死の講義 死んだらどうなるか、自分で決めなさい

  • ダイヤモンド社 (2020年10月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784478111192

作品紹介・あらすじ

本書は、死んだらどうなるかの話。といってもスピリチュアルな本ではなく、「死」とは何かについて、知の達人橋爪大三郎氏が、宗教社会学の視点から鮮やかに、説明する本。

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生き物はそもそも、すべて死ぬのです。しかし、生き物は、死ぬそのときまで、死ぬと思っていません(たぶん)。人間は違います。うんと小さい子は別として、ちょっと知恵がつくと、みんな死ぬらしい、自分も死ぬだろう、と思うようになります。

では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。(中略)そう、複雑な社会には宗教というものができるのです。いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。

これまで人類に大きな影響を与えた宗教は、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教、仏教、の五つです。それぞれ、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっています。

そこでこの本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。(本書の「はじめに」より)

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死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。だから、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めていい。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがある。そのどれにも大事な生き方が詰まっており、人生の知恵がこめられている。



コロナ禍で「死」をこれまで以上に身近に感じている多くの人々に読んでほしい一冊。

みんなの感想まとめ

死とは何か、そして死後の世界についての考察を深める一冊です。著者は、宗教社会学の視点から、さまざまな宗教が「死」をどのように捉えているのかをわかりやすく解説しています。特に、キリスト教や仏教などの主要...

感想・レビュー・書評

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  • 死んだらどうなるのか誰にもわからない。
    だって、誰もまだ死んでいないから。
    そのわからないことを、哲学や宗教というアプローチで考えていく。
    最初に提示された哲学者伊佐敷隆弘さんの6つの考え方がとてもわかりやすい。
    私自身の考えは、4·子孫の命の中に生き続けると5·自然に還るが近いかな。
    ここから哲学的に展開されていくのかと思ったら、各国の宗教から考えていく方向に。特定の宗教を持たないこともあって、イマイチわかりにくいなぁと思っていたら、6章の「死んだらどうなるか、自分で考える」で、見事に哲学×宗教の考えが落とし込まれていて、なるほどと腑に落ちた。
    時間がない人はこの6章だけでも価値があるかも。

  • 様々な宗教の成り立ちから死生観までをシンプルに説明した上で、その宗教を踏み台にすることで死を深く考えることができるというのが著者のメッセージ。

    宗教のどれかひとつを選んで、死んだらどうなるかを考えてみることを勧めている。

    ただ個人的には死んだら無になるだけだと思っており、その死に対する恐怖を日々感じているので、そこに対する生きるヒントが欲しかったのだが本書は異なるアプローチであり、期待していた内容ではなかったのが残念。

  • 年を重ねていくと、親の死、自分の死が刻々と近づいていくのを実感する。さらに昨年からのコロナ禍で否応なしに死を身近に感じることとなった。

    本書は、宗教社会学者の著者が、世界にある主な宗教の中で「死」がどうとらえられているのか、中学生でも読めるようにわかりやすく説明した本である。
    「死」は、生きている誰も経験することができない。人は体験を重ねることにより世の謎を説明してきた。だから体験できない「死」は恐ろしい。宗教は体験することができない「死」をなんとか説明するために生み出された。

    本書では、一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、インドの文明(バラモン教、ヒンドゥー教、仏教)、中国の文明(儒教、道教)、日本人(古代の死生観、仏教、儒学、神道)が死についてどうとらえてきたか短いセンテンスで説明する。そして最後に、これまで述べてきた死生観を箇条書きで一覧にし、死んだらどうなるか、自分で考えるよう促すのである。

    日本人は自分が無宗教だ、と思っている人が多い。私もその一人で、なんならお正月に神社を参拝し、クリスマスを祝う日本人はおおらかでよい、ぐらいに思っていた。でも、「死んだらどうなる?」と言われ、いざ説明しようと思っても、私には説明するだけの考えはなかった。私は無宗教なのではなく、わからないことについて考えるのを停止しているだけだったのだと思う。

    たとえ知識を持っていたとしても、実際に自分がどう考えるのかを説明できないと、それぞれの宗教について理解しているとはいえない。死を目前にして慌てふためき、一見口当たりの良いカルト宗教にからめとられてしまうかもしれない。

    この本を読んで、自分なりに死んだらどうなるか考えた。死生観に正解も誤りもない。それは自分がどう死にたいか、どう生きたいか、という哲学だ。状況によって考えが変わることがあるかもしれないが、その時々の自分の哲学をしっかり持っていたいと思う。

  • 大分前に購入してかなりの意気込みで読み始めたがどうしても身が入らない。だから今はまだ読むときではないと思い一旦やめることにした。

  • 友人や知り合いに、親が○○教の信者、という人が何人かいる。印象として、生き方にブレがなく、規範意識が高い。彼らは自分から選んでその○○教の信者になったわけではないらしい。けれども、なんだか迷いなく生きている人たちに見える。
    で、自分。祖父が孤児になって寺の預かりになった関係で、寺とのつながりは深い。家にひろさちや氏の漫画がたくさんあったので、小さい頃からそれを読んで、わりと仏教には親しみを感じながら育ってきた方だと思う。けれど、それが自分の規範になってはいない。全く。知識としてそうだ、慣習としてそうだ、ということは身についてはいるし、ある程度説明もできるけれど、生き方、物の見方にまで浸透させてはいない。祖父や祖母は自分たちの信仰を大事にしてはいたけれど、子や孫にまでそれを押し付けることはしなかったからだろう。なので、私の規範意識は非常にゆるい。あれもあり、これもあり。日和見的。生き方も考え方も迷い迷い。
    その祖父が一昨年、亡くなった。続けて祖母も亡くなった。私の娘は2人ともまだ幼すぎて「死ぬ」が分からない。だから、通夜や葬式は「お別れ会」でひいじいちゃんやひいばあちゃんは仏様のところで勉強中、ということになっている。そこまでは49日かけて徒歩で行くことになっていて、一回出発したら帰ってこられない。途中、お腹が空くので小さいおにぎりを持たせる。もしかしたらお友だちにも会うかもしれないので、ひいじいちゃんは髭を剃り、ひいばあちゃんはお化粧をする。
    いずれ娘も大きくなれば、それが私の作った「ものがたり」に過ぎないことに気がついてくれるだろう。「死をめぐるものがたり」を寄せ集めて、葬儀のあれこれを子ども向けに編集した子供騙しのお話。そして実際、葬儀の中身も仏教でも、神道でもなく、よく分からない土着の信仰をごった煮にした葬儀だということが本書の内容からは読み取れる。正しくは無い説明。何の根拠もない思い込み。でも、それを話しながら、半ば私はそれを信じてもいる。祖父や祖母にはまだ消えてほしくない。どこかにいてほしい。
    自分が何を信じ、どう死ぬかは、確かに個人の問題で、自己責任で選べるものかもしれない。けれども、最近身内を亡くし、そしてそのことを小さな子どもに伝えなければならず、しかもいずれはその子どもたちに見送られる立ち場のものとしては、親しい誰かが死後にどうなっていてほしいかというところから自分の死を眺めてしまわざるを得ない。私の死をそのようなものとして受け止めて、喪失の穴を埋めてほしいという、これは信仰というよりも願いだと思う。
    だから、今はまだ死ねない。今死ねば、きっと娘は忘れてしまう。こんなにも寄り添って生きていた毎日のことを、小さな子どもは覚えていられない。一番、覚えていてほしい相手に忘れられることほど、一度、覚えていたい相手を忘れてしまうことほど、辛いことはない。
    肉体は滅びる。輪廻は無い。でも、どこかにその存在を感じたい。あるいは、感じてもらいたい。
    とするならば、日本古来の死のあり方に一番近いのかもしれない。
    けど、私、一つには決めません。自分の背負ってる背景も背景なので、「習合論」でいいと思ってます。ごめんなさーい。

  • 死について様々な宗教から考えてみるよな本。

    中学生にもわかるように優しめな感じで書かれているので読みにくいとかはなかった!
    日本人は無宗教(正しくは完全に無宗教な訳ではないが)って言われてるけど、他の国の人はきっと私が想像出来ないくらい敬虔で信仰深いのかな〜と思った。そういう人なら死んだら私はこうなるのよ!って心の底から思てんのかな、すごー。

    結論私ってどれがよかったかな〜。死んだら幽霊になって世界遺産巡りをしたい!とか昔考えてたけど。

    わかりやすいし読んでよかったけど期待してたのと違った感も否めないのでこんな感じ〜。

  • 死というアプローチから各宗教がどのような死生観を持っているか知ることができた。
    また、日本人の多くは無宗派と思っていたが実際はそうではなく何かしらの宗派に属している、またはミックスということなのかなと思われるし、それが歴史的な背景から始まったことを想像した

    日本では宗教というと少し扱いづらいイメージがあるが、かなり身近に感じられたのと始めて手に取った宗教の本としてはとても理解しやすかったと思う

  • 死んだらどうなるか
    明確な答えが欲しいと思い読み進めたが

    意外だった
    知らなかった事がまだ沢山ある
    本をもっと読もうと思った
    こういう事って
    子供の頃は怖くなってしまうから
    高校生くらいで知るのがいいのかなぁ
    社会人になるまでには知っておきたかったかな



    『自分で決めて、そのように生きると、その通りに死んだことになる』

    『いつ終わってもいいように生きる』
    これが【覚悟】






  • 10ミニッツTVをみて読んでみたくなった本。各宗教の死についての考え方が、そこに至る時代背景などを含めて、かなり噛み砕いて、時系列に示してくれるので分かりやすい。いろんな考え方が融合し、結果生じた矛盾を解決するために新たな解釈とか考えが組み込まれ、それが時代と共に変遷し、結構場当たり的なんだというトリビアを含めて、色々な死生観があるのだと勉強になります。そのどれかを選択して、自分の生き方を考えなさいが、メッセージだけど、汎神論が一番しっくりくるかな。

  • 久しぶりに最高に素晴らしい本に出会ったような気がします。著者の本を時どき気に入って読んでいたのですが。
    たまたま手に取って読みましたが、これは大げさに言うと衝撃を受けた感じがしました。

    死を考え、死と宗教の関係に発展させ
    一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)・多神教
    ・インド(ヒンズー教・初期仏教)の宗教・中国(大乗仏教・儒教・道教)・日本の宗教(仏教・神道・国家神道・江戸時代の仏教)
    の解説を踏まえたうえで
    死について考えるうえで、宗教を選択する重要さを論じているあたりは、すごく波のような流れで頭に入ってくる感じです。
    宗教のとらえ方が正直に言って変わった感じがします。
    自分は、正直ユニタリアンが一番ひっかかった感じがします。あとは仏教の考え方。さらに念仏宗の考え方が
    やはり自分の遺伝子の中に組み込まれているような・・

  • 本屋さんで、書評が掲載された本のコーナーにあった。
    「死」をテーマにしている本に惹かれる。
    なんでだろう。

    思春期からしばらくは、死にたいことがたくさんあった。
    なんとか生きてきたけど、今は死ななくてよかったなぁと思う。

    みんながみんな浮上できるわけじゃないけど、こんな自分が浮上できたから、今の子供たちも(自分と似たように悩んでいる子は)浮上できる可能性があるのかもしれない。

    だったら、伝えられることは伝えてあげたい。
    そのために、自分の中にいろいろな智恵を蓄えておきたい。
    と、思っているのかもしれない。厚かましいけれど。


    宗教にコミットする、という考えはなかった。
    自分では熱心に信じないし、信じている人の邪魔はしない(ハッピーになるなら、それに越したことはないから)。文化としてなら、応援してもいい。
    そんなとらえ方だった。いやな上から目線。

    「偶然」を、自分の中に落とし込むための拠り所とは考えたことがなかった。
    そこまで困っていなかったから。
    困るほど考えていなかったから。
    宗教を作り上げ、信じていた人たちは、人生と真剣に向き合ってきた人たちなのかもしれない。

  • 死んだらどうなるか。主観的な意識を不可逆に失う。言葉にすると簡単だが、その感覚は経験できない為、生者にはイメージできない。この本は宗教が、死後のイメージを生者の経験と地続きな言葉でいかに説明するか纏める。神の国に行く。輪廻転生する。世界の誕生は偶然としか説明できないが、有無を証明できない神の意志を信じれば神の計画の中で合理的に死ぬこともできるとする。人は必ず訪れる死を理解したい。宗教は数千年を掛けて人が考えた死の類型を提供してくれる。しかし現代人の感覚はどれも馴染まず、今も新しい死後のイメージを想像する。

  • 素晴らしい、冒頭と、最終章を読むだけでも価値がある、と万人に強くお薦めしたい。
    自分が、小学生のころから漠然と抱えている死への不安について、死んだらどうなるか選びなさい、その指針として宗教という発明品を使えばいいよ、と、ほどよい距離感で寄り添うような著作だった。
    相対主義、評論家になることではなく、主体的に選び取ることの大切さが、仕事やライフスタイルだけでなく、死に方についても当てはまるんだな、と思わせてくれたことに感謝です。

  • 生きていく中で避けられないテーマの一つ。「死」をどう捉えるか?科学の発達による余命の延長。資本主義と合理主義による価値の一様化。自由な社会故の選択の必要性。やはりこのぽっかり空いた現代のエアポケット「死」、ひいては「生きる」のに必要なものとして宗教は選択肢にあがるかもしれない。そしてそれは自身で選択し、実践する事とセットだと思う。なんとなく待っていてもそれはやってこない。ただそれを無理やり迎えにいっても自分に馴染まないと思う。来るべき時や感じるべき時に湧き上がる考えと気持ちであるのかもしれない。
    (ポジティブに)いつ死んでもいいと思いながら生きれたらそれは素晴らしい心持ちだ。でもなかなかそこまで殊勝にはなれない。長く楽しく生きたいと思うものだ。どうしてだろう?何かをやり残したわけでも、凄い後悔があるわけではない。やはり本能的なものだろうか。特に理由はないが漠然と死ぬのは嫌だ。寿命が来た時や不慮の事故、病の時はまた少し今の心持ちと変わるんだろう。
    あーなんも考えずヘラヘラと楽しく生きてヘラヘラと楽しく死ねたらいいのに。

  • 死、というものを考えるにあたって、死を捉えるために宗教にバウンドさせて、この宗教が気に入ったならば、この宗教では死をこんな風に考えてるよ。と、想像でしか捉えられない死を地続きのものとして捉えることができる。
    葬式や死後の世界、が世界や状態を変えた自分の生、死んでいる状態で生きていく、と何だか矛盾する言葉だけど、形を変えて生きていく自分として創造することにより、死というものから目を逸らしている、という考え方にはとてもショックを受けた。
    文章が、わざとなのか、ゲーム内の機械のような書き方で、受け入れるまでには何度か休憩を挟む必要があったけれど、読み終われば講義として血肉になっている。

  • さまざまな宗教では”死”をどう捉えているのか。
    こうして改めて宗教について学ぶと、如何に都合良く宗教は成り立っているのだなと感じた。
    自分はこの本でいう”常識的な無神論者”なのだと思う。

  • ちょっと私には難しかったです…文体がぶつぶつ切れて読みにくかったのかもしれない。
    死の、というより、宗教学がメインだった。宗教を通じて死を考える。
    個人的に読みたかったのは前半と後半だったので、中間の宗教の説明は飛ばしながら読んでしまった(しかしその宗教の話をこの本ではしたかったらしい)。

  • 2025年8月29 日 オンライン会紹介本

  • 宗教について、少し理解が深まりました。自分は無神論者と思っていましたが、汎神論がいちばんしっくりくることに気づきました。
    宗教がたくさんあることは理解できたのですが、なぜそれで戦争が起きてしまうのかを他の本も読んで自分なりに知りたいと思いました。

  • 死ぬとはどういうことなのか、人は死んだらどうなるのか、その死の考え方に宗教の違いがあり、宗教そのものがあるということ、そしてそれぞれの宗教が考える死の考え方のロジックが理解できた。特に一神教の人は世界の半数以上いるという点でそういった人たちの価値観を理解することが重要であること、宗教を知ることができた意味では有意義な本であった。
    しかし、この本の主目的である自分の死を考える、選択するという点においてははっきりしないのが正直なところである。神道や禅の考え方に共感を感じた。

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著者プロフィール

橋爪 大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京工業大学名誉教授。著書『世界がわかる宗教社会学入門』『ふしぎな社会』(以上、ちくま文庫)、『橋爪大三郎の政治・経済学講義』、『橋爪大三郎の社会学講義』(以上、ちくま学芸文庫)、『皇国日本とアメリカ大権』(筑摩選書)など。

「2026年 『ほんとうの法華経』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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