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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480025746
みんなの感想まとめ
テーマは、宮沢賢治の実弟である清六氏が語る兄への思い出と、賢治の作品に込められた深いメッセージです。清六氏のエッセイは、賢治の人柄や家族のエピソードを通じて、彼の文学の背景を豊かに描き出しています。特...
感想・レビュー・書評
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死の10日前に教え子に出した手紙には「私の惨めな失敗は、まだまだ慢心という気分が残っていたため」と深く反省して書いている。
9月17日から19日までは、花巻の氏神の祭りで、この年は津波はあったが大変な豊作で、天気も良かったので町には山車も沢山通っていた。最後の祭りの晩には、賢治も門の前に出て御輿の渡御をおがみ、その後で肥料の相談にきた農家の人と長く話しこんでいたが、そのためか次の日はひどい熱が出たのである。
あまり苦しそうなので、私はその晩二階の兄のそばで寝むことにしたのだが「こんやの電燈は暗いなあ」と言ったり、「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも出したいところがあったら発表してもいい」と言ったり、悲しいことを話したのであった。
翌日の21日の昼ちかく、二階で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」という高い兄の声がするので、家中の人たちが驚いて二階に集まると、喀血して顔は青ざめていたが合掌して御題目をとなえていた。
父は「遺言することはないか」と言い、賢治は方言で「国訳妙法蓮華経を一千部おつくりください。表紙は朱色、校正は北向氏、お経のうしろには「私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手もとに届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られますことを」ということを書いて知己の方々にあげてください」と言った。
父はその通りに紙に書いてそれを読んで聞かせてから「おまえも大した偉いものだ。あとはなにも言うことはないか」と聞き、兄は「あとはまた起きてから書きます」と言ってから、私どもの方をむいて「おれもとうとうお父さんにほめられた」とうれしそうに笑ったのであった。
それからすこし水を呑み、からだ中を自分でオキシフルをつけた脱脂綿でふいて、その綿をぽろっと落としたときには、息をひきとっていた。9月21日午後1時30分であった。(初出1969「宮澤賢治全集」別巻)
ふと賢治の今際の際の言葉が気になって、久しぶりに弟さんの「兄のトランク」を紐解いてみた。私の生涯に大きな影響を与えた小学校の時のクリスマスプレゼント「伝記宮沢賢治」では、最期の時にお父さんに法華経を配ることを頼んだあとに「ほかに無いか」と聞かれて「(原稿については)あれは私の迷いの産物ですから、処分はお任せします」と述べたことになっていた。そのことを思い出したのである。私がいますぐに死ぬとしたなら、おそらく書物にしたならどんなに頑張っても1000ページは超えるであろう、このブログの中味を「私の迷いの産物ですからちゃっちゃと消してください」と言えるだろうか。と考えたのである。賢治の作品群は、そうは言っても幾つかは出版を考えたモノがたくさん残っていた。客観的には日本文学の宝物であるが、賢治の主観的にも思い入れのあるモノであったことは間違いないのである。それであるにも関わらず、賢治は死ぬ間際に「捨ててくれ」と言ったのだ。と、私はずっと信じていた。
ところが、この本を読むと清六さんに遠慮がちながら、出版を頼んでいたのである。私が伝記を読んだのは1970年ごろ。この略伝のホントの初出は1964年とある。その後1979年版は加筆したそうだから、最初の時には違うように書いていたかもしれない。しかし、ちょっとホッとした。
でも、このブログの中味、放って置いたら消されるのは明らかであるが、果たしてそれでいいのかは一度考えなければならない。客観的には「迷いの産物ですから」になるのは明らかである。
賢治の最期は、しかし「大した偉いもの」だった。こういう死に方を、私もしたい。
久しぶりに清六さんの文章を読んだ。文章は決して大気圏を飛び出さない。地に足のついたかっちりとした文を書く。1990年代の初め、岩手県を旅した時に、私は賢治の生家の玄関を写真に撮っていた。その時にちょうど玄関に現れて一言ふた言交わしたのが、清六さんだった。岡山から来たのだ、と言うと玄関の写真を撮ることを許してくれた。それ以上は緊張して何も喋れなかった。背が真っ直ぐで大きな男性だった。その後数年後に亡くなったのである。思えば、あの玄関先に9月19日賢治が病を押して御輿を観に出たのだ。家の前に小川が流れていた。
この本で、清六さんはイギリス海岸に想いを馳せていろいろ書いている。200万年前の新第三紀の泥岩層で、賢治の頃には100万年以前には絶対人類はいなかったと信じられていたし、恐竜の証拠もなかった。しかし賢治は詩の中で「尖れるくるみ 巨獣のあの痕/磐うちわたるわが影を」などと描いていたらしい。そのあと、巨獣「ハナイズミモリウシ」や「ワカトクナガ象」や「キンリュウ大角鹿」などの化石が見つかったのだという。「どうして今後、イギリス海岸付近からも先行人類や巨獣の骨が見つからないと断言できようか」と清六さんは書いていた。まさに「あまちゃん」で出て来たように、恐竜の化石はその近くから出て来たのである。今後賢治や清六さんの予言通り、人類の骨が出て来ても決しておかしくはない。実際、清六さんはイギリス海岸でくるみの化石を50個も見つけたらしい。その時代の人類はパラントロプスだったらしい。清六さんは菜食の人類だったと考えている。そしてやがて、オーストラロピテクスという肉食人類に追われた、と考えている。まるで賢治のように。
2013年11月13日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宮沢賢治の実弟である清六氏による兄の思い出に関するエッセイ。何十年ぶりかで訪れた宮沢賢治記念館で見つけて買ったものを東北を旅しながら読んでみる。野営したり、賢治と関わりの深い湯治場などで夜読んでみあると、どんな状況と背景で描かれたかがしみじみと伝わってきてもう一度作品そのものを読み返したくなります。
震災からの復興その後どうなった!?が今回の旅のテーマであるだけに、賢治の誕生と亡くなった年に三陸の津波が発生し何千人もの死者を出している因縁などを知るにつけ、感慨も深かった。同じことを何度も繰り返しているではないか。いままで経験したことも無いとか、ことさらにセンセーショナルに煽られているけれど、本当に学んでいるのだろうか?パンデミックも同じ。これまで何度も経験しているはずだし、伝えようとした人もいたはず。自分も含めて不勉強を恥じる。
派手な中央からのお金の落とし方に頼ることだけでなく、自分たちで興すことをやらないとほんとだめだと、賢治の生き方を垣間見るとこで思った。同じ東北人としてもっと行動せねばとも強く思った。 -
文庫ではなく、表紙に清六氏直筆の葉書(絵も字も可愛い)のあるハードカバーで読んだが、ブクログにはないのでこちらで登録しておく。
実は私はほとんど宮沢賢治を読んだことがない。
面白いと評判を聞いてこの本を手に取る。
賢治で自発的に摂取していたのは、銀河鉄道の夜だけかな。(子供のころ、猫のアニメも見たけど、鳥の足のお菓子シーンしか覚えてない)
原作は高校生ごろに読んだが、それもどのバージョンだったか分からないくらい。カムパネルラの父親の諦めの早さしか覚えてないという体たらくである。
この本は賢治の弟、清六さんが後年兄を振り返ってもろもろの機会に発表してきた雑文たち。
妹トシのことしか知らなかったので、弟さんもいたんだーというところから読み始めた。
冒頭の若き賢治との思い出エッセイ、麓の若駒たち、曠野の饗宴、最初の手紙、映画についての断章あたりを楽しく読んだ。
一番泣けたのは、「兄賢治の生涯」の終わり、父とのやりとりの場面。
私が子供の頃に読んだ伝記マンガの宮沢賢治の人生は、まさにこの文を元にしていたんだなあとよくわかった。
弟さんも文が賢治と似ている気がした。
狙ってない、自然な手のままに、音楽科学詩的宗教的な文がかけるのがすごいね。
自然と人間への愛が素晴らしい。
賢治はなんであんなに法華経にハマったんかなあと、子供の頃に読んだ伝記マンガでは疑問だったけど、この本で少し理由がわかった気がした。
真面目で優しい、かつお坊ちゃんだからだよねえ。
弟さんの文のなかに、質屋という家業=困窮者相手、しかもそれなりに稼ぎのあったのが、賢治には向いてなかった、とハッキリあって笑った。
賢治と映画、クラシック音楽、幼少期のキリスト教の付き合い、石拾いの日々など、人格形成の過程が重層的に理解できて興味深かった。
いつか、ちゃんと宮沢賢治も読まないとなあ。
郷里の文芸偉人であるところの石川啄木(人格はアレだし、世渡りは超下手)の影響もやっぱりあるよなーーー。
北原白秋「フレップトリップ」の解説で、北の大地に強い憧れを抱いていた白秋が、石川啄木そして宮沢賢治という北の果てに生まれた詩人たちの作品が送られてきて、それなりに感動したはずだが、あまりその動きが記録としては残っていない、というエピソードを思い出した。
早生した不世出の詩人が、もし生前ちゃんと脚光を浴びていたら、、、とここでも思ってしまったよ。
雨にも負けずの一文、サムサノナツニハオロオロアルキ、にあるような、東北の冷夏の恐ろしさ、農業不作→困窮、飢餓、病の流れが賢治の周囲には常にまとい、これがいかに大きな恐怖であるか、は本書でようやく芯から理解できたように思います。 -
弟の清六さんだけが知る賢治さんや宮沢家のエピソードも、賢治さんの物語の中に織り込まれていったんだと思いました。
清六さんのお兄さんを敬愛する想い、伝わってきます。
文章もとても素敵で、清六さんのお人柄が良く表れています。 -
賢治の8歳年下の弟である著者が、昭和14年に発表した詩論「『春と修羅』への独白」をはじめ、兄賢治の思い出や作品について語ったエッセイをまとめたものです。
表題作は妹トシの病気を知らせる家からの電報で、賢治が東京から帰ってきた際に携帯していた大きなトランクの思い出から。トランクにぎっしり詰め込まれた童話を、賢治は「童児(わらし)こさえる代わりに書いたのだもや(子どもをつくる代わりに書いたものだよ)」と言いながら読んで聞かせてくれたそうです。その他のエッセイも、賢治の人柄をうかがうことのできるものとなっています。 -
10月に宮沢賢治記念館に行った時に購入。
宮沢賢治の8歳年下の実弟 宮沢清六氏が
研究誌や月報に書いたものをまとめたもの。
宮沢賢治という人が世に出たのは
清六氏のおかげにほかならない。
賢治は地元では「優秀だが変人」と思われることも多く
出版も何度かしたもののほとんど売れなかった。
だが昭和8年に賢治が亡くなり
賢治から原稿を託された清六氏は
草野心平や高村光太郎の助力を得て
翌年には「宮沢賢治全集」を刊行する。
清六氏は賢治の遺言に従い
原稿や絵などを守り続けた。
だが戦争で花巻も激しい空襲に見舞われる。
「燻浄された原稿」には
土蔵に保存していた賢治の遺稿が
燻製のようになった話が出てくる。
「花巻から山小屋までの高村先生」には
東京から疎開してきた高村光太郎と
命からがら空襲から逃れた話が書かれている。
清六氏にとって賢治は
多くの刺激を与えてくれる大切な存在であったから
賢治が好きだった映画や音楽の話はなかなかに楽しく
「『春と修羅』への独白」や
「『イギリス海岸』への独白」で
太古の昔から宇宙の果てまで
「賢治の世界」に思いを巡らす
清六氏の姿には賢治の面影が濃い。
賢治は死ぬ間際に父親から
「その他には何かないのか?」と問われ
「それはいずれ後でまた詳しく書きます」
と言ったのを清六氏は聞いている。
この言葉を清六氏は「少し気分がよくなったら」
という「後で」ではなく
「憧れの土地に生まれ変わ」った来世で
ということなのではないかと書いている。
(「臨終のことば」から)
童話から 詩 短歌 音楽や絵
花壇の設計に至るまで
賢治の世界はとてつもなく大きく深いことを
清六氏の言葉から知ることが出来る。
賢治が生まれた1896年 明治29年という年は
東北を天災が襲った年であった。
大地震と三陸の大津波
飢饉や伝染病の流行が人々を苦しめた。
災害から必死に立ち上がろうとする人々の姿が
賢治に「雨ニモマケズ」の詩を書かせたことは
言うまでもない。
この詩は賢治の死後 清六氏が
賢治のトランクから見つけた手帳に
書かれていたものである。 -
なかなか見つけられなかったんだけど、宮沢賢治記念館で購入。弟さんも立派なぶんを書く。
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宮沢賢治の実弟の宮沢清六さんが、求めに応じてあちこちの雑誌等に発表した文章を一冊にまとめたものです。そのため全体としてのまとまりには欠けますが、宮沢賢治理解のためには不可欠の一冊です。
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宮沢賢治の弟、清六さんによる手記をまとめた作品。
真摯で穏やかな清六さんの人柄が伝わってきた。
宮沢賢治が遺した童話、詩、手紙などを大切に保存し、後世へ残していく。
清六さん自身も賢治に負けないくらいに想像力も豊かで文才もあり、その筆致に惹かれっぱなしだった。
「春と修羅」を読み解くのに苦労している私だが、そのヒントとなる言葉をたくさん貰い、ますます賢治の魅力にはまってしまった。 -
祖父の書斎からくすねてきた。書き込みや折れが見られないことから察するに、賢治の会でもらったものの読まなかったのだろう。
日蓮宗や宇宙論との繋がりは何となく分かるものの、窪川と花巻の風景に似通ったところがあるのか疑問である。
『春と修羅』だけをよんでもさっぱり分からなかった賢治の心象スケッチが、周縁の文章から徐々に立ち現れてくるので面白い。金井美恵子が入澤康夫・天澤退二郎と合わせて三人の澤批評なるものをしていたが、ここらへんの聯関も面白そう。(この2人は賢治の文語詩の編集もしていたよう。)
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映画「銀河鉄道の父」を観て史実と異なる点に
納得がいかず、この本の存在を知り読んでみた次第。
賢治実弟の清六氏の講演、寄稿等をまとめたもの。
宮沢賢治その人と作品を知る上で貴重な一冊。 -
清六の兄へのスタンスが知りたい。
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作家と読者の相性というものがあるのかもしれない。
宮沢賢治という名前は大きく子供の頃から馴染みはあるものの、キチンと向き合って読んだことはあまりない。
科学的な用語や宗教的な思想が一歩踏み込んで感情移入できなかったから。
そこで、脇から攻めてみようかと買った一冊。
やはり、ご本尊に疎くては難解な一冊となってしまった。
背景は少しわかったけれど。 -
詩創作の背景や、物語の裏側が清六さんの視点から解説されていて、大変面白く読むことが出来た。ベジタリアン大祭はこっちに収録されていた話のほうが面白いかも…
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宮沢賢治の実弟の清六さんの講演、寄稿等をまとめたもの。会社で宮沢賢治の作品が出版されたとき、推薦図書だったので購入したものだが、全く手つかずの本であった。本としては読みづらいものであった。
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賢治の理解者であり原稿を託された弟
文体や考え方など、この人自身が賢治のファンなんだなと思う
空襲から原稿を守ったり、雑誌社に持っていったり、解説をしたり… 兄の思い出話は思ったほど多くないが、臨終や父とのいさかいなどはえがかれている なんだかほっこりした
「童子こさえるかわりに作ったものだもや」 -
宮澤賢治の実弟による記録。
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分類=宮沢賢治(エピソード)。91年12月文庫化(87年9月初出)。(参考)宮沢賢治の宇宙→ http://www.kenji-world.net/
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