終わりなき日常を生きろ (ちくま文庫 み 18-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 799
感想 : 68
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480033765

作品紹介・あらすじ

「さまよえる良心」と「終わりなき日常」をキーワードに、今最も活発な発言を続ける著者が、オウムと現代社会を分析する。社会が成熟し、幻想が共有されなくなった時代、人はそれぞれの物語を生きるようになっている。その後の事件、状況分析を加えたあとがきを新たに付す。

感想・レビュー・書評

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  • 一見、オウム事件についての本かと思いきや…良い意味で裏切られました。地に足つけて、現実見据えて泥臭く生きる、そんな「かっこいい」生き方マニュアル。

  • 私にとっての90年代は0歳から7歳までの間だけで、しかし私は年賀状に「21世紀」と手書きで何度も書いた記憶があるので、90年代のことはうっすらと覚えている。不景気・そして社会不安・凶悪犯罪により、幼い娘を持つ両親は私に「知らない人は何をするか分からないから絶対に信用しては駄目だ」と教え込んだ。私はこの社会はディストピアであり、見知らぬ他人は容易に殺人犯に変容し、そして日本は永遠と不景気なんだと幼心にインプットしたおかげで、90年代は非常に灰色の記憶になっている。(あとから記憶を上塗りしているかもしれないけれども)
    という、その私の90年代と地続きになっているはずの、オウム事件から日をおかずに出版された本らしく、内容は今読むとかなり雑多で幅広い。途中にコラム・写真なども入り込んでいて、本全体としては論として時間をかけて練られたものという印象はなく、気鋭の若手社会学者が事件に応答をすべく動いた即応性を感じさせ、また宮台真司という人物の幅を見せる面白みにもなっている。「過渡的な近代」から「成熟した近代」への移行プロセスで共同体が空洞化し、承認が得にくくなった社会で、承認から見放された人間たちがどこに承認を求めていったのかというフローを、オウム事件だけではなく、その後の事件も含めて分析したあとがきが、とてもクリアで良い。「終わりなき日常」は、21世紀に突入して早19年もたってしまった現在でも非常に示唆的なワードな気がしてぞっとする。おそらく「成熟した近代」への移行に失敗したままである日本社会の「承認の供給不足」という事態は変わっていないはずで、社会の外はますます肥大しており、コミットすべき現実との乖離は拡大しているように見える。私の友人などは「会社にいるときの自分は自分ではないようだ」とまで言い出す始末だけれども、オタク的な消費行動に熱をあげることは「まったり生きる」ということに繋がるのだろうか?などという疑問はおそらく『制服少女たちの選択』などを読めば少しスッキリするのでしょう。

  • 割と面白かった

  • ■ 生き生きとした生命の実感をもたらす決戦のときもない世界。
    過ちは永遠に記憶され、絶望は希望に変わらず、未来は単なる今日の延長。

    ■ 全面的包括要求そのものを放棄

    ■絶対的な善悪がわかりづらい(存在しない)昨今、相対的に善く、まったりと生きる。

    ■私たちの課題は、社会の内側で見捨てられる人たちに対して、どうやって承認していくか。
    そして、論理なき自由な社会で、共同体的コミュニティを復活させていくか。

     

  • 終わりなき日常の退屈さに耐えかねた若者たちが
    非日常を求めてオウム真理教に集い
    やがてはテロ行為を引き起こすに至った
    なんでそんなことになったか
    それは彼らに「終わりなき日常」を生きるだけの
    柔軟性がなかったからである
    …という主張を掲げた本なのであるが
    それで単純に「終わりなき日常を生きろ」なんて
    アジテーションに走ってしまうところが
    まあなんつうか
    あんたも教祖になりたかったんだろ?って感じです
    そもそも「終わりなき日常」が錯覚なのである
    そういうのはサザエさん時空だけだ
    ビューティフルドリーマーだって要は夢の話だろう
    人は年老いて死ぬ
    未来惑星ザルドスじゃみんな死にたがってるぐらいさ
    そこから目を背けて永遠はあるよ、なんて
    そんなのエロゲーの中だけにしておいたほうがよいと思います
    言いたいこと伝わるだろうか
    「終わりなき日常」の円環は、人の成熟を無効にする錯覚だ
    その錯覚に怯えて世界を見失った人々と
    錯覚に安住して自分を見失った人々がいた
    すなわちブルセラとオウムは共にノスタルジア
    …終わりなき幼年期を生きるものたちだったんですよ
    じっさいオウムは麻原の入った風呂の水とか売ってたんだし
    似たようなもんだろう
    作者はブルセラで古着を売る少女たちを特権的存在にしたかったらしく
    両者をムリヤリ相対化しようとして
    破綻した感がありますね
    麻原みたいな奴に純粋な少女が騙されてしまうことへの憤りは
    そりゃ僕にもあったけどね
    だからってブルセラ≒売春を美化推奨することは
    遅効性の毒と言わざるをえない

  • この本を読んでいて、個人的に面白いなと思ったのは、オウムのような宗教団体が社会の中で存在できた時代背景と、エヴァがアニメとして放送された時代背景とがリンクしているというところ。エヴァを見たときに感じた、モヤモヤ感みたいなのに少し理由が与えられたような気がした。

  • 面白かったが、20年以上も前になると忘れ去れたら古い理論やアイデアに感じた。アカデミズム、社会学的なものにもある時を機会に断絶があるように感じた。


  • 僕が今生きる地平はどのようになっているのか。
    とりわけ戦後からの日本。現代日本とは何なのか?

    失われた30年
    日本が停滞していたことしか経験として知らない僕にとって過去の世代の断念がどのようなものなのか

    オウムに魅せられた当時の若者
    全共闘の終わり、シラケ世代、60年代生まれ

    終末思想
    アニメや漫画で描かれる終末後の共同体
    あるいは現代の終わりなき日常

    80年以降の生まれは世代としての断念を知ることなく、ゆっくりと衰退していく日本で終わりなき日常を生きている。

    積極的な未来の希望があるわけではない。
    むしろ未来をしっかり直視するのであれば、日本の将来は不安だらけだ。しかし、なまじ今の緩くて悪くない生活を感受していると、わざわざ大それたことを考えなくもいいと思えてしまう。

    断念という経験すらないのだから、それは悲劇には成り得ない。共同体も最初から存在しない。あるのは学校や職場で作られる人間関係とSNSだけだ。

    かつての若者がオウムに共振したのは、共同体の破壊と、未来への断念、終末思想、そうした背景があったからだろう。オウムの教えにあったような、破滅からの救済。
    リセット願望。

    追記
    オウム以後。酒鬼薔薇聖斗事件についても触れられている

    再びオウムのように宗教団体が力を持つかは分からないが、今の日本を見渡せば、失われた共同体、将来への不信、それらは何一つと解決されていない。

    私たちが問題に慣れすぎて、むしろ問題を問題として十分に捉えることはなくなった。

    終わりなき日常の適応化を果たしたといっても、将来は暗いばかりだ。いずれテロは起きるだろう。湯は冷めるのだから、ぬるま湯にいつまでも使ってはいられない。

    社会の変化は水面化で起こり、私たちがそれを実感する時は急激な変化として見える。

    それがテロによって引き起こされる可能性は無視できない




  • 「終わりなき日常を生きろ」宮台真司著、ちくま文庫、1998.03.24
    206p ¥609 C0136 (2019.06.14読了)(2019.06.06購入)(1998.10.05/2刷)

    【目次】
    はじめに
    第一章 「オタク論・連赤論・二重組織論・邪宗論」はデタラメ
    第二章 「さまよえる良心」がアブナイ
    第三章 「終わらない日常」はキツイ
    第四章 コミュニケーション・スキルという知恵
    あとがき
    文庫版あとがき

    (「BOOK」データベースより)amazon
    「さまよえる良心」と「終わりなき日常」をキーワードに、今最も活発な発言を続ける著者が、オウムと現代社会を分析する。社会が成熟し、幻想が共有されなくなった時代、人はそれぞれの物語を生きるようになっている。その後の事件、状況分析を加えたあとがきを新たに付す。

  • 【目次】
    目次 [003-006]

    はじめに 009
     「やっぱ地下鉄こわいよね!」「だよね!」
     「終わらない日常」と「さまよえる良心」

    第一章 「オタク論・連赤論・二重組織論・邪宗論」はデタラメ 017
     「オタク文化の悪しき影響」ではない
     「連合赤軍事件と同じ」ではない
     「オウムは二重組織」論のくだらなさ
     醜態をさらした宗教学者たち
     日本の知識人の宗教バージンぶり
    [宇宙の闇・白い光①]オウム・ここだけの私的年表
    [宇宙の闇・白い光②]故・村井、青山、林に贈る悲しきディストピアへの招待状

    第二章 「さまよえる良心」がアブナイ 043
     「末端の信者はいい人」ではない
     元教団幹部Aの人となり
     釈迦牟尼の挿話のウソ
     神秘体験というフック
    [宇宙の闇・白い光③]ブラックホール化をくい止める「人類補完計画」とは?
     私もサリンをバラ撒かせてみせよう
     「大いなる救済のため」という呪縛
     倫理なき社会で道徳が失われるとき
     良心――(倫理+道徳)=?
     「共同性と良心の空白」が神政国家をもたらす
    [宇宙の闇・白い光④]マンジュシュリー・ミトラ村井との架空インタヴュー
    [宇宙の闇・白い光⑤]元自衛官の語る「宗教より仁義が好き」の世界
    [宇宙の闇・白い光⑥]井上がサリン実行部隊に選ばれた理由の、ほんの小さな日蔭の芽

    第三章 「終わらない日常」はキツイ 087
     八〇年代の二つの終末観
     サリンばらまき犯は「顔が見える」
     「核戦争後の共同性」と震災ボランティア
     「輝かしさに裏切られた」世代
     イラだつ理科系のバージンたち
     「六〇年代SF」の思想
     「変革のとき」はやってこない
     「終わらない日常」を生きる知恵こそ必要だ
    [宇宙の闇・白い光⑦]双子の女子高生、ユミとユカがぜったいに洗脳されないわけ
    [宇宙の闇・白い光⑧]サナギの中の少女

    第四章 コミュニケーション・スキルという知恵 127
     「終わらない日常」を生きるためのスキル
     「世代的記憶」と結びついた喪失感
     「同じ轍」を私たち世代もまた踏むのか
     自意識を防衛するための「自己投射」
     世代から性別に変形した対立構図
     自己啓発セミナー渡り鳥の「激白」
     八〇年代以降の宗教ブームの変質
     コミュニケーション・スキルの代替は可能か?
     現実的な処方箋はどこにあるのか?
     「薄ぼけた自分」を抱えたまま生きろ!
    [宇宙の闇・白い光⑨]自分を愛し過ぎる自分に窒息して、自我を捨てるパラドックス
    [宇宙の闇・白い光⑩]マルクスもヒッピーもウッドストックも、何もなかった世代の恨み節

    あとがき [185-193]
    文庫版あとがき [195-204]

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著者プロフィール

宮台真司:1959年宮城県生まれ。社会学者、映画評論家。東京都立大学教授。1993年からブルセラ、援助交際、オウム真理教などを論じる。著書に『まちづくりの哲学』(共著、2016年、ミネルヴァ書房)、『制服少女たちの選択』(1994年、講談社)、『終わりなき日常を生きろ』(1996年、筑摩書房)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年、幻冬舎)など。インターネット放送局ビデオニュース・ドットコムでは、神保哲生とともに「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務めている。

「2024年 『ルポ 日本異界地図』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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