禅 (ちくま文庫)

  • 筑摩書房
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本棚登録 : 642
レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480021571

作品紹介・あらすじ

禅とは何か。悟りとは何か。禅の現代的意義とは?-今や、東洋だけにとどまらず世界的な関心のもとに見なおされている禅について、日本の誇る宗教家が、その真諦を平易かつ説得的に解き明かしつつ、ヨーロッパ世界へ向けて綴った英文論稿を新編集しておくる禅入門の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 自分とは何者かを問い続ける人生だな、と改めて思いました。

  • 西田幾多郎、藤岡作太郎と共に、「加賀の三太郎」と称された大哲人、鈴木大拙(本名:貞太郎)によって書かれた「禅」の入門書。氏は、「禅」についての著作を英語で著し、日本の「禅文化」を世界に知らしめた偉人である。本書も原著は英語。また、氏自身も「悟り」を開いたとされており、実際に「悟り」を体感した者としての、学問的見地を超えた体験談としての「禅」が伝わってくる。ただし、仏教のことを全く知らない人からすれば極めて難解。

  • 衝動買いした。
    入門書のように紹介されているが、内容は必ずしも平易でないと思った。まず、西洋的な発想、つまり自己を対象化、客体視して、論理によって分析していく方法は、「禅」的でない。人が自分について問う時、このような問う自己と問われる自己との二元化は必至であるところ、その分化が行われる以前のところを捉えようとするのが、禅である。
    理性・知性のやり方にはよれないため、禅はそれらを徹底して排除するという。しかしそのために、禅問答は、文字通りナンセンスにしか思えなかった。なんというか、弟子の問いに対しあえて無意味を答えるということは、逆に観念性を了解していることにもならないのか?
    問いとその答えが、禅で言う最終目標(それを悟りというのか)に達する手助けにならないように思えた。さらに、人が人について問う時、一般化された答えではなく、その個人として、まさに生きているその者自身に立ち返るべきともいう。ここから推測して、自分だけの答えしかなく、それを自力で導くしかないのであれば、結局、禅なるものを考えること自体がナンセンスで、ただ流れのままに日々を生きることが正解になってしまうのでは?とも感じていた。だが一方で、著者は、禅は無為を推奨したり、刹那主義を肯定するものでもないという。
    いよいよ理解が難しいと思われたが、第六章の五で、俳句と関連して禅を論じる箇所があり、ここでようやく一端をつかみかけた気がした。つまり、俳句や短歌の、極めて短い表現の中に、切り取られた一瞬があり、かつ、それは同時に永続する何か普遍的なものを表象している。ここに禅にいう、矛盾を孕んだ「一」があるということなのか。
    そして、著者によれば、表現すること(すなわち問いである)は、人にしかなせない。ただ無為があるのではなく、表すこと、表そうとすることは必要なのだ。つまり、問いは為されなければならず、であるのに否定され、問われる寸前の状態にまで戻る。この経験が禅にとっては必要ということなのか。禅が経験主義的であるという記載もあったがそのような意味なのかもしれない。
    本書は、海外の読者に向けて書かれたが、それがかえって日本人の読者の理解を助けている。
    禅宗の教義はかなり独自色の強いものではないかと思ったが、本書の中盤では、優れた宗教がどのように発展形成されるかについても詳しく論じており、密度の濃い読書体験であった。

  • 禅の入門書、ということで手にしましたが、、、難しい、全然分からず。

    分かったことは、禅は、一般論ではなく具体的、考えるのではなく感じること、くらいでしょうか。まだまだ学ぶ必要があると感じました。

    ただ読んでいると、なんとなく癒される感じを受けました。

  • 禅とは何か、という禅問答に答えられない自分に喝。それほど、多様であり、長い歴史のなかで先人が様々な解釈をしてきたのかな、と思った。
    英語でも読んでみたい一冊。

  • 禅が他の数多ある宗教と比較して実践的であると言われる所以をよく説明してくれている本だと思います。「悟り」に至ろうとするための過程において、あくまで全ての答えは自分自身の中にあるという事を仏陀の言葉や禅問答の例を通じて教えてくれてます。特に印象的だったのが仏陀の次の言葉です。
    「我は一切勝者、一切智者である。(中略)我に師はない。等しき者もない。(中略)我こそはこの世の聖者、最高の師。」
    一読すると、単に傲慢な個人主義者に思えてきますが、これが自分自身の内面を磨き切った境地のようにも思える。「AはAであり、AはBではない」といった西洋思想の合理的な考え方とは異なり、「AはAであるが、同時にBでもある」といった一見矛盾であるが、その解釈は自分次第でもあるという事を深く考えさせられる東洋思想の真髄でもある。決して、信じれば救われるといった安易な思想ではなく、世の中は苦しい事が前提にあり、その中で自分自身を救うためには自己の体験に基づいてどう自分自身で判断して固定化した概念から解き放つのかといったあくまで個人一人ひとりに主眼をおいた思想なのであると思います。
    確かに、「サピエンス全史」のハラリ氏が著書の中で記述していた認知革命の様に、人は人が作り出した虚構の中に生活しており、それが文明を発展させるためには効率的であるのかもしれないが、禅はそういった虚構の中で生きる人間の性を見抜いており、「AはAの様に一見見えるがAでもない」といった様な堂々巡りの様な表現で人類を戒めているのかもしれない。

  • 2020年1月19日に紹介されました!

  • ”鈴木大拙氏が英文で発表した各種文書を日本語訳したもの。

    「禅とは何か?」という問いへの答えは人それぞれ。
    ただ言えるのは、抽象ではなく具体的な現実にあること。白か黒かの二元論ではなく一元論であること。問答(対話)が大切である、ということ。

    何でないか。
    ・論理ではない
    ・二元的でない

    そして、問いへの定義のなかに、大きな意味がありそう。
    ・問い、問う者を引き離さないとうまれない(p.22)
    ・問いが自ら解くのである。
     問いをトクとは、それと一つになることである。(p.24)


    (おまけ)
     巻末の愛と力や、仏教の教祖と信者の関係など、禅そのもの以外の情報が興味深かった。

    <キーフレーズ>
    ・魂が本当に、心から、平穏の中に安らぐことのできる非二元(不二)の大地はどこにあるのか。(略)神とわたしとは、わたしが神を覚知する行為において一つである。」この事物の“絶対的一”に禅はその哲学の基礎を据える。
     (略)禅には独特無比の何ものかがあって、それが禅の生命を支え、その主張通り、それを東洋文化の伝統的至宝たらしめている。次の「問答」すなわち対話が、禅の行き方をのぞかせてくれよう。(p.130-131)
    ・月に 指す指そのものを考える時…(p158)

    ・まことに、愛は一切を包み、一切を許す。それは一切を和らげ、かぎりなく創造して尽きるところを知らぬ。力はつねに二元的である。したがって固定的で、自我を主張し、破壊におもむき、すべてを滅却する。そしてもはや征服すべきものがなくなると、おのれに鉾先を向け、おのれを滅ぼすに到る。(p.201)

    <きっかけ>
     人間塾2016年11月の課題図書として”

  • 禅とはなんと興味深い世界だろう。
    兎角思弁的になりがちな読書家にとっては"シューニヤター(空)"や"タタター(如)"といった精神は、正しく目から鱗が落ちるような読書体験ができるのではないだろうか。

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著者プロフィール

1870年、石川県金沢市に生まれる。本名、貞太郎。1891年に上京後、鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅。1996年の蝋八接心で見性。1997年より米国でオープンコート社編集員となり、1909年に帰国。学習院教授、東京帝国大学講師を歴任。1921年大谷大学教授となり、The Eastern Buddhist Societyを設立。禅や浄土系思想を発信する拠点とする。その後、米英の諸大学で禅と日本文化についての講義を続ける。1949年、学士院会員となり、文化勲章を受賞。1966年、没。

「2021年 『真宗とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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