自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門

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  • 大和書房 (2024年12月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784479394426

作品紹介・あらすじ

「家族にとって血のつながりは大切」「“日本人”とは日本人の親を持つこと」「日本では宗教を信じる人はめずらしい」……それって本当? 自分にとってのあたりまえが、実はあたりまえではなかったことに気づく。多様な人々と共に生きる、未来のための文化人類学入門。

みんなの感想まとめ

私たちが日常的に「当たり前」と考えていることが、実は多様な価値観の中では異なる意味を持つことを再認識させてくれる作品です。文化人類学の視点から、日本と海外の考え方の違いや、特に宗教観や社会的儀式につい...

感想・レビュー・書評

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  • 面白い。哲学対話について語られていた本にあった、「変わることを恐れず、楽しんでください」というルールを思い出した。変化を嫌う、認めない人は余裕がない人、ということになるのだろうか?

  • 8月は仕事が忙しい&職場のコロナ対応に
    追われて

    気づいたら、もう8月も下旬に入りそう(涙)
    コロナにかかってないのがもはや奇跡。

    そんな中で読んだこの文化人類学入門のこの本。
    私たちが「普通」、「当たり前」と思っていることが
    別の国や地域では当たり前じゃないことを
    改めて再確認できる内容でした。

    個人的には日本と海外の宗教への考え方や
    日本の就活はある種の大人になるための
    儀式のようなものという考え方に
    なるほどなぁーと思いました。

    きっとこれからの日本は外国人も増えていく中で
    お互いの価値観や考え方を尊重していくことが
    必要になっていくんじゃないかなと思うけれど
    中々、自分と違う考え方や価値観を理解するって
    難しいから、少しずつ受け入れていくことから
    始めていきたいな。

    • かなさん
      おはようございます。
      コロナ対応お疲れ様です。
      流行ってきてますもんね…
      どうか、休めるときに休んでくださいね!
      おはようございます。
      コロナ対応お疲れ様です。
      流行ってきてますもんね…
      どうか、休めるときに休んでくださいね!
      2025/08/19
  • 「あたりまえ」って、普段は全く意識することなかなく存在しているけど、その輪郭がなかったものがはっきりと浮かび上がってきた感じ。
    私のあたりまえが、世界にまで目を広げると全然あたりまえじゃなかった!
    本で読むよりもフィールドワークに出かけると、より体感できるんだろうな。
    ネットでも情報はどんどん入ってくるけど、自分のあたりまえが覆るような体験を特に子供たちにはして欲しいと思った。

  • 引きのある切り口で文化人類学とは何かを知れる本でした。良い意味で抽象的な学問に思えます。何かと何かを対立させたり比較させたりすることもなく、新しい学びから変化を強要することもなく、ただ、その状態がなぜ存在しているのか本質を考えようとすることで、自分たちと意外と地続きなんだと思えることもある、そんな話のように思いました。最近の社会の流れにも合っているような気がして、興味深いところでした。
    中では、日本の努力信仰の話がおもしろかったです。たしかに呪術信仰みたいなものですね(笑)。
    構造好きにおすすめの本です。

  • 常識とは?を考えさせられる内容だった。
    他文化で暮らしたことはないが、他文化を知ることで、自分達のことも理解していきたいと思う

  • 本のタイトルが、「あたりまえを疑う」ではなく「あたりまえを切り崩す」となっているのを疑問に思っていたが、実際に本書を読んで、その意味が理解できた。
    「あたりまえが切り崩されてしまう体験を大事にしよう」という本書のメッセージを忘れずに心の中に入れておきたい。

  • 異文化の習慣と私達日本人の習慣の違いを知り、文化的な多様性を認めることができることを研究しているのが、文化人類学という学問だということがわかるような本の作りになっています。非常に面白いですが、表紙の絵のようなポップな軽い感じの文章ではなく、中身はしっかりしています。

  • 本書は、世界の異文化事例を紹介し、私たちの日常にある「常識」に問いを投げかけ、文化人類学的な視点を与えてくれる一冊です。既知の事例であっても、改めてその背景にある理論的解説を読むことで、より理解を深めることができました。

    特に興味深かったのは「アノマリー(境界にあるもの)」についての記述です。空間や概念の境目にあるものは、しばしば「不安で危険なもの」とみなされます。例えば「汚れ」という感覚は、物質そのものの成分による問題ではなく、それが「身体の内と外の境界をまたいでしまう」ことによって生じます。人間にとって「自分であって自分ではない」という矛盾した存在は、既存のカテゴリーに分類しきれない気持ち悪さを抱かせ、それが「汚い」という忌避感情に繋がるのだと理解できました。

    こうした現象を、フィールドワークを通じた身体感覚として体験する文化人類学者たちは、安易に他者を分断することはありません。彼らはあくまで各社会の特徴を捉えた上で、
    ①「人間の文化がいかに多様であるか」を問い、
    ②その多様性の深層にある「人間としての共通性」を探求し、
    ③「文化的な多様性がどのように変容していくのか」を記述しようとします。

    一度、慣れ親しんだ自文化の世界から切り離され、異なる言語空間で生活する。そのプロセスを経て初めて、これまで当たり前だと思っていた世界が決して自明ではないことに気づかされる。文化人類学とは、知的な刺激に満ちた、実に興味深い学問であると感じました。

  • 文化人類学の入門書として読みやすくわかりやすい。すでに文化人類学を学んでいる人にとっては当たり前を切り崩す、までの衝撃はないものも、項目ごとに分かりやすくまとめられていて、改めて理解が進んだ。

  • 書店にてわりと真ん中に平置きされている台を眺め、学問系で読みたい本があったな…と思いつつも思い出せず、ペラペラ手繰ったら読みやすさ前面推し。
    結果、読んでよかった!特に瞠目したのは第7話「呪術と科学」の中で「運」は中国の陰陽五行説に関する概念だということ。”神秘的な因果関係”枠なんだ。。。第3話「贈り物と負い目」もなんとなく気になっていたことだし、第5話「儀礼と境界」のなぜ就活はあんなにつらいのか?の設問にも惹かれ納得出来た。
    『文化人類学』について初歩の初歩でも知ることができて良かった1冊。

  • 私の命を救った一冊です。
    特に、「努力」についてのお話はとても「読んでよかった」と思いました。
    お陰で、考え方を変えるきっかけになったのとと同時に、これまでの「生きづらさ」から救われた一冊です。

  • 表紙が良かったので買った。表紙に書いてある問いに興味を持った。けど、中身はそれほどでもなかった。

    当たり前なのかもしれないけど、表紙や目次にあるような問い達に対して、ずばっと答えが明示されているわけじゃない。要は、「日本では当たり前とされている感覚も、広い世界を見渡したら、当たり前のことじゃないのかもよ」と言っている。
    それだけ。
    タイトルにもあるからそこが一番重要なのは分かるけど、一冊使って伝えたいメッセージはそれだけなんだ……という肩透かし感があった。

    あと、挙げられている例がいわゆる「未開」のイメージのある場所ばっかりで、それだと「先進国の考え方は似る」という誤解に繋がりそうな気がした。

  • 見直すのではなく、
    あたりまえを切り崩すという表現に
    こだわる作者の気持ちが分かる。
    いい、悪いではなく、
    文化人類学を学ぶことで
    常識の崩壊に巻き込まれることを伝えたいんだね。

  • 家族、宗教、民族などの複数の切り口から、文化人類学という学問と、各国の文化の多様性、そのベースとなる思想、思考について学ぶことができる本。
    自分がもつ考え方は物差の一つにすぎず、言語や文化が違うだけでその物差しは大きく変わること。そして、自分の物差しが生み出す偏見なしにものを見ることが難しいことを自覚することの重要性と、見たいものしか見ていないのだからこそ、柔軟な思考をもつために、それを反省的にとらえる思考をつねに働かせることを忘れないようすることの大切さを学ぶことができた。

  • あたりまえとも思えないぐらい身体に染み込んでいるあたりまえが崩された。あまりにも自分が見ているもの、感じていることは世界のほんの一部なんだなと実感。
    特によかったのは「通過儀礼」についてと「宗教心」について。

    文化人類学、おもろしろい!色んな文化を知ってみたい。面白い風習とか文化の地域が世界にはたくさんあることを知れた。

  • 2025/06/09
    ツイッターで見つけなければ、この表紙でなければ(新書的ではない)読んでなかったと思う。中身は新書というか研究書な感じがする。表紙って大事やな。
    お題?にそって考えをコネコネしてるけど、答えはあまりでていない気がする。それが文化人類学?

    p113
    私達にとって土足で室内に入るというのは、どこか汚らわしいというイメージを喚起します。私達にとって室内で履かれる靴は「場違いなもの」なのです。しかし、多くの西洋人はそのように感じないのでしょう。これは私たちと彼らの内側と外側の感覚が違うことに関係しています。
    私たちは玄関を境に内側と外側を区切りますが、彼らはリビングまではまだ観念的には外側であり、寝室とリビングの間に内外の境界線を引きます。彼らにとってプライベートな空間はあくまで寝室であり、家族が集う場所であるリビングはもうプライベートな空間ではないということになります。

    p153
    日本のシューカツ(学生→社会人)はバンジージャンプ(子供→大人)のように通過儀礼。現代の就活がつらいのは、通過儀礼だから。通過儀礼における境界状況では、儀礼の参加者が周囲の人々から悪口や罵りを受けるといった現象が見いだせる

    p154
    社会人という単語は英語にはない。「社会にでる」と言ったときの前提には、子どもや学生、主婦、高齢者など経済的に依存している立場の人たちが家庭という領域から外に出るという意味が含まれています。
    英語圏では、このような日本語の「社会」とは異なり、すべての人はsocietyの一員だと考えられてます。
    →一単語で表せない英語の単語とかあるけど、これも同じやな。その領域に興味がないと分解されない。イカとタコを同じ単語で呼ぶようなもの?

    p165
    神社は森と村の境界線上に建てられることが多い

  • 自分の「あたりまえ」を切り崩す
    『文化人類学入門』を読んで

    最近、本を読んでいて強く感じるのは、年齢を重ねた今だからこそ、若いころとは違う引っかかり方をする本があるということです。
    この『文化人類学入門』も、まさにそんな一冊でした。

    文化人類学というと、どこか遠い国の珍しい風習や民族の暮らしを学ぶ学問のように思っていました。けれど読んでみると、むしろ問われているのは「相手」ではなく、自分の見方そのものでした。
    自分は何を当たり前と思い、何を自然だと思い、何を正しいと感じているのか。
    その足元を静かに崩されていくような感覚がありました。

    上に立つ人ほど、まず痛みを知れと思った

    この本の中で、私がいちばん面白いと思ったのは、首長の任命儀礼の話でした。
    新しく市長になる人が、村人たちから罵倒され、侮辱され、聖職者からも厳しい言葉を浴びせられる。しかも、それを恨んではいけないし、復讐してもいけない。読んでいて、なんともすごい仕組みだと思いました。

    なぜそこまでさせるのか。
    それは、上に立つ人間が権力を自分のために使わないようにするためでした。人の痛み、不満、怒りを自分の身で受けてからでないと、本当の意味で人の上には立てない。そういう知恵が、この儀礼には込められているのだと思いました。

    私はここを読んで、思わず「日本の政治家にもこういう儀礼があったらいいのに」と感じました。
    総理大臣でも、市長でも、会社の社長でもそうですが、上に立つ人ほど、人のつらさや理不尽さをわかっていなければいけない。ところが現実には、立場が上になるほど見えなくなるものもある。だからこそ、こういう“いったん下に置かれる経験”には、大きな意味があるのだろうと思いました。

    経営をしていても感じます。
    人の上に立つというのは、偉くなることではなく、むしろ自分を抑えることなのだと思います。自分の気分で人を動かさないこと。立場を使って押し切らないこと。相手の声の奥にあるものを聞くこと。
    この儀礼の話は、遠い異文化の話なのに、妙に今の社会や自分の仕事にも重なって見えました。

    「日本人とは誰か」と言われると、簡単には答えられない

    もうひとつ印象に残ったのは、「日本人とは誰か」という問いでした。
    普段、私たちは何気なく日本人という言葉を使っています。でも、この本を読むと、その境界は決して固定されたものではなく、時代や政治の力の中で形づくられてきたものだとわかります。

    アイヌや沖縄の話も、あらためて考えさせられました。
    同じ国の中にいても、もともとは異なる言葉や文化を持っていた人たちがいた。それが近代国家の形成の中で一つにまとめられ、同じ日本人という枠の中に組み込まれていった。そこには便利さだけでは済まされない痛みもあったはずです。

    私はこういう話を読むと、自分が普段どれだけ単純に物事を見ているかに気づかされます。
    日本人という言葉ひとつとっても、その内側にはいろいろな歴史や立場や感情が折り重なっている。にもかかわらず、私たちはつい、ひとつの言葉で全部をわかったような気になってしまう。
    文化人類学は、その“わかったつもり”を崩してくる学問なのだと思いました。

    疑うより、切り崩すという言葉が残った

    この本を読んで、私の中に残ったのは「疑う」より「切り崩す」という感覚でした。
    疑うというと、少し外から眺める感じがあります。けれど切り崩すという言葉には、自分の中にある思い込みを一枚ずつはがしていくような、もっと実感のある響きがあります。

    私たちは皆、自分なりの常識を持って生きています。
    それがあるから日々の判断もできるし、仕事も進む。けれど、その常識が強くなりすぎると、今度は自分を縛るものにもなる。見たいものしか見えなくなり、自分に都合のよい理解ばかりを並べてしまう。
    この本は、そんな自分に対して「その見方は本当に絶対なのか」と、やわらかく、それでいて鋭く問いかけてきます。

    私は年齢を重ねるほど、知識を増やすこと以上に、自分の思い込みをほぐすことのほうが大事なのではないかと思うようになりました。
    新しいことを学ぶというのは、何かを足すことだけではなく、自分の中にこびりついていた“あたりまえ”を少しずつ手放していくことでもある。
    文化人類学は、その作業を助けてくれる学問なのだと感じました。

    この本は、異文化を知るための入門書であると同時に、自分を見直すための入門書でもありました。
    人を理解しようとすることは、自分を問い直すことでもある。
    そう考えると、この本の面白さは、単なる知識の面白さではなく、思考を自由にしてくれるところにあるのだと思います。

    読後、すぐに何かが変わるわけではありません。
    けれど、自分の中の「あたりまえ」は少し崩れました。
    そして、その崩れた隙間から、これまでとは違う景色が見え始めた気がします。
    そういう本に出会えると、読書はやはりいいなと思います。

  • おもしろかった!

    贈り物のお返しをすることが客観的には交換に見えること、汚さの正体、家族と血のつながりの話が私には特に興味深かった。

    文化ごとの違いと、違う文化同士でも共通点があることが非常におもしろい。

    自分の当たり前が必ずしも他者や違う文化における当たり前でないことはなんとなくわかったつもりでいたけど、きっと全然わかっていなくて、この本を読んで自分の「べき」みたいなところが少し緩んだ気がして楽になった。
    ☆4.0.

  • 著者が大学で行った講義をもとに再構成された、文化人類学の入門書。
    文化人類学。ぼんやりとイメージは沸くけれど、体系的にどんな学問か?と言われるとよく知らない。そんな素人の私にぴったりの一冊だった。

    構成としては、1~8章が各論で、9章がまとめ。
    身近な「当たり前」をテーマに、それって本当に当たり前?という問題提起から始まり、具体的な反証例をいくつか引き出しながら、文化人類学の古典的な理論に触れつつ、最後には「文化人類学的なものの考え方」で締めくくる。
    各章この分かりやすい構成の積み重ねで非常に読みやすい。
    その具体的事例を通して、文化人類学者の調査・研究方法(フィールドワーク→問いの発出→理論化)がよく理解できるつくりになっている。
    そして、8章分読んで概ね読者の頭に文化人類学のイメージが出来てから、終章に「文化人類学とは」をもってくるのは実に構成が上手。

    文化人類学は、人間文化の多様性を肌身でもって感じ、一度日本人としての自分が持っている常識を取り払いながら、最後には共通点を探して理論化していく、なかなか面白い取り組みだと感じた。

    残念ながら個人的には、本書で取り扱われた個別のテーマにはそこまで深い関心を持てなかったものの、この大和書房×早稲田大学の「学びの杜プロジェクト」シリーズについては、他の本も読んでみようと思わせるくらい見事な構成の入門書だった。

  • タイトル通りだが、だいぶ入門向け。
    中高生からでも読めるかな。

    文化とは、「自らが意識していない慣習、習俗」との定義である。
    夫婦、親子、家族、親族と言う定義における血縁の有無などはその最たるものか。
    客観的に何が正しいかは不明ではあるが、個々の民族で正しいと信じられてきた慣習がある。

    日本では長らく家父長制が維持されてきた。親の財産は基本的に長男にのみ相続され、次男以降は婿に出るか、長男の家来となって一生仕えるか。娘は当然、他家に嫁ぐかの選択であった。
    財産を分割するものは、「たわけ」と言われ、忌避された。

    ただし、他国、他民族ではそれが全てではない。女系に財産を相続するものもあるのだ。子を出産出来るのが女性だけと考えれば、生命の源は女性との考えも妥当である。

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著者プロフィール

1977年東京都生まれ
早稲田大学文学学術院准教授
専門は文化人類学、フィールド教育論。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
博士(文学)。東洋大学社会学部助教、専任講師、准教授を経て、2021年より現職。
著書に『フェアトレードの人類学――ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合』(めこん、2014年)、『人類学者たちのフィールド教育――自己変容に向けた学びのデザイン』(二文字屋脩・小西公大との共編、ナカニシヤ出版、2021年)がある。

「2022年 『新大久保に生きる人びとの生活史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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