安楽死の医師 自ら「死」を選んだ患者と家族に起きたこと

  • 大和書房 (2025年1月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784479394433

みんなの感想まとめ

尊厳死や医療介助死について、医師の視点から深く掘り下げた内容が展開されています。著者は、さまざまな患者のケースを通じて、安楽死の理想と現実、そしてそれに伴う教訓や課題を語ります。特に、カナダの法整備の...

感想・レビュー・書評

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  • 体験談。

    簡単な話ではないこと、常にしっかり考え、話し合っていく必要がある話題。

    日本も認められる時が来るのか分かりませんが…

  • 「安楽死」とは、<助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること[広辞苑 第七版]>を指す。
    消極的に、治療を行わず、死に至らしめることもあるが、積極的に、医師の介入により致死薬を投与することもある。医療者が患者の死を介助する制度は、本書の訳者あとがきによれば、現在、世界12ヶ国以上に存在するという。
    本書の著者はカナダの医師。カナダでは2016年に医療介助死(MAiD:Medical Assistance in Dying)が合法化された。著者はこの制度の初期から、精力的に医療介助死に携わってきた。
    本書では、著者が介助した安楽死患者のそれぞれの事例に合わせて、著者がどのようにMAiD担当医となったかの経緯も記し、<よりよい死>についても考察する。

    著者は元々、ホームドクターであり、「ゆりかごから墓場まで」の総合医療を目指していた。ところが、現代の細分化された医療では、病状が深刻になると患者は手を離れ、大病院やホスピスなどに収容されてしまう。患者を最期まで看取ることを理想の医療とする著者は、合法化されたMAiDに携わることにする。

    死を望む患者たちの状況はさまざまである。あるものは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、あるものは認知症になって正常な判断ができなくなることを恐れ、あるものは若いながらも難病に長年苦しんでおり、あるものは高齢の末期癌患者である。
    このまま苦しんでただ死を待つよりも、安楽死を望んでいる。

    もちろん、安楽死が合法的であるとはいえ、そこには要件がある。「カナダの公的医療サービスを受ける資格がある」「18歳以上で意思能力がある」「治療の難しい重篤な病気を患い、自然死が合理的に予見できる」「医師の説明があり、患者が自発的に安楽死を希望している」といったものだが、往々にして問題となるのが、「自然死が合理的に予見できる(a person’s natural death is reasonably foreseeable)」:RFND要件と呼ばれるものである。自然死が合理的に予見といっても、それは1ヶ月後? 1年後? 特に高齢の患者ならば、死は遅からず訪れるだろうが、どこまでを「合理的に予見できる」とするのだろうか。このあたりは現在も制度の検討が続いているようである。

    安楽死は期日のわかった死である。理想的には、患者と親しい人々が別れの言葉を交わし、そうした人々が見守る中で穏やかに死を迎える形になる。けれど、理想的な安楽死ばかりではない。
    家族が安楽死に反対している場合もあるし、親しい人が存在しない場合もある。
    がらんとした殺風景な病室で介助医療者と患者だけということもある。

    医療介助死は、介助する医療者側への負担も大きい。著者は元々、かかりつけ医が自分の患者を看取る形を理想としていることもあり、多くの仲間を得たいと考えているが、長年活動してきて、MAiD担当医となった知人は数人程度という。

    あまりにもMAiDの適用範囲を広げてしまうと、積極的に患者を死に至らしめすぎてしまう危険もある。例えば、精神疾患や認知症のように、本人の意思を確認しにくいような場合は慎重を期す必要があるだろう。

    翻って、日本にこうした制度が定着するかどうかはなかなか難しい問題で、導入されるとしても多くの議論が必要になるだろう。
    どういった論点があるのか、どのように社会全体の合意を図るのか、さまざまな視点を与えてくれる1冊。

  • 『#安楽死の医師』

    ほぼ日書評 Day919

    大変に重いテーマだが、読む価値のある一冊。

    カナダで "安楽死" を認める「死への医療的援助法(MAiD)」が成立したのは2016年。
    著者は、医師として同法に基づいた "死の介助" を多くの人に提供して来ており、死を望んだ人たちに自らがどのように臨んで来たかを物語る。

    当初のMAiDの要件は以下の4つ。
    ・病気、疾患、または障害が申告で治療が見込めないこと
    ・能力が不可逆的に低下し続けていること
    ・耐え難いほどの身体的または心理的苦痛が継続しており、患者が許容できるいかなる方法によっても軽減でいないこと
    ・自然死が合理的に予見されること(RFND: reasonably foreseeable natural death)

    これに該当するのは、末期がんやかつてのAIDSのような「遠からぬ死の宣告」に等しいような病いが想像しやすいが、脳に損傷を受け自分の身の回りの世話も人とまともに意思疎通することもできない人、肺の疾患で酸素吸入を止めた途端に窒息死するしかない難病等、さまざまなケースがあり、本書でも著者自身が経験したさまざまな例が語られるが、いずれの場合も単に "安楽死" と呼ぶよりも、"尊厳死" と呼ぶのが相応しいように感ぜられた。

    なお、このうち4番目のRFND条項については「合理的」「予見」の定義があいまいであり議論もあって2021年に外されることとなった。

    また、2023年からは「事前要請(アドバンスリクエスト)」を合法化した。患者がMAiDの要件を満たしていない段階に提出することができ、その後意思決定能力を失い、同意表明ができなくなっても、当初の意思が尊重される仕組みだ。

    一方で、容易に想像されるのが、MAiDを提供する医師にとってのリスク。多くの人の命を奪うことで、「心が壊れる」ことや「燃え尽きる」ことも懸念されるという。
    オランダではホームドクターがそうした対応を行うため、キャリアを通じての平均対応数は5例ほど。ただ、広く薄くすることが必ずしもこのリスクを低減することならつながらないのは言うまでもない。

    緩和ケアと介助死のいずれを選択するか。
    耐え難い痛みを完全に(副作用等もなく)緩和できる治療法が開発されたら、介助死は不要になるのか。
    余命3か月を宣告された人が、4か月命を長らえたことに希望を見出している例もある。
    さらに、万が一にも、支援策を探すよりも死んでもらったほうが楽という理由でMAiDが選択されることがあったら…。
    議論は尽きない。

    が、MAiDが合法化される以前には、最近話題のフェンタニル(強力な麻薬)の致死量を違法入手することで自死を図ろうとする例もあり、また自死を思いとどまった例でも、「今より酷い状況になることが怖かっただけ」という声も多い。

    こうした葛藤の中、著者はMAiDの意義を次のように締めくくる。

    死の介助が受けられるという事実が、多くの人の孤独で、おぞましい最期を迎える恐怖を和らげ、死ねるという「保証」が生きる力を与えることになるのだ。

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  • 【目次】

    プロローグ:ヨランダが逝く朝

     第1章 「死に方」を自分で選ぶ時代
    「死の介助」が合法になった日
    死を願う患者の声
    病院で緩和ケアを学ぶ
    在宅と施設で緩和ケアを学ぶ
    訪問看護師と家族による介護
    はじめての「医療介助死」に立ち会う

     第2章 ジョー
    ルー・ゲーリッグ病、またの名をALS
    「悲しむんじゃなくて手を貸してくれ」
    手探りの準備
    明るい部屋での別れ
    ヒポクラテスの誓い

     第3章 アイリーン
    患者が死の介助を求める理由
    家族に愛を注いだアーティスト
    死の決意と逡巡
    最後の水彩画
    消えない不安

     第4章 アシュリー
    28歳の決断
    難病と性自認に苦しむ
    本当の自分の姿で
    患者の希望に寄り添うための努力
    死にゆく人に寄せる家族の思い
    人生を取り戻す医療介助死

     第5章 緩和ケアと医療介助死
    独学プログラムの無念の延長
    理想的なホスピス
    わたしが看護師から医師に転身した理由
    孤独な寝たきり状態を避けたい
    本当に選択肢はないのか

     第6章 シーラ
    言葉を失いかけていた女性
    忍び寄る認知能力の衰え
    認知能力の低下と医療介助死
    自分が自分でなくなったら
    たとえ時間を戻せても

     第7章 ソー
    屈強な男の決断
    自死と医療介助死
    却下するしかなかった申請
    医師たちのサポートグループ
    「予見できる自然死」と「耐えられない苦痛」
    思いがけない展開

     第8章 トム
    病気とは別の苦痛
    手術に次ぐ手術
    車椅子の恋
    「もちろん生きていたいさ」
    責任の範囲を超える提案
    失敗に次ぐ失敗
    訪問ヘルパーが唱えた異議
    死因はわたしたち全員にある

     第9章 ヨランダ――死ぬ決意
    100万人に1人の病
    自分が何者であるかは自分が決める
    病気というフルタイムの仕事
    さよならを言う時が来た

     第10章 死を介助する医師の苦悩
    仲間たちが集まる場所へ
    理想と現実のギャップ
    ハイリスク医療
    壊れかけている自分に気づく
    よみがえった三つの記憶
    「バックパッキングの女王」
    わたしを支えてくれるもの

     第11章 ヨランダ――彼女が望んだ死
    「残された時間は、生きるためだけに使いたい」
    「死ぬときぐらいゆっくりさせて」
    死にゆく人がまわりの人に望むこと
    死後の世界
    「その旅に出よう」
    命を褒め称える医療介助死

     第12章 死の介助から学んだこと
    人びとは医療介助死を望んでいる
    「老い」は医療介助死の理由になるか
    高齢者を「死を待つ人」にしてはならない
    患者は本当に死を望んでいるのか
    死ぬ日を決めることで絆が強まる
    緩和ケアと医療介助死は同じ方向を見ている
    方法を学ぶだけではできない仕事

     第13章 「良い死」を求めて
    最善の時を選ぶ
    家族や友人とともに過ごす
    どこまでを医師の仕事とするか
    死を願う人が急増する社会
    最後の最善の判断
    患者の声に耳を澄ます

     エピローグ:これからの医療介助死
    変わることと変わらないこと
    「最終同意の免除」と「事前要請」
    認知障害がある患者の場合
    精神疾患がある患者の場合
    希望が持てる変化
    これからの医師に望むこと

  • 医療介助死の提供に携わる医師が、それを望む(または望まざるを得なくなった)患者の様々なケースを通し、尊厳死の理想と現実、教訓と課題を語る。生きることが最大の苦痛になった時、我々は彼らにどう相対すべきなのか。法整備が進むカナダでは、医療介助死を受ける資格や段取りが妥当性ある規約で定められており、(安楽死が合法でない日本なら)殺人という暗い側面は感じられない。無論著者の主観はあるにせよ、著者自身の苦しみも含め、全般に肯定的に読める内容で、それが法的に未整備状態の方に遅れを感じるほど。国内で医療介助死を導入したならリソースと負担は当然生じるが、それは末期治療も原則同じはあり、何が人間らしい「生き方」かを決めるのは本人だけ、である筈と思う。

  • 安楽死を医師の視点から書いた著。
    オランダ、スイス、カナダと安楽死と一口に言っても考え方、制度は違うようである。

    ただ、医師の心労は変わらない。ホームドクターに看取られたいとう患者の気持ちもわかるし、看取らなければいけない医師の負担も大きい。

    患者視点で書くのはしんどいのは難しいのはわかるがそういった本も読んでみたい。

  • 2016年にカナダで合法化された安楽死(MAID)に携わってきた医師ジーンが、希望者と向き合うなかで感じた思いや葛藤、そして要件判定の難しさを語る本。とくに認知症患者シーラのケースは、介護の現場で働いていた私の経験とも重なり、未来の自分にもどこか通じているようで、身近に感じた。

    10章では、ジーン医師の心がゆっくり摩耗していく様子が描かれる。死刑執行では負担を軽くするため複数人でボタンを押す仕組みがあるのに対し、MAIDでは判断も実行もすべて医師一人に委ねられる。ジーン医師のように強い信念を持ち続け、他人の最期に真正面から向き合い続けることは、誰にでもできることではない。

    エピローグでは、生活の質を置き去りにした長寿が、多くのMAID要請の背景にあると語られている。だからこそ、生活の質を伴う長寿を実現するために、国が全力を尽くす必要がある。誰もが単なる長生きを望んでいるわけではないという事実と、医療の進歩によって「簡単に死ななくなった」ことで生じた長寿という現実。その間にある溝を埋めようとする人々の姿に、深い尊敬の念を抱いた。

    学生ボランティアとして日本尊厳死協会の講演を聞いた経験があり、そこで語られていた「延命治療を断る権利」が、本書の内容と自然に結びついた。
    この本の訳者・御立英史氏のあとがきにあった「医療費削減という意図で取り組むなら、医療介助死は醜いものになる」という一文。もし日本で医療介助死が導入されるなら、どれほど美しい言葉が並べられていても、その裏に医療費削減の意図が潜む可能性は否定できない。そんな懸念を率直に抱かずにはいられなかった。

  • 「安楽死が合法の国で起こっていること(児玉真美)」関連本。
    カナダで医療介助死に携わってきた女性医師と患者の記録。

    良い死とはなんだろうと考えさせられる。
    家族や友人に見守られて亡くなる事例をみると、それはとても良い死のようにみえる。
    しかし、家族の負担になる前にとか困窮する前にとかいった理由が垣間見える事例もある。もう死んだほうがよいのではという無言の圧力もありうるだろう。

    著者は患者の声を聞くとともに、最新の医療と法律とケアを学び続けていて、このようなホームドクターを持てると幸せだろうと思う。
    医療介助死の先進国カナダでさえ、ここまで時間と労力を割いてくれる医師がいてはじめて成り立つようにみえる。しかし、すべての医師がすべての患者にこういう対応はできないだろう。医師の負担は大きく、医師の良心に依存する制度であると痛感した。

  • 2025.10.28 ★3.3

    カナダにおける安楽死(医療的介助死)の現状をカナダの医師が書いたドキュメンタリー。

    医師自身が担当した医療的介助死の様々ケースが書かれており非常に読みやすかった。
    また、医療介助死に望む医師や周りの人々のメンタルや法律的問題も書かれており現実問題として受け止められる。

  • 2025/09/25
    カナダで医療介助死(MAid=メイド)を行う医師。救命が全てだと思っているだろう医師が死を望む人のため実行する、その葛藤はどれほどのものだろう。並大抵の精神力では保たない。スイスのディグニタスで幇助していたエリカ医師が長期間続けられたのは自身の後悔からだと読んだことがあるが、真面目に深く考える人こそ自分が壊れてしまうのだと感じた。ホームドクターが最期まで、という考え方は素晴らしいと思う。日本にもホームドクター制度が欲しい。

  • ふむ

  • カナダで安楽死を提供する医師が、自身が担当した患者さんのこと、安楽死が承認されている国で起こる問題などについて記述された書籍。スイスに渡り安楽死を遂げた日本人のドキュメンタリーや、ALS女性に対する嘱託殺人などの報道を見る限り、日本においても切実に望んでいる人がいることは間違いがないと思う。この問題をもっと議論し深めていく必要があると感じた。安楽死を提供される患者はそれが決まった時にようやく解放される、と安堵する。その安らぎを与えるのも医療だと思う。『安楽死は命を終わらせるためのものではなく、その人の命を褒め称えるためのもの』と記されている。安楽死が合法化された国で、実際の死亡数に対する安楽死の割合は2-4%程度のようだ。決して多くはない患者数であるが、その望みは極めて切実で、その声に耳を傾け、最期までの大事な時間を国内で穏やかに過ごせるような医療を提供することは大事だと思う。

  • こんな制度が日本にも欲しい。ボケが避けられないとしたら、そうなる前に医療としての死を与えられる制度が必要だ。人としての尊厳ある死が迎えられることが絶対的に必要だ。

  • 5月新着
    東京大学医学図書館の所蔵情報
    https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2003729875

  • カナダで2015年の最高裁判決により2016年から合法化された「医療介助死(MAiD)」。MAiDを行ってきた80代の女性医師が書いたMAiDの進展と患者の物語。著者はMAiD合法化のニュースを聞いて(自分には知識・経験もなく、まだ研修プログラムも存在しないため)自ら自習計画を立て、自ら連絡して研修に赴き、医療介助死協会設立にも関わってきている。まず70代にしてその前向きな意欲に頭が下がる。
    患者の物語を読むと医療介助死の重要さが身に染みて感じられる。必ずしも医療介助死を選ばなくとも医療介助死できるということが人生の最後を豊かにできる。また、それとともに医療介助死に携わる医師を始めとする関係者の悩み、ストレスも大変なものだと理解できる。医療介助死が定着している国でも死のなかで4~5%とのことで、きちんとチェックが働く制度が構築できれば濫用されるものではないとも思える。
    当初のMAiDの要件は以下の4つ。
    ・病気、疾患、または障害が申告で治癒が見込めないこと
    ・能力が不可逆的に低下し続けていること
    ・耐え難いほどの身体的または心理的苦痛が継続しており、患者が許容できるいかなる方法によっても軽減でいないこと
    ・自然死が合理的に予見されること(reasonably foreseeable natural death)
    このうち4番目のRFND条項については「合理的」「予見」の定義があいまいであり議論もあって2021年に外されることとなった。

    The Last Doctor
    Lessons in Living from the Front Lines of Medical Assistance in Dying

    【目次】
    プロローグ ヨランダが逝く朝
    第1章 「死に方」を自分で選ぶ時代
    第2章 ジョー
    第3章 アイリーン
    第4章 アシュリー
    第5章 緩和ケアと医療介助死
    第6章 シーラ
    第7章 ソー
    第8章 トム
    第9章 ヨランダ_死ぬ決意
    第10章 死を介助する医師の苦悩
    第11章 ヨランダ_彼女が望んだ死
    第12章 死の介助から学んだこと
    第13章 「良い死」を求めて
    エピローグ これからの医療介助死

  • 安楽死にカナダで最前線に立って関わる医師の記録。
    すごく考えさせられた。
    日本での安楽死の導入には大変なことがたくさんあると思うけれど、自分は安楽死が認められる世の中になってほしいし、自分も人に頼らざるを得なくなった時に、選択肢としてあるといいなと思ってしまった。
    医療の発達により、生きること、死ぬことも自然に任せられなくなっている世の中で、自分で決めることが尊重される方法ではないかと思った
    突然ではなく、決められた日に周囲に感謝を述べて、見守られて、人生を終えられることはある意味幸せの一つなのではないか。

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