- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480022417
作品紹介・あらすじ
勤労動員にかり出された級友たちは全滅した。当日、下痢のため欠席して死をまぬがれた著者が、40年の後、一人一人の遺族や関係者を訪ねあるき、クラス全員の姿を確かめていった貴重な記録。
感想・レビュー・書評
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広島に落とされた原爆。あるクラスの少女達に訪れた壮絶な「死」。
彼女たちの記録を調べまとめた著者は、当日欠席したために生き残った、死んだ彼女たちのクラスメイトだ。だからこそ、死んだ女学生一人一人の記録は生き生きしている。ただの女の子達だったことを痛感させられる。
クラスのみんなが、行事式典で、ある先生が失敗したことを笑った。その時、担任の波多先生は全員に笑った理由を聞く。それぞれが「みんなが笑うから」と答える中、一人だけ「先生の失敗がおかしかったから」と答えた。
波多先生は、自分の言動に責任を持てと、その子以外の全員に説教をした。
担任波多先生のこうしたエピソードは胸が痛い。
若い女教諭。筋が通っており、けじめをつけ、理路整然と生徒を叱ることができる。原爆に焼かれながら、生徒を二人小脇に抱え、全員がその場から退避できるよう「解散」と声を上げた。二人の生徒を抱えて長い道のりを歩き、事切れた。同僚が、彼女を見つけて手を触れると、その腕が落ちた。腕が芯まで焼けていた。
それにしても、こうした本こそ翻訳されて海外各国で読まれるべきだと思う。読まれているのだろうか。どんな理由があれ、原爆は民間人を大量に残酷に虐殺する兵器だということは、変わらない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は、広島県立広島第二高等女学校(広島第二県女)の教師と生徒たちの被爆記録である。同校二年西組だった著者は体調不良で学校を休んだために難を逃れ、翌日学校に赴いて壊滅した広島の街と変わり果てた級友の姿を目の当たりにした。学校を休んで生き残ったことに負い目を感じ続けてきた著者は、実姉が原爆慰霊碑の写真集を出版したことを機に、少しずつ級友たちの記録を集め始める。
「先生、点呼が、点呼がっ、済みません」といううわ言を残して逝った級長。涙する母親に「お母ちゃん、泣いちゃあいけん、うちらはこまい兵隊じゃ。兵隊がお国のために死ぬのに、泣いちゃあいけん」と諭して絶命した少女。昏睡状態の中で「日本は神国なり」「天皇は現人神です」と言ったあと高村光太郎の詩を諳んじて事切れた少女。高熱にうなされて先生や友の名を呼んだかと思うと「日本は絶対に勝つ!」と叫び、最後には「もう母ちゃん、私だめじゃ。いろいろありがとう」と母親に礼を言って亡くなった少女。
生徒のほとんどは満州事変が勃発した1931年生まれ。14年の短い一生は戦争一色に染め上げられ、その終着点がこうした壮絶な死に様だった。著者は哀惜の情をこめて、そんな彼女たちがどんなに個性豊かな少女だったかを描く。新聞記者だった著者の筆致は淡々としており、事実を正確に克明に記録しようという姿勢を貫いている。しかし本文を離れた「章外の章」や「あとがき」になると、彼女たちを死に追いやった者への憤りがあちこちに迸る。
象徴的なのは、著者が「章外の章」で紹介している級友の母親の次の言葉であろう。
「犬死で結構ですよ。犬以下のみじめさで死んだんですもの。本当の犬死にするかどうかは、戦争を妨げるかどうかの私たちの運動にかかっていますね」 -
1945年8月6日、広島に原爆が落とされた瞬間、その場にいた39人のクラスメイト達に何が起こったのか。
体調不良で欠席したために生き残った作者が、遺族へのインタビューを繰り返し、丹念に事実へと迫ります。 -
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原爆で死んだ級友達===級友達が原爆が落ちたあと、どのように死んでいったのか。自分だけが生き残ったことの意味を生きながらずっと考えていくこと。
平和について考えるとか簡単に言えるけれど、この本を読むと、自分に今何が出来るのか…生きることを考えなければならない。
聞き書きは一面的な部分しか伝えられないのか。文庫版の「スキャンダルのあと」を読むと、なにやら重苦しさを感じる。