- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784479393320
作品紹介・あらすじ
日本の何が問題なのか?
母娘問題、セクハラ、結婚・恋愛・子育て、団塊世代と大学闘争、性暴力などについて徹底的に語り合った7時間!
・日本の女が大変なワケ
・世代でくくると見えてくるもの
・結婚、恋愛、ナメんなよ!
・子どもを産むのは親のエゴイズム
・オヤジは再生産される!?
・性暴力は女性ではなく男性の問題
・私たちは山ほど洗脳されている!
<著者について>
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクショネットワーク(WAN)理事長。
専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で、40年間、教育と研究に従事。
著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『女ぎらい』(朝日文庫)、『ケアの社会学』(太田出版)など多数。
田房永子(たぶさ・えいこ)
1978年東京都生まれ。漫画家、ライター。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ
『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)がベストセラーに。主な著書に『ママだって、人間』(河出書房新社)、
『キレる私をやめたい?夫をグーで殴る妻をやめるまで?』(竹書房)、『「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました』(大和書房)など。
感想・レビュー・書評
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会社で女性活躍推進の研修ビデオみたいなものを見せられたことがあった。
講師の女性が、産休後に社会で活躍するためには、育休中に各自で仕事に役立つような勉強をしておくことが大切だ、と話していた。
その時に、女が社会で活躍するには、男より余分な努力をしないといけないのか、と思った気持ちが、この本を読んだら新鮮な憤りとなって蘇ってきた。
人間を産むという大仕事をしてるのに、なんで男社会のペースに女が全面的に合わせないといけない?
本書で言われている通り、今の「男女平等」は、「女を男並みに働かせて使い倒すためのもの」であると思う。
「弱者が弱者のままで尊重される」社会には、どうやったらなるのだろう。
会社にちらほらいるムカつく男までを調教してやる体力まではない私ですが、しっかり分かり合いたい夫とは、「一人一殺」の心で、諦めずに違和感について対話バトルしていきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フェミニストで東大入学式祝辞でも話題になった上野千鶴子さんと、「母がしんどい」の田房永子さんの対談。
田房さんが質問し、上野先生が答えるという形式をとっている。この田房さんの質問がまた絶妙。
上野先生の答えも明解。
母親がどんな時代背景の中を生きたかということが、娘の人生にも大きく影響を与える。分かっているつもりでも、文字になり、文章となり、きちんと説明を受けるとぼんやりしていた物が、ハッキリとした枠をもって浮かび上がる。
正面から見えるものだけでなく、その裏側を知ることや、そこに至るまでの経緯を知ることの大切さを改めて感じた。
2020.12.26 -
田房永子さんが、上野千鶴子さんに質問していくかたちでフェミニズムについて学べる一冊。良書だった。
私自身、フェミニズムって日本で広まったのは伊藤詩織さんの事件や#MeToo運動などからで、海外に触発された思想だと思っていたのが無知すぎて恥ずかしい。
上野先生が青春を過ごしたいわゆる全共闘時代から、学生運動に参加していた女性たちも性差別を受けていたし、それに対してずっと毅然と闘ってきていたんだ。
女は男によって選ばれるものであり、当時の日本では女性が大学に進学すること、ましてや未婚であることは規格外だった。
田房永子さんは毒母に苦しめられてきた経験を著作にしているけれど、上野先生とほぼ同世代のお母さんも性差別の真っ只中を生きてきたんだ。
「母になったらすべての母は抑圧的になるのよ。抑圧者であると同時に犠牲者でもあるのよ」という上野先生の言葉にハッとした。
1960年代後半から70年代初頭にはウーマンリブという、新しい女性解放運動の波が広がった。
「個人的なことは政治的なこと」として、ある女性が受けた個人的な差別や価値観の押し付けは、すなわちそのまま政治的な問題であるということだ。
中絶に関してもそう。日本は中絶天国と呼ばれるほど中絶を簡単にできる国だったそうだが、それだけ望まない妊娠も多かった。コンドームでの避妊が主流で、女性主体の避妊法はまだまだ全然すすんでいない。女性用避妊具もピルも婦人科を受診しないと手に入らない。
私はこれまで自分が受けてきた性被害を、性被害として認識していなかったんだと気づいた。上野先生を始めとするフェミニストがやってきたのは、「あれはセクハラだ」とか「あれはDVだ」って名付けをしてくれることだった。
私は多分それを分からないままで、受け入れなければならないものとして、ただ生きてきた。
しかも男性に性被害を理解してもらおうとするとき「もし自分の彼女、妻だったら」という例え方をするのも甚だ間違いだと気づいた。その例えで男が感じるのは、女はあくまでも男の付属品としたうえで「自分の付属品を傷つけられる」ということだけだ。女性そのものの痛みではない。
フェミニズムって、なんだか仰々しい響きで、賢くて意識の高い女性たちだけがやっているものだと思っていた。
でもそうじゃなかった。個人的なことは政治的なことで、フェミニズムは常に「わたし」から出発しているんだ。
女が女であることを愛し、受け入れる思想のことをフェミニズムと呼ぶ。女は弱い。弱いことも自分自身で受け入れる。
その弱さを隠したり否定したり(ウィークネスフォビア/弱さ嫌悪)すると、ホモソーシャルの社会に同一化して同性でも敵対することとなってしまう。
ミソジニーという言葉があるが、その言葉の本当の意味は男にとっては"女性蔑視"。でも、女にとっては"自己嫌悪"。
「自分の中にあるミソジニーと闘い続けてきた人をフェミニストと呼ぶのよ」
「フェミニズムは女にとって、自分と和解するための闘いだもの。」
と、凛として話す上野千鶴子さんがとても素敵だ。
時代を先に生きて切り拓いてきた女性がいてくれたから、私たちは今こうして曲がりなりにも男女は平等であるとして生きていくことができる。
そのことを決して忘れずに、次にできることはなんなのかを考えていきたい。そしてできるならそれを積極的に吐き出してみたい。
フェミニズム、という大きな思想を前に、決して恐れない女性でありたい。 -
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ゆづか姫が上野千鶴子氏の〝ルッキズム論〟に異議「美しくなろうとする者の努力を否定することになる」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載...ゆづか姫が上野千鶴子氏の〝ルッキズム論〟に異議「美しくなろうとする者の努力を否定することになる」 | 東スポのニュースに関するニュースを掲載
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3888962/2021/12/26
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子育てをする上で、フェミニズムについて知っておきたいと思って読んだ。
『フェミニズムは決して女も男のように振る舞いたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想です。』
なるほどと思った。性別に限らず、マイノリティ側にしか見えない世界があるんだろうなぁ。
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▼「女ぎらい」という上野さんの本を読んでいて。そういえば、この本を前に買って読んでなかったなあ、と思い出して。こっちを先に読みました。
▼フェミニズム入門、ということでいうとこっちのほうが読みやすいですね。ただ一方でフェミニズムというのが、「弱者が弱者のままで尊厳のある生き方ができるという理想」だとするならば、そんなに構えなくてもいいのでしょうが。
▼単純に、割と身近な?上野さんの時代や、その親の時代、つまり日本の近代以降の女性の具体的な生きづらさ、経済など、切れば血が出る具体的な「不利益の歴史」みたいなものが口語的に語られるのが非常に分かりやすかった。
▼やっぱりこっちが男性なせいか、そういうのって、ついつい意識の外で見逃してしまっていたんだなあと改めて。「男はつらいよ」とか言ってる場合ぢゃないですね(笑)。おもしろい本でした。 -
女の選択肢は増えたけどそもそもが男社会。これを当たり前として育てられたら、自分に不都合でもない限りその偏った構造に気づけない。不都合がある者、つまり女ばかりが声をあげるから、フェミニズムは偏った考え方だと非難されやすい。
私もフェミニズムについて理解しきれていない。この本に書かれていること全てに賛同できるというわけでもない。ただ日本のジェンダーギャップ指数の低さは日本人全員が恥ずべきことだと思う。そしてそれをもっと問題にしていくべきだと思うし、男女共に考えていかなければいけない。フェミニズムは女性だけの問題ではない。正直、日本はジェンダーギャップ指数が低いですと言われても、でしょうねとしか思わなかった。この諦めみたいなものを多くの人が感じていると思う。まずはフェミニズムについて正しく理解することから始めたい。 -
(2024/03/07 2h)
田房さんの漫画『母がしんどい』は以前Kindle Unlimitedで既読。
ゼロから〜と冠しているものの、田房さんは真っ更な状態じゃなくってフェミ系雑誌の責を負ってたりしてかなり身内寄りな気がした。
純粋に上野千鶴子から教えを賜るって言うよりも、田房さんの毒親談も絡めた対談で、読む前に思っていたよりも対等な形式。
ちょっと強めの意見や「それは過激すぎでは…わたしの考え方とは違うな〜」って反発を感じつつも、新鮮な気持ちで読めた。
強い言葉には心がささくれるというか、泣きそうになったりもした。強い女性2人の意見にトゲを見出してしまった。
わたしはフェミニズムをなんとなく嫌悪していて、
自分のことをミソジニー寄りの人間だと思っていた。
最後の上野さんの言葉には救われたかも。
女である自分を受け容れるためのフェミニズムという考え方はいいな! -
上野千鶴子さんは団塊の世代で、田房永子さんは団塊ジュニア。
だから幅広くいろいろな世代の人たちについて書かれています。
私、自分のことは「え、私そんなつもりないのに」と思っても、自分と関係のないところでは「そうなの!?」と信じて面白がって読んでしまいますね。
田房永子さんの本はすでに3冊読んでいるのですが、彼女自身はもっとたくさん出していると、初めて知りました。
それらを読んだら、この本ももっと楽しめたかも。
上野千鶴子さんの本は2冊読んでいて、一冊は鼎談。
そのとき対談鼎談にするより一人のものが良いと書いていますが、今回もそう思いました。
雑談にするとわかりにくくなってしまう気がします、私は。 -
東大の入学式の式辞で物議を醸した上野千鶴子先生と、『母がしんどい』で有名な田房永子氏の対談。
始めの何章かは結構しんどい。
毒親の話は、なかなか体力がいる。
私の母は毒親ではなく、むしろ尊敬している(とは言えやはり人間なので大きな欠点もあるが、それも含めて好きだ)けれど、それでも鈍い痛みが襲ってくる。
それは私の母が、ではなく、私自信が、毒親ではないか、と言う恐怖から来るものだ。
そこを何とか元気な時に読んだら、フェミニズムへ。
「オヤジは再生産される」(126頁)は良くわかる。
職場で歳の近い男性社員と話すと、「嫁」と言う単語が何度も出てくる。
ねえ、「妻」じゃダメ?
朝早くから出てきて、夕方は19時過ぎまで頑張る皆さん、ねえ、お子さん、小さいんじゃなかった?
専業主婦かも知れない、育休中かも知れない、でも、早く、帰ってあげてよ。
飲み会、社内のつながりも大事かも知れないけれど、毎週やらなくちゃいけない?
そしてそれに乗っかれない私の評価は低い。
私の能力の問題もある、お喋りばっかりに見えるのかも知れない、でも、それは、男性の視点からしか見ていないんじゃない?
「見えるように仕事しろ」は一方では正しいかも知れない、だけど私の生きてきた女の世界はちょっと違う。
見えないところを一生懸命やってきたの、ずっと。
あなたたちが当たり前だと思っている、整った環境作りを、ずっと。
感想よりも愚痴ばかりになってしまった。
でも、これが全部じゃない。
自分に期待して、自分に裏切られ、自己嫌悪と自尊心の間で揺れながら、家事も育児も仕事もプライベートをも闘いまくって、こなしていく。
言いたいことはたくさんある、そのほとんどは腹の中。
「自分の中にあるミソジニーと闘い続けてきた人をフェミニストと呼ぶ」(183頁)
そう、満身創痍でも、自分と戦い続ける。
モヤモヤを溜めるな!吐き出せ!
上野先生の授業を受けたい。
そして議論してみたい。すべてが正しいとは限らないけれど、あなたの元気玉に触れてみたい。
著者プロフィール
上野千鶴子の作品





