禅 (ちくま文庫 す 1-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480021571

作品紹介・あらすじ

禅とは何か。悟りとは何か。禅の現代的意義とは?-今や、東洋だけにとどまらず世界的な関心のもとに見なおされている禅について、日本の誇る宗教家が、その真諦を平易かつ説得的に解き明かしつつ、ヨーロッパ世界へ向けて綴った英文論稿を新編集しておくる禅入門の名著。

感想・レビュー・書評

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  • 衝動買いした。
    入門書のように紹介されているが、内容は必ずしも平易でないと思った。まず、西洋的な発想、つまり自己を対象化、客体視して、論理によって分析していく方法は、「禅」的でない。人が自分について問う時、このような問う自己と問われる自己との二元化は必至であるところ、その分化が行われる以前のところを捉えようとするのが、禅である。
    理性・知性のやり方にはよれないため、禅はそれらを徹底して排除するという。しかしそのために、禅問答は、文字通りナンセンスにしか思えなかった。なんというか、弟子の問いに対しあえて無意味を答えるということは、逆に観念性を了解していることにもならないのか?
    問いとその答えが、禅で言う最終目標(それを悟りというのか)に達する手助けにならないように思えた。さらに、人が人について問う時、一般化された答えではなく、その個人として、まさに生きているその者自身に立ち返るべきともいう。ここから推測して、自分だけの答えしかなく、それを自力で導くしかないのであれば、結局、禅なるものを考えること自体がナンセンスで、ただ流れのままに日々を生きることが正解になってしまうのでは?とも感じていた。だが一方で、著者は、禅は無為を推奨したり、刹那主義を肯定するものでもないという。
    いよいよ理解が難しいと思われたが、第六章の五で、俳句と関連して禅を論じる箇所があり、ここでようやく一端をつかみかけた気がした。つまり、俳句や短歌の、極めて短い表現の中に、切り取られた一瞬があり、かつ、それは同時に永続する何か普遍的なものを表象している。ここに禅にいう、矛盾を孕んだ「一」があるということなのか。
    そして、著者によれば、表現すること(すなわち問いである)は、人にしかなせない。ただ無為があるのではなく、表すこと、表そうとすることは必要なのだ。つまり、問いは為されなければならず、であるのに否定され、問われる寸前の状態にまで戻る。この経験が禅にとっては必要ということなのか。禅が経験主義的であるという記載もあったがそのような意味なのかもしれない。
    本書は、海外の読者に向けて書かれたが、それがかえって日本人の読者の理解を助けている。
    禅宗の教義はかなり独自色の強いものではないかと思ったが、本書の中盤では、優れた宗教がどのように発展形成されるかについても詳しく論じており、密度の濃い読書体験であった。

  • 鈴木大拙館へ行くのにそなえて『禅と日本文化』とあわせて読んだけれども、こちらは禅がより多角的に語られていてよかった。

  • 20180108
    禅の第一人者の解説書。英語で西洋に伝えているものを邦訳したもの。英語版も是非読みたい。
    禅とは、内なる真理を引き出し体得するものである。見出したルーツはブッダの悟りであり、修行方法のポイントは座禅と一元論的問答方法である。
    歴史的には、菩提達磨から中国の慧能に600〜700年に伝わり、日本にも伝わる。現代では西洋でも瞑想法等が伝わっていて、スティーブ・ジョブズも実践者であった。
    知性として実践する方法は以下の通りである。これを日々考え、立ち止まることで体得にも近づいていける。
    目新しい観点としては、禅の考えが愛を基礎としていることだ。執着を離れ、個人修行のイメージが先行してしまう仏教系の思想であったが、そもそも人間を離れ、全生命の繋がりを意識する禅においては、それぞれの繋がりは愛を基礎として成り立つのは当然であると思った。仏教には愛はあるのか?と悩んでいた時期もあったが、この視点を持った上で再認識できると思う。

    知得だけでなく体得が必要

    起源
    ・仏陀から
    インド菩提達磨→中国・慧能(7世紀ごろ)

    テーマ
    ・実在とは何か。

    二元論からスタートし、問いと答えを一体化する

    禅の意味
    =自己存在を見抜き、現世から解放される

    意味①
    知性を超え、体得する
    ・教外別伝
    ・不立文字
    ・直指人心
    ・見性成仏

    意味②
    悟りを開く
    ←座禅工夫

    悟りと涅槃がテーマ

    ⑴口頭による方法
    ①逆説
    ②反対の超越
    ③矛盾
    ④肯定
    ⑤反復
    ⑥叫び

    ⑵直接的方法


    =生命の調和
    =生命→愛が相互を包んでいる


    禅寺の永平寺に赴くということで、予習。
    世界と調和して一体となるという考え?のイメージしかない。
    禅問答のエッセンスを学ぶことで、一過性のストレスに悩まされない、柔軟性のある思考を学びたい。

  • 自分とは何者かを問い続ける人生だな、と改めて思いました。

  • 西田幾多郎、藤岡作太郎と共に、「加賀の三太郎」と称された大哲人、鈴木大拙(本名:貞太郎)によって書かれた「禅」の入門書。氏は、「禅」についての著作を英語で著し、日本の「禅文化」を世界に知らしめた偉人である。本書も原著は英語。また、氏自身も「悟り」を開いたとされており、実際に「悟り」を体感した者としての、学問的見地を超えた体験談としての「禅」が伝わってくる。ただし、仏教のことを全く知らない人からすれば極めて難解。

  • 最後の第7章『愛と力』がめっちゃよかった。
    途中専門的な単語が多く出てきて自分の感知できる範囲から遠く離れて感じる部分は読むのに時間がかかったけど、最後の章になったときに、これが鈴木大拙の伝えたいことだったんだなとスッと納得できた。

  • もともと英文の著作を翻訳したものとのこと。
    禅は具体的な事実を重んじる、悟りは理解でなく体得するもの、教義の解釈が分かれ議論されることで動的に発展した、など。
    最後の「愛と力」が唐突なのと、禅問答はどうしても文学的・衒学的に思える。

  • 禅の本を数冊読んだ後、さらに理解を深めたいと思ってこの本を手にしました。はしがきに、「この書を一読すれば、大体、近代的に禅の何たるかを地得することができる」と書いてありましたが、正直、自分では能力不足でした。

    第2章の「悟り」の章で、ブッタの悟りの中身の説明が行われているが、この時点ですでに挫折してしまった。それでもその先も読み進めたのは、何かを得ることができるのではないかという期待があったからだと思います。でも、読み進めるのは正直苦痛で、表面をサラッとなでる程度となってしまいました。

    最後の章で、「愛」と「力」の関係が説明されて、初めて作者の考えの基盤にあるものが少し理解できた気がしました。おかげで、もう一度、しっかりと時間をかけて読んでみたいと思えるようになりました。

    自分一人で生きているのではなく、いろいろな柵の中で生きていく、そのためには、周りの人たちに対する思いやりを持つことが必要、というような内容が書かれています。

    「存在するもののすべての相依相関の真理に目覚め、たがいに協力する時、はさかじめてわれわれは栄えるのだという事実を、まず自覚しようではないか。そして、力と征服の考えに死して、一切を抱擁し、一切を許す愛の永遠の創造によみがえろうではないか。愛は、実在をあるがままに正しく見ることから流れ出る。」

    もう一度読み終えたときに、しっかりとレビューが書けるぐらいの理解ができるように、再読の前に、もう少し別の本を読んでみたいと思います。

  • 禅の入門書、ということで手にしましたが、、、難しい、全然分からず。

    分かったことは、禅は、一般論ではなく具体的、考えるのではなく感じること、くらいでしょうか。まだまだ学ぶ必要があると感じました。

    ただ読んでいると、なんとなく癒される感じを受けました。

  • 禅とは何か、という禅問答に答えられない自分に喝。それほど、多様であり、長い歴史のなかで先人が様々な解釈をしてきたのかな、と思った。
    英語でも読んでみたい一冊。

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著者プロフィール

1870(明治3)年、金沢市本多町生まれ。本名貞太郎。1891年、鎌倉円覚寺の今北洪川について参禅。洪川遷化後、釈宗演に参禅。1892年、東京帝国大学哲学科選科入学。1897年、渡米。1909年に帰国、学習院大学・東京帝国大学の講師に就任。1921(大正10)年、真宗大谷大学教授に就任。大谷大学内に東方仏教徒教会を設立、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。1946(昭和21)年財団法人松ヶ岡文庫を創立。1949(昭和24)年文化勲章受章。同年より1958年まで米国に滞在し、コロンビア大学他で仏教哲学を講義。1956(昭和31)年宮谷法含宗務総長から『教行信証』の翻訳を依頼される。1960(昭和35)年大谷大学名誉教授となる。1961年英訳『教行信証』の草稿完成。1966(昭和41)年7月12日逝去。

「1979年 『The Essence of Buddhism 英文・仏教の大意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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