世界正義論 (筑摩選書 54)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480015587

作品紹介・あらすじ

世界では今、貧困が原因で一日に五万人近い命が失われている。他方で二〇〇三年には超大国アメリカが、恣意的な口実でイラク侵攻を正当化し、非戦闘員を含めて少なくとも十万人ものイラク国民が戦死している。世界貧困という巨大な問題が放置され、自国に有利な「正義」が跋扈する現代世界。国ごとに「正義」が異なり、国境の内外でも異なるという現実。こうしたなかで、「国境を越え、覇権を裁く正義」としての世界正義はいかにして可能か。本書は、この問いを原理的・包括的に探究する法哲学の書である。

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  • 世界正義(Global Justice)について、その理論的な可能性を探ったもの。世界正義は国家内を始めとする、単一の社会の中における正義とは別の難しさがある。例えば国家内であればある程度の文化的共通基盤があるし、法制度を始めとする強制力もある。世界正義においては、大きく異なった複数の文化があり、また(現状では)強制機関もない。著者はそうした困難な議論状況の中で、決して世界正義の成立を諦めることなく、様々な論者の見解を検討しつつ可能性を探っている。本書は専門的な議論をしているが、根本的なところから論を立てているので、この領野に詳しくなくとも読める。なお、世界正義論であって国際正義(International Justice)論でないのは、単に国民国家間(inter-nation)でなく、多国籍企業と世界経済、国際NGOなど国家以外の場面でも正義が論じられるからである。

    著者は世界正義についての二つの極論の間を縫っていく。一つは国境を超えた正義など無いとする価値相対主義であり、もう一つは自国が正義と考えるものを他国に強制する覇権的正義である。前者の価値相対主義は、著者によれば倫理的自己欺瞞に陥っている(p.18)。それは、国境の内側の人々に対してなされれば不正義だとするものを、国境の外側の人々になされれば不正義ではないとし、その差別を行うことは正義に適っていると主張する。これは価値相対主義という主張そのものが価値相対であるとして切り崩されるというおなじみの批判と捉えることができよう。覇権的正義については、著者の舌鋒は鋭い。これは典型的には、「中東に民主主義をもたらす」としたアメリカのイラク侵攻を考えている。著者はアメリカが自国利益を優先した結果の正義の二重基準を厳しく指弾する。アメリカはイラク・アフガニスタンへの侵攻で3兆ドルを超える軍事費を使っているが、その一方でFAOによる飢餓削減への支出を渋っている。イラク侵攻で支出した軍事費のわずか10日分ほどであるのに。これは「自国権益を優先させる二重基準的恣意という、正義理念の蹂躙」(p.54)である。こうした議論状況から、世界正義という理念をまともなものとして救い出さなければならない。なお、正義の理念そのものは本書の直接的な議論対象ではなく理解を前提としているが、手短に言えば自他の位置および視点の反転可能性であるとされている(p.55,127)。

    世界正義を論じる視座として、著者は5つの問題系を拓いている(p.33-48)。(1)メタ世界正義論。世界規模での正義を論じることがそもそも意味のあるものかというメタ議論。現代の法哲学では、国内正義との別の基準を世界正義に適用したロールズの見解が注目されており、これを論駁することが主眼となっている。(2)国家体制の国際的正統性。ある国家が他の国家によって承認されるための根拠は何か。世界正義は国際正義ではないとはいえ、世界正義の適用場面においては国家というプレイヤーが圧倒的に重要性を占めている。文化や人権への考え方が違えど、国家として相互承認する根拠を探る。(3)世界経済の正義。主に世界規模での分配的正義を巡る論点で、貧困国を救済する義務、植民地主義等の歪みを補正する義務などの根拠が問われる。(4)戦争の正義。戦争に訴える正当性を巡るもので、近年では人道的介入の可能性として匡正的正義の問題として新たに浮上している。(5)世界統治構造。世界正義を実現するための国家間構造について。少数の国家が覇権を得るのではなく、かと言って不正義をなす国家に対して何の手立てもない国家間構造でもない世界秩序とはなにかについて。著者の見るところ、これら5つの問題系をバランスよく検討することが世界正義論には必要である。例えば(2)について市民的政治的人権の保障をしない国家は正統性がないとして、直ちに・短絡的に(4)国際的な強制介入が正当化されると考えるのがネオコンであるし、まったく逆に(2)市民的政治的人権の保障を国家の正統性から外してしまい、(4)強制的介入の不正義を説くのがロールズの「節度ある階層社会」である(p.49ff)。

    ここから先はこの5つの問題系に従って著者は微に入り細に入り有力な議論を検討していく。印象に残った議論だけをピックアップしておく。まず、国家の正統性については3つのポイントを挙げている(p.135,155)。(1)まず正統性と正当性の概念的区別の上で、正義を志向している体制であることが正統性を生む。そもそも正義を志向していない国家は正当性を持っても正統性を持ち得ない。(2)正義志向性の制度的保証には統治者と被統治者の反転可能性と、少数者の保護が必要(勝者と敗者のフェアプレー)。統治者が正義を志向しなくなった場合にそれが被統治者によって修正できること。(3)正義志向性に含まれる基幹的人権保障は、国内的だけでなく国際的にも国家の正統性をなす。国内に不正義を修正する仕組みがあるからこそ、国際的には不介入が求められることになる。

    また、世界経済の正義についてはトーマス・ポッゲの制度的加害是正論を中心に検討されている。それは、世界貧民の原因の重要な一部は先進国諸国が押し付けているグローバルな世界経済制度にあり、先進国はこの制度を媒介とした世界貧民への加害を是正する匡正的正義上の責務を追っているとするものである(p.194)。こうした制度的加害是正論は途上国の自己責任にすべてを負わせるものでもなく、かといって先進国に自らの範囲を超える義務を負わせるものではない。それは途上国・先進国お互いの責任を分離し、自己責任に帰せるものがあるからといって制度的加害を否定する欺瞞を除去するものである(p.242)。ただし著者はポッゲの議論を諸手を挙げて歓迎しているわけではなく、先進国の積極的支援義務を合わせることにより、世界経済の正義をより強化しようとしている(p.243-249)。

    さらに、戦争の正義について、戦争原因の正・不正が区別しうる/し得ないという差別化/無差別化の視点と、戦争は政治の道具として結果が良ければ良い/結果がどうあれ戦争は許されないとする手段化/非手段化の視点から、戦争の正義論を4類型に分類する考え方が目に止まった(p.281f)。その中で絶対平和主義(ガンディーやルーサー・キングなどの絶対非暴力主義)は無差別化・非手段化として位置づけられている。これは一般的に無力な正義観とされるが、相手と絶対的な軍事力の差がある時にはむしろ政治的に有効(自分の弱者性を強調すること)であるとされている(p.294f)。

    世界統治構造については中途半端なサイズの国からなる諸国家のムラが結論となっていて(p.376f)、これは他書ですでに読んだところである。その中では国際NGO批判の一環で、女子割礼は文化的アイデンティティと身体の自由の問題ではないとする批判が目を引く。こうした考えは市民的、個人的人権保障しか見ていない。女子割礼なくして女性がまともに生活できる社会を作ることが大事なのであり、社会経済的人権保障が必要だと説いている(p.347ff)。

    最後に。世界正義を論じることは単なる法哲学上の言葉遊びではない。いかに議論の正当性を訴えても実際は覇権的国家に左右されてしまう。それでも法哲学の意義について、著者は以下のように語る。
    「世界の心は一つではない。様々な利害が対立し、さらに、かかる利害対立を構成に調整する価値原理、すなわり正義についての人々の判断も様々に分岐し、鋭く対立している。この対立を解決するのは容易ではない。永遠に不可能かもしれない。しかし、世界正義をめぐる思想の対立が持続する中で、日々厖大な数の人々が貧困にあがき、苦しみ、死んでいる。この状況に対して哲学は無力に見えるかもしれない。「哲学の貧困」を嘲笑するマルクスの声が地下から響き渡ってきそうである。しかし、哲学にできることがある。問題を隠蔽し、問題に対する我々の責任感覚を麻痺させ、問題を再生産する世界の現実をまことしやかに合理化する諸々の欺瞞を、哲学自体の欺瞞をも、批判的に剔決することである。見たくない問題を直視し、問題を解消せず解決しようとする我々自身の知的廉直性と倫理的誠実性の回復を試みることである。」(p.267f)

  • ふむ

  • グローバルジャスティスについての書。索引がないのがつらいが、よく読んで勉強する必要あり。著者よりいただく。

  • 【目次】
    目次 [003-009]
    まえがき 013

    第一章 世界正義論の課題と方法 023
    第一節 世界法の理論から世界正義の理論へ 023
      1 「世界法の理論」の問題性 024
      2 世界正義論の危険性と不可避性 027
    第二節 世界正義の問題系 033
      1 メタ世界正義論――世界正義理念の存立可能性 035
      2 国家体制の国際的正統性――人権と主権の再統合 037
      3 世界経済の正義――世界貧困問題への視角 039
      4 戦争の正義――国際社会における武力行使の正当化可能性 043
      5 世界統治構造――覇権なき世界秩序形成はいかにして可能か 046
    第三節 複眼的・包括的接近の必要 049

    第二章 メタ世界正義論――世界正義理念の存立可能性 057
    第一節 世界に「正義の情況」は存在するか 059
      1 正義の情況 059
      2 限定的利他性と国益優位論 060
      3 脆弱性の共有と国力格差 068
    第二節 平和は正義に優越するか 074
      1 「正義の原罪」批判としての諦観的平和主義 074
      2 不正最小化原理としての諦観的平和主義 078
    第三節 内と外の二重基準は正義に内在するか 084
      1 内在的限定論 084
      2 分配的正義の境界としての社会的協働 086
      3 国家的強制固有の正当化原理としての正義 096

    第三章 国家体制の国際的正統性条件――人権と主権の再統合 113
    第一節 世界正義の問題としての国家の正統性 114
      1 実効支配還元論 114
      2 正義と正統性との切断論 118
      3 正義志向性としての正統性 122
        (1) 最小限人権論 
        (2) 正義概念基底化論 
    第二節 ロールズの「節度ある階層社会」承認論の問題性 136
      1 政治的リベラリズムへの転向と「諸人民の法」の理論 136
      2 「節度ある階層社会」承認論の論理的破綻と欺瞞性 141
      3 寛容拡大論の倒錯性 147
    第三節 国際的特権付与としての国家体制正統性承認の規範的前提条件 150
      1 主権と人権の内的結合――世界正義におけるその含意 150
      2 正統性承認条件としての市民的政治的人権 157
      3 正統性承認問題から世界経済正義問題へ 162

    第四章 世界経済の正義――世界貧困問題への視角 175
    第一節 世界分配正義へのロールズの背反 177
      1 政治的リベラリズムと「諸人民の法」におけるロールズの分配的正義論の変容 177
      2 世界分配正義と第八原則との距離 181
      3 ロールズの世界分配正義否定論における理論的破綻と思想的頽落 184
        (1) 実質的正当化論拠の脆弱性 
        (2) 不正黙認を交換する取引 
    第二節 世界分配正義と世界匡正正義の交錯――積極義務論と消極義務論との関係 193
      1 積極義務論から消極義務論への重心移動の理論的・実践的意義 193
      2 消極義務論は世界貧民への道徳的配慮に消極的か? 197
        (1) 道徳的最小限主義が包含する道徳的最大限 
        (2) 積極義務論の実質的消極性 
        (3) 「正義の間隙」論の問題性 
      3 消極義務論は積極義務論に依存するか? 209
        (1) 制度的加害是正論における基準線問題 
        (2) 消極義務論の前提としての道徳的原状設定 
    第三節 世界貧困問題の原因と解決策――「制度的加害」対「国民的自己責任」論争の再検討と複合的接近の視点 220
      1 「説明的ナショナリズム」の呪縛 222
      2 制度的加害立証責任論の虚と実 228
        (1) 自己欺瞞の罠 
        (2) 制度変更効果懐疑論の問題 
      3 世界貧困問題への複合的接近――原理の相補的結合と制度戦略の相補的結合 242
        (1) 複合的原理――積極的支援義務と制度的加害是正責任の相補的結合 
        (2) 複合的制度戦略――制度的障害除去・世界税・移民政策 

    第五章 戦争の正義――国際社会における武力行使の正当化可能性 273
    第一節 戦争の正義論の可能性と多形性 275
      1 戦争は正義の外にあるのか 275
      2 戦争の正義論の諸類型 279
    第二節 戦争の正義論の規範的査定と批判的再編 288
      1 積極的正戦論と無差別戦争観の破綻 288
      2 絶対平和主義の現実性と理想性の再考 293
      3 消極的正戦論の再定位 297
        (1) 予防戦争 
        (2) 人道的介入 
    第三節 国際的安全保障体制の正統性条件 307
      1 たかが国連、されど国連 307
      2 一貫した実施可能性 313
      3 権力は義務付ける(Pouvoir oblige.) 322

    第六章 世界統治構造――覇権なき世界秩序形成はいかにして可能か 331
    第一節 グローバル化の両価性 333
      1 世界秩序形成主体の多様化による主権国家システム侵食が意味するもの 333
      2 グローバルな価値言説の両価性 344
    第二節 世界秩序形成における超国家的権力集中と脱国家的権力分散の問題 350
      1 なぜ世界政府は「専制の極限形態」なのか 351
        (1) 離脱不能性 
        (2) 民主制欠損の巨大性と不可避性 
        (3) 覇権的・階層的支配の拡大再生産 
      2 多極的地域主義の陥穽 358
        (1) 地域内問題――民主性欠損の深刻性 
        (2) 地域間問題――地域間紛争管理の困難性 
      3 世界市民社会の可能性と限界 365
        (1)  脱国家的権力分散の可能性 
        (2)  市民的公共圏に潜む覇権性 
    第三節 〈諸国家のムラ〉をめざして 370
      1 主権国家システムの再定義と再評価 370
        (1) 主権と人権の共起源的結合 
        (2) 人権の制度的性格と「強い国家」の必要性 
      2 〈諸国家のムラ〉としての主権国家システム 375
        (1) 代替的世界秩序構想としての〈諸国家のムラ〉 
        (2) ブルの「無政府社会」論との対比 

    あとがき(二〇一二年九月吉日 東海の小島の上を飛び渡る鳥は知らずや人界の無明 井上達夫) [386-390]
    引用文献一覧 [i-viii]

  • 出口治明著『ビジネスに効く最強の「読書」』で紹介

    国境を越えた世界正義は果たして可能なのか。法哲学で探求する。

  • <構成>
    正義理念は国境を越えた規範的正統性を持ちうるのか。この問いに対する本書の解答は「然り」である。世界正義の哲学的基礎に関わるメタ世界正義論(2章)、国家体制の国際的正統性条件(3章)、世界経済の正義(4章)、戦争の正義(5章)、世界統治構造(6章)。

    【「世界法の理論」の問題性】p24
    「不正な法は法ではない」という自然法論的直結性にではなく、「不正な法も法である限り、正義適合性の承認への要求を内包しており、まさにそのことによって、自らが達成に失敗している正義を志向し続けることにコミットしている」という点に求められる。井上達夫『法という企て』

    世界正義論の主題は「国境を越えた正義(justice beyond borders)」の探求であるが、この主題は単一の問題ではなく、「問題複合(problem complex)」というべきものであり、次の5つの問題系に整理できる。
    ①メタ世界正義論―世界正義理念の存立可能性p35
    ②国家体制の国際的正統性―人権と主権の再統合p37
    ③世界経済の正義―世界貧困問題への視角p39
    Cf. 「共有地の悲劇(the tragedy of the commons)」で有名な経済学者ガレット・ハーディン「救命ボート倫理―貧民救助反対論」(1974):マルサス「人口論」との近似性
    ④戦争の正義―国際社会における武力行使の正当化可能性p43
    [古代よりの正義の二大問題領域]
    (1) 「分配的正義(distributive justice)」:基本的諸自由や財(資源・機会・サーヴィス等)の分配、受益と負担の分担などの公正さを判定する基準に関わる。
    (2) 「匡正的正義(corrective justice)」:分配的正義によって人々に割り当てられた諸権利を侵害する不正行動がなされた場合に、「道徳的原状(moral status quo ante)」を回復するためにいかなる賠償や制裁がなされるべきかに関わる。
    [正戦に関わる正義]p45
    (1) 「戦争への正義(jus ad bellum)」:戦争への権利を生起させる戦争開始原因の正当性
    (2) 戦争における正義(jus in bello):戦争遂行方法の正当性)
    +(3)「戦後の正義(jus post bellum)」
    ⑤世界統治構造―覇権なき世界秩序形成はいかにして可能かp46
    [2つのベクトル]
    (1) 個別国家より大きな政治的単位たる「超国家体(supra-state entities)」に、集合的意思決定とその執行を委譲する「高度集権化(hyper-centralization)」。
    (2) 「脱国家体(extra-state entities)」、すなわち、多かれ少なかれ国家から独立して国境を越えて活動し、国家や超国家体のような組織的政治権力の行使とは異なる仕方で世界秩序形成に影響を与える主体の役割を強化する「高度分権化(hyper-decentralization)」。

    【複眼的・包括的接近の必要性】p49
    これら異なった問題系にその固有性を踏まえた異なった解答を与える複眼性をもつと同時に、異なった問題系への異なった解答を論理的・機能的に整合化させ、かつそれらを相補的に一体化してグローバルな秩序形成の公正化を全般的に促進しうる包括性をもつことが、世界正義の理論が適格性をもつための必要条件をなす。

    [正義の情況(the circumstances of justice)]p59
    ・「資源の相対的希少性(the relative scarcity of resources)」
    ・「限定的利他性(limited altruism)」:誰もが「悪魔」なら、正義の義務を課すことは不可能であり、誰もが「天使」なら、正義の義務を課す必要がない。Cf. 「啓発された私利(enlightened self-interest)、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」→国内的文脈のみ。Cf. 「国益優位論」、ロバート・グッディン「割り当て責任(assigned responsibility)」
    ・「近似的平等(approximate equality)」
    ホッブズ「自然的平等(natural equality)」:「最も弱い者も、最も強い者をいかに容易に殺せることか」。この条件「脆弱性の共有(shared vulnerability)」→国際政治のリアリズムでは成り立たない?

    【「正義の原罪」批判としての諦観的平和主義】p74
    ロールズ「諸人民の法」:正義に対する安定性の優位。
    キケロ「最も正しい戦争よりも最も不正な平和を選ぶ」
    ホッブズ「真理ではなく権威が法を作る」
    →「手続的正義(procedural justice)」p77
    【不正最小化原理としての諦観的平和主義 】p78
    「実体的正義(substantive justice)」
    ノージック「権利功利主義(utilitarianism of rights)」

    【内在的限定論】p84
    国境の内と外との規範原理を二重基準的に差別化する立場、すなわち世界正義論における「二元論(dualism)」の一種たる二元論的縮減論である。
    Cf. ディビッド・ミラー「正義の間隙(justice gap)」p85

    【分配的正義の境界としての社会的協働】p86
    サミュエル・フリーマンの議論:正義は社会の「基本構造(the basic structure)」を構成する原理である。→分配的正義のグローバル化不可能性を擁護。
    アマルティア・センはロールズの正義論が典型とされる「超越論的制度主義(transcendental institutionalism)」を斥け、セン自身の立場である「実現志向的比較(realization-focused comparison)」論を提唱している。
    [「醒めたアナキズム―二種の脱国家的秩序構想]p92
    「市場アナキズム(market anarchism)」or「無政府資本主義(anarcho-capitalism)」や「共同体アナキズム(communitarian anarchism)」
    現行世界秩序における国家の「主権性」は国家の世界秩序超越性を意味しない。Cf. ヘドリー・ブル「無政府社会(the anarchical society)」無政府≠無秩序

    【国家的強制固有の正当化原理としての正義】p96
    トーマス・ネーゲルの「政治的構想(the political conception)」:強制的結社としての世界国家が存在しない以上、道徳的最小限は普遍人類的妥当性を承認させるとしても、それを超えた強い正義の要請はグローバル化されえず、その射程は国家の内部に限定される。Cf. コスモポリタニズムの強弱
    「歴史の姦計(the cunning of history)」"The path from anarchy to justice must go through injustice"→井上「現存する無政府世界において我々は既に不正を通過しているがゆえに、この現存する世界の内部において正義への道が模索されなくてはならない」p109

    【「正義概念基底化論」by 井上】p126
    ①規範的基礎:対立競合する正義構想の共通制約原理としての正義概念
    Cf. 正義構想(conceptions of justice)→正義概念(the concept of justice)
    ・「反転可能性(reversibility)」(「視点反転可能性(positional reversibility)」を含意する)→自己の信念体系に自閉した「特異理由(idiosyncratic reasons)」を超えた「公共的理由(public reasons)」ある。
    ②理念的指針:敗者の視点からの支配の受容可能性としての正統性
    ③発展的合意1:政治的責務の根拠
    Cf. フェア・プレイ論
    ④発展的合意2:治者と被治者の反転可能性保障と少数者保護
    Cf. 「正義審査への原権利(the proto-right to justice review)」

    【本節の結論】
    ①正統性は正当性と区別されなければならないとしても、正義理念と切断することはできない。正義志向性を制度化できていない国家体制は正統性をもちえない。
    ②正義志向性を制度的に保障するためには、何らかの形の立憲主義的少数者保護装置を組み込んだ民主体制による根幹的な市民的政治的人権の平等な保障が必要である。
    ③この正義志向性の制度化に不可欠な基幹的人権保障は国家体制の「正統性」の国内的承認条件をなすと同時に、国内的に正統性を承認されない実力支配体制に国際社会が正統性を承認することは、実効支配還元論の誤謬を犯すものとして許されない以上、国家体制の国際的正統性条件もなす。⇒命題:国家体制の正統性を世界正義の問題として捉えることは可能かつ必要である。p135

    <第二節 ロールズの「節度ある階層社会」承認論の問題性>
    ロールズ『政治的リベラリズム』Cf. 「重合的合意(overlapping concensus)」p137
    「節度ある階層社会(decent hierarchies)」:
    ①「良心の平等な自由」はないが、限られた「良心の自由」は存在する。すなわち、政教分離がなく国教が存在し、一定の政治的地位を国教徒に限定するなど国教徒と非国教徒との間に階層的差別が設けられているが、非国教徒に対しても国教の特権的地位を侵害しない範囲での信仰生活の自由は認められている。
    ②選挙による為政者の交代などの民主的制度はないが、社会各層が集団的に組織され、集団の代表者が自集団の利害・不満を為政者に対して代弁し考慮を要請する「階層的諮問制(consultation hierarchy)」が存在する。
    ロールズが「節度ある〜」を援用する理由:リベラリズムの帝国主義化への懸念。

    【主権と人権の内的結合―世界正義におけるその含意】p152
    人権は単なる外在的制約ではなく、その積極的正当化根拠であり、それを否定すれば主権は自らの存在理由を失うという意味で、主権の内在的制約である。

    [国家の対外的主権が含意する政府の特権で、世界正義の問題に関わりのあるものとして、ポッゲの...]
    ・「国際資源特権(international resource privilege)」
    ・「国際借款特権(international borrowing privilege)」

    【本章の結論】p167-168
    ①国家の体制と政府の正統性は単なる国内的問題ではなく、同時に世界正義の主題である。国際社会は正統性なき体制の改革の第一次的権能と責任はその体制下で生きる人民自身にあることを承認して、干渉主体の利害に左右される無責任な干渉を自制すべきだが、国家体制の国際的正統性承認が国際特権付与による当該体制への加担を含意することを自覚して、市民的政治的人権を蹂躙する体制にも実効支配原理により正統性を承認してきた従来の実践を改め、市民的政治的人権の国内的保障の確立と実効化に向けた国際的支援、そしてそれと連動する社会経済的人権保障への国際的支援の責任を遂行すべきである。
    ②国家体制の国際的正統性という世界正義の一つの問題系は自己完結しておらず、人道的介入を含む戦争の正義、世界経済正義、世界統治構造など他の問題系とも密接な関係がある。第一章で示唆したように、人権のグローバル化に関わる世界正義の問題へのアプローチは、各問題系を他から孤立させて扱う「局所的(local)」なそれではなく、様々な問題系の相互連関を踏まえて全般的整合性を追求する「包括的(global)」なものでなくてはならない。

    【積極的義務論から消極的義務論への重心移動の理論的・実践的意義】p194
    ポッゲの以前の提案。「世界資源税(Global Resource Tax)」:世界総生産額の1%を暫定的な総税収目標として、各国民の財・サーヴィスの消費に対してその資源消尽量に比例して国際的に課税し、税収を途上国貧窮民(「世界貧民(the world's poor)」)の救済に充当する構想。
    Cf. 「ロック的但し書き(Lockean Proviso)」の制約:浪費禁止と「他者のために同種のものが十分残されている」という条件。
    ↓やがて、リバタリアンをも取り込む理論戦略をさらに徹底し
    「制度的加害是正論」に至る。:世界貧民の窮状の原因の重要な一部は先進諸国が貧窮途上国に押しつけているグローバルな政治経済制度にあり、富裕先進国は、制度を媒介とした世界貧民に対する自己の加害を是正する「匡正的正義(corrective justice)」上の責務として、資源移転により世界貧民を救済するだけでなく、加害的制度自体を改善する責務を負う。p194

    【積極義務論の実質的消極性】p200
    積極義務論の先駆的論者ピーター・シンガー
    トム・キャンベル「人道的義務(humanitarian duties)」→「世界人道税(Global Humanitarian Levy)」:個人・法人の5万ドル以上の年間所得・収益と50万ドル以上の資産にそれぞれ2%課税し、各国政府が徴収して国際機関が世界貧民救済財源に充当するというもの。

    【「正義の間隙」論の問題性】p203
    「正義の間隙(justice gap)」:「貧窮諸国の人民が正義の問題として(特に彼等の人権の保護として)正統に要求できることと、富裕諸国の市民がかかる要求を実現するために犠牲にすることを、正義の問題として義務付けられうることとの間の間隙である」D・ミラー『国際正義とは何か』
    Cf. 「尊厳保全最小限(decent minimum)」↔「生存保障最小限(subsistence minimum)」、「結果惹起責任(outcome responsibility)」↔「救済責任(remedial responsibility)」

    【制度的加害是正論における基準線問題】p210
    コク・チョル・タン「基準線(baseline)」の設定。
    「通時的(diachronic)」
    タン「人々が基本的必要を十分充足することを確保するために実効的に実現できるであろう代替的な社会的諸配備の総体」、すなわち、財への「最大のアクセス」ではなく「最小限十分なアクセス(minimally adequate access)」を人々に確保する実現可能な代替体制がポッゲの基準をなす」p211

    【消極義務論の前提としての道徳的原状設定】p214
    いわゆる左翼リバタリアンにおいては、競争に参入する前の初期資源分配の平等(出発点の平等)が要請され、これを世界分配正義原理まで貫徹させて、それに反する国家間の領土・資源分配の不公正な現実を是正するために「世界基金(Global Fund)」という、国際資源保有税による再分配構想を提示するヒレル・スタイナーのような論者もいる。

    《第三節 世界貧困問題の原因と解決策―「制度的加害」対「国民的自己責任」論争の再検討と複合的接近の視点》p220~

    【「説明的ナショナリズム(explanatory nationalism)」の呪縛】
    by ポッゲ
    ミラーの応答「環状交差路は下手に設計されているかもしれないが、注意深い運転手によってそれが安全に通過されているという事実は、現実に起こる事故の責任のかなりの部分が運転手自身の肩に負わさなければならないことを示している」p224
    ↓ポッゲの批判の眼目は
    かかる可能性が現在の世界の現実であるか否かという問題を精査することなく、世界貧困に対する富裕諸国と貧窮諸国の結果惹起責任の比重についての規範的な判断や、いわんや富裕諸国の責任の否定はなしえず、なすべきではないという点にある。

    【制度変更効果懐疑論の問題】p238
    「資源の呪詛」:資源が豊かな途上国が資源の豊かさゆえに、その権益を求める勢力による軍事クーデターの頻発により内乱状態が持続し、経済発展できないという逆説。

    【複合的制度戦略―制度的障害除去・世界税・移民政策】p250
    第①戦略:制度的障害除去
    途上国経済に破壊的影響を与えた「条件付け」金融政策や恣意的外国為替市場介入を遂行したIMFや、途上国に不利な関税障壁格差・輸出補助金・国際的知的財産権保護制度等を温存させてきたWTOなど、国際経済レジームの在り方の改革。
    国際資源特権や国際借款特権をクーデターで政権奪取した軍事独裁政権にも付与する現在の国際社会の政府承認実践が、貧窮途上国の経済発展の前提となる政治体制の安定性・民主的正統性の確立を妨げているという、ポッゲの指摘した問題への対処も重要な問題である。
    第②戦略:世界税(global tax)
    ヴァリアント↓
    ポッゲ「世界資源配当(Global Resource Dividend)」:各国の自然資源使用に課税する
    シュタイナー「世界基金(Global Fund)」:各国の自然資源保有に課税する
    キャンベル「世界人道税(Global Humanitarian Levy)」:個人・法人の所得・収益に課税する
    「トービン税」by ジェームズ・トービン→「通貨取引関税(Currency Transaction Development Levy)」さらに「炭素税(The Carbon Tax)」「国際武器取引税(Tax on International Arms Trade)」、「航空燃料税(Aviation Fuel Tax)」など。
    Cf. 状況について:Brock, Gillian (2009) 'Global Justice: A Cosmopolitan Account'
    第③戦略:移民政策
    移動の自由は「基幹的人権」である。
    ジョゼフ・カーレンズは移動の自由をロールズの言う「基本的自由(a basic liberty)」とみなす。
    Cf. Carens, Joseph (2008) 'Aliens and Citizens: The Case for Open Borders'

    【戦争は正義の外にあるのか】p276
    "All is fair in love and war" 「恋と戦は手段を選ばぬ」
    集合化された愛は、人々を駆り立てる「原因(cause)」ではあっても、戦争を正当化する「理由(reason)」にされてはならない。

    【戦争の正義論の4類型】p281~
    第①象限:積極的正戦論
    「攻撃的な戦争への正義/権利(aggressive jus ad bellum)」
    Eg. 十字軍、ジハード、宗教戦争→「聖戦論」
    現代版:イラク戦争など←(批判として)諦観的平和主義
    第②象限:無差別戦争観
    政治的プラグマティズム Cf. クラウゼヴィッツ「戦争論」
    Cf. WWI→帝国主義
    第③象限:絶対平和主義
    「非暴力抵抗(non-violent resistance)」の実践
    第④象限:消極的正戦論
    自衛のみ。Cf. パリ不戦条約
    集団的安全保障体制

    [人道的介入について]p302
    積極的正戦論による介入は、介入主体が好む体制構想を被介入国の人民に押し付けるためのもの、いわば「強制的介入(forcible intervention)」であるのに対し、消極的正戦論が是認する人道的介入は、あくまで、被介入国の人民が自らの主導によって体制を変革することを可能にすることをめざすものであり、その意味で「権能付与的介入(enabling intervention)」である。

    【たかが国連、されど国連】p307

    【国際的安全保障体制の正統性条件としての2原理】p327
    ①一貫した実施可能性
    ②権力は義務付ける

    <第2節 世界秩序形成における超国家的権力集中と脱国家的権力分散の問題>p350~
    [3つの戦略]
    ①世界政府論=専制の極限状態
    a. 離脱不能性
    b. 民主性欠損の巨大性と不可避性
    「補完性(subsidiary)」原理に基づく世界連邦制度(下からの授権連鎖)but→分配正義の問題を惹起
    c. 覇権的・階層的支配の拡大再生産
    ⇒覇権なき世界政府の理想を実現する企ては、結局、無限背進(the infinite regress)に陥る。すなわち、不可能である。p358
    ②多極的地域主義(multi-polar regionalism)
    a. 地域内問題―民主性欠陥の深刻性 Eg. EU
    b. 地域間問題―地域間紛争の困難性
    ③世界市民社会論、可能性と限界
    a. 脱国家的権力分散の可能性
    b. 市民的公共圏に潜む覇権性
    Cf. 「答責性欠損(accountability deficit)」

    <第3節 <諸国家のムラ>(the village of states)をめざして>p370~
    社会学者ダニエル・ベル「国家は国内的問題を解決するには大きすぎ、国際的問題を解決するには小さすぎる」
    ムラの非覇権的・非階層的な秩序を維持するために決定的な条件は「脆弱性の共有(shared vulnerability)」である。p377
    →マイケル・テイラーが解明し、擁護した「共同体的無政府主義(communitarian anarchism)」の秩序構想を国内的文脈からグローバルな文脈に拡大する形で発展させたものである。
    【主権と人権の共起源的結合】
    [ブルの「無政府社会」(the anarchical society)論との対比]p379
    世界市民社会への情熱から主権国家システムをかつて批判したリチャード・フォークが、主権国家システムの重要性を強調するブルの立場を再評価し、主権国家を世界市民社会のパートナーとして「取り込む(co-opting)」あるいは「道具化(reinstrumentalizing)」することが、搾取的なグローバルな経済的諸力による上からのグローバル化に対抗するために必要であるというフォーク自身の新たな立場を支持するものとして援用していることは注目に値する。p380-1

    【この章のまとめ】p382
    グローバル化が突きつける課題は、主権国家システムの脱構築ではなく再構築である。この課題を遂行するために進みうる一つの方向は、共同体的無政府主義の秩序構想を、世界的な諸国家の共同体における脱覇権的・非階層的な統制と協力のモデルに発展させ、非理想的諸条件の下でそのモデルに現実を接近させる方途を探求することである。主権国家システムの再構築を要請する本章の議論が、時代の流れに逆らうものであることは自覚している。しかし、世界が危険な夢と熱情に駆られているとき、世界の流れに逆らう反時代的な省察を遂行することこそ、哲学者が、そしてまた法哲学者が、果たすべき役割である。

    【あとがき】p387
    「国境を越えられない正義」の欺瞞と「身勝手に国境を越える覇権的正義」の横暴をともに克服し、「国境を越え覇権を裁く正義」としての世界正義の可能性を証示するという野心に本書は突き動かされている。

  • 国内的な文脈で語られることが多い「正義」が、グローバルなレベルでも妥当するのかということについて規範的な議論を展開する。最初から最後まで、とても参考になる議論ばかりである。ただ、気になったところがあるので、ここで一つだけ書いておきたい。
    最終的に井上達夫が提出する「諸国家のムラ」構想における「諸国家」は、互酬性ネットワークから外れると経済的に自足できないために、ムラ八分にされるというサンクションが機能する(脆弱性の共有)ことが前提とされていたが、これが現実の諸国家を反映しているとはどうしても思えない。
    さしずめロールズの原初状態のように、そこから何らかの正義原理を導出する正当化論拠として「諸国家のムラ」構想が用いられるならば納得できるが、現実の国境、人口、文化、文明から考えて、互酬性ナシで経済的に自足し得る国家というのはいくつか存在すると考える。とすると、この「諸国家」というのは、ロールズに対する一般的な批判である「負荷なき自我」とパラレルな、「負荷なき国家」とも言うべき、全く新しい国家枠組みではないのだろうか。
    「本来国家とは『諸国家のムラ』のような在り方が望ましく…」というように(ルソーの自然状態観のような)、「諸国家のムラ」構想を原初状態ないし自然状態としての構想として存立し、そこから現実の国家状況にも適合する正義原理を導出する、という順番ならわかる。
    しかし、これこそがまさに目指されるべき国家構想であり、欧米の列強国にあっては民主的プロセスを経て内部変革する他ない、というのは説得力に欠けるような気がする。

  • 何が正義であるかは、国内と国外では異なるという問題意識から、世界正義(国際社会における正義)を論じた本。論じられているテーマは、メタ世界正義論、国家体制の正統性について、世界経済の正義、正戦論、世界秩序である。
    本書は 、各問題の根底にある哲学的な議論を提供し、筆者独自の見解を見出しつつ、議論や見解を踏まえた提案をしている。しかし、哲学的議論そのものが難解であること、用語がとっつきにくく、さらには筆者の文体がかなり読みづらいことから、議論の詳細を追うのは骨の折れる作業である。
    哲学的に正しいとされる解決策を本書では提示しているが、それの実現可能性はどうか、そもそも、正義にかなう解決策であっても、それが最善の結果を生むのかということについては最後まで疑問に残った。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授

「2023年 『法と哲学 第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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