逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)

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  • 筑摩書房
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レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480021076

感想・レビュー・書評

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  • 後期資本主義社会を生きる人間の形態として、パラノイアとスキゾイドという2つの類型が紹介される。パラノイア、妄執症型人間は、1つのことに固執する。会社人間、生真面目で禁欲的名人、ひたすらコレクションを増やすオタクはスキゾイドに該当する。浅田彰が称揚するのは、スキゾイド、分裂症型人間の方だ。

    スキゾイドは、既存のルール、社会の型を破って自由に飛翔する。広告人間、80年代バブルに浮かれた軽い人は、スキゾイド。キャッチコピー、CMの短い時間に生きる。パラノイアが蔵書をためて、コレクション化していくのに対して、スキゾイドは溜め込まない。感性にフィットした知識を瞬時に取り出し、あきたら捨てる。

    浅田彰はスキゾイドの方に後期資本主義社会の可能性を見ていた。オタクは、子宮のような自室にこもって自分のコレクションに耽溺するマザーシップ・コンプレックスの人間として批判された。浅田彰はオタク文化の興隆にも同調せず、東浩紀とも決裂している。さて、2010年現在から振り返ると、浅田彰の方が敗北しており、早稲田のゼミで同人ゲーム『うみねこのなく頃に』を扱う東浩紀の方が勝利している(同時代性と対決しているという点において)。何故浅田彰はオタクを理解できなかったのか。

    浅田彰の批判するオタクは、自分の部屋にとじこもって、ただひたすら自分のコレクションに耽溺するノン・コミュニケーションの人間だった。つまり、そこにはインターネットの視点が欠けていた。 80年代なのだからしょうがない。90年代後半、オタクたちは、ネットの網の目という社会空間を手にする。オタクたちは、インターネットの仮想空間内でコミュニケーションをする。ネットでのコミュニケーションの爆発的増大がなかったならば、オタク文化が現在のように、消費のメジャーになることはなかっただろう。

    ネットでのコミュニケーションでは、外見、性別、年齢は問われない。どんな服を着ているか、どんな肌の色をしているか、学歴は?、話し方は? 社交性は? といった90年代以前の社会で必要された社交力は、ネットの世界で不要となった。

    もちろんネットの世界ではネットの世界独自の社交力が必要となるし、学歴差別、人種差別的発言も掲示板では散見されるが、ネットが生まれる以前の社会ほどには、服や話し方で差別されることがなくなったのである。つまり、ネットの社会は、浅田彰が活躍していた頃の社会の価値観では、服装や話し方の作法がなっていない、趣味がおかしいとして差別されてきたオタクたちが、コミュニケーションの中心に位置し、消費文化を盛り上げているのである。

    オタクこそスキゾイドであり、後期資本主義というかグローバル時代の資本主義社会を自由に飛翔しているといえないだろうか。

  • ドゥルーズ&ガタリとかマルクスとか難しいのきたと思ったら簡単なのも

  • もっと難解な本だとおもっていたが、スラスラ読めて、35年経ってさすがに前景化されたのか思ったが、難解なのは「構造と力」の方だったようだ。

    サブカル雑誌に発表された著作を前後に挟んで、中心は今村 仁司との対話
    ドゥルーズ・ガタリを読む
    マルクス・貨幣・言語

    当時私は浪人していて知的浪費をする余裕もなく時間を浪費していたのだった。願わくば発売当時に読んでおきたかった。

    今村 仁司は2017年に65歳で亡くなっている
    パラノ・スキゾはドゥルーズとガタリが提示した概念
    御本人がゲイだと公表したのはまだ先立ったような

  • salonタレ目で隣り合ったお客さんが最近読んだというのを聞き読みたくなり/逃走する文明、ゲイ・サイエンス、差異化のパラダイス、スキゾ・カルチャーの到来の計44pのみ読了。/スキゾ型ってのは、分裂型の略で、そのつど時点ゼロで微分=差異化(ディファレンシエート)してるようなのをいい、パラノ型ってのは偏執型の略で過去のすべてを積分=統合化(インテグレート)して背に負ってるようなのをいう。ギャンブル志向とためこみ思考、逃げることと住むことの対比。/軽やかなタッチで書かれた、35年前に流行った本を手にとり。当時はきっと新しかったのだろう、と思いつつ。/それにしても「微分=差異化」なんてよく使われる語法だったのだろうか/取り残されるより先に逃げたほうがいい。行き先なんて知ったことか/サカタ・セクステット「TRAUMA」は聞いてみたいと思った。

  • 『逃走する文明』(1983)というエッセイがある。近年のとゆうか数年前のノマド論よりも圧倒的に明るくてドライブ感がある楽しい文章。

  • [ 内容 ]
    《パラノ人間》から《スキゾ人間》へ、《住む文明》から《逃げる文明》への大転換の中で、軽やかに《知》と戯れるためのマニュアル。
    ―現代思想の最前線を疾走する若き知性がドゥルーズ=ガタリ、マルクスなどをテクストに語る《知》的逃走のための挑発的メッセージ。

    [ 目次 ]
    逃走する文明
    ゲイ・サイエンス
    差異化のパラノイア
    スキゾ・カルチャーの到来
    対話 ドゥルーズ=ガタリを読む
    マルクス主義とディコンストラクション
    ぼくたちのマルクス
    本物の日本銀行券は贋物だった
    共同討議マルクス・貨幣・言語
    ツマミ食い読書術
    知の最前線への旅
    N・G=レーゲン『経済学の神話』
    今村仁司『労働のオントロギー』
    広松渉『唯物史観と国家論』
    栗本慎一郎『ブタペスト物語』
    山本哲士『消費のメタファー』
    柄谷行人『隠喩としての建築』
    山口昌男『文化の詩学1・2』
    蓮実重彦『映画誘惑のエクリチュール』

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • ニューアカ、というより、浅田その人がフランス現代思想の普及に力あったことは紛れもないが、そのポップ志向とは裏腹に、哲学がますます浮き世離れしてしまったのは悲劇である。
    体系なきスキゾがまき散らした断片を、哲学の側ではなく、実用の側からコラージュできないものだろうか。オタクやサブカルは前衛にも庶民にもなりえていない。世間はそんなにナイーブなものではない。
    いつになったらポストモダンはそのことに気づくだろうか?

  • 了。

  • 雑多な本を書きたかったそうだが、本当に雑多だった。最初のほうは想像してたより軽い読み物(雑誌のエッセイ)だったが、未知の用語のオンパレードの節は疲労。私はドゥルーズ=ガタリを知らず…オント・テオ・テレノロジーも初耳、、、徐々に読み広げて見聞深める方向で。。蓮實重彦の話等は、辛うじて読んでた事もあり雰囲気に共感。読書案内も、興味ある分野ではあるので、参考になりそうな気はする。

  • 「構造と力」で繰り返し出ていた「カオス/象徴秩序」の二項対立図式に否定的な発言がいくつかあった。
    象徴秩序とその外部との「交通」という思考が賛美されているように思った。

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