柳田國男全集16

  • 筑摩書房 (1990年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480024169

感想・レビュー・書評

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  • 柳田国男さんに帰納法のお手本を見た。この本を読んでいたら柳田さん本人が独断ではなく帰納的手法に依らなければならないと言っていて元気付いた。僕の見方も強ち悪いわけではないらしい。

    帰納法とはア・ポステリオリであり悟性の能力を訓練し高めることが必要である。悟性の能力を訓練するには反省ということが簡単に言うと必要になる。

    そういった帰納法の姿勢には否定し抑圧されたものの回復が必要になる。簡単に言うと独断論から帰納法へ向かうには悟性の能力を高める訓練を要しそれには経験を比較し吟味する批判的な姿勢として反省が必要になる。そういったものによって漸く帰納法が使えるのだ。反省とは回復ということになる。

    そういった否定し抑圧されたものの回復から悟性的人間、理性的人間、学者と認識は行われる。

    ここで一つ言っておきたいことは、悟性の能力はア・ポステリオリであるが否定し抑圧されたものへ救済をもたらす姿勢であるヒューモアというものがある。このヒューモアについて柄谷行人さんの「ヒューモアとしての唯物論」または同じく柄谷さんの題名は失念してしまったが夏目漱石に関する評論にヒューモアという高度な精神的姿勢が指摘されている。フロイトのヒューモア、死刑囚のヒューモア、夏目漱石のヒューモアなどと書かれていた。ヒューモアを解らない人もいると書かれている。ア・プリオリにヒューモアを解さない人もいる一方、ア・ポステリオリに悟性の能力を高めなければ帰納法になりえない。こういったことは実際自分自身による帰納法によって現実を批判していくほかない。それには反省ということも避けて通れない。そういった反省は悟性の能力を高めるためには絶対に必要である。反省を自己批判という言い方もあると思うがシンプルに反省でいいと思う。

    知識・真理を演繹法として身に着ける人も多いだろう。それは何も生み出さないなくてもよい人生の飾りとなるだろう。そうではなく帰納法をしっかり身につければ知識・真理は生み出され解していくことができるだろう。それをカントは言っている。

    カント、柄谷行人、柳田国男、理解する価値があると思う。

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著者プロフィール

柳田國男(やなぎたくにお)
1875年(明治8年) − 1962年(昭和37年)。兵庫県生まれ。日本民俗学の開拓者である。代表作に『遠野物語』、『蝸牛考』、『桃太郎の誕生』『海上の道』などがある。

「2026年 『大活字本シリーズ 柳田國男 全巻セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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