- Amazon.co.jp ・本 (417ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480021151
作品紹介・あらすじ
震災後の東京の町を歩き、バラックのスケッチから始まった。その創始者・今和次郎は、これを機に柳田民俗学と袂をわかち、新しく都市風俗の観察の学問をはじめた。ここからそしてが次々と生まれていった。本書には、「考現学とは何か」をわかりやすく綴ったもの、面白く、資料性も高い調査報告を中心に収録した。
感想・レビュー・書評
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今から100年位昔の日本の町の今を観察し調査報告した考現学。手書き図表や絵の味わいや軽妙な文章が好み。今和次郎氏によると民俗学は過去を探り、考現学は未来を考える立場だと。私的には100年前の風景が脳内再生されるのが楽しい。路上観察学の藤森照信さんの解説も良い。
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miyacococoさん面白そう~読みたい本に登録します!面白そう~読みたい本に登録します!2021/11/08
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111108さん髭の形とか女の人の髪を飾る櫛の形とか‥とにかく収集・分類の熱量がすごいです!髭の形とか女の人の髪を飾る櫛の形とか‥とにかく収集・分類の熱量がすごいです!2021/11/08
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miyacococoさん是非とも熱量を感じたいと思います!111108さん!ありがとうございます♪是非とも熱量を感じたいと思います!111108さん!ありがとうございます♪2021/11/08
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この一冊で考現学の概略が楽しめました。
時代の風俗って
あとから貴重な資料になるのに
あんまり記録されないですものね。
でも、たとえばその時代を舞台にして
何か創作しようと思ったら
こんなに役に立つ資料はないのでは。
例えば銀座の通行人が何を着て何を履き
田舎の生垣は何でどのように作られているか
学生のヘアスタイルはどうなっているか
めちゃくちゃ細かく記録されている。
一軒の家の中をくまなく調べたのなんか
舞台装置として再現できるくらいの細かさ!
調査票が手書きなのも味があって良かったです。 -
2020.10.31市立図書館 →2020.12.4購入
路上観察学会の始祖というべき民俗学者によって100年前に提唱された「考現学」のはじまりの一冊。これによって師匠の柳田國男からは破門されたという曰く付き。
銀座を行き交う人間観察や地方へ行ったときの道具や意匠の観察など実に興味深い。観察するのがほんとうに楽しくてたまらない気持ちが伝わってくる。
今和次郎独自のことばづかい「ほっちゃらかす」も興味深い。
二週間ではとてもぜんぶは読みきれなかったので、けっきょく購入。 -
「民俗学は過去を探り、考現学は未来を考える立場」
圧倒される。 -
文末にある藤森照信さんの解説で著者の名前を イマワ・ジロウ と読んでしまい笑われたというのに、自分もしてしまったと読後感に満ちた中でクスッと笑ってしまいました。
建築学生として「調査とは」という視点で読み進めるとほんと些細なところまで観察しているなという感想をどの章でも感じるばかりでした。
文体も時々心中をこぼすようなところが読み進めるうちにツボにはまって楽しく読み終えることができました。
自分も散歩がてらには観察とメモをしようかなと思わせてくれる、いい本と著者に出会えた一冊でした。 -
軒先ばかり見て歩くスタッフが多いわけですが、ここまで観察しきれていませんね。
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今和次郎『考現学入門』(と『ワンピース』1から50巻まで)読破。今和次郎が柳田邦男翁のところを破門されていたとは知らなんだ。
でもComparative Ethnographyってこの頃から使われているのね。今読んでるのは恥ずかしながら『考現学入門』。学生時代あまりに赤瀬川源平に熱狂している男子が多くて読むに至らなかった経緯あり。聞きかじり読みかじりの予測可能範囲ですが面白い。
あと今和次郎の『性分によるのだろうが、ものを考えたり書いたりする仕事場はガラクタだらけの場の方が私には似つかわしいようなのだ』っていうのは絶賛言い訳として使用したい。
(ついったから拾い上げ) -
「考現学」とは考古学に対するものだとすると、ほんとうは”考今学”とするべきとは、本書にも書かれている。でも著者としては、そんなのどっちでもいいという。
自分はひょっとすると、ご自分の苗字が「今」だから避けたのではないか?と、真面目に感じた。たとえば師匠の柳田国男との”別れ”のエピソードなどを読むと、今和次郎という人は、そんなことも感じさせる人だ。
本書を読む前は、銀座などの都会人の生態を観察する程度しか知らなかったが、その視線は驚くほど多岐にわたっていることを今さらながら知り得た。井の頭公園の考現学は実に驚く……。
そして観察の苦労話も切々……。たとえばいくら”古き良き時代”としても、プライバシーへの配慮は十分なされねばならない。”ヘンなのがうろうろしている”と警戒心を持たれれば、観察どころじゃなくなるのは、今と同じなのだ。
対象物の中に「カケ茶碗多数」があるが、何十種類もの欠けた茶碗の図も載っていて、正直はじめは呆れたが、しかしふと思った。これってそれこそ考古学じゃないのか、と。アルバイトの人たちが土中から、刷毛で丁寧にかけた食器類などを掘り出している図が頭をよぎったのだ。
著者は「考現学は、時間的には考古学と対立」と述べているが、無意識に(あるいは意識的か?)考古学へのオマージュもあったかもしれない……、と想像してみた。 -
赤瀬川原平らによる「路上観察学入門」を読んで、「考現学」という言葉を知った。
考古学は遺跡から掘り出されたものから当時の生活を想像するのに対し、考現学は現在の日常生活で目にするものを起点に社会について考える。
今では考現学的な視点でのアプローチは当たり前になっているが、当時は著者の今和次郎らによるフィールドワーク的な取り組みからどんどん根付いてきたのだろう。
今和次郎らは、関東大震災が考現学の原点となった。
現代はコロナ時代。身の回りの変化を記録することで、コロナで何が変わって何が変わらなかったのか、社会はどう変化していったのか。
細部に目を配ることで、社会全体を冷静に見定める。まさにいま、考現学的な視点をもつことが重要だと感じた。