取材・執筆・推敲 書く人の教科書

著者 :
  • ダイヤモンド社
4.40
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本棚登録 : 1777
感想 : 74
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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478112748

作品紹介・あらすじ

「この一冊だけでいい。」
100年後にも残る、「文章本の決定版」を作りました。(担当編集者:柿内芳文)

感想・レビュー・書評

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  • これはあまりにも良書。
    凄まじくクオリティの高い情報が詰まっています。
    私は物書きでもなんでもないのですが、自分の人生を良くしてくれる学びがたくさんありました。
    これ、全人類読んだ方がいい。

    ---
    評価とは、自分の都合に従って導き出された、安直な結論である。他者を評価するときあなたは、その人の価値、能力、職業観、人生観、可能性を決めつけてしまっている。 相手を評価しないこと。 それは相手のことをどこまでも考え続け、もっと深く知ろうと耳を傾ける、「聴くこと」や「読むこと」の大前提なのである。
    ---

    良い言葉がたくさんあり、全てについて感想を残していると途方もなく時間がかかりそうなので、中でも印象的だった1つをピックアップして感想を書こうと思います。

    確かに相手を一度評価してしまうとそこでその人に対する好奇心は失われるように思えます。
    自分としては相手を評価をすること自体を悪いとは考えませんが、評価をするために評価をしないことを長くする、というようなことも必要な行動だと気づきました。
    第一印象で相手を評価してしまうことで適切に立ち回れないことが生きていると多々あるので、このことは心に刻み込んでおきたいと思います。

  • 【感想】
    圧倒的な情報量。経験と理論に裏打ちされたノウハウの数々。どのページを読んでも納得感しか生まれない卓越した文章構成。
    「100年後にも残る『文章本の決定版』を作りました」と帯に書いてあるが、それは決して過言ではない。
    ライターとは何を行う人間か。編集者として、そしてコンテンツのクリエイターとして、いかに文章と相対するか。その心構えの数々は、間違いなく全ての書き手と読み手に通ずる「教科書」と呼べるものであった。

    ────────────────────────
    私も本書に倣って、「何故書かなかったか?」の部分に目を向けさせていただきたい。恐れながらも、古賀氏の本に口を挟むことをお許し願いたい。

    それは、「筆者はなぜテクニカルな話を控え、心構えに注力したか?」ということである。
    この答えは、筆者が「文章力という概念に答えは無い」と感じているからではないだろうか。

    文章にはTPOがある。
    ニュース番組でアナウンサーがくだけた口調でしゃべっていれば非難を受けるが、親しい友達とのおしゃべりで原稿を朗読する話し方をしていては気持ちが悪い。
    「書き言葉」にもこれと同じことが言える。まるい文、カクカクした文、古風な文、現代風な文、話し言葉を起こした文。それぞれの文章には書かれるべき適切な場があり、文章技術もその場に合わせてチューンナップされるべきである。
    とある文章に理想形を定めて、それを「目指すべき文体」として紹介するのは不可能なのだ。

    筆者は昔から、この原理を熟知していた。
    古賀氏の文章読本の代表作、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」では、いい文体を「リズム」のある文体と称し、いい書き方を「読者の椅子に座れている」書き方と称した。
    その本から本書まで一貫して重視されているのは、「書き手の存在」ではなく「読み手の存在」である。
    紙の向こう側にいる読者に対して、どこまで真剣にエンターテインを提供できるか。書き手が抱いた強い感情を、いかに読み手との間に橋渡しできるか。
    こうした「読者へのサービス」に真摯たりえない者が、いくらライティング技法を高めたところで効果は無い。「美辞麗句」から「読まれるべき文章」へと変貌することはない。

    文が読みやすければ人は読む。しかし、読みやすいだけでは心には残らない。
    そして、読みやすい文章の書き方を教える本は、世の中にごまんと溢れている。恐らくこの本を手に取った人も、基礎的なライティングスキルは身につけている。

    では次に何を「書く人」に教えるべきか?
    それは、コンテンツに「魂」を入れる方法だ。
    読みやすい文章を「読んでよかった」と思える文章に変えるための心構えだ。

    「読んでよかった」と思われる文章には、技術を超えた先にマグマのような熱意を宿しているのだ。


    心構えに注力するこの本を手に取り、「教科書的な内容ではなかった」と落胆する人もいるだろう。いわゆる作文技術といった要素が盛り込まれていない。それどころか、説明しているのはインタビュアーや編集者といった特定の仕事に関するノウハウばかりであり、これではとうてい「全ての物書きへの教科書」にはなり得ないという指摘もあると思う。

    しかし、それは、勘違いしている。

    本書は決して取材の現場だけに当てはまる技術を論じているのではない。わたしたち一人ひとりが、一冊の本・一つの情報と触れ合うために必要な技術をも説いているのだ。

    文を書く人は必ず「何か」を残したいと考えている。頭の中にあるマグマのような感情を見てほしい。誰かに共感してもらいたい。自分の紡ぐ言葉で世界を変えてやりたい。
    だからみんな夢中になって文を書き続けるのだ。
    全ての文を書く人――ブロガー、ライター、インフルエンサー、コラムニスト、エッセイスト、小説家――。みんな、誰かを楽しませるコンテンツを作りたいと思っている。壁打ちのように自分にだけ跳ね返ってくるコンテンツではなく、その先にいる「相手」を動かしてやりたいと考えている。

    だとすれば、読者を楽しませることに全力を尽くすこの本を、「一部の物書きのためにしか役に立たない」とみなせるだろうか。
    「私は誰からも読まれることを想定していないから、コンテンツを作り出す心構えなど不要だ」と本書を断ち捨てられるだろうか。
    「このような本より、ライティングの技術のほうが大切だ」と言い切れるだろうか。

    そのように考える人は、決していないだろう。

    自分の文章を読むのは、いつだって相手だ。相手のことを楽しませようとして書かれた文章は、きれいで穴のない文章よりも数段優る。

    この本は、間違いなく「すべての書く人への教科書」なのだ。

    ────────────────────────



    【本書の概要】
    ライターは、書く人である以前に「コンテンツをつくる人」である。

    原稿を編集するのは、あくまでもライターの仕事である。
    では、ライターと二人三脚をする編集者の仕事とはなんだろうか?
    それは、「コンテンツのパッケージ」をつくる人だ。

    ライターは編集者とともにコンテンツを作る。ここでのコンテンツの意味とは、「お客さんを楽しませるもの」である。
    読者はコンテンツに、ただの情報を求めているのではない。
    続きを読まずにはいられない、あの興奮。寝食を忘れて読破した後の、圧倒的な爽快感。「読書体験」としか言い表せない何かを求め、読者はコンテンツを読んでいるのだ。

    そのため、本書は文章ではなく「原稿」を対象に扱う。読者のエンターテインにつながる、「コンテンツとしての」原稿の作り方だ。
    文章表現レベルの「テクニック」については多くを語らない。文章の書き方は、掲載メディアごとに適するスタイルが変わり、好まれる文体も想定する読者によって異なる。

    文章の書き方よりも、まずはコンテンツの構成方法を知ることだ。原稿をさらに上の段階に押し上げ、読者を興奮へといざなうコンテンツの作り方を、この本で語ってゆく。


    【本書の詳細】
    1 「編集者の編集」と「ライターの編集」
    編集者はコンテンツのパッケージを編集する人である。
    コンテンツのパッケージとは、簡単に言えば、「人」「テーマ」「スタイル」だ。
    人:誰が語るか。ただの語り手を探すのではなく、「それを語るに足る必然性と説得力」の持ち主を探してくる。
    テーマ:何を語るか。「人」に一番合ったテーマを探し出し、最大限の魅力を伝える。
    スタイル:どう語るか。「誰に向けて語るのか」「顧客はどこにいるのか」を考え、それに合った文体を構築する。

    この3つを組み合わせてパッケージを構築していくのが「編集者の編集」である。

    では、「ライターの編集」とはなんだろうか?
    それは、記事の構成を練ることである。自分の文章を通じて読者にエンターテインを提供するのがライターの仕事であり、そのために面白いと思える記事を作る。

    では、面白い記事とはどのような記事か。それは、「情報の希少性」「課題の鏡面性」「構造の頑強性」の3つがそろった記事である。

    「情報の希少性」:ここでしか読めない未知の情報が含まれていること。
    「課題の鏡面性」:未知の情報でありながらも、読者にとってテーマが自分ごとのように感じられること。
    「構造の頑強性」:論理構成がきちんとしているかということ。

    ライターは何も持ち合わせていない、からっぽの存在だ。著名な人、凄い経歴を持つ人の話を聞いてコンテンツを作ることでしか、ライターは成り立たない。では、ライターは実際には何を書いているのか?それは、取材を受けてくれた人への返事である。「わたしはこう思いました」「わたしはこの部分に、こころを動かされました」。その返事としてのコンテンツを作るのがライターである。


    2 能動的な読書
    本書における取材の定義は、インタビューにかぎらない。誰かの話を聞くことはもちろん、本を読むことも、映画を観ることも、街を歩くことも、電車の車内アナウンスに耳を傾け、中吊り広告を眺めることも、すべてが取材である。
    取材者は、一冊の本を読むように「世のなか」を読み、その流れを読まなければならない。科学的、数学的、客観的な正解を求めて「解く」のではない。あくまでも取材者個人の主観で世界を「読む」。ひたすら読む。
    鍛えるべきはまず「読む力」である。「書く力」ではない。

    具体的には、「能動的に読む」ことをする。
    能動的に読むとは、情報をジャッジすることだ。対象をじっくりと観察し、観察によって得られた情報から「推論」を重ね、自分なりの「仮説」を立てるところまで、考えを進めることである。

    ●能動的な読書の仕方
    ①この人にあったら何を聞くかを考えながら読む
    ②「なぜこう書かなかったのか?」を考えて読む
    ③第三者にどう紹介するかを考えながら読む
    ④主人公を入れ替えて読む

    読書において大切なのは多読ではなく乱読だ。目的を持たないまま、自分の守備範囲から遠く離れた本をたくさん読んでみる。

    いい取材者であるためには、自分を守らず、対象に染まり、何度でも自分を更新していく勇気を持つことが必要である。人生を送れば送るほど、変わるのを恐れ、楽な本にしか手が伸びなくなる。妥当な意見にしか目をくれなくなる。
    年を取っても、新しい理論や考えに感動できる感性を持つことが大切だ。そのためにも、情報を情報のまま処理せず、「考え」まで昇華できるよう能動的な読書に取り組もう。


    3 取材について
    取材とは就職面接と似ている。どれだけ取材慣れしている人でも、取材という空間で「まったくのいつもどおり」で居られる人などいない。面接試験のように、いいことを言おう、失言しないようにしようと思ってしまう。
    それが語り手側の心境だ。場の空気を作るのはいつも「聞き手」である。
    では、どうすればよい聞き手になれるだろうか?

    よいインタビュアーは、「聴く」ことが7割、「訊く」ことが3割だ。相手の話をながらで聞くのではなく、心を相手のほうに向けるのが「聴く」姿勢だ。
    とはいっても、「傾聴しなさい」といってすぐできるわけではない。
    次のようなコツを意識するといいだろう。

    まず、どうすれば自分が相手の話に身を乗り出して「聴く」姿勢になれるかを考えよう。それは、
    ①相手の話が面白い
    ②相手のことが大好きである
    ③自分にとって、ものすごく大切な話をしている

    このうちの2つ以上を満たしているときではないだろうか。

    このうち、①の「相手の話が面白い」は、こちらではコントロールできない。
    一方、②と③は自分次第でどうにでもコントロールできる。
    だから、取材前には相手のことを入念に下調べする。相手を「好き」になる手がかりをつかむために、徹底的に調査する。そうして、いいところを思いっきり膨らませて「好き」を育てていく。そうすれば、自然と「聴く」姿勢が作られていくのだ。
    下調べができない相手には、「こんな人だろうな」と想像する。

    ●取材中の脱線はOK
    インタビュアーはどうしても語ってほしいテーマを持っている。しかし、取材はときとして思うようにいかず、何度も脱線を繰り返す。インタビュアーはときにこれをコントロールし、何とか自分の台本通りのテーマを話してほしいと工作する。
    しかし、操られたインタビューに面白いものは生まれない。
    話は脱線していいのだ。
    インタビュアーはそのジャンルに対しては知識の浅い旅行者である。そんな素人が建てたプランをなぞるだけでは、ありきたりな受け答えにしかならない。
    「話に夢中になるうちに、気づいたらこんなところまできてしまった」。お互いがそう思える取材が、最高の取材なのだ。

    ●相手を評価しない
    就職面接のときに緊張する理由は、「相手から評価されている」からだ。評価とは上の立場から下の立場の相手を測ることである。そんな中で行われた取材では、相手の価値、能力、職業観、人生観を見ようとせず、ただ「記事に使える/使えない」の基準しか考えなくなってしまう。
    相手を評価するのをやめよう。

    ●「訊くこと」について
    取材において大切なのは、「訊くべきこと」と「訊きたいこと」の両方を持ち、あらかじめそれぞれを切り分けておくことだ。「訊くべきこと」を訊かなければコンテンツが成立せず、「訊きたいこと」を持っていなければ取材が面白くならない。
    取材のなかで「訊くべきこと」を見極め、その流れや優先順位を整理する能力は、プロとして絶対に必要だ。しかし「何を訊くべきか」だけを意識していては、ライターとしてどこかで天井にぶつかる。悪い意味で過不足のない、つまりはおもしろみのないコンテンツしか作れなくなってしまう。

    だから自身の「訊きたいこと」が必要なのだ。
    注意すべきは、インタビュアーは「本音」が訊きたいのであって、「秘密」を訊きたいわけでは無いということだ。本音とはプライバシーにかかわるものでなければ、変な質問によってあぶり出すものでもない。リラックスした会話のなかでふと零れ落ちるのが「本音」であり、ライターはそれを「拾う」役割であるはずだ。

    ●相手に上手く質問するためには?
    どんなときに、どんな質問をすればいいかなんて、考えたところでわかるわけではないし、パターン化もできない。
    ただし、会話の流れをスムーズにする質問はできる。

    相手が発した言葉に対して、冒頭に「つまり」を置きながら聞き返してみる。
    たとえば、友人が仕事の愚痴をこぼしている場面。それを聴き、返すことばの冒頭に「つまり」を置いてみる。すると「つまり、○○ということ?」「つまり、お前は○○がしたいの?」などの質問が浮かんでくるだろう。愚痴に共感してみせるでもなく、意見したり、説教したりするでもなく、純粋に相手の思いを訊き出す質問になる。

    実際の取材においては、要約や決めつけのニュアンスが混じる「つまり」よりも、「ということは」を考えるほうがいいだろう。相手の話を受けて、瞬時に「ということは」に続く問いを考える。
    「ということは、○○でもあるわけですか?」「ということは、今後○○をめざしていくのですか?」
    自分のなかに接続語(主に接続詞)のストックをたくさん持ち、それぞれに続く問いを考え、瞬時に言語化できる訓練を重ねていこう。


    ●驚きを取材に入れろ
    どんでん返しに代表される「驚き」は、エンターテインメントの基本条件だ。
    原稿(コンテンツ)が面白くなるカギは、「自分の心がどれだけ動いたか」にかかっている。

    何を聴いても「へぇー」で終わる人は、与えられることに慣れすぎている。取材者は相手に対してもっと自分の意思を持ち、仮説を持って質問を投げかけることが必要だ。そうすれば、どのような質問が帰って来ても、仮説とのギャップにより「そうだったのか!」と驚きが生まれる。驚きが生まれれば、相手の話を身を乗り出して訊くようになる。


    4 調べること、考えること
    ●自分のあたまとことばで考えろ
    前取材(下調べ)と本取材の後には、後取材が待っている。後取材とはインタビューが終わったあとにやる作業だが、ここでは「わからないことを洗い出す」作業をしている。

    ライターは「自分が理解できていない」文章を書いてはいけない。書いたとして、その文章はとても分かりにくい、伝わらない文章になる。書き手自身が何を書いているのか分からないからだ。
    「わかりやすい文章」とは「レベルを落として書かれた文章」を指すのではない。
    書き手自身が、わかっている。対象をわかったうえで、書いている。対象をとらえるレンズに、いっさいの曇りがない。「わかりやすい文章」とは、「曇りのない文章」のことなのだ。

    そして、「わかっている」というのは、ただ知識として自分の頭の中に蓄えられている、というわけではない。それはインプットしただけ、ただ知っているだけだ。
    分かるというのは、「自分の頭で考えたかどうか」だ。

    では、自分の頭で考えるとはなにか?
    それは、「自分のことば」で考えることである。

    誰かから「イノベーションとはなにか?」と聞かれたとする。それに「技術革新だ」と答えても、それは他人の言葉だ。自分の考えがひとつも含まれていない借り物の言葉だ。
    他方、イノベーションについて考えに考えて、「イノベーションとは『と金』の創出である」、と自分の頭のなかで結論に至ったとする。それは正真正銘自分の言葉である。
    「と金」が正解とは限らない。技術革新のほうが正しいのかもしれない。しかし、それでも自分の頭を使って考えた言葉だ。
    取材とは、そうした作業の繰り返しだ。仕入れたさまざまな情報を、自分のあたま(ことば)で考え尽くすことだ。

    自分のことばで書くにあたっては、多くの本を読み、たくさんの資料にあたるのがよい。そうすれば、「これは他の本にも書かれている」「これはこういう意味を言わんとしている」といった世界が、どんどん広くなっていく。使えることばが多様性を生み、ことばが自由になってゆく。

    ●後取材
    取材のなかで「わたし」はなにを感じ、なにを思い、そこからなにを考えたのか。なにをおもしろいと思い、なにをノイズだと判断したのか。本を読むとき、人によって付箋を貼る場所が違うように、主体としての「わたし」が違えば、つくられる原稿の姿も変わってくるのである。
    だから、取材が終わったら、まずは自分に問いかけなければならない。「今回の取材、自分はどう思って、どう感じたのか?」と。

    そして、取材を終えたあなたは、「誰かに伝えたい!」という思いを持っていると思う。
    対象についてなにも知らなかった自分が、そこに飛びつき、「伝えたい!」と思うまでに至った、理解と感情のステップを、後取材で追想していく。

    具体的には、次の4項目だ。
    「面白そう!」=動機
    「知らなかった!」=驚き(知らなかったことを知ったときの感情の振れ幅を、忘れないようにしよう)
    「わかった!」=理解(自分なりの理解にいたった道筋を丹念にたどり、そのロジックを再現する。そうすれば、何も知らない読者もついてきてくれる)
    「もったいない!」=衝動(何故これが世に知られていないのか?知らせたい!)

    動機、驚き、理解、衝動の4つの全てを読者と共有できたとき、そのコンテンツは抜群に面白くなる。


    5 執筆
    ライターの機能とは、「録音機」「拡声器」「翻訳機」だ。
    1 録音機…記録のためというよりも、伝達のために文字情報を残す
    2 拡声器…ある人の言葉を「より遠くに」届け、かつ「できるだけそのままの声を」届ける。
    3 翻訳機…誰かの言った言葉を、書き言葉に変換して届ける。感情の震えや揺れを言葉にすることも含まれる。

    感情の揺れ、震えを、ことばにする(翻訳する)ことを、習慣化したほうがいい。それは自分という人間を知ることでもあり、ことばの有限性を知ることでもあり、翻訳機としての能力を高めていく格闘でもある。

    ●論理的な文章を執筆することについて
    そもそも論理的な文章とはなにか?それは、みずからの主観に基づく論が、なんらかの客観(理)によって裏打ちされることである。
    そのためには、主張―理由―事実の3層構造が必要だ。

    ただし、事実のところを字面通り「データ・数字」と考える必要はない。
    主張と理由を支える論拠は、データや数値でなくともかまわない。「実例」や「類例」――見事なたとえ――を論拠とすることによっても、論理性は担保される。

    ただし、論理的な文章を書くときに注意しておくべきことがある。それは、論理的な文章はときとして息苦しい読み物になるということだ。

    「説得」と「納得」の違いを考えてみて欲しい。
    説得力のある文章は、主に「有無を言わさぬ論理」を武器にして、読者を説き伏せんとする。当然、読者は反発する。ここでの読者は、書き手の主張に反発しているのではない。論理の力を使って強引に押し切ろうとする態度に、反発しているのである。
    読者に必要なのは、説得という「受動」ではなく、納得という「能動」である。

    では、どうすれば納得してもらえるのか?それは、「課題の共有」である。これから論じるテーマが、読者にとっても無関係ではない、切実な課題だと感じ取ってもらうこと。それができてようやく、納得の下地は整うのだ。


    ●起転承結 
    「起転承結」とは筆者が考え出した文章構造であり、どんでん返し的なおもしろさはあるが主語と述語が遠くて非論理的な「起承転結」と、論理的だが納得感の薄い(説得感の強い)「序本論」のいいとこ取りをした形である。

    ・起 一般に、文章は「起承転結」の型に沿って書きなさいと言われる。
    ・転 しかし、それでは論理的な文章など書けない。
    ・承 なぜなら「起承転結」は○○で△△だからである。
    ・結 論理的文章を書きたければ、「起承転結」とは別の形式を選ぶべきである。

    転は、世界で常識とされていること(起)をいきなりひっくり返すことだ。唐突にぶちこわされた読者は、「なぜだ?」「何を言っているか説明してみろ」と感じる。課題がここで、共有されるのだ。
    それを、前半に持ってくるほうがよい。従来の起承転結では、「転」の部分までの前フリが長すぎて読者が離れてしまう。せっかく掴んだ読者の気持ちを冷めさせないためにも、どんでん返しを先に提示するのがよい。」


    6 構成
    文章は、安易に書きはじめるのではなく、何かしらの設計図を引いたうえで書いた方がいい。
    そのためにはまず、「何を書かないか」を考える。
    何を残し、何を残さないか。それを知るためには、絵本を教材にして構成を学ぶ。
    絵本とは、ストーリーを最小限の絵でしか表さないコンテンツだ。絵本を学べば、「どれが重要でどれを捨てるべきか」という、文章の屋台骨を捉える訓練になる。

    ●絵本思考
    「桃太郎を10枚の絵で表現する」。
    どうすれば、構造をきちんと保ったまま、少ない情報量で物語を伝えることができるだろうか?

    ①「構造の頑強性」を考える
    まず、桃太郎のお話をシークエンス単位で区切る。
    A おじいさんとおばあさん
    B 桃太郎の誕生と成長
    C 鬼退治への出立と家来たち
    D 鬼が島への旅
    E 鬼が島での合戦
    F 凱旋と再会

    このうち、構造の頑強性を保つためには、各シークエンスから最低1枚の絵をピックアップしなければならない。でないと、話が飛躍する。

    ②情報の希少性を考える
    桃太郎の、「他の昔ばなしとは違うところ」を考える。すると、
    ・桃
    ・きびだんご
    ・家来になる動物たち
    ・鬼が島

    この4点が挙げられるため、これらはマストピックとなる。
    これは自分でコンテンツを作るときも同じであり、「ここでしか読めないものがあるか?」の目でストーリーを見返してみるのがいい。

    ③課題の鏡面性を考える
    「課題の鏡面性」とは、読者がコンテンツを自分事のように考え、感情移入すること。
    桃太郎で言えば、読者がもっとも興奮するシーンは、やはり鬼退治だろう。とすると鬼退治のアクションシーンは外せず、そのための鬼の恐ろしさの描写も必要だ。

    また、桃太郎には「勧善懲悪」と、「育ててくれた恩に報いるべく、武勲を得ようと自立する」というテーマが横たわっている。時代を超えて受け継がれるようなテーマだ。ここを活かすためにも、「桃太郎の出発時の決意」と、「おじいさん、おばあさんとの再会」は欠かせないだろう。

    このようにして、設計図づくりの練習をしていく。


    7 出版物を作るときには
    ●いかにして体験をつくるか?
    本は読むのに時間がかかるからこそ、ウェブメディアには無い「体験」を作ることができる。そして、ほとんどの本は体験を楽しむための「設計図作り」ができていない。
    エンターテインに富んだ設計図を作るには、「百貨店の設計」をイメージするのがよい。

    ●百貨店の構造
    1階…化粧品売り場
    百貨店の1階は化粧品売り場だが、なにもハイブランドの装飾品や化粧品という「商品」だけを売っているわけではない。商品よりもむしろ、「日常から隔絶された異世界」という体験を売っているのだ。
    これを本でも取り入れる。
    まず一章には世界観の提示を盛り込んでいく。入り口からいきなり「すごい世界だ」というメインディッシュを持ってくるのが望ましい。

    2階…レディースフロア
    導入で提示したテーマや世界観を、より具体的に、よりおもしろく展開していく、その本の中核となるフロアだ。まだまだメインディッシュは続く。もったいぶってはいけない。

    3階…カジュアル・ユニセックスフロア
    1階、2階よりも「手に取りやすい」話を提供する。
    1章、2章と続いてきた本のメインテーマが、ここで読者と接続され、「わたし(読者自身)の話」になる。課題が共有され、より読書がおもしろくなっていく。

    4階…メンズフロア
    新章に突入する。視点を変えた第2部の始まりである。

    5階…インテリアと専門店フロア
    本を作っていて、どうしても入れなければならない専門的な話題を扱う部分。エビデンスとなるデータ、高度な応用などが紹介されている。読み飛ばされることを覚悟して配置しよう。

    6階…レストランフロア
    これまでの時間を振り返り、いままでのストーリーをゆっくりと反芻するパートだ。第1章から第5章までの議論を踏まえてこそ語ることのできる、もう一段上の議論に踏み込んでいくのが、あるべき最終章の姿だ。

    あとがき…屋上
    読者に新しい景色を見せる場所。

    ●インタビュー原稿のゴールは?
    インタビュー原稿の目的を、「インタビュイーが言いたいことを引き出し、読者に提示する」と思っている取材者が多いが、これは間違い。
    本当のゴールは、「その人のファンになってもらうこと」だ。

    読み終えたあと、なんらかの情報や知識を得るだけではなく、その人のことを好きになってもらうこと。「言っていることの正しさ」に同意するというよりも、「人としての在り方」に親しみや好感を持ってもらうこと。それがインタビューする側の責務である。

    ●インタビューに望むとき
    「訊くべきこと」と「訊きたいこと」の両方を持って取材に臨むこと。決して誘導尋問のようにならないよう気をつけること。
    話が脱線するのは大歓迎だが、脱線した話を本線につなぐポイントを考え抜くことも大切だ。

    ●対談とインタビューの違い
    対談は、交換と化学反応を期待されている。インタビューよりも未知数、なにが起こるかわからない場である。その「分からなさ」の中で起こる化学反応を期待されているのだ。
    対談者二人の関係性を明示し、対立点と一致点を明確にすること。相手の何に同意し、何を意外そうに受け止めたのかに着目しよう。

    ●コラムとエッセイ
    コラムは「巻き込み型」の文章であり。持論の展開と論理性が鍵である。
    エッセイは「巻き込まれ型」の文章だ。日常の些細な変化に巻き込まれ、そこから生まれる内面の変化を書いたものである。
    エッセイは感覚的文章であり、対象への観察眼と描写力が必要になる。

    8 原稿の文章表現
    原稿は、読者のエンターテインを誘うものであるべきだ。端的に言えば、面白くなければいけない。
    では、原稿のエンターテインを生み出すのはどのような文章なのか?何を重視して文章を書けばいいのだろうか?
    筆者の答えは、文章の「リズム」と「レトリック」、それに「ストーリー」である。

    ●リズム
    書いた文章を音読し、自分が気持ちいいと思うまで繰り返し確認する。
    また、自分が気持ちいいと感じる文章を筆写する。
    よく誤解されるところだが、いくら名文を書き写したところで、筆力は向上しない。表現力が上がるわけでは、まったくない。しかし、書き写すことで、読点の位置に驚いたり、語尾や文末表現の豊かさに驚くだろう。そうした「自分とはまったく異なるリズム」を発見し、自分の癖やリズムを再確認することが、筆写の効果だ。

    文章をずっとandで繋いでいては面白い文にはならない。そこでは主観=わたしの気持ちだけしか伝えない独りよがりのものになるからだ。自分の語りたいことを、ふたつのB(but,because:しかし、なぜなら)を使って語れるようになろう。

    視覚的読みやすさを重視する。句読点の打ち方、改行のタイミング、漢字とひらがな・カタカナのバランスを整える。

    ●レトリック
    比喩を使う上で大切な条件は次の通り。
    ①具体的・映像的であること。曖昧な比喩ではなく、より具体的に描写する。
    ②普遍的・一般的であること。具体的であっても、局所的・限定的ではいけない。みずからの技巧に酔うのではなく、「読者にも見えるわかりやすい比喩」を意識する。
    ③遠距離であること。たとえば「天使のやさしさ」は、比喩としては稚拙すぎる。これが面白くないのは、「天使」と「やさしさ」が近すぎるせいだ。それよりも、「悪魔のやさしさ」のほうが面白い。意外なふたつの類似性を提示できれば、比喩はぐっと面白くなる。

    また、比喩と同様に大切なのが、類似を見て取る力だ。「〇〇のような」よりも大きな単位のたとえ話を作る力が、文章に納得感を生む。

    ●ストーリー
    論文のストーリーは小説のストーリーと違って、時間軸を持ち込んではいけない。

    では、論文は「時間の流れ」無しにどう展開していけばいいのか?
    時間の流れの代わりに、「論の流れ」を描くのだ。
    「説明」や「描写」に傾き過ぎて、論の流れを止めてはいけない。次のシーン、またその次のシーンへと、常に論を、エピソードを、そして読者の思考を展開させ続けてこそ、文章にストーリーが生まれる。

    では、どのようにして論を展開すれば、より魅力的なストーリーラインが生まれるか。
    それは、「なるべく遠いところから始める」、つまり「導入から結末まで距離を置く」ことにある。
    距離の遠いところから始めることで、意外性が生まれる。読者に見える景色の量が増え、ストーリーが躍動していく。
    「どうすれば面白いストーリーになるか?」という「起伏」を意識するのではなく、「どのぐらい離れればいいか?」という距離を意識して執筆しよう。


    9 推敲
    推敲とは、自分への取材である。
    このときあなたは、なぜこう考えたのか。もっと別の話をするべきではないのか。言い換えれば、推敲の段階でライターは、取材から翻訳までの流れを、自分自身に対して行っていく。自分で書いた原稿に対して、赤の他人のように容赦なくダメ出しして、ハサミを入れていく。一晩寝かせて読んでみる。

    推敲のための3ステップ
    1 音読
    2 異読(縦書きを横書きに、明朝体をゴシック体に変えて読み直す)
    3 ペン読(朱入れ)

    ●論理矛盾を見抜くために
    文章における論理は、まさにコンテンツの骨格である。
    骨格が破綻をきたしているかをチェックするためには、箇条書きで論点を整理し直す。
    また、長めの原稿を書くときは、まずは箇条書きで流れを定めてから書き始めるといい。骨格を組み立てたうえで文章を肉付けしていくのだ。

    ●すべての原稿には過不足がある
    対象への思いが強いほど、「盛り」が生まれる。盛りの中には嘘や誇張、煽情が混じってしまい、著しく客観性を欠くことになる。
    一方、対象について調べれば調べるほど、知識が増え、基礎知識を自明のものとして省いてしまう。これが「漏れ」だ。
    両者とも、推敲の段階で厳しくチェックしよう。

    ●自信
    推敲で追い求めたいのは、「ゆたかな文章」だ。
    語彙がゆたかであり、展開がゆたかであり、事例がゆたかであり、レトリックがゆたかな文章。一本調子で書かれておらず、さまざまな表現が盛り込まれた文章。言い換えるなら、「表現の希少性」にすぐれた文章。
    そして、最後の出来栄えを決めるのは、「自信」だ。迷いのない文章を書き、自分を信じて推敲に臨む。自信の有無が、「いい原稿」や「面白い原稿」を生み出すのだ。迷って書く文章と、自信をもって書く文章の違いが、出来栄えの差となってあらわれる。

    ●いつ筆を置くか
    いったい推敲は、いつになったら終わるのだろうか。
    それは、原稿から「わたし」の跡が消えたときだ。つまり、原稿を構成するすべてが、「最初からこのかたちで存在していたとしか思えない文章」になったときだ。
    苦しんで書いた跡、迷いながら書いた跡、自信のないまま書いた跡、強引につないだ跡、いかにも自分っぽい手癖の跡などがすべて消え、むしろ「これ、ほんとにおれが書いたんだっけ?」と思える姿になったとき、ようやく推敲は終わる。
    原稿から「わたし」の跡が消えるということ。それは、ライターであるわたしと、取材に協力してくれたあなたが「わたしたち」として溶け合い、ひとつになったことの証左だからだ。ここでついに「わたしからあなたへ」のプライベート・レター(返事)は、「わたしたちから読者へ」のコンテンツ(手紙)として完成をみるのである。

  • ずっと読みたかった本。よかった
    本書はライターの教科書として書き上げたとあり。これが結論です。

    文章を書き記すための方法論ではなく、日常を超えて、人の心を打つものを生み出すための努力と熱い想いを語ったものとしてとらえました。

    一つのコンテンツを作り上げるためには、さまざまな段階で想像を超える努力と思考の積み重ねが必要であることを本書は物語っています。

    気になったのは、以下です。

    ・いいものを読んだ、気持ちのいいものに触れた、いい出会いだった、と思ってもらえてこそコンテンツなのだ。

    ・取材したこと、調べたことをそのままに書くのがライターなのか?違う、絶対に違う。ぼくの答えは、「返事」である。
      わたしは、こう理解しました。
      わたしには、こう聞こえました。
      わたしはこの部分に、こころを動かされました。
      わたしだったらこんなことばで、こういうふうに書きます。
      なぜならあなたの思いを、ひとりでも多くの人に届けたいから

    ・取材者にとっての「世界」とは、開かれた一冊の本である。すぐれた書き手たちはひとりの例外もなく、すぐれた取材者である。

    ・座右の書とは、その人にとっての「人生を変えた一冊」だ。

    ・取材において大切なのは、「訊くべきこと」と、「訊きたいこと」の両方を持ち、あらかじめそれぞれを切り分けておくことだ。「訊くべきこと」を訊かなければコンテンツが成立せず、「訊きたいこと」を持っていなければ取材が面白くない。

    ・ライターは、「自分のあたまでわかったこと」しか書いてはいけない。わかりにくい文章とは、書き手自身が「わかっていない」文章なのだ。

    ・「後取材」にあたってぼくは、かなり大量の資料に目を通しておく。少しでも理解の助けになりそうなものがあれば、片っ端から入手する。

    ・或る経営者の本を書くにあたって、50冊の資料を読む。ほんとうに参考となる本は、4~5冊もあれば御の字かもしれない。それでも、資料は、10冊読んで終わるよりも、50冊よんだほうがいい。50冊よりも、100冊読んだほうがいい。もし、1冊の資料も読まずに書き始めたら原稿には「聴いたこと」しか書けない。しかし、50冊の資料を読んでいれば「聴いたこと」が自由に動きだす。

    ・あなたの「伝えたいこと」と、読者の「知りたいこと」は、一致するだろうか。「伝えたい」ことは次の4つ
     ① おもしろそう 動機
     ② 知らなかった 驚き
     ③ わかった   理解
     ④ もったいない 衝動

    ・言文不一致 もともと日本人は、「書きことば」と「話しことば」を使い分けていきてきた。

    ・論理的であるということは、どういうことか。論とは、みずからの主観に基づく考えの総体だ。一方、理とは、客観である、誰の目にも明らかな客観的事実、実例、史実、またそれらの罪がげである。つまり、みずからの主観に基づく論が、なんらかの客観(理)によって裏付けられたとき、その言説は、論理的となる。

    ・読者にとって、説得とは「されるもの」である。そして、納得とは「するもの」である。前者は不本意な受動であり、後者は能動である。

    ・なにを捨て、ないを残し、どうつなげるかの実際は、コンテンツの設計図をつくるにあたって、最大の関門と言える。

    ・原稿の構成を考えるにあたっては、情報の希少性、課題の鏡面性、構造の頑強性を指針とする。

    ・どんな斬新なテーマを取り扱っていても、どれほど文章表現にすぐれていても、そしてどんなに「いいこと」や「大切なこと」が書いてあっても、設計図がぐちゃぐちゃであれば、本の魅力は半減する。これは、「何がかかれているか」ではなく、「どう語られているか」の話だ。

    ・コンテンツの魅力には、大きく3つのポイントがある。①リズム、②レトリック、③ストーリー だ。

    ・(推敲の難しさ)他人が書いた文章については、客観的に読むことができる。しかし、自分が書いた文章は、「客観」がむずかしい。あまりにも自分となじみ、一体化しているため、普通の読者として読むことができない。そこに距離をどうつくるかだ。距離のつくり方は、「時間的な距離」「物理的な距離」「精神的な距離」の3つである。

    ・推敲するなかで、誤字脱字を見つけること。接続詞や形容詞、副詞、語尾などの重複表現を見つけること。これはなんら難しい作業ではない。もっとも難しいのは、論理の間違いを発見することである。

    ・すべての原稿には、過不足がある。つまり、余計なものと、足りないものとがあるわけだ。

    ・迷ったら捨てるのが原則、手を加える=なおす、のではなく、まず捨てる。

    ・1か月かけて書いた原稿でも、躊躇なく捨てられる。ほとんど全面改稿レベルの推敲にも、踏み込んでいく。書き手としての自分にどんどんダメ出しができる。

    ・トルストイは、「文読む日々」の序文を書くにあたって、100回以上の推敲を重ねたという。原理的にいえば推敲は「やればやるほどよくなる」。ではどんな状態になったとき、「書き上げた」と言えるのか。僕の答えは、原稿から「わたし」の跡がきえたときだ。

    目次

    ガイダンス 

     ライターとはなにか

    取材

     第1章 すべては、「読む」からはじまる
     第2章 なにを訊き、どう聴くのか
     第3章 調べること、考えること

    執筆

     第4章 文章の基本構造
     第5章 構成をどう考えるか
     第6章 原稿のスタイルを知る
     第7章 原稿をつくる

    推敲

     第8章 推敲という名の取材
     第9章 原稿を「書き上げる」ために

    あとがきにかえて

    ISBN:9784478112748
    出版社:ダイヤモンド社
    判型:A5
    ページ数:480ページ
    定価:3000円(本体)
    発売日:2021年04月08日

  • シンプルだが、分厚い見た目で、ちょっととっつきにくいイメージですが、
    評価も高いし、自分も(プロではないけど)文章を書くことがあるので、
    参考になることもたくさんあるだろうという期待を持って読んでみました。

    ちょっと読むのが大変でしたが(でも、読みにくい訳ではない)、
    学びがたくさん得られる本でした。
    高評価なのも納得。

    文章を書くという行為を取材と執筆と推敲の3つに分け、
    各バリューチェーン(この表現が正しいのか?
    ?笑)に対して、
    分かりやすい文章で著者が説明してくれています。
    冒頭で著者が述べているのですが、著者は教科書を作りたかったそう。
    文章を書く人は、本棚に一冊、こういう教科書を置いておいても良いかもしれないですね。

  • 僕が書く文書は提案書や仕様書、計画書的なものが多いのだけど、情報ソースへの向き合いがとても参考になる。

    内容も非常に分かりやすく、厚さも苦にならずに読み進められた。

  • こんな本を待っていた! 『取材・執筆・推敲〜書く人の教科書』 - HONZ
    https://honz.jp/articles/-/45968

    ライターは「書く人」である以前に、「つくる人」なのだ! | 取材・執筆・推敲──書く人の教科書 | ダイヤモンド・オンライン
    https://diamond.jp/articles/-/268011

    取材・執筆・推敲 | 書籍 | ダイヤモンド社
    https://www.diamond.co.jp/book/9784478112748.html

  • 厚い本である。
    しかし最後まで読ませてしまう表現、
    レイアウトの勝利でもある。
    要は、ページ数もデザインも織り込みで、設計されているのだと思う。

    明記されていないが、これからブログを書こうという人にもオススメしたい。

    文書を書いていると、誰しも一度は考えたことのある疑問に明快に答えている。

    例えば、
    第3章「調べること、考えること」では

    ・自分のことばで考える
    ・憑依型の執筆はありえるか

    第8章「推敲という名の取材」では

    ・最強の読者を降臨させる

    など、膝を打つ手引書になっている。
    個人的には、変な話しですが『嫌われる勇気』
    より役に立ったと思います。




  • 執筆活動ではないが、仕事で「書く」ことがあるので、伝わりやすい文章の書き方がわかるのでは、と思い拝読。

    冒頭で、ライターの定義→コンテンツの定義→価値あるコンテンツと説明が流れている。価値あるコンテンツとは以下のとおりである。
    <価値あるコンテンツとは>
    ・情報の希少性(そこでしか読めない情報)
    ・課題の鏡面性(読者にとってどれだけ共感できるものか)
    ・構造の頑健性(文章としての論理構造)

    また、ライターにとって何よりも重要な能力は、「読者としての自分」を持つ力である。自分が書いたものを批判的な視点をもって読めなければいいものにはならない。また、読むときは「能動的」に読む(≒アクティブラーニング)ことが肝要である。
    読むときには、以下のことを意識するとよい(『本を読む本』でも言及されていたのと同趣旨の読み方が良い)。
    ①「この著者にあったら何を聞くか」を考えながら読む
    ②書かれたことではなく、書かれなかったことを考える
    ③第三者にどう紹介するかを考えながら読む
    ④主人公を入れ換えて読む
    なお、文章力を上げるにあたって、いい文章を読むことが勉強になるように思えるが、いい文章は初めからそこにそうしてあったかのような自然な文章で、作り方が非常にわかりにくいため、反対に悪い文章を読むことで「どうやったらよくなるか」といった目を養うことも意識するとよい。

    文章を書くためにはその種となる取材があるわけだが、取材にあたっては「訊くべきこと」と「訊きたいこと」両方をもって臨むのが重要である。
    なお、本書における取材とは、「何かを知ろうとすること」一般のことを指しており、この定義が面白いと思った。

    取材を行い、情報を手に入れ、実際に文章を核となった時、取材時に経験したこと(音声としての取材、その場の雰囲気としての取材など)を100%そのままの形で文章に落とし込むことは、3次元のものを2次元の絵画で100%表現するのが無理なのと同様に、原理的に不可能である。
    絵画ではこれを補完するために遠近法を使うわけだが、文章においてこの遠近法に相当するのが、論理である。論理(主張・理由・事実の組み合わせ)を丁寧に組み上げることで、元の取材が十全に表現できる。
    一方で、論理武装のみの文章は、理解はできるが納得できない面も出てくる。論理によってできることは説得であるが、納得させるにはどうすればいいか。それは、課題を共有し、読者にとって自分ごと化してしまうことである。
    では、どうすれば課題共有が図れるかというと、分かりやすい日本語を書き、分かりやすい文章にすることである。つまり、文単位で正しくわかりやすく読みやすいものを書くことは当然のこと、その集まりである文章についてもわかりやすく組み立てる必要がある。なお、この文章校正については、日本語と英語とで以下のように大きく異なる。
    日本語:起承転結の作り。ストーリー性はあるが話がまどろっこしくなりやすい。
    英語:序論・本論・結論の作り。論理展開はしっかりしているが、かたい文章で納得感に欠けるところがある。
    これらのいいとこどりをしたものが、著者の提唱する「起転承結」である。肝となる「転」を早めに持ってきて、従来の起承転結のような「結」まで間延びした形を脱する。これにより、論理展開はしっかり意識しつつ、飽きの来ない作りにできる。

    また、実際に書くことを決めるときは、取材により十分な情報があることを前提に、「何を書かないか」を考えるとよい。その判断基準は冒頭でも述べた「情報の希少性」である。

    文章を魅力的なものとするための技法として、レトリックがあり、その一つとして比喩の作り方が述べてあった。
    距離が近いところで作った比喩は、オリジナリティがなく、インパクトに欠ける。比喩としての役割を崩さないレベルでなるべく遠くのものを結びつけると印象に残りやすい比喩となるが、この作り方は、簡単な比喩から始めて徐々に「隣の」表現に変えていき、遠くまで転がすのである(要はマジカルバナナ)。遠くから拝借してくると、目新しいアイデアとなることは、『アナロジー思考』(細谷功)にも書いてあったことであるが、どのように遠くからアイデアを借りてくるかという具体的方法は、本書の方が分かりやすかったように思う。

    本書最後のパーツとして、推敲の部がある。今までの推敲のイメージは、誤字脱字を確認する、表現の微調整を行うといった、表面的な手直しのイメージが強かったが、本書では推敲を「自分への取材」と定義している。
    取材・執筆の部で述べられたことが、最後自分に返ってくるという点で、非常によくできた文章の構造になっていると思ったし、最後まで面白くリズミカルに読み進められたのも、ここに記載されていることを再現するように本書が作られたからなのだと思う。

    本書は、タイトルこそ「取材・執筆・推敲」という「書き方」にフォーカスしているようなものであるが、内容としては読み手の目線を意識した書き方が述べられており、本を読むときにどういった意識で読めばいいか、ということも間接的に指南しているもののようだと感じた(にも拘らず、タイトルに「読書に活きる」みたいな余計な文言が入っていないのもいいと思う)。

    P.S.
    「原稿のスタイルを知る」という章で、得意分野をジャンルで絞るのではなく、スタイルで決める方が良いというところがあった。ジャンルは時代とともにはやりすたりがうつろいやすいが、スタイルは時代を選ばないというわけである。これは、別にライターに限らず、あらゆる職種で言えることと思ったので、自分の仕事にもこの考え方を生かしていこうと思う。

  • 読みごたえがあっておもしろかったです。

    「聴く」も「読む」も能動である。
    「誰かの話を『聴く』ことは、その人の話を『読む』こと」というのが衝撃でした。

    また、「100年先を見たければ、100年前を見よう」という観点も自分の中にはなかったので衝撃でした。

    「聴く」こと、「読む」こと、「書く」こと等、こんなふうに説明してもらえる本は今までなかったので、新鮮でした。

    繰り返し読む本になりそうです。

  • あとがきまで含めると476ページ。本としては厚い部類に入るのでしょう。
    通勤中などに読もうと持ち運ぶには、ちょっと気合いが必要かも知れません。

    それでも、

    本書は電子版でなく、ぜひ本の形で手に取って読むことをお勧めしたいと思います。
    この本を手に取り、その質感や重さも感じながら読み終わるまで没入すること。本書の表現を借りるなら、それは他には変え難い、本を読むことでしか得られない体験でした。

    望む望まないに関わらず「無駄な労力をかけずに、素早く情報を入手することが素晴らしい」という価値観に晒されてしまう世の中において「本という形で文章を読む」ということの意味を改めて教えられました。

    ただの文章本としてだけでなく、仕事や人生、自分を取り巻くあらゆるものに対する見方や価値観にも影響を与えてくれる一冊です。

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著者プロフィール

●古賀史健(こが ふみたけ)
 1973年、福岡県生まれ。ライター、株式会社バトンズ代表。『取材・執筆・推敲』『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共著・岸見一郎)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』ほか著書多数。2014年「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。構成に幡野広志さんの思いをまとめた『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)など。

「2021年 『雨は五分後にやんで 異人と同人Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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