- Amazon.co.jp ・本 (355ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480023544
作品紹介・あらすじ
敗戦の衝撃に茫然自失する戦後世界をランニング・シャツにパンツ一枚で走りぬけた男-坂口安吾。彼は一時期"戦後"の象徴だった。「堕落論」「安吾巷談」などで戦後文壇をはなやかにいろどり、やがてアドルム中毒のすえ狂気に追いこまれていく…。孤独の人安吾を捨身で支え、看護し、さまざまの事件の後始末に奔走した妻の座から、愛と悲しみをもって描き切った異能の作家の回想記。
感想・レビュー・書評
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「独立性を持った妻であった」
手にとってみて初めてあの坂口安吾夫人の著であったと知り愕く。わたしの文学好きもあてにならないね(笑)
それでも「読みたい~」と頭の隅に置いていながら30年以上経ってしまった本で、どこかで何か聞いたのをわすれたのかもしれない(このごろのわたしの現象だ!)
普通の人である三千代さんが(バツイチではあるが)すでに有名な作家になっていた彼と出会って、そんなに有名とは知らずに(作品も読んでいなくて)ビビッと惹かれてしまい、あっさり妻になったはいいが
浮気モノでわがまま金遣いは荒い、一旦家を出たら何時帰るかわからない、連れ帰るお客は多い、ひとところに落ち着けず引越し多々、あげくに覚せい剤をやり、睡眠剤を交互に飲む、暴れる、気が変になる
と離婚ものなのに、惚れた弱みでというわけではなく自らの意志で連れそって、「死が分かつまで」(50歳、早過ぎる死であったが、早くてよかったような)をユーモラス且つ冷静に書いているのが好もしい。
覚せい剤などの作用で正気をなくして支離滅裂な酷いことをされても、
(例えば気に入らない事があるとそこらにあるもの投げ飛ばす、わめく、真っ裸で公道に飛び出してしまう、うつ病になって入院すれば、精神病のひとはまじめな思いつめ型であり傷つきやすくて正気を失うのであって、正気の人間はずうずうしい生きものであるからであると妻を睨むのだ。)
しかし、三千代さんは
正気なわたし(妻)は彼がどんな酷いことをしたか言ったか、そのことを忘れてくれてもいいが、むしろあり難いが、「私自身はけっして忘れることは出来ず、私の行動は、私が責任を負わなければならないということだろうと思う」と言い切る潔さは強くて唸ってしまった。
あくまでも自分が選んだ人を、我慢するというのではなくてつくすということはこういうことか、と思わせられる。
『火宅の人』の壇一雄も友人であるが、たしかに坂口安吾はその当時の無頼派と呼ばれる作家達の中でも図抜けていたのかもしれない。それを支えたのだから!
安吾亡き後、バー「クラクラ(すずめ=「そばかすだらけのどこにでもいる少女」というあだ名でフランス語)」というお店をやり、立派に自立されたのはその証拠。文壇有名人に助けられたといえどもそれも実力なり、人徳なり。
読みたい読みたいと思って30年経ってしまった本がようやく読めたのだが、もっと早くに読んでおきたいような、今でよかったのかもしれないような。こんな頑張りもう出来ないし、しなくてもいいのだけれども(笑)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作家のおやつという本で坂口安吾のエピソードを読んで
その奥さんが安吾について本を書いていると知って読んでみる。
安吾の荒唐無稽の無謀さに、奥様の三千代さんの切迫しつつもどこか
のんきさのある雰囲気がすごくマッチして、面白かった。
きっと安吾の奥さんは三千代さんにしか努められなかっただろう。
もう驚くようなエピソードがてんこもりで、その辺の退屈な本を
読むよりもよっぽど面白くてあっという間に読める。
以前高峰秀子さんのわたしの渡世日記を読んだ時もおもっけど
戦後を生き抜いた女性はバイタリティが全然違うと思った。
先日読んだ渋澤龍彦との日々は、奥様と渋澤龍彦との
のどかで優雅な時間の流れを感じられたけど、こちらは
渋澤夫婦とは対極をなすくらい、激しい夫婦生活だと思った。
とにかく面白い、最近本がつまらないなと思う人に読んでほしい。 -
ご多分に漏れず、「ビブリア古書堂」シリーズを読んでたどり着いた本です。
坂口安吾さんのことは、国語の教科書に名前が出てたかなあ、「白痴」とか書いた人だ、くらいにしか知りません。
この本を読んで思ったことは、「私にはクラクラ日記は書けない」ということ。
いや、もちろん文章力の問題で書けるわけもないのですが、私だったらここまでの本を書けるような思い出がたまるまでに、離婚するから。
絶対無理。
薬飲んで大暴れして家族にも他人にも迷惑をかけ、裸で外出たり。
外出すると連絡もなく何日も帰ってこないくせに、帰ってきたときに妻が家にいないと怒る。
自分はさんざん浮気してるのに、妻が浮気したかもと疑って怒る。
あり得ない。
この本の背表紙に「安吾の溢れるばかりの魅力」って書いてあるけど、アリマスカ、魅力……。
男の人なら、かっこいいと思うのかな。
よく、三千代さんは離婚せずついていったなと思うのです。
こんなことをされても、許せるくらいの魅力があるのかなあ。
「いい面はあまり書けなかった」と書いているので、たくさん優しいいい面もあったのだとは思うけど、ここに書かれていることだけで、私だったら立派な離婚材料です。
まあまず、子供を置いて安吾さんの元へ行った、というくだりで「おいおいおい……」ではありましたが。
置いてかれた子がその後どうしたのかが気になってしまいました。
そうそう、関係ない話になりますが、「チャプスイ」。
私は長女を妊娠しているとき、切迫早産で1ヶ月入院していました。
その時、病院の夕食の献立表に「チャップスイ」という単語が載っていて、旦那と「なんだろね?」と話していたのです。
結局、それを食べることなく退院してしまったのでチャップスイの正体はわからずじまいでしたが、チャプスイとチャップスイが同じものであるなら、もやしの旨煮だったんですね。
ケチャップは関係なかったか。 -
ビブリア古書堂で取り上げられいた本。恥ずかしながら坂口安吾の本を読んでいないのに、先に奥方のお話から読んでしまった。次は安吾の作品をよもうとおもう。
どうしても、 残された最初の子供の事を考えると、男との愛に生きた女の話は辛く、反感を持ちながらも、また壮絶な話なのにも関わらず、ユーモアと明るさに溢れた文章で、スラスラ読み終えてしまった。
ただどうしても、自分にとって酒や薬に溺れ周りを傷つける人間は、許し難くその狂気をも愛したような感じが取れてしまう文章には、腹がたった。が、その部分の表現が素晴らしいかったのも事実でした。 -
「あの大きい目も眉も鼻も、私にとってはただそれだけだと思うようになった」泣ける。。
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坂口安吾の妻・三千代が描く日常の坂口安吾。すらすらと読めてとても楽しかった。なんだろう…文章がすっと入ってくる。坂口安吾の孤独、ふっと見せる優しさ、睡眠薬等の中毒症状と暴力…。どれも聞いてはいたものの実際の様子ははじめてこの本で知った。坂口安吾の日常をもっと知ってみたい。
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坂口安吾の奥様である三千代さんによる回顧録。読むと安吾は彼なりに精一杯、三千代さんを愛していたのだなあとしみじみ思います。薬の影響で彼が暴れ回った時はさぞ三千代さんも大変だっただろうなとその苦労も忍ばれます。語り草になっているカレー100人前事件は檀一雄氏の家で起きたことだったのを今回初めて知りました(食べきれなかったカレーはどうしたのだろうか)。子供が生まれてからの安吾の子煩悩ぶり、死の直前の家族団欒の一風景は読んでいて胸が詰まりました。また安吾の作品を読みたくなりました。
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数年ぶりに再読。
とにかく壮絶。坂口安吾のひどさは当然、それを支える三千代さんの坂口安吾への思いも凄まじい。
あとがきでも触れているが、楽しくポジティブな話は少なく、時代もあるのかもしれないがイカレタ話が多い。
全然フェアではない坂口安吾の言動にイライラするし、三千代さんに同情することも数知れず。
それでも一緒に居たいわけだし、ひどいエピソードでも文章から伝わるのは愛情。触れ幅が広くて凄い。
息子が産まれ、少し落ち着いてきたかと思った矢先に坂口安吾は亡くなってしまう。それも含めほんと壮絶。
しかし文章はたんたんと冷静で、読んでいて心地いいし、それもまた愛情の深さと著者の強さを感じる。
十代の頃から坂口安吾の本は大好きでたくさん読んでいて、無頼的なものへの憧れもあったが、周りの人が大変だから無頼よくない。 -
作家の日常生活を追うドキュメンタリーとして、夫婦の絆の物語として興味深く読めた。
作家は自らの生命を削って作品を編み出すことが多分にあり、故に自殺する作家が多い所以であろう。安吾も然りで、覚醒剤と睡眠薬を服用しながらも作品にこだわり続ける姿勢は壮絶である。
しかしながらその副作用で作者てある三千代をはじめ周辺の人に迷惑をかけ続けるのには閉口です。三千代主観で書かれているが、よく我慢ができるものだと感心するやら、腹立たしいやら。そんな時代だったのかもしれないが、夫婦の絆はもっと深いところで繋がっており容易には別れられぬものであろう、特にこの夫婦の場合は。時に劇的な名文章があり、作家のもとで読書に親しんでいたことなどが文才につながったのだろうか。
それにしても表紙の画はまるで内容にそぐわない。いくら知人の横山泰三氏によるものであろうとも、元々はクラブのマッチやコースターのデザインとして描かれたものとの事でマッチしないのは仕方ない。下品な内容を想像されそうで外出時にはカバーをつけたくなる。 -
『ビブリア古書堂の事件手帖2』に登場する本。坂口安吾の妻、坂口三千代が坂口安吾を語る。
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『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げた本。だけど今となってはどんな文脈で出てきたか覚えていない。
著者の坂口三千代さんは坂口安吾の奥さん。
壮絶な内容なのにあっさりと、まるでサザエさんみたいに書かれてるけど。坂口安吾に怒れてきてとても冷静に読めなかった。
坂口安吾…ぶっとびすぎでしょう。覚せい剤と睡眠薬に溺れ、興奮すると裸で外に出て大暴れ。ふらっと何日も外出しておいて、帰った時に奥さんがいないと激怒するとか勝手すぎる。
誰か(齋藤孝だったかロバート・キャンベルだったか)が、文学の魅力について、「自分じゃ体験できない極端な人生を味わうことができる」というようなことを言ってたけど、そういう意味で貴重な作品だった。
今の時代だったら途中で離婚されるでしょう。二人が別れなかったのは三千代さんのキャラクターもあっただろうし時代もあったのかなと思う。安吾は良かったね。
坂口安吾の作品は堕落論だけ読んだけど、もっとほかの作品を読んでみれば魅力がわかるのかな。 -
『クラクラ日記』坂口三千代
http://earthcooler.ti-da.net/e9329686.html
蒲田(現在の矢口渡)時代。安吾はいったん書き出すと仕事部屋でひたすら集中した。その間、なにをすることもない三千代は、別の部屋で寝転がりながら、ひたすら本を読んでいる。安吾が三千代のために、どっさりと買い込んできたのだ。筆休めに顔を出した安吾は、君は幸せだね、などと三千代に声をかける。おかしみを含んでいるが皮肉ではない。 -
「文士」なんで職業はいまでは過去のモノなんでしょうか。坂口安吾の奥さんが書いた夫婦生活の記録。やさしくて、身勝手で、自己破滅的で・・・ 坂口安吾像が最も身近な人によって書かれているわけですから、安吾ファンにとっては必読ですね。坂口安吾も安吾なら、奥さんの三千代さんもある意味宇宙人的です。狂気の世界すれすれを歩き、酒やクスリで問題を起こしまくる夫を支え続ける姿には感服します。その夫婦生活が安吾の死の前、短期間ですが二人の間に子どもが生まれたことを契機に今までになく平安なものになったことは救いなのかもしれません。貴重な戦後文学界の記録です。
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(リリース:ウララ)
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「ビブリア古書堂の事件手帖」第2巻登場作
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『堕落論』とかで有名な坂口安吾さんの奥さんが書いた坂口さんの思い出エッセイ。
どっちもどっちって感じの似たもの夫婦っぽい。
これを読んで、坂口さんが苦手になりました。
前の夫と籍を抜く前に夫との子供は実家に放ったらかしで坂口さんの家に入り浸ったり、ワンちゃんもしつけは他人まかせで気に入らないと放ったらかしだったり、人としてちょっと欠陥のある人たちだと思う。
坂口さんが薬で精神的に狂って警察沙汰を何度も犯したとかいろいろ大変だっただろうけど、どの夫婦にもいろんな大変事はあるわけだし…。
作家夫婦だから、仕方ないとは思わないので、なんだかな~って感じでした。 -
坂口三千代のクラクラ日記を読みました。
坂口安吾の妻三千代が安吾との結婚生活を書いた回想録でした。
安吾は覚醒剤を常用していたため、時々薬が原因で暴れることがありました。
それが原因で友人と仲違いし、引越しを余儀無くされることも多かったようです。
そんな中でも、明るく安吾に従って生活を続けた三千代の健気さが心にせまってきます。
こんな女性を妻に出来た坂口安吾は幸せだったんじゃないかと思いました。
この物語が永く読者に愛されているのも、ビブリア古書堂で取り上げられているのも、うなずけますね。 -
愛して、それでも愛して
逝ってしまった安吾への、三千代夫人のささやかな反抗が感じられ、
涙こそ出ないまでもしとやかな感動に胸が打ち震えるような読後感。
改めて安吾のことが大好きになりました
ちくまはさっさと安吾全集を再販すべき -
戦後活躍した作家、坂口安吾。この小説を読んで初めて知った。これは、安吾と妻の三千代の夫婦として歩んだ時期のエッセイ。普通の夫婦は此処まで波乱万丈ではないだろうが、色々起こる中でも夫婦愛はなくならずお互いを思い合う気持ちがある。読んだあと、坂口安吾の小説を読んでみたいと思う。
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作家坂口安吾の妻、坂口三千代が書いた回顧録。
旦那が小説家というだけで本人は文章を書くことに関して素人だと思うんだけど、最初から最後まで読み応えがあり◎
読んでいると、結婚生活さぞや大変だったろうなと思わせる出来事ばかり。
でも、そんな壮絶な生活風景を他所に、三千代はどこか呑気で楽しそう。
三千代から安吾、安吾から三千代への愛を感じる一冊。 -
坂口安吾の妻の回顧録。出逢いから夫の浮気、薬、病を中心に死まで。
夫が結構にむちゃくちゃで自分勝手な人物に思えたが、奥さんへの愛が感じられた。
ビブリア古書堂の事件簿でとりあげられた本。安吾の本も読んでみよう。 -
坂口安吾の奥さんの本。
まぁ、よく安吾と一緒にいたものだなと思いました。
本の感想からずれますが:
この時代近辺の文筆家のほとんどは、スキャンダル、女、酒、ドラッグ、精神病、貧困を糧に作品を書いている印象が非常に強いです。
そうでない小説家もいるでしょうが、有名どころはもっぱら人間のクズやエゴの塊が多く、だからこそ恐いもの見たさで現代に作品が残っているのだろうか?と感じることもあります。
時代の流行の文体とでもいうのでしょうか?多くの作品に、自分の人生をなにかの実験台にして、その研究成果を書き記しているような印象を受けます。 -
安吾がこんなに悪いやつだとは知らなかった。見つけたら平手打ちにしてやりたいものだ。
ただ、それでも、やっぱり、青褌の鬼は引きこまれる。桜の森の満開の下も。安吾はこわい。
と思ったら、結局は子煩悩になってしまっていた。たった一年半だったが。
激しいな、安吾。壮絶だなぁ。 -
横山泰三の表紙につられてジャケ買いしたのだが、滅法おもしろくて思わぬ拾いものをした。
語りに深沢七郎のような雰囲気を感じた。
多分坂口三千代さんは、天真爛漫というのにふさわしい人なのだろうが、その一方で(だからこそ??)、考えが深いなぁ、とも感じる。
例えば、安吾が堂々と浮気を繰り返すことについて、三千代さんは相手の女性には嫉妬は感じないという。なぜならば、安吾のような浮気者の夫をもった妻にとっては、世の中すべての女性は潜在的に彼女のライバルになってしまうからだ、と。
そういえば、クンデラも『存在の耐えられない軽さ』で同じようなことを言っていたような気がする。
これもひとつの諦念なのだろうか。 -
坂口安吾の奥さんの回顧録です。とりあえず読んで心に残った一文。
「母はだんだん混乱して、さじを投げた。そして、『あとで泣かないようにしておくれ』ということになった。
あとで泣くなというけれども私は泣くことは覚悟している。人を愛して泣かないで済むことを想像する方が難しい。」
個人的に実際近くにいたら苦手だろうなあという感じの人ですが女としては太刀打ちできなそうな人だなあと思いました。ほんわりと柔らかく書いてらっしゃいますが一本芯があってそこはぶれない感じです。そこが愛する男への愛なんだろうな、と。
彼女にとっての世界は坂口安吾と彼女とその他、ぐらいの分類だったのではないだろうかと。凄いなあと素直に思います。自分はそうはなれないだろうしなりたいかと言われるとなりたくないと言うと思うけれども。
でも前夫のお子さんは可哀そうですね。あと、買ってきて性格が合わない、と女中さんに押し付けた犬とかも。自分が愛する対象だけで心が一杯になると他の存在が目に入らなくなるのかな?そんなところも非常に女性らしい方だなあと読んでいて思いました。
それにしても作者が命を削るようにして書いた文章を今度のはわりと面白い、つまらないと軽く読んで偉そうに批評している読者というのは良い御身分だなあと思いました。ありがたいことです。 -
作家の妻、というのは失礼だが、どっか一本キレてないと務まらないと思う。
なにしろ頭の中の世界を紙に書きだそうという変人と添い遂げなければならないのだから、下手したら作家本人よりも変人じゃないと厳しいんじゃなかろうか・・・とか思うわけである。
坂口安吾夫人のエッセイ、というと軽い感じがするが、存外ヘヴィー。
つうかむしろ「それそんなことサラッと言っちゃいます!?」的な奔放さに、若干引かざるを得ない。
本自体はとても面白い。
確かに面白いのだが。
うむ・・・。
いや、まあ、あれだ、うん坂口もあんな人だったからねえ仕方ないのかないや仕方なくもなかろう、とか色々思う所のある一冊。 -
602夜