- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480032867
作品紹介・あらすじ
太平洋戦争の激戦地ラバウル。水木二等兵は、その戦闘に一兵卒として送り込まれた。彼は上官に殴られ続ける日々を、それでも楽天的な気持ちで過ごしていた。ある日、部隊は敵の奇襲にあい全滅する。彼は、九死に一生をえるが、片腕を失ってしまう。この強烈な体験が鮮明な時期に描いた絵に、後に文章を添えて完成したのが、この戦記である。終戦直後、ラバウルの原住民と交流しながら、その地で描いた貴重なデッサン二十点もあわせて公開する。
感想・レビュー・書評
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漫画ではなくエッセー。水木さんが終戦後に描いた戦記画やスケッチに解説をつけるという、絵日記風のちょっと変わった作品。〝万年〟初年兵が太平洋戦争の激戦地ラバウルで、片腕を失いながらも生き延びた様子が、軽口を交え、のほほんとした感じで綴られています。「地獄」と同時に「天国」も体験。島の自然への畏怖と憧憬、原住民との出会いと交流が「鬼太郎」の原点となったことは言うまでもありません。
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水木しげるサンの戦争体験記。別の著書で「戦争の時も俺は土人との交流をひたすら楽しんでいた」というようなことが書かれていたので、戦地にいてもあっけらかんとしていた様子が見られるのかなと思って読み始めたが、さすがにさすがに、そればかりではなかった。(ちなみに「土人」とは、文字通り土の上で自然と共に生きる人という意味で、敬意を込めて水木サンがラバウルの現地民を呼ぶ表現。)
とはいえ、ああまで堂々と決まりを破って土人に会いに行き親交を深めるなんてこと、誰にでもできることではない。終戦後もこのままここに住むという現地除隊の道を本気で考えていたというのもなかなかだ(それだけ、戦争なんかやっている“文明国”日本での生活がほとほと馬鹿らしく感じられたのだと思う)。「一度日本に帰って、七年後にまた来る」と約束して、本当に再訪したのは二十三年後だったという。約束を破られたと感じたまま生涯を終えた土人もいただろうが、ちゃんと再会できた少年(再会時には当然オジサンになっていた)もいて、良かった。会いに行く方だって、そんなに時間が経ってしまって一体どのツラ下げて…みたいなことを考え出すと、結構勇気がいることだ。やっぱり水木サン、かっこいい。 -
ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる氏はマイペースな方だったそうだが、太平洋戦争で徴兵されて出向いた戦地でもやはりマイペースだった。暇さえあれば原住民とのんびり交流する水木氏は上官にしょっちゅうビンタをくらっていた。(残念ながらその頃の日本軍は「指導」と称する暴力が日常的にあったのですね。)そのうえ米軍からの攻撃で片腕を失ってしまう。だけど、この本には悲壮感はちっともありません。ユーモアもあるひょうひょうとした語り口がとてもいい。
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水木しげる先生の飄々とユニークな人柄が戦争の前線という中におられるにも関わらずに十分伝わる。いや、悲惨さや理不尽さを覆うように描写されてるのかな。
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多くの戦争体験者が何も語らないままあの世へ旅立っていかれる。
見聞きしたこと体験したことを誰にも告げることなく、独り苦しんでおられた方も少なくないだろう。
水木しげる氏は、その類い希なる生命力で激戦地から帰還。出生前には美大に在籍しておられ、戦後街灯紙芝居から漫画家として身を立てられた。
これを描かせたのは、亡くなっていった戦友たちの魂であるという下りがある。思い出したくない体験を表現している間の辛苦はいかほどだったであろうか。おかげで私たちは当時の様子を窺い知ることができるのだ。 -
2015年11月30日「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳
ご冥福をお祈りします。
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2010/5/13 予約、6/9 借りる。6/24 ざっくり読み終わる。
ほとんどのページの上半分がスケッチで、それがなんとも実感できる。
内容 :
ぼくは「第一線」という感じはぜんぜんしなかった。
とにかく毎日面白いのだ。もったいないほど幸福な話だ。
終戦後描いた絵物語風の戦記など未発表の絵と書下した戦争と南方の人間味溢れるドキュメント。 -
天国。
この言葉が、本書では二つの意味を持つ。
一つは、死地(最前線)に赴く兵隊たちに気休めを与えるための安易な言葉。
二つめは、初年兵だった水木センセイの率直な感想。片腕を失ったあと、古老兵にどれだけビンタされようとも、懲りずに「土人」(差別用語ではなく、真に土に祝福された人たちの意)の集落を訪れた水木センセイは、そこを天国と見なした。豊富な食べ物。芳醇な時間。そして躍動感あふれる踊り。永久に土人となることを本気で考えさえした。
その意味で、本書は「地獄めぐり」の記であるとともに、「天国」を発見する行程の記でもあった。ダンテの「神曲」ほどの知性と教養はないけれども、それに匹敵する内容だと思った。
何より、掲載されている絵の素晴らしさ。三分の一は幻想的なモノクロの絵。また三分の一は、ジャングルの極彩色。また三分の一は、憂いに包まれたリアリステックな鉛筆画。巧まざる構成であるにもかかわらず、ほんとうに奇跡のようで、胸を締め付けられ通しだった。 -
ラバウルの実態を知りたくて読みました。
ページをめくる前はなんとなく気が重かったけど、
読み始めると一気でした。
こんなにオモシロイとは意外。
水木しげるの飄々とした筆致とイラストが秀逸。
でも、やっぱり戦争は辛すぎる。
若者がポロポロ死ぬなんて、悲惨でもったいなすぎる。 -
「戦記物」と言えば付き物(?)の悲愴感・切迫感が極めて薄い・・・・・。 もちろん場所は戦地だし、乏しい物資の中で行軍ばかりしている陸軍さんだから悲愴感を漂わせようと思えばいくらでも漂わせられるエピソードが網羅されている割には「ホノボノ感」やら「ワクワク感」やらがそこはかとな~く漂ってくるんですよ。 それと言うのも、ここに登場する「水木二等兵」は凡そ兵隊さんらしくないんです。 勇ましさもないかわりに、臆病さも微塵もなくどこか飄々としているんですよね~。 戦争をさせられるために南方へ向かわされたにも関わらず、何だか珍しいもの・文化のあふれる南方世界に好奇心丸出しで本気でそれらを楽しんじゃうある種の「ふてぶてしさ」に満ち溢れているんです。
もちろんこの本の読者である私たちは彼が生還したことを事実として知っているわけだけど、それを知っているから・・・・・と言うよりは、彼の彼の地での生き様エピソードの一つ一つに「ああ、この人は絶対に生き残る」と思わせる生命力みたいなものが溢れているんですよ。 戦地での食糧不足から空腹感があるとはいえ、得体の知れないものを率先して食べちゃったり、上官から禁止されていてもしもバレたら通常以上の体罰(ビンタとか)を食らうことも承知のうえで土人部落に遊びに行っちゃたり、終戦後は本気で現地除隊を志願して南方に住み着こうと考えちゃったりと、凡そマイペース(笑)。 これが戦時中のお話であるという絵や説明がなければ「戦記」というよりは「南方旅行記」みたいな感じなんですよね~。
(全文はブログにて)