- Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480026491
感想・レビュー・書評
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石垣りん 「焔に手をかざして」
自身の人生を振り返ったエッセイ
著者は 戦争や年齢により 家族や社会から切り離され、独りになっていく悲しみを 詩に転換している。
タイトルの意図は、独り身の悲しみを、詩を通して 燃やして、その火に 自分の手をかざして暖めている感じ
著者の詩を読むときは、著者の悲しみが何だったのか、著者はどういう社会を経験したかを考えながら読むのがいいと思う
自身の詩と祈りについての文章はとても良かった
詩について
*写真を見て詩を書いてはいけない〜他人の感動を通したものを仲立ちにして詩を書いてはいけない
*自身の経験と周囲からの問いかけによって 詩句は成り立っている
祈りについて
*祈りの根元にあるのは〜人間のかなしみ
*恐ろしい世の中だが、光輝く世界でもあった
*朝がくれば亡くなった家族 と 生き残った人たちのために祈る
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資料番号:010704963
ご利用の細則:貸出可能です
備考:【元の所在場所】自動書庫
http://lib-yuki.city.yuki.lg.jp/info/shoko.html -
りんさんの散文集は、かつてちくま文庫に『ユーモアの鎖国』、『夜の太鼓』と、この『焔に手をかざして』の3冊が入っていたが、今は3冊とも切れてしまっている。
この本は、1980年に単行本で出ている。高等小学校を卒業してからずっと勤めてきた銀行を55歳で定年になる間近に書いたものから、定年となったあとに書いたものまで、りんさんの50代のことどもがおさめられている。
それぞれの一文はどれもいいなあと思うもので、手に入らないなら書き写しておきたいと思うところもあった。中でも、「女の手仕事」の一文(pp.50-53)がよかった。
「手仕事」と自分に出題して、「ツギ」とぱっと出た答えが自分でも意外だった、と書き出される文章のなかで、失われたと愛惜される手仕事は手料理、刺繍、編み物くらいしか考えつかなかったが、手が覚えていたのは「ツギ」のような、もっと張り合いのない、しないで済むならどんなに助かるだろうと思われる仕事のほうだった、とりんさんは振り返る。
一人暮しのよごれものを今もタライで手洗いするというりんさんは、それは仕方なくそうしているのだけれど、「手仕事をしていると、物との間にちいさな言葉が生まれるし、わりあい考え事もしている」と感じる。
洗濯機のない貧しさは、タライでの手洗いをしていられる時間のぜいたくさでもあって、そこに、時間をもっと有効に使えとけしかける声が聞こえてくる、心は追われている、その呼び声は、人が手を使うことより頭を使うほうが有効でずっと高級で、それは高給に通じてトクなのだという世間の風潮の底から聞こえてくると、りんさんは書く。
▼目に見えて女の手仕事が減ったときは、とっくに男の手仕事も減っていて、良い職人さんがなかなか見つからない世の中に変わってしまっていた。そのときは子供の鉛筆削りという手仕事まで、なにものかが取り上げて行ったあとだった。(pp.52-53)
手が働く、それは頭だけに先行させないハタラキとして、この辺りで新しく手仕事を考えるところへ来ているのかもしれない、「女の手仕事」でりんさんがそう書いたのは、55歳の6月、1975年。このテーマは、"国際婦人年"が始まったことと関係があったのかもしれない、と思う。
「ゆかりの人・人」を書いたIII章は、伊藤比呂美の『あのころ、先生がいた。』を思わせる。