教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流

  • ダイヤモンド社
3.34
  • (8)
  • (18)
  • (17)
  • (11)
  • (2)
本棚登録 : 731
感想 : 38
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (276ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478113288

作品紹介・あらすじ

韓国で30万部突破のベストセラー!
ラテン語の名句を通して、「ラテン語」「ヨーロッパの歴史、宗教、文化」「ラテン語が現代に与えた影響」を一気に学ぶ! 教養の原典がこの1冊でわかる!

本書は、バチカン大法院の弁護士で、カトリック司祭のハン・ドンイル氏が、2010年から2016年までの西江大学で行われた講義を整理したものだ。

彼の講義は、単なる語学の授業というよりは、総合人文教養の授業に近い。西洋文明の根源であるラテン語を通して、歴史、文化、宗教、恋愛、お金など、多くのことを学べる。

彼の授業を聞いた学生らは「本当の自分に出合うことができた」、「世界を見る視野が広くなった」、「思考がより深くなった」と評価し、さらにこの授業が人生の転換点になったという人もいる。講義の初日の学生は24人だったが、名講義だとウワサが広がり、周辺の大学の学生や一般の聴講生まで集まっていった。

ラテン語は現在使われていない言語で、文法も難しい。なぜこの講義が人気を集めたかというと、ラテン語の学習のほかに、著者である教授が自ら留学先で体験したことを言葉に乗せて話した内容が、まさに人生についての学びが凝縮されたものだったからだ。

本書はラテン語の詳しい解説もあり、ラテン語を通じて学べる人間の深さを短い項目別にまとめたものである。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この先生の授業を生で受けてみたいと思わせる一冊だった。少し経ってからもまた読みたいと思った。
    中身はラテン語の単語やフレーズから、その背後にある文化的な意味や歴史、宗教のことなどを解説していた。
    また、最後の方はラテン語を通じて哲学を学んでいるように感じた。より良い人生にするための哲学をラテン語を通じて教授してくれる一冊だった。

  • ハン・ドンイル『教養としての「ラテン語の授業」』 気遣いがもたらした複雑さ|好書好日
    https://book.asahi.com/article/14827037

    聖書は弟子たちが作った“授業ノート”だった? 教養としての宗教 | 教養としての「ラテン語の授業」 | ダイヤモンド・オンライン
    https://diamond.jp/articles/-/315741

    教養としての「ラテン語の授業」 | 書籍 | ダイヤモンド社
    https://www.diamond.co.jp/book/9784478113288.html

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「お金があっても満たされない人」を救う3つの言葉 | だから、この本。 | ダイヤモンド・オンライン
      https://diamond.jp/...
      「お金があっても満たされない人」を救う3つの言葉 | だから、この本。 | ダイヤモンド・オンライン
      https://diamond.jp/articles/-/317830
      2023/02/20
  • スペイン語やフランス語をかじっているのですが、ラテン語系と漠然と一括りにしていて、活用の「格」が複雑…と思ってた、それらがラテン語から来ているらしい!と教えてもらいました。

    そもそも惣領冬実先生の「チェーザレ」を読んでいる最中で、話の中に若いチェーザレがラテン語を理解し、きれいな発音で相手に返す、というようなシーンがあり、ラテン語って!?と思っていたところで読み始めました。

    ラテン語の文法だけを学ぶ本ではないですが、ラテン語が、特にキリスト教に関わってきた歴史を、かすかに知ることができました。
    かすったので、もっと知りたくなる…(笑)死ぬまでにもう少し知ることができますように…

    実は、語学の勉強も、テキスト代がかかるし、将来何の役にもたたないかも…とやめようかと思っていたのですが、この本を読んで、やっぱり続けよう!とあらためて思いました。
    「昨日の自分より成長すること」
    勉強できる機会があるなら、活かそう!と思ったのです。

    リベラルアーツの意味もようやくわかり…「教養」のことなんですね。知識ではなく教養…

    読後感としては、ラテン語そのものよりも副題と思われる「古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流」を知る本でした。過去に思いを馳せながら、できることをやっていこう!と思いました。
    そして、柔らかく生きていきたいと思いました。


  • 今からもう40年程前の話となってしまいますが、高校生の頃に「百万人の英語」といラジオ講座を聞いていました。毎日担当の先生が変わるのですが、木曜日のコーナーの先生の授業は殆どが英語でなされて殆ど言っている内容が分からないのに聞いていたのを記憶しています。日本人の先生なので時々日本語を喋るのですが、一番印象に残っているフレーズが、英語のラジオ講座なのに「ラテン語を勉強しなさい」というものでした。

    あれ以来、その意味をずっと考えてきましたが、いまだにその解答は掴めていません。現在答えるとすれば、「欧州言語の基礎となったラテン語は他の言語を勉強するときに役立つ、若しくは、難しい文法や3文節以上の単語は教養があるように見える?」でしょうか。そのように思っていた私が、先週品川駅でこの本を見つけました。

    教養のあると思われる英単語は、おそらくラテン語によるものだろうと思っていたのですが、この本を読んでその思いを強くしました。また、大学受験のために必死に覚えた「試験に出る英単語」は個人的には大学入試にあまり役に立ったとは思えませんが、大学を卒業して社会人になって、それもビジネスの場ではなく、それ以外の外国人との会話の中で「よくこんな単語を知っているね」と感心されたことがありました、これが「教養のある単語」なのかもしれないと、この本を読み終えて感じました。

    この本にはラテン語の解説はそれほど多く載っていませんが、それでも格変化も多く、それぞれの品詞に3種類の性別があり、とても複雑だなと思いました。これからラテン語を克服しようという気にはなりませんが、ラテン語の触りだけでも機会があれば勉強してみたいなと思った次第でした。

    以下は気になったポイントです。

    ・私のラテン語クラスの最終目標は、ラテン語を使いこなすことではなく、学生たちにラテン語への興味を植え付け、ラテン語を通じて思考体系の新たな枠組みを構築してもらいたい、学生の頭の中に本棚をひとつ作ってあげようというのが私の授業の目指すところです(p26)

    ・自分の心の中に幼稚な(勉強を始める)動機を発見したとしても、それを否定したり恥ずかしがったりせずに、その学びによって今後何ができるか、どんな面白いものが生み出せるのか想像してみてはいかがでしょうか(p29)

    ・西ローマ帝国の滅亡により学校が閉鎖されると、ローマ・カトリック教会が公教育を司る。司教座附設学校では、三学(文法学、修辞学、論理学)と四科(音楽、算術、幾何学、天文学)、聖書と司教神学を教えていた、学生は18歳になると司教または司祭の前で、聖職に従事するか結婚するかのどちらかを選択しなければならなかった(p34)命題を作る訓練を第一段階、次に、論理を介してその命題にアプローチすることを問題解決への第二段階だと教育した(p77)

    ・ラテン語は、インドヨーロッパ語族の影響を受け、中でも、ギリシア語・ケルト語・古代ゲルマン語に加え、ヨーロッパ圏の言語を形成する、イタリック語派の影響を受けた言語に該当する(p42)

    ・ラテン語に陰りが見え始めたのは、マルティンルターの登場に先駆けて、ローマ・カトリック教会を強く批判する人々が現れてからのことである。この頃にはすでに「ラテン語で語られることは何事も交渉に見える」という概念は時代遅れのものになっていた。(p45)

    ・ラテン語辞典で動詞を調べる場合は、動詞の「直接法、現在、単数、一人称」で引くようにする(p52)英米ドイツ系の学者たちは、古典式発音を、イタリア・スペインの学者たちは、スコラ発音(ローマ式発音)を使っているが、お互いの話はきちんと聞き取れている。ラテンの国々は自分たちの文化は、その歴史の流れの中にあるという自負心があるため、ローマ式発音を重視している(p53)

    ・知識を得る行為そのものが学問の目的になってはいけません、学問とは、知るだけにとどまらず、その和の窓から人間と人生を見つめ、より良い観点と代案を提示するものである、人生のために学ぶのが勉強のあり方である(p56)知識を人々のために支えなければ知性人とは言い難い(p57)

    ・本来の長所であったものが短所になった時点で、思い切って手放すことが大事なのかもしれない(p62)何が長所で短所かではなく、どんな環境であっても省察を通して自分の可能性を発見し、そこから枝葉を広げていくこと、人生とは絶えず長所と短所を自問し、選択をする過程なのではないか(p64)

    ・学生が自発的に勉強を進める中で最も大切なことは、学生自身の成長であり、他人と比べることではない(p70)

    ・成功した経験がある人こそ、こうすれば成功できるとか、またはこうすれば失敗を克服できると語れる、そうでない人の言葉には耳を傾けることもない(p127)

    ・ローマ人は相手が受け取った手紙を読んだ時点でようやく自分の考えが伝達されたと考えたため、受取日に合わせて時制を作成した。現在なら過去分詞、過去なら現在完了分詞、未来は能動未来分詞で表現した。(p132)

    ・ローマは当時としては最先端の通信システムを構築(駅:馬の交換、馬の世話役の管理、獣医師の管理監督など)し、他の古代社会では見られらない、整備された道路網という社会的インフラを通じて支配していた(p133)

    ・ローマ法によれば、少年は14歳以上、少女は12歳以上で結婚できた、中世では16歳、14歳であった。一般市民としての法的効力は25歳から適用となるので、結婚はできてもローマ法上は未成年であるため、未成年としての規則を順守することが原則であった(p166)

    ・学びとは、頭の中を知識で満たすことではなく、自分だけの歩き方・動き方を学ぶことではないか(p168)

    ・ティラミスとは、ティラレの2人称命令形である「ティラ」に、直接目的語「ミ」が結合、ここに方向を示す「上に」という意味の前置詞「ス」がついたもの、このケーキを食べれば、憂鬱な気分が晴れて元気になれる、という意味が含まれている(p171)

    難して死んだ日である金曜日に、悔い改める気持ちで肉ではなく魚を食べる習慣である(p172)

    ・本棚に並べられた本を見れば、持ち主の人となり、がわかると言われる。本以外にも、その人を知る手がかりがある。「40歳を過ぎたら人は自分の顔に責任を持たなければならない」とリンカーンは言ったが、その人のそれまでの性格や表情が積み重なって、40歳を過ぎる頃には顔に現れているという意味である(p250)

    ・朝一番に鏡の中の自分に微笑みかけることは、自分に対するねぎらいと励まし、となる(p251)

    2023年2月9日読了
    2023年2月11日作成

  • 教養本というか哲学書だった。
    ラテン語とキリスト教は切り離せないからきっとそうなる。
    ミッション系の母校でキリスト教の授業があり、当時は「イエス様、たとえ話またキターー!」とかおちょくっていたのだが、世界の教養を学んでいたと思うと有り難い時間だった。

    言語にはその国の歴史や国民性が滲み出ている。それが学ぶ人にも意識的・無意識問わずゆるりと染み渡っていくのが面白い。

    英語にはもう、その文化を煮詰めたような旨味はないかもしれないがその根底にもラテン語が潜んでいて、私たちは知らず知らずに古代ローマの滴を啜っている。

    あぁカエサル!2000年も経った今、私が極東の地であなたの言葉を味わっていますよ!
    何と尊く喜ばしいことか。

    著者はとても勤勉で前向きで愛に溢れていて、その講義に時折涙が出そうだった。

    隣国であるにも関わらず韓国にあまり興味を持っていなかったのだが、最近良い出逢いがいくつかありこの先生との出逢いもその一つ。
    自分の世界の広がっていく感覚がいくつになっても訪れるのは嬉しいことだ。
    人生とは、読書とはかくも素晴らしい。

  • ラテン語の名句が各章で取り上げられるのだが、その名句に含まれる一つ一つの単語が丁寧に解説されている。英語、スペイン語を学んでいる自分には、ラテン語が語源となっている英語、スペイン語の単語をいくつも知ることができて、言語の奥深さを感じることができた。

    著者はキリスト教だけでなく仏教、儒教をはじめとした様々な宗教に造詣が深く、ヨーロッパの様々な言語、世界史や法学にも精通している。真に学問を追究してきた人が紡いだ言葉には、重みがあった。

    その一方、韓国ではやはり日本人による征服の歴史が根を張っていることをこの本から感じた。歴史と、日本人に対して複雑な感情を抱く人も韓国には少なくないという事実を、我々も忘れてはいけないだろう。

    勉学に悩んでいる私の心に響く言葉が多くあった。本に書かれていたことを、深く考えていこうと思う。著者の人生に対する姿勢を見習いたい。

  • L’étymologiste non omnia finit.
    死がすべてのことを終わらせるわけではない

    この本にはいろいろなラテン語の名句が出てくるが、この言葉が1番心に残った。私がすべてを終わらせるわけではない、生きている限り希望があるのだ。

    ラテン語の授業の話なのかな?という興味で読み始めてみたが、授業は授業だが、ラテン語というよりは、ラテン語を通じた人生の話だった。また、ラテン語がヨーロッパ、英語の元になっていることはしっていたが、ここまで多岐にわたっているとは、言語に興味を持つきっかけにもなる。

    作者自身の考え方や物の見方の変化の話もあり、心のありようを考えさせられた。
    素晴らしい。

  • 借りたもの。
    “語学として”のラテン語教本ではなく、ラテン語格言・名言などを通して、様々な価値観、生き方の教訓を学んでゆく本。「教養」とは、ラテン語格言に込められた欧州的価値観……否、そうした地域を限定するものを超えるものを紐解いていく感じの本だった。

    そこから見えてくるのは、欧州の「古代ギリシャ・ローマの現文明こそ自分たちの根源である」というプライド。
    ラテン語から紐解かれるルーツには、欧米の歴史やリベラル・アーツの話、さらにさかのぼってインド・ヨーロッパ語族に至る。
    既にネイティブが存在しない言語なので、発音はどのようなものなのか、ローマ式発音(スコラ発音)、古典式発音(復元発音)があるという。

    そうした前提知識から、人生の教訓に至ってゆく。
    ラテン語から垣間見る、自己のルーツ(アイデンティティ)を明確化すること、人生観などに至る。
    先人たちが遺した様々な言葉と共に。

  • 言語は自分を表現するための手段であり、世界を理解するための枠組み

    その通りだが、ラテン語と思って手に取ったら、
    自己啓発本みたいな感じで説教っぽく
    かなりイマイチだった

    立ち読みで済ませてよかった

  • ○市立図書館より。
    ○本屋で見てずっと気になっていた。読んでみるとラテン語の本というよりはラテン語の名言等を通してローマの歴史や文化を語り、さらにそこから現代社会の息苦しさやせわしなさに対する批判や心配、受講生である大学生たち若者世代への思いなどが中心に語られる。
    ○平易でわかりやすい語り口で、できるだけ話し言葉をそのままおこしたような文体だからか、読み進めているとまるで自分もこの穏やかで知的な先生の講義を、大学の講義室で学生たちと一緒に聴いているような、そんな心持になった。
    ○全体的に感動的で、優しい気持ちになれる本であるのは間違いないのだが、どのセクションでも大体終わりはちょっと浪花節が入るので、だんだん食傷気味になってしまったのも事実である。

    ***

    ○モメンタム=瞬間
    ○本格的な勉強の前に、30分くらいのウォーミングアップを入れる(好きな科目など)

全38件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

【著者】
ハン・ドンイル
韓国人初、東アジア初のロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士。ロタ・ロマーナが設立されて以来、700年の歴史上、930番目に宣誓した弁護人。2001年にローマに留学し、法王庁立ラテラノ大学で 2003年に教会法学修士号を最優秀で修了、2004年には同大学院で教会法学博士号を最優秀で取得。韓国とローマを行き来しながらイタリア法務法人で働き、その傍ら、西江大学でラテン語の講義を担当した。彼のラテン語講義は、他校の学生や教授、一般人まで聴講に訪れ、最高の名講義と評価された。その講義をまとめた本書は、韓国で35万部以上売れ、ベストセラーに。ラテン語を母語とする言語を使用している国々の歴史、文化、法律などに焦点を当て、「ラテン語の向こう側に見える世界」の面白さを幅広くとり上げている。ロタ・ロマーナの弁護士になるには、ヨーロッパの歴史と同じくらい長い歴史を持つ教会法を深く理解するだけでなく、ヨーロッパ人でも習得が難しいラテン語はもちろん、その他ヨーロッパ言語もマスターしなければならない。

「2022年 『教養としての「ラテン語の授業」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハン・ドンイルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×