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本 ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784479394143
感想・レビュー・書評
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エヴァンゲリオン暴走中みたいなエッセイ。皆んなにこんなに愛されているのに死んじゃった。そういうことも大切なことだと気が付いてたはずなのに。
自分なんで豆腐みたいに脆いものなのに握り潰すように文章を紡いで。真面目に、真摯に生きた証を残して。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
40歳の誕生日を控えたある日、書店の店頭でこの本に出会った。著者のことは寡聞にして知らなかったので、この作品が初めての雨宮まみ作品ということになる。
どうせなら40歳になる前に読み終えたかったが、39歳の私の夏は悪阻との戦いがメインテーマだったのでこればかりは仕方ない。
「40歳がくる!」前ではなく、「40歳がきた!」あと、秋の気配がようやく近づいて来た今になって読み終えた。
40歳がくる!
その言葉が持つ響きは、「なりたくもない40歳に突入しちゃうよ〜やだね〜」というコメディタッチなようであり、実際には「ゴジラが来る!」くらいの忌まわしさも内包している。
誰だって、ほうれい線のないぴちぴちお肌でおっぱいに張りがあった方がいいに決まってる。「綺麗な年の取り方をする女性って素敵よね」なんて言いつつ、実際には美魔女と称される「年齢に抗いまくる年齢不詳美女」の方が重宝されてるじゃないか。年齢非公表の美人女優は、漏れなく40オーバーのそればっかりだ。
雨宮まみは、「私は年齢に囚われず、ただ私らしい私でありたい」と言いつつ、誰よりも年齢に囚われた女性だったように思える。
衝動的で、感情的で、だからこそ魅力的な女性。
若い女の子達を引き連れて、深夜の映画館で夜を過ごし、明け方の都会を颯爽と去っていく姿なんて、めちゃくちゃかっこいい。衝動に任せて、それまで着たこともないようなジャンルの服を衝動買いしまくる描写なんて、最高に痺れる。私にはそんなことはできないから。こんな魅力的な女性でも、40歳という女の柵に囚われ続けるのか。なんて恐ろしいんだ、40歳。
彼女が生きていたら、どんな言葉を生み出し続けていたんだろう。
私が今から出会う彼女の文章は、どうしたって私より歳下の彼女が書いた文章になってしまう。なんだかすごく、それが悔しい。
50歳がくる!
還暦がくる!
70歳がくる!
私はその作品達を読んでみたかった。
ほんとに読んでみたかったよ、雨宮まみさん。
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私の話し?と8割くらいの当てはまりをみせた作品でした。
全く同じ事を思っていた箇所が数箇所あって、
現時点で心が沈んでいたのもあり、読み進ませきれなくて、すこーしずつ読みました。
しんどかったーーーーー汗泣
どんぴしゃ。
今読めて良かった。
死ぬことは逃げることではないと思う。だけど、
死ぬ事を選択しなくていい別の選択肢を常々見つけていかないといけないと思う。 -
独身の頃、ちょうど私は仕事をはじめたばかりで多感な時期でもあり、著者の作品が好きでお守りのようにしていたし全作品を読んでいた。2016年に亡くなられたときはとてもショックで泣いた。
その後私は結婚して子供を持った。自覚はないけど、著者のいう「愛を与える」ことに忙しくなった。両親がいかに自分に与えていたのかも思い知った。するとあんなに感動していたはずの著者の作品に共感することが難しくなっていた。
私のような平凡人間は、「そこ」にとどまらないのだと思う。
非凡な人は、ある年齢でしか感じられない「そこ」にとどまって、深堀りして、傷ついて、なにかを作る。
著者は私のような気づけない人間に真実を伝えていた、そしてその真実を表現するということには代償が伴ったのかもしれない。
この本が出ているのを見て懐かしくなり久しぶりに著者の本を読んだけれど、正直若いころのような感動はない、でも、この人の本を読んでいなければ、愛を与えることについてここまで自覚的な自分にはなれていなかったと思う。だから若いころに著者の本に没頭できたという経験が、現在の私を強くしているのだと思う。私を強くした代わりに著者は代償を払ってしまったのかもしれないと思うと悲しくなる。
恋愛に悩んで、結婚相手をさがしているくだりで、『ただ永遠の恋愛をしていたい』っていう、、、こんなにも正直に言える人いる?って思った。そんなもんないだろって頭でおもっちゃうから私は言えない。そして今は結婚して長いからそんなものがないってハッキリとわかってしまえて。でも。ああ。この純度の高さよ。
『本当なら自分で考え、自分でしなくてはならないことを、雨宮さんに代わりにさせてしまったように、後めたく感じることがあります。』
元担当編集者さんの言葉が一番心に刺さった。
亡くなられた理由、その当時はぼかされていて読者としてはヤキモキしたけれど、この本を読んで、ああ、きっとこういう感じなのかな、と推測はついた。それで、安心することができた。だから、その1点だけでもこの本を読んで本当によかった。 -
雨宮まみさんの突然の訃報には、当時ものすごい喪失感を感じたのを覚えている。著名人の訃報で一番ショックだった方かもしれない。
著作はリアルタイムでほとんど読んでいたし、この連載当時30代半ばだったわたしは、まだまだ先だと思っていた40歳が少しずつ現実味を帯びてきた頃で、40歳を迎える少し年上のきれいなお姉さん(雨宮さん)の言葉に共感したり励まされたり、連載が更新されるのを、いつも本当に楽しみにしていた。
自分が40歳を過ぎた今改めて読んで、この連載があったおかげで、わたしは「私のままの40歳」になる心構えを築けていたんだなあと思った。
雨宮さんの文章、ずっと読み続けたかったな。
未発表原稿の死に向かっていく様にヒリヒリした。
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著者の雨宮まみさんは、2016年に亡くなった。40歳と2ヶ月ほどだった。
そして彼女の逝去から7年過ぎた2023年の12月にこの本は刊行された。
未完であった同タイトルのweb連載が前半部分、後半に雨宮さんと関わった11人の書き手による文章が収録されている。
読むとよく分かるけれど、雨宮さんは40歳になることをひどく恐れていた。
とくに女性は、若さを失っていくことの恐怖だとか、年齢で切り分けられることの理不尽さだとか、男性よりも「歳を取ること」はネガティブな要素が今もって強いと感じる。
結婚をしたのか・していないのか、子どもをもうけたのか・もうけていないのか、ということで人生の価値を判断されやすいのもやはり男性よりは女性で、時代が変わってきたとはいえ、未だに人の意識の底にそれは根付いていると感じる。
雨宮さんはシンプルに、自分らしく生きることを希求していただけなのだと思う。「若い女の子」でも「おばさん」でもなく、「ただの私」として生きることは可能なのだろうかと、40歳になる前からずっともがいていた。
このエッセイはその葛藤の記録なのだけど、辛い部分もあればくすっと笑える部分もあって、やはり才能のある文筆家だったのだと思う。
なので願わくばもっと生きて色んな本を書いて欲しかった。女性たちに寄り添ってそっと背中を押してくれるような本を、雨宮さんならたくさん書けたと思うから。
そして彼女の周囲の人たちが綴った文章を読むと、彼女はとても愛されていたし、可愛らしく人間らしく、容姿はとても美しく、綺麗なものを愛した、東京に住む「普通の女性」だったのだと思う。
人に囲まれていてもつねに孤独を抱えていたところも、私から見ると普遍的で(人ってそういうものだと思うから)、だけどその孤独をうまく飼い慣らせない人も、やはり世の中にはいる。
厳しい家に産まれ育ったという生育環境からとても抑圧的だったという雨宮さんが、強行突破で上京し、AVライターという道を選び、ときに過激な文章を発表したことは、親に対する精一杯の反抗だったのかもしれない。
だけどそこで確固たる地位を確立した彼女はとても格好いい女性でもあった。
この本が刊行されたのが正解なのかは分からないけど(本人の意思は訊けないので)連載部分はとくに、まとまったものが読めて私はよかった。
過去の未読作品も、読んでいこうと思う。 -
まさに今40歳を目前に控えて人生に迷っている女が、「こじらせ女子」の雨宮さんの新刊じゃん♪などと安易に手を出すと痛い目を見る。そう、私のことだ。
前半の雨宮さん本人によるエッセイ部分は、内容だけ読むと同世代の女性たちに向けたともに40代を生き抜くためのエンパワメントとも取れる内容だし、実際にそういった意図で連載されていたものだろう。しかし知っての通り、彼女は本書の冒頭に引用された一文の通りに40歳でこの世を去ってしまった。それを踏まえて読むと、これは希死念慮の症状を抱えた患者の自死直前の心境を綴ったドキュメンタリーであり、なまじっか彼女の文章力が凄まじいだけに、その言葉はより生々しく鋭利にこちらの生身の部分に触れてくる。精神が不安定な人間がこんなものを読んだらどうなるか?本の冒頭に注意喚起の一文があってもいいくらいだ。
彼女が死にたがっていることを一部の友人たちは知っていて、あの手この手で彼女が死なないようにこの世に繋ぎ止めようとしてくれていたエピソードが登場する。それでもああなってしまったことを思うと、周りがどんなに手を尽くしたとて、死にたがる人間を引き留めることは容易ではないのだとわかる。もちろん手を尽くすことが無駄だと言いたいわけではない。ただ、最悪の結果が出てしまった場合でも、あのときああしていればとか、もっとこうしていたら死なないでいてくれたんじゃないかとか、そういう事を考え始めたらキリがないし、ましてや自分のせいかもしれないなんて、考えても仕方がないんだなと思った。養老孟司の言うところの「二人称の死」に対して、何も思わないなんてことは人間にはできなくて、それが自死であればなおさら、後悔は絶えないものだけれど、こんなにもどうしようもないものなんだと、逆に諦めがついた感覚があった。
彼女が知人から、「ネタに命かけちゃダメだよ」と忠告されるエピソードが出てくる。「いくら面白いものが作れるかもしれなくても、命取られるとこまで追っちゃ、だめだよ」と言われ、彼女も「自分の人生を食いつぶされるほど、何かを深追いしちゃダメってことだよね」と応えている。応えているのに…
「連続殺人犯」を書いた小野一光さんが、あとがきに、死刑囚を取材するのは精神的な負担がものすごく、爪がぐにゃぐにゃになると書いていた。命を削りながら物を書いている人はいて、削りすぎてしまう人も中にはいるんだなと思った。
実は雨宮さんの著書は「女子をこじらせて」ぐらいしか読んだことがなくて、それも亡くなった後に読んだから、私はリアルタイムで彼女にエンパワメントされた当事者ではないのだけれど、そういうたくさんの読者にとって彼女の死がもたらしたショックは計り知れなかったのだと思う。ただ命を削るような書き方をしていなかったらあそこまでのものは書けていないかもしれなくて。でもそれでも、生きていてほしかったと思う。 -
読んでて心がヒリヒリした。自分が抱えているこの得体の知れないモヤモヤした気持ちを、著者は包み隠さず、率直な文章で表現してくれていた。そこにいたのは、自分だった。
女性特有であろう葛藤を抱えながらも、著者は仕事にも自分自身にもしっかり向き合い、多くの友達に支えられながら、楽しみを見つけて、これからもより良い人生を歩んでいく、そんな意気込みが伝わってきた。なのに、40歳で亡くなってしまったことを思うと、なぜ、と自然に涙がこぼれた。
著者と比べたら、私の人生はもっと地味で平坦だし、友達も楽しみも少ないように思う。それでも、こんな華やかな世界にいる人でも、自分と同じような気持ちや悩みを抱えてるんだと思うと、辛いのは自分だけでないんだと少し孤独感が和らぐ。みんな、こんな気持ちを抱えながらも、平然を装い、一生懸命楽しそうに生きている。みんな同じなんだ。そんなことに改めて気付かされた。
著者が命を削って生み出したこのエッセイ本は、私がこれからも大事にしたい一冊となった。だいぶ時間が経っているけど、著者のご冥福をお祈りしたい。 -
2024年ナンバーワン。同じ時代に生きられてよかった。こんなひとが生きるには世界はしんどかっただろう、わかるに満ちている。第三者でしかないわれわれが惜しいとなどいう筋合いはない。友人たちのことばがしみる。死ではなく、生に注目して読みたい。
愛されているから死ねないはロジックがおかしい。愛されようが愛されまいが、しんどいのはしんどいのだから。雨宮さんは真にうつくしいひとだ。
著者プロフィール
雨宮まみの作品





