梶井基次郎全集 (ちくま文庫 か 2-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (551ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480020727

感想・レビュー・書評

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  • 窓を覗く、檸檬を握る。私も彼と一緒のようなことを人生でやったことがある。でも彼のようには感じなかった。注視すべき一つの体験として自分のなかに刻まれなかった。ここに小説家とそれ以外の人間の差があるのかもしれないなと思った。
     ひんやりとしたのものや清浄なものが熱病に冒されていた彼に与えた安らぎ。幼い頃、喘息を患っていた私にもわかるような気がした。
    また本書とは関係ないのだが、寺田農氏による「檸檬」や「ある崖上の感情」の朗読が素晴らしいので、聞いてみてはいかがだろうか。

  • のっけから主語を広げるが、多分カフカやカミュを持ち出さなくとも誰もが生きていることに不安を抱えている。むろん、その不安を純度を高めて文章化したところにカフカたちの誠実さがある。梶井基次郎もまたそうした、「えたいのしれない不吉な」不安を抱えなければならず、その不安を愚直に見つめ孤独の中で書き続けたのだと思う。私自身なぜ自分が今死なないのかとまで思い詰めた状況で読んだせいか、彼の言葉が沁みて感じられた。意外とフェルナンド・ペソア『不安の書』の隣にこの本を置くこともできなくもないかなと思う(私はそういう読者だ)

  • 梶井基次郎という人は、結核という病を得て死について考え考え、考えぬいて生きたんだなというのがよくわかる。
    世間と隔絶されてしまったかのような焦燥感、絶望感、最後は諦念と恐怖のなかにかすかに達観も見られ、どこか救われるような気持ちになったりもした。どれを読んでも胸にせまるものがある。

    読みながら、自分自身の父のこと母のことを思い浮かべてなんともいえない切ない気持ちになった。
    著者はこの文書を書きながら涙を流し、血を吐いているんだなと思った。
    若くして亡くなったことを惜しむ声は多いけど、若くして亡くなることがわかっていたからこそ、ここまでの輝きを放った人だったのではとも思う。

  • 美しい表現や文章に表すことができないような体験を文字として美しく羅列していると思う。
    自分が今まで忘れていたようなことをこの人の文章を読んで思い出したことがある。
    ただしまだまだスムーズに読むことができない話もたくさんあって、全部は読めていない。
    年齢を重ねて、時が来たら読めるようになると思ってそれを待っている。

  • 高校だか中学だかの国語の教科書に、『檸檬』が載っていたことは覚えているが、しかし、こんな美しい文章だったことは記憶になかった。

    大人になって読み返してみると、実に豊かな描写で感銘を受ける。

  • 梶井基次郎の文庫版全集。
    丸善の京都本店に行ったら梶井基次郎の何かを買わねばならぬ……ということで、『檸檬』の岩波文庫版や角川文庫版などをコツコツ買い集めていたのだが、本書をもって、恐らく現在、新刊で入手可能なものは全て揃ったと思われる。『来年から京都で何を買うべきか?』というのはさておき、夭折した作家である梶井基次郎が遺した文章はさほど多くない。何しろ遺稿や断片的なテクストまで纏めて、文庫1冊に収まってしまう(昨今の文庫本としてはやや分厚い上、本文級数はかなり小さくはあるが)。実際のところ、代表作だけで良ければ、各社から出ている文庫でほぼほぼ読めてしまうのだ。しかし、例えば夏のフェアの限定カバー(新潮社の真っ黄色は何度見ても凄い)や、丸善限定の複刻カバーなど、つい買ってしまう魔力のようなものに満ちている。お陰で『檸檬』が家に何冊あることかw 因みに全集は単行本版も持っている。
    さて、本当に来年から、京都丸善で何を買おうか。流石に『檸檬』ばかりあってもしょうがないしなぁ……。
    無論、梶井基次郎本人が行った『京都の丸善』は既に無く、移転した先も1度閉店している。現在、京都BALのテナントとして営業している『京都本店』は、屋号は確かに丸善だが、DNAとしてはジュンク堂の方が強く出ているように感じる。しかし、『京都』の『丸善』という、少しばかり(?)特別な店で買うのだから、買って満足するものを選びたい。次に行くまでに、そういう本に出会えるといいのだが。ただ、読みたい本ってついその場で買っちゃうのよねぇ……。

  • うつ病で一人部屋の隅にいた時にこの本を繰り返し読んでいた。この作者の作品群に共通して垣間見える孤独な感じが自分の心を癒してくれるような気がした。でも、少し幸せになった今は本棚から取り出す事がめっきり減った。
    そんな作品。

  • 自分の影と対話するような面と、母親や友人との、やりきれなさや苛立ちを抱えつつ、それでもどこか縋るような透明な関係性に共感して引きつけられる。
    「檸檬」(角川文庫)になかった初読の作品では「路上」、習作の「卑怯者」「彷徨」が特に印象的だった。

    「路上」では崖の道をあえて滑ってみたり、「冬の蝿」では病を抱えているのに山奥に置き去りにしてもらって遠くの温泉地まで夜中に一人歩く話が出てくるんだけど、実際の梶井さんも重症の肺結核で友人の前で川に飛び込んで泳いでみたりしたというから、病んでる人の持つ反転したエネルギーの凄さよ…。

    ちなみに宇野千代さんの寄稿では、梶井さんの行動は彼女を心配させることを目的としたものだったとされてて、私的にはそういう次元に留まらないんじゃないかなと思ったりも。梶井さんが宇野さんに「死ぬときは手を握っていてくれますか」と生前言っていたのに実現しなかったエピソードは良かった。

  • 理不尽な病に生涯に渡って苦しめられるその惨めさこそ小説の本質であり、自分の運命と必死に格闘した梶井にとっては小説を書くしか生きる道がなかったのだと思う。

  • 桜の樹の下には、
    屍がうまっている。はずだ。
    そうでなければあの美しさの説明がつかない。
    生と死
    美と醜というような対比なのか?
    命という尊さがないと美しいものを生み出せないということなのか?

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著者プロフィール

明治34年(1901年)大阪府生まれ。同人誌「青空」で活動するが、少年時代からの肺結核が悪化。初めての創作集『檸檬』刊行の翌年、31歳の若さで郷里大阪にて逝去した。「乙女の本棚」シリーズでは本作のほかに、『檸檬』(梶井基次郎+げみ)がある。

「2021年 『Kの昇天』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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