悪の哲学: 中国哲学の想像力 (筑摩選書 43)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 121
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480015433

作品紹介・あらすじ

この世の悪は、一人ひとりがその行いを改めれば払拭できるものだろうか?自然災害に見舞われ、多くの人が苦しめられているとき、そこに悪の問題はないのだろうか?孔子や孟子、荘子、荀子などの中国古代の思想家たちも、悪という問題に直面し、格闘してきた。清代にいたるまでの、そうした悪をめぐる哲学的思考を辿りなおし、その可能性と限界を描き出す。悪にあらがい、その残酷さを引き受け、乗り越えるための方途を探る哲学の書である。

感想・レビュー・書評

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  • 近年、性善説、性悪説というのが気になっていた。

    そもそも人間の本性は善か、悪かという議論は、なんだか、古いテーマな感じで、利己的か、利他的かというのと概ね同じ議論ではあるんだけど、多分、利己、利他という表現を使うと、進化論とか、脳科学とか、心理学とか、ゲーム理論とか、その辺を読めば、もう結論はでちゃっている感じがしているし、興味はあるのだけど、どっちかというと知的な理解の問題になるんだと思う。

    わたしの感覚では、やっぱ善か、悪か、というのがやっぱふさわしい感じがしている。だけど、このテーマに付き合ってくれる人がいなくて寂しかった。

    そういうなか、やっとわたしの問題にしっかりフォーカスしてくれた本に巡り合った。

    人間のあらそいごとって、一種の「正しさ」からくると思う。自分がなにかを正しい、正義だ、つまり、善であるということからくる。

    自分が善だと考えるので他者が認められない。

    だったら、どうすべきかというと、正義とか、善とか、悪だとか、固定的に考えるんじゃなくて、もっといろいろな意見の多様性を共感をもって認めていこうという話しになる。

    ところが、なにが正義かという基準がなくなると、なんでもいいことになって、これはこれで困ってしまう。なにか共通のルールなり、価値観がないと社会はなりたたない。

    極端な話し「人を殺してはいけない」というのはかなり世界共通のルールだと思うが、これすら「戦争」とか、「正当防衛」とか、「死刑」とか、「中絶」とか、結構な幅がある。

    時代を遡れば、「他の部族だったら」とか、「神への生贄」とか、「王が死んだから従者も」とか、「夫が死んだら妻も」とかあったわけだし、さらには「御婆捨」とか、子供の「間引き」とか、さまざまなものがあった。

    「人殺し」というかなり人類共通に思える規範についても、社会とか、歴史的に結構な多様性があることがわかる。

    そこで、「科学的」になにか基礎付けるものがないかという議論になるかもだけど、これも怪しい。たとえ、ある程度、科学的になんらかの共通のものが「人類のDNA」とかから見出せたとしても、それが社会的に正しいという価値判断の根拠にはならない。

    というわけで、どう考えればいいのか〜と思っていて、性善説とか、性悪説とか、中国の古典が気になっていた。

    それは、中国はあんまり超越的な神様、人格神的な一神教から遠くて、人間の現実の社会ということを考える傾向があるから。神なき世界でどう人間は善な社会をつくることができるか?という話。

    そういう問題意識にぴったり合った本。かなり納得しました。(答えはないんだけど)

    この本がどういう議論なのかは自分のなかでもうちょっと熟成したい。中島先生の本をもう少し読んでみることにする。

  • 中国の思想哲学では悪に関しての考察が薄いという批判があるがそんなことはないという話。
    朱子学や陽明学、遡って老子や孔子、荘子、孟子、荀子がいかに人間の善悪を扱ってきたか。善悪という観点から読み返すとそれぞれの哲学の展開の仕方の違いがまたわかって勉強になる。

  • 「悪」をどのようにとらえ扱おうとしているのかという観点から、中国の思想史を読み直している。時系列に沿って記述されているわけではないので、ある程度中国思想史についての知識が必要であると感じた。著者は、最終章に置いた荀子の思想に共感しているように読める。実際読んでみて荀子の思想に興味を持った。

  • 「哲学」と銘打った本を手に取るのは「中学生からの哲学「超」入門」を除くと初めて。。
    とてもじゃないが、一回通し読みしただけでは歯が立たない。12頁に『3・11なかでもフクシマをもたらした災厄は巨大な悪である』とあるのが非常に気になっている。色々な解釈が可能な文脈なので著者に真意を聞いてみたいものだ。

  • 【配置場所】工大選書フェア【請求記号】122.04||N【資料ID】91123551

  • 日経書評より引用。

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    「悪」という哲学の根本問題を取り扱う。

    「3・11」「フクシマ」という巨大な「人為」災害を受けて、我々は、人間の独善的論理が暴走した際の悪について深い反省を迫られた。古代にそのヒントを求めようとする思索は興味深い。

    古代中国は、「天災と人災にたえず苦しめられた時代」であり、「悪を考えるための恰好(かっこう)の時代」。孔子、孟子、荘子など多くの思想家の言説であるが、とりわけ読者にとって興味深いのは、性悪説を説いた荀子であろう。

    我々は、これまで、この性悪説を孟子の性善説の対極にあるものとして、あまりに単純に考えてきたのではないか。荀子の性悪説は、孟子の性善説のアイデアを充分に継承しつつ、道家の荘子の批判を乗り越えるところに成立したもの、そして、礼と作為的努力によって自然を変形し、悪を防ごうとするものであった、と指摘する。

    読者に求められているのは、古代中国哲学と現代社会とをつなぐ豊かな創造力に他ならない。
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    「荀子の性悪説を孟子の性善説の対極として、単純に考えてきたのでは」という指摘がぐさりと胸にささり、謙虚に見直そうという気持ちになりました。

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著者プロフィール

東京大学東洋文化研究所所長、同教授

「2024年 『日本の近代思想を読みなおす3 美/藝術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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