハッキリ言って美しくないもの…だよなぁ
アートの概念を覆すというコンセプトや象徴のしての作品ととらえればいいのかなぁ
⑤ジャクソン・ポロック「ナンバー1A」
アートを「なんらかのイメージを映し出すもの」という役割から解放
絵画をただの物質として扱った作品
アートにしかできないことを追求した答え
〜この作品(絵)は「絵の具」と「キャンパス」で出来ている!
人の長年擦り込まれた先入観は本当にすごいと改めて実感
ここでは子供時代の意味不明な著者の絵もあるが、確かに子供は何かのモノやイメージを描くわけではなく、例えばクレヨンの感触を楽しんで身体が動いたにすぎないのでは…ということらしい
やはり作品ではなくイメージで視覚を使ってを見ているのだ
⑥アンディ・ウォーホル「ブリロ・ボックス」
木箱に食器用洗剤(ブリロ洗剤)のロゴをコピーしただけの作品
アートと非アートの境界線は存在しなのでは…
これがアートだという確固たる枠組みはない
また別の事例として、MoMAは日本のゲーム「パックマン」を所蔵
ゲームはアートなのかという世間のざわつきに対し、MoMA側は「テレビゲームがアートかどうかの論点は興味ない」とし、
「デザインのいうものは、人間の創造的表現の中で最高の形式の一つ 偉大なデザインを有するものならそれで十分すぎるもの」
結論
「自分なりの答え」を生み出すことができれば誰でもアーティスト
かな
なるほどね
アート思考が理解できたことは喜ばしい
エクササイズもあるので、この本は親子でも楽しめるだろう
13歳からの…とあるが、頭が硬くなった大人の誰しもに効くはずだ
ただこれはこれとして…
やはり自分の求めるアートは、ある適度な写実性と美しさであるし、今後も作品やアーティストの背景は知りたい
この姿勢は変わらないなぁ
自分の価値観を極めるのと固定概念の違いは気を付けなくては
あと「やらなきゃいけないこと」以上に「やりたいこと」にもっと目を向けようと思った
別に結果が出なくても、今からこれやって何になるんだろ?なんて思わず、だれにも遠慮なく!
しかしながら何となく日本人、「先にやるべきことやりなさい」みたいな傾向あるよなぁ
子供の頃「先に宿題やってから!」ってしょっちゅう言われた…
日本の学校教育に一石を投じる内容でもある
真面目な人こそ要注意だ(笑)
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美術館に行くのは好きだけれど、絵よりも圧倒的に隣に書いてある解説を見ている時間の方が長い。そしてそれを読んで分かった気になっている私。
アート思考と言う言葉はこの本で初めて知った。アートには正解はない。ついつい正解を求めてしまう自分がいるけれど、自分自身が絵から得た感想や感覚が正解なのであり、唯一解はない。自分の感覚を信じる事が大事であり、その感覚を頼りに自分の思考を深く掘り下げていくのが大切なのだと理解した。
美術作品は作者だけが作るものなのではなく、見る側・受け取る側もその作品を作っていくと言うのだと言うくだりは面白いと感じた。 -
美術が大キライに「なった」、中学生の自分にささぐ。
そして、美術を教える先生のみならず、すべてのオトナにささぐ…
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わたしは子どもの頃、絵を描くことが好きでした。
けれど、描いた絵を点数で評価され、いわゆる写実的に「上手に」描いた人と比べられることで、「上手く」描けない自分への劣等感がだんだん強くなりました。
中学の終わりには創造の力をひっぱりだすこともできなくなり、ただ窓の外にある風景を「忠実に」描くことしかできなくなりました。
でもいくら描いても、窓の外の本物の風景には叶いません。
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高校では、美術という教科は選択しませんでした。
でもそのかわり、自分の好きなときに好きなものだけを作りたかったので、美術部に入りました。
美術作品は展示会のときくらいしか作らなかったけど(笑)、友だちと話したり、友だちの作品ができていくのを眺めているのはとても好きでした。
美術という教科から離れ、自分の好きなように作品を見たり、作っても作らなくてもいい環境にいられたからこそ、根本のところでは美術をキライにならずにすんだのかもしれません。
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この本を読んだ誰しもが、子どもの頃に末永先生のような美術の先生に出会えていたなら…と思うでしょう。
でもどうにもならない過去に、出会いを求めてもどうにもなりません。
だからこそ、この本があるのだと思います。
この本を開けば、いつでもどこでも誰でも、末永先生の授業が受けられます。
そしてこの本を読んで自分が感じたこと、考えたことを誰かが「それは間違ってる」「正しくない」などと評価してくることもありません。
この本は今の自分だけでなく、中学生の頃、「表現の花」を咲かせられなくなった自分自身への劣等感をぬぐいさってくれました。
そしてどんな年齢、立場、生き方に関わらず、「アート思考」はもつことができるし、その思考は自分で自分を認めるための土台となり、そこから未来にむかって生きていける力になると感じました。
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自分なりの考えを「正しくない」と評価された人こそ、この本を開いてほしいし、そんな評価をくだした人もまた、この本を開いてほしい。
アートは、自分なりの考えを導きだすための入口を作ってくれるもの。
アートを入口に、末永先生のお話を読んで感じて考え、生きるための力となる「アート思考」をこの本と一緒に自分の力で育てていきませんか。 -
「美術品を鑑賞する」というと「解説文を読んだり、作品情報を読み取ろうとしたりする」ことが多くなってしまう。
しかし作品鑑賞というものは「正解」はなく、自分なりのものの見方をして、自分なりに感じ取れば良い。「自分なりのものの見方」ができる人こそが、現実で何かを生み出したり、結果を出したり、人生を楽しんだりできるのではないか?
それでは、作品に自由に向き合うというのはどんなこと?アートって何?自分自身のものの見方ってなんだろう?
”美術”というと「正しく感じ取らなければいけない」のような先入観を持ってしまいますよね。
こちらの本ではその先入観を取り払うために、読者(講義参加者)が実際に考えたり意見を言ったり描いたりするようになっています。
・作品を見たら、気がついたこと、感じたことを書き出してみる(アウトプットする)と、漠然と見るよりもじっくり捉えられる。さらになぜそう感じたのかを考えてみよう。
・作品とは、作者と作品、鑑賞者と作品とのあいだそれぞれのやり取りがある。そのため作者の表現したかったことと、鑑賞者のそれとは異なることもある。作品とは、作者だけでなく、鑑賞者の感じ方により解釈が広がってゆく。
たしかに美術鑑賞って、「知っている」ことを前提にしてしまうところがあり、そのような先入観がない人がすっごく率直な感想を言うと「それでいいんだ!」と自分が先入観で目が曇ってたなーと感じることがありますよね。
そしてこの本で書かれていることは、読書にも当てはまるように思います。
「この作者は、後世の人達に何を伝えたくてこの小説を書いたの?この小説の正しい楽しみ方は?この描写は(すっごい細かいところ)なんのために書いたのだろう?この小説を読んで自分が学んだことはなんだろう?この小説のこの文章の書き方は正解なのか?」という「絶対的答え」を求める風潮がありますよね。
読書も美術品と同じように「作者と作品、鑑賞者と作品のそれぞれの間の感じ方」を楽しんで良いなら、読書におきかえて自分なりに楽しむことはできるよなーーと思いました。
なお、こちらの本では美術へのアプローチとして千利休がやったことが挙げられていますが…、すみません、わたしには「千利休ってめんどくさい人だなーーーー」と感じました…(-_-;)
末永幸歩の作品





