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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480020345
みんなの感想まとめ
自己を見つめ直し、他者の経験から学ぶことの重要性を教えてくれる作品です。主人公の父親は、朝鮮人としての誇りを持ち続けながら、日本の歴史を再考する姿勢を示しています。この物語は、読者に自らの生き方や職業...
感想・レビュー・書評
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朝鮮人としてブレない生き方をしてきたお父さん。
日本の歴史を学びなおす必要があると感じた。
教育とは。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分を第三者として見つめてみる必要性を感じさせてくれました。
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在日朝鮮人二世として戦中の時代に日本で育った著者の自伝。
母は著者が生まれてまもなく亡くなっており、石炭置場や土方で働く寡黙な父と真面目な兄との男だけの長屋生活。
幼いうちは家庭や町内がほとんど全世界であって、それは貧しいながらも保護され、守られた世界であった。
ところが小学校に上がり、だんだんと世界が広がってゆくなかで、母がいないこと、貧しさの辛さを痛感する経験を持ったり、”朝鮮人”という生い立ちが~その経緯や意味するところの正確な認はないままに~心に影を落とすこととなる。
成長の中でぶち当たる困難に、これらが色濃く投影される現実の中、少年の心に複雑な形ではびこるさびしさ、被差別感情は読むものを緊迫した感情に弾き込む。
時は日中戦争から太平洋戦争へと軍国日本が破滅に向かって突き進んでいた時代。子供の中にも”朝鮮人”であること、その一方で日本で生まれ育って生活している現実~こうした分裂した存在を生きるということは、子供ながらにも深刻なアイデンティティの乖離をもたらしたものと思う。
そういう中でも、不器用で厳しい父親と真面目で弟思いの兄との衝突を交えながらも、最後の処ではお互いを思いやる優しい心で結びついた家族。阪井先生のような子供に信頼の心を育てることのできる素晴らしい大人との出会いなどを通じて、ぎりぎりのところで死ぬことから踏みとどまってきた大変な生活史である。
戦争が終わったあと、一部の朝鮮人が敗戦国民日本人に対して手のひらを返したように威張り散らしていたようなことを耳にした、この無学で、著者の兄の上等小学校進学にも反対した頑固な父親が言った言葉。
「日本人は、朝鮮が困っているとき、助けてくれようとはしなかった。じゃが、いまは、日本が困難にみまわれているときじゃろ。朝鮮人は、この困っている日本人を踏みつけにして、うらみをかうようなことをしていいんじゃろうか。これまでの日本人と同じことをしては、なんにもなるまい。他人のうらみを買うことをしたら、あとできっとそれは我が身に返ってくることになるんじゃ。困っているときは、だれとでも助け合うのが、人のとる道じゃろ。この人の道を踏みはずしたら、朝鮮の解放もありゃせん。解放されたというからには、困っている人を助けてこそ、ほんとうの解放というもんになるのじゃないのか。いま困っている日本人を、困っているからといって踏みつけにするようなやつは、また朝鮮を滅ぼすようなことをするにちがいないんだ」
学問のあるなし、どんな職業についているか、金持ちか貧乏人か、どんな生い立ちかに関係なく、一人一人の人間にその人を気遣う心をもって接することができる”優しさ”。それが人間存在をぎりぎりのところで支えている人間の尊厳の根本である。 -
個人的に、自分自身が今の職業を目指すきっかけになった本です。あらすじの紹介はすでにいろんなところで書かれているであろうくらい有名な作品なので、あえて紹介はいたしませんが、今の時代だからこそこういう人たちの人生には日本の人は触れておいたほうがいいと思いますし、著者に対して「お前は、自分の名前を忘れたことがいいことだと思っているのか!」と恫喝した先生の想いには目頭を熱くさせられました。持っておいて、ほんと損のない一冊だといえます。『ぼくは12歳』という作品も併せておすすめしたいです。
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自分が子どもの頃、朝鮮人に対する差別があることをうっすらとは感じていたが、身近になかったので詳しくは知らなかった。
戦前・戦後にかけての日本にいた朝鮮の人の暮らし、日本人としては申し訳なかった…と感じる。
韓流全盛の現在からは考えられないが、作者がそれを否定的にではなく捉えている姿に希望を感じる。 -
高校生に勧める本として挙げられていたので、読んでみた。在日韓国人の問題、現実に起こったとは思えないようなドキドキする場面があり、貧しい暮らしであるが、家族3人が葛藤を乗り越えて生きていく姿が見えた。確かに青少年に読んでほしい本だと思う。
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兄がいざ進学しようという時、教育を受けられなかった父、賢い兄を誇っていたはずの父が、拒否反応を示したことがものすごく印象に残った。
自分の知らない世界に子どもが行ってしまうのが、ひどく怖かったのかもしれない。 -
動乱の時代にあって繰り広げられた成長の記憶が淡々と語られる。小学校 5 年で出会った阪井教諭の人柄にとても惹かれる。
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夫に勧められ、自然と一気に読んだ。
幼少期の貧困生活は凄まじく過酷で、よく生き抜いてこられたなぁと思った。当時の朝鮮人差別はこんなにもひどかったんだと日本人として恥ずかしくなった。
また小学校の先生の資質にも色々あって、
素晴らしい先生に出会ったことは救いだった。
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血と骨の影響で在日朝鮮人が著者の本を何冊か読んでいたときの一冊。内容は忘れてしまったが、いい印象が残っている。また読みたい。
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人の悪口も、傷付けたり陥れたりしようとすることも、拒絶することも大好きだった。
そんな風になる前は、嘘が嫌いで、ズルが嫌いで、人に恥じない姿でいるのが信条だったのに。
そうなってしまった理由は、自分のせいで大好きな人が傷付く姿を見てしまったからで、人はそれまで頑として支えにしてたものを失うと一瞬で駄目になるのだと思った。
そんな訳で、とにかく人への優しさと無縁になってしまった私をまた元の自分に戻してくれたのも、やっぱり愛する人との出会いで、労わることも思いやることも、誰かを大切にすることの幸福、その全てを思い出させてくれたのでした。
私は一生、この人を大切に大切に、ずっと喜ばせ続けたいと思ったのです。
私にとってはそれが生きることの意味だと、読んでて思いました。 -
朝鮮で生まれ、日本で育った著者の話。日清戦争、日露戦争、日韓併合(1910年)と様々な歴史があり、朝鮮人に対する差別が強かった時代。幼少期を、ハーモニカ長屋で暮らす著者のことを想像すると、貧しくてとても大変な時代だったと思う。
最近、戦争に絡めた話を読むのが好き。今がより豊かな時代なんだな、当たり前は当たり前じゃないんだなと思わせてくれるから。人間、不満になると常にないものばかり意識するようになるから。 -
1932年生まれということで、その少年時代の厳しさは、今の我々には想像もつかないとは思って読み始めましたが、その想像をはるかに超えていました。私のようなものがとても気軽に感想のようなものを書き込める内容ではありません。
この筆者のような体験をすれば、生きることの意味を考えずにはいられないと思う一方で、そんな体験をしない我々が、どのようにしてこの筆者の心境に達することができるのか。せめて、こうした本を読んで疑似体験するしかないのか。
感動的なのは、5年生で出会う阪井先生とのエピソード。教師の在り方を考えさせられます。こんな教師に出会えたことが筆者の幸せですね。私も、尊敬する恩師の姿を重ねて読みました。 -
文学
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鶴見俊輔の「教育再定義の試み」という本の中で、当時小学校4年生だった息子がこの本(生きることの意味)を読んで、「なぜ人は自殺してはいけないのか」と父親である鶴見に問うたという逸話を読んで興味を持った。
在日朝鮮人二世として戦前から終戦までを山口県で過ごした少年時代の貧困、差別、父親や教師との確執などの著者自身の過酷な体験の中から紡ぎ出された生きることの意味。どうしようもない淋しさや哀しみを乗り越えた先にある生きることへの肯定感。 -
今の世の中だからこそ、この本が広く読まれて欲しいと心から思う。
また、当時の生活が鮮やかに刻まれている描写も同時代の例えば大江などの小説に現れる登場人物を読むときのガイドにもなりそうだと思ったし、敗戦時の絶望感、この世界の〜でも描かれた怒りなど、あれってリアルな心情だったんだ!という味わいも。必読。 -
高名な方が推薦されていたので読んでみた。後講釈と自己弁護の本。作者やその父親の身勝手な行動が「生きるための意味」を見つけるための過程であったと解釈しているようだが、同じ境遇で育った作者の兄がそのような行動も取らずに立派な考え方を持ち、立派に生きていることをどのように解釈するのだろうか?単に作者の甘えゆえの行動だったとしか思えない。もちろん私はあのようなつらい境遇に陥ったことはないので、作者の感じている本当のつらさというのは理解できないのだが、少なくとも作者の兄を含めて同じような境遇の方々がみな他人に迷惑をかけてまで自分の「生きることの意味」を探すような道に入っていない以上、やはり弁解の余地はないと思う。「生きることの意味」を見つけられないと生きられない人の気持ちが、哲学を人間の思考実験としか思っていない私のような愚鈍な人間にはわからないという事だと思う。人生に絶望し始めている方には良書かもしれないが、私には残念ながら訴えるものはなかった。
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