反=日本語論 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 137
感想 : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480020437

感想・レビュー・書評

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  • [ 内容 ]
    フランス文学者の著者、フランス語を母国語とする夫人、そして日仏両語で育つ令息。
    三人が出合う言語的摩擦と葛藤に、新しい言語学理論を援用しつつ、独自の鋭角的な論理を展開する。
    この従来の「日本語論」に対する根源的な異議申し立ては、読売文学賞を受賞し、多大な評価を得た。

    [ 目次 ]
    序章 パスカルにさからって
    1 滑稽さの彼岸に(歓待の掟;人の名前について;海と国境;声と墓標の群)
    2 「あなた」を読む(S/Zの悲劇;シルバーシートの青い鳥;倫敦塔訪問;明晰性の神話)
    3 文字と革命(萌野と空蝉;海王星の不条理;皇太后の睾丸;仕掛けのない手品)
    終章 わが生涯の輝ける日

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 新刊は同じ筑摩書房のちくま学芸文庫から出ているが、こちらはちくま文庫版。
    ジャンルを無理矢理分けると批評ってことになるのかもしれないが、エッセイに近い部分もある。著者の息子や夫人のエピソードが面白い(というと語弊があるかもしれないが)ので、余計にそう感じるのかもしれない。

  • 歓待の掟

    Likewise(同様に)という少々固めの単語を、上司の日本人が使った時に、交渉相手だったサンフランシスコの金融機関の役員は、穏やかに笑った。Likewiseね。その時、ボストンの超有名校出身で、当時は30代中ごろで、油が乗った国際金融マンは、少々得意そうに鼻をふんと言わせた。同じエリート層に属する人びとの共謀的微笑。エリート課長は、間違いなく、先方の役員の笑いを、やるじゃないか、我後輩という風にとっていた。超有名校出身じゃない疎外感を抜きにしても、ぼくには少々違和感があった。


     本のテーマは音声中心主義とは何か。ソシュール、レヴィ=ストロースなどの西欧哲学の言語論的転回の中心にある音声中心主義。文字は音声の影にすぎないという西欧という制度。それに立ち向かうバルト、フーコー、ドゥルーズ、デリダ。刺激的な西欧哲学の中核にこの音声中心主義が存在する。デリダ的に、話しことば=声による書きことば=文字抑圧の歴史としての西欧。日本は、全くそれとは違った制度の中に存在する。筆者は、そういった制度の違いを意識せず、撒き散らされる日本語論に苛立つ。その苛立ちをフランス人の妻と二つの異なる制度の間に生まれた息子との生活という「特権的」な空間の中で具体的かつ精緻に批評していく連作の哲学的エッセイである。


    連作エッセーの「滑稽さの彼岸に」の中にぼくの20年近く前の違和感が言語化されていた。


    留学時に見たフランス語でアメリカ人とロシア人とフランス人の三人の少年がそれぞれに尊敬する人について語るテレビ番組の記憶。先の二人の外国人が立派なフランス語で、尊敬する人物像を語った後に、登場したフランス人の少年が、一言Personne(誰もいません)といって肩をすくめ、番組は終わる。大笑いした筆者がたどりつく「どの国の人間であれ、自分の外国語の力にどれほど自信があっても、外国語では意見を表明すべきでない。外国語を話すことは、あらゆる人間にとって、本質的に滑稽なことだ。」という複雑な心境。


    子供を公園で散歩させている時に近づいてきて、突然英語で話しかけてくる日本人に当惑しながら、大声でそれにあわせて日本語を駆使する仲間の外国人たちも含めて、醜いと感じるフランス人の妻。パリのカフェで妙にフランスに詳しい日本人である夫の操るフランス語に当初当惑しながら、だんだんと慣れていくフランス人の友人たち。

    「どう見てもフランス人とは思えない一人の男がフランス語を操り、しかもその男とカフェで快い午後を過ごしうることの不思議に、相手がゆっくりと時間をかけて馴れて行くという事態が間違いなく進行したが故に、遂には自然な対話が成立しうるのだという点を強調したいのだ。・・・真の歓待とはちょっとした長所を賛美することでも,欠陥をうやむやに見逃すことでもないだろう。まぎれもない差異としての他者の不気味さに、存在のあらゆる側面で慣れ親しむことこそが、歓待の掟であるはずだ。」


    アメリカ人のエリート役員の微笑には、自己あるいは自分を含む先進的環境というものに対する「余裕」から生まれる、よく考えると軽蔑に限りなく似たものが含まれていた。ぼくの上司はその侮蔑に近い受容を軽蔑と感じる照れを持ち合わせていなかった。逆の意味で、お互いに鈍感であるということの共謀関係がそこには存在していたのかもしれない。そんな照れを感じたぼくは、当然、そういった世界で勝者となるはずもなく、数年後にはその会社を去った。これもまた当然のように、ぼくの上司は、着実に、爽やかに成功をおさめていった。本来の歓待など求めていては、偉くなれるはずもない。

  • どんなときに読めばいいのだろう?面倒なんだよなああ、言葉の使い方が。東大総長だし。否定すると頭のよいひとたちに軽蔑されそうだし。哲学したい、インテリしたい、予備軍がイントロとして読むのかな。島田雅彦が「彼はなんでも人畜無害なものだと考える凡庸な東大教授である。そのために世人の尊敬とやっかみの対象になっている」とあるんだけど・・・だめだ・・・時差ボケだし、なにもかもわからない。とりあえず保留。

  • 首がかくかくしながら読むような気持ち。
    しかし勉強になりました。

  • ハスミン。CV水橋ではない。
    まぁ何かもっと作品と言葉を素直に楽しもうよというね…(いいかげん)

  • Antoine de Rivarol(1753年生まれ) 明晰ならざるものは、フランス語に非ず。

  • どうもお世話になりました

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著者プロフィール

仏文学者、映画批評家、文芸批評家、小説家。1936年、東京都生まれ。東京大学仏文学科卒業。パリ大学にて博士号取得。東京大学教授を経て、東京大学第26代総長。78年、『反=日本語論』で読売文学賞、89年、『凡庸な芸術家の肖像』で芸術選奨文部大臣賞、2016年、『伯爵夫人』で三島由紀夫賞を受賞。1999年にはフランス芸術文化勲章コマンドールを受章する。著書に『夏目漱石論』『表層批評宣言』『映画論講義』『「ボヴァリー夫人」論』他多数がある。

「2022年 『ショットとは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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