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- / ISBN・EAN: 9784480027221
感想・レビュー・書評
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この時点での語り手「私」はいったい何歳なのだ! というのがけっこう気にかかる。
また「私」はスワン氏にけっこう感情移入しているところがあり、この第二巻でいきなりスワン氏と結婚していることが判明したオデットにも何らかの憧れを抱いており、おまけにその娘ジルベルトにはぞっこんである。
読んでいていちばん心配なのは、この「私」の行く末。
しかしいわゆるスワン氏に対する世間の目(例えば外交官氏のそれ)には批判的であるらしい「私」に一抹の期待を託したい。さらにしかし、同時に「私」が脆弱な存在であることが、本作のドラマを駆動させる。
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早くも「私」はジルベルトとの関係が悪化しはじめたよう。それこそスワンの二の舞を踏んでいるような感じがするが、いったい、ジルベルトは「私」の何に不満だったのか。この展開がスワンと同様になると本作はいくらか退屈になりそうな予感。スワンと「私」との間に、どのようなコントラストが現れるのか。 -
一巻の終わりで、長い嫉妬が冷め恋が終わったと思っていたスワンとオデットが結婚していてびっくり。スワン夫人と、社交界に押し出したいスワンの涙ぐましい努力。
スワン家の娘に恋する私。
恋が終わって、出入りしなくなったあとは、汽車で祖母と旅。ここで、牛乳売りに一目惚れ。
保養地の海辺のホテルに逗留。ここで出会った娘に一目惚れ。
気の多いやっちゃ。
観察眼の異常に鋭い俗物。
文章がとにかく美しい。がのれるまでに時間がかかる。 -
マルセル・プルーストによる超大作の第二巻「花咲く乙女たちのかげに」です。第一部の「スワン夫人をめぐって」では主人公とジルベルトの恋の行方が描かれる。とにかく主人公が一人で苦悩してて青春してます。第一部ではとにかく芸術論や主人公の思考や思想、人物評など、まぁここまでよく考えることがあるなぁ、と関心する。この小説はある意味では本当に読みにくい小説だけど、この思考の流れを漂うような不思議な感覚はなれるととても気持ちいいです。
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『失われた時を求めて』をプルーストはコルク張りの部屋で13年の歳月をかけて執筆した。
第一篇の スワン家のほうへ は、 自費出版したが、第二篇 花咲く乙女たちのかげに
(A l'ombre des jeunes filles en fleurs,1919)が、第一次大戦後初のゴンクール賞を受賞し、ほとんど無名だったプルーストは一躍、知名の作家となる。
そのため、第二篇の 花咲く乙女たちのかげに から読み始めたという読者も多かったらしいが、その後、百年弱を経た今、死後出版の五篇六篇七篇も含め、邦訳されており、日本人の私たちも『失われた時を求めて』の長大なプルーストの描いた世界を第一篇から堪能することができるのである。
長編小説の中の二篇目といっても、十分にそれだけで長編の 花咲く乙女たちのかげに のことを書こうとすると、どうしてもあらすじめいてしまうが、とにかく書かないと忘れてしまう恐れもあり、プルースト張りにだらだら書き連ねてしまいます。
第一部 スワン夫人をめぐって は、冒頭からノルポワ氏が登場する。
ノルポワ伯爵は、元大使で、語り手の父と同じ委員会に属する人物。父は彼に一目置いており、父は語り手が文筆の生業に就くことを猛反対していたが、その意向をかえさせてしまうくらいの存在感を持っている。
しかし、見せた散文詩はつき返され、敬愛している作家のベルゴット(モデルはアナトール・フランス?)をノルポワは酷評する。
『フェドール』を祖母と観劇するが、語り手は失望を隠せない。そのことをノルポワに告白すると、ノルポワは、女優のラ・ベルマ(モデルはサラ・ベルナール?)を賞賛し、それを聞いた語り手も簡単にノルポワに共鳴してしまう。
第一篇の 第三部 土地の名、ー名 で、スワンとオデットの一人娘のジルベルトに一目ぼれをしてしまう語り手だが、なかなか会うことができない。
第一篇の スワンの恋 からは、時が流れ、スワンとオデットは結婚して十年以上経つ。
きらびやかな社交界からはスワンの姿は消え、オデットは念願だった自分のサロンを持っている。
窒息症(喘息の重積発作?)が続くためコタール医師(ヴェルデュランのサロンの常連だった)に往診を依頼し、思いがけずコタールが名医だと知るのだった。
病気になって愛しいジルベルトに会えなくなった語り手だが、スワン家に招待され、やがて足しげく通うようになる。
語り手はジルベルトを慕いながらも今も尚美しいオデットにも憧憬を持ち、やがてジルベルトとの仲がうまくいかなくなってからもスワン家に通い続けたりする。
スワン家で尊敬するベルゴットと会い失望し、ジルベルトが若い男とシャン・ゼリゼ大通りを歩いているのを見て初恋の終わりを悟る。
第二部の 土地の名、土地 は、第一篇の 第三部 土地の名、ー名 で語られたバルベックに、祖母とフランソワ(お手伝い)と旅立つ。
語り手は、グランド・ホテルに滞在する。
そこにはさまざまな人が出入りしているが、常日頃、祖母が褒めちぎる祖母の学友にあたるヴィルパリジ公爵夫人や、その甥のシャルリュス男爵、ヴィルパリジ公爵夫人の姪の息子にあたるサン・ルー公爵などの大貴族ゲルマント一家の人物たちも来ていて懇意になる。
シャルリュス男爵は、スワンの知人でオデットと仲がいい人物で、 スワンの恋も登場したが、今回は、語り手に奇妙な振る舞いをする人として意味深な存在として登場する。
サン・ルーは、語り手と親友のような関係となる好青年である。『椿姫』の主人公のように、どうも身分不相応な相手に恋をしているらしい。
ほかにもグランド・ホテルのボーイ長のエメや語り手の学友のユダヤ人のブロックなどが登場し、噂好きな俗ぽい人々が脇を固める。
語り手は画家のエルスチールと知合い、彼のアトリエで、スワン夫人の若いときの肖像画を見るにつけ、彼は、ヴェルデュランのサロンの常連で、ムッシュ=ビッシュと呼ばれていた人物だということを知る。
バルベックの海岸で、数人の年若い乙女たちに語り手は出会い、心をときめかす。
ジルベルトとの交流が途絶えて2年の月日が流れていたが、惚れっぽいというか、たちまち恋に落ちたいという欲望は強く、乙女たちのなかのアルベルチーヌをエルスチールから紹介して貰って喜色満面の日々を過ごす。
アルベルチーヌは孤児だが、叔父のポンタンは郵政大臣官房長官で、ポンタン夫人は、ヴェルデュランやスワン夫人のサロンの常連である。
ある日、アルベルチーヌにホテルの部屋に誘われ、いそいそと出かけキスを迫ったが、呆気なく拒否され、呼び鈴を鳴らされてしまう。
ほどなく、アルベルチーヌはパリに帰り、残された語り手は、シーズンが終り、次々と客が去るグランド・ホテルに暫く滞在してパリに戻るが、時は現時間になり回想形式の余韻を残して第二篇は終る。
プルーストの文体に、慣れるにはどれほどの時を失えばいいのかわからないが、プルーストの迷宮を彷徨うには時は不可欠のものとなる。
当時のパリの由緒ある貴族たちの面影、ブルジョアジーの波にうまく乗ったインテリたち、社交界の俗社会が詳細に描かれてゆく。
神話的、芸術的形象を各所にちりばめ、象徴主義的手法を取り入れ、独自の隱喩暗喩を駆使しつつ、時が止まっているかのごとき緩慢な文章のなかには、次篇へと続く伏線が静かにはられているのだ。
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