宗教なんかこわくない (ちくま文庫 は 6-5)

著者 :
  • 筑摩書房
3.43
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感想 : 19
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480034953

感想・レビュー・書評

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  •  かなりの名著だと思う。大人になるとはどういうことか、というタイトルにしても良い。また、オウムと、私たちの社会がそっくりであることと、それを認めない日本人の心性に迫った本だと思う。

     私たちが普段から求めている何かとは「なんとなく追い詰められている自分に親近感を持たせてくれるようなもの」だ。
     日本という国は、「会社」という宗教に汚染されている宗教社会であり、自分のことを理解してくれて導いてくれる「上司」が現在の日本人が求めているものだ。
     自分の頭でものを考えられない人間の、絶対者からの指示待ち状態。それが宗教であるならば、会社もオウムもさほど変わらない。むしろほぼ同一といっていい。

     では、指示待ちでなく、自分の頭でものを考えればどうか。自分の頭でものを考えると孤独になり、様々な苦難がふりかかる。当たり前である。
     自分の頭でものを考えて、それで孤独になるのなんか当たり前のことじゃないか。”自分の頭でものを考える”ということは、”一人で考える”ということなんだから。
     でも人は、「私はバカなので理屈であれこれ考える」ではなく、「私はバカなので宗教や誰かを信じれば救われる」という方を選んでしまう。
     ”日本教”の最大の教理は、「自分達はやつらと違う、やつらは自分達と違う」である。
     だからサラリーマンは自分たちがオウム真理教とそう変わらないことがわからない。

     オウムの青年たちは、世間的過去を共有しない「濃厚すぎる関係」だけがあって、人間関係というものはそういうものだと、勘違いしている。だから、宗教という濃厚の中で、オウムの信者はバラバラになっている。「それを知らないで”大人”もへったくれもない」という事実が、平然と隠されている。
     また宗教でもなんでも「特別な自分になって今までの屈辱を一挙に清算してやる」と思ったって、そんなことが”解脱”につながらないのは、もちろんのことである。何も考えませんと言っているのと同じことだ。
     仏教の根本は、そして悟りとは「一度で死ねるただの人になること」であるのだから。

     「ただの人になれるかどうか」。それが、自分の頭でものを考えることである。

    • りまのさん
      ハタハタさん
      はじめまして。フォローありがとうございます!
      橋本治氏は、とても好きな作家さんでした。氏の、御冥福を お祈りいたします。
       ハ...
      ハタハタさん
      はじめまして。フォローありがとうございます!
      橋本治氏は、とても好きな作家さんでした。氏の、御冥福を お祈りいたします。
       ハタハタさんのこのレビュー
      、考えさせられること多し、でした。
      自分の頭で、考えること、当たり前だけど、それが 難しい。
      、、、大切な事です。耳痛し。
      それでは、これからどうぞよろしくお願いいたします♪
      2021/01/22
    • ハタハタさん
      りまのさま
      コメントありがとうございます!
      橋本治さんは自分の頭で書いている感じがあって、しかも深いところまで潜り込むことができる稀有な人で...
      りまのさま
      コメントありがとうございます!
      橋本治さんは自分の頭で書いている感じがあって、しかも深いところまで潜り込むことができる稀有な人でしたね。
      レビュー読んでくださりとても嬉しいです。めちゃ励まされました。
      これからもぜひどうぞよろしくお願いしますね。
      2021/01/22
  • 誰にも真似できない、橋本治さんの宗教論。オウム事件から宗教をあぶり出して、安易に批判すると思いきや、仏教の知識はかなりのもの。彼の宗教の考え方がとても好きです。

  • 輪廻転生は「何度も生まれ変わる(変われる)」ではなく「何度も生まれ変わらねばならない」との旨がかかれていたが、なるほど、と納得。勉強になりました。

  • 氏は、宗教は、もう日本人には、あまり必要とされてないと言う。自立して考えればいいじゃんと、もうとっくに、そういう時代だよと言う。
    日本人が自分自身に対してプリンシプルを持たない、持てないというのは、今だからこそ、より深刻な問題として日本を覆っている。何が良いのか、悪いのは、他人をキョロキョロ見ないと、自分の行動を決められないのは、近代をとっくに過ぎても、日本人に重くのしかかっている。

    現状は、ますます日本人は、自立した思考、行動、立場をはっきりさせず、存在全てを何かに依存させている。氏の問題提起は、旧くて新しいが、オウム以後でも、日本人は、変わっておらず、何かにすがり付きたい態度が、社会を蝕んでいる。

    自分の人生をよりよくするために、自分達は、
    あまりに物事を深く考えずに決める。

    氏は、故人となってしまったが、
    氏の問題提起は、今でも、多くの日本人が考えなくちゃいけないことだと思う。氏は、決して答えを言わなかった。ここまで、考えたんだから、あとはよろしくね、この態度は一貫しているが、果たして、自分達は、宗教を超えて、自立した思考、行動を実践出来ているだろうか。

  • オウム真理教の事件を取り上げ、日本における宗教についての筆者の考えを述べたもの。「内面に語りかける宗教」と「社会を維持する宗教」という分類は面白い。読み進むとうなずくところも多いが、どうも構成が混沌としてまとまりがなく思われる。

  • 橋本治が、オウム真理教事件について語った本。

    オウム真理教事件について、著者はその「幼稚さ」を指摘しています。麻原彰晃のお面をつけた選挙運動から、彼は「権力者」になりたかったのではなく、「人気者」になりたかったのだ、と論じ、さらに彼の語尾の下がる話し方から、この人は「人と対等に話をする」ということをしてこなかった人だ、と喝破します。

    ただし、麻原やオウム信者の「幼稚さ」を指摘するのは、それほど独創的な主張ではありません。著者の独創性は、そこから翻って、このような麻原やオウムについて私たちが「分からない……」とつぶやくしかなかったのはどうしてなのか、という方向へと問いを向け変えるところにあります。この問いに答えるために、著者は日本史をさかのぼり、日本人が「宗教」というものに対して及び腰になった理由をさぐっています。

    著者の議論は、ときにオタク・バッシングと見まごうような様相を呈することがあり、宮崎勤事件からオウム事件に至るまでのオタク・バッシングの渦中にあった人たちにとっては、こうした語り口に対して心穏やかではいられないということもあるのかもしれません。ただ、著者が批判しているのは、オタクであれ非オタクであれ、他者に対して無際限に自分を承認してほしいと要求する厚かましさに向けられているのだと、個人的には理解しています。

  • 宗教だけでなく、思想についても全く染まらず、自ら考える癖をつける必要性を感じた。

    ネトウヨのような権威主義的パーソナリティの持ち主や、左翼のように現実を無視した理想論などに注意して対応したい。

  • 面白かったす。

    あたし、やっぱり既にブッダなのかもしれない…。

  • 宗教とは、現代に生き残っている過去である。宗教が難しいのではなく、宗教を論じるために必要とされる「歴史に関する知識の量」が膨大だから、宗教を論ずるのは大変なのである。――本文より

    『宗教なんかこわくない!』なんて、まさに「いったい自分は、どんな因果で宗教がテーマのゼミに入ったんだろう・・・?」と思っていた私にぴったりのタイトルではないか! と、借りて読みました。読みました。一字一句残さず読みました。
    ・・・が。あまり読んでいて楽しい本ではありませんでした(だから、敬語でこれを書いているのである)。というか、言わせてもらうとですね、私はとてもこの本が気に食わなかったのです。むっとしたのです。

    この気持ちをどう表現したらいいものか・・・。
    私は橋本氏の本を読むのはこれが初めてなのだけど、なんというか・・・すごく、「馬鹿は馬鹿だから放っておけ」と作者が言っているような気がしたのかも、しれない。あるいは、「馬鹿は何を言っても無駄だ」という風に、私には受け取られたかも、しれない。
    確かに、何をいくら説明しても、わからない人はわからないだろう。自分でものを考えようとしない人だって、人の話を聞こうとしない人だって、たぶんこの世には掃いて捨てるほどいると思う。
    けれど、やっぱり、そんな人たちだって、苦しくないわけではないと思うのである。鈍感だからって、痛みを感じないわけではないし、誰とも関わらずにいられるからって、全然寂しくないわけでもないと思う。
    私だって、そういう人たちのことを、時々許せなくなることはある。人の痛みをもっと知れ、人の気持ちを考えろと言いたくなることもある。けれど、だからって、そういう人たちのことを考えるだけ無駄だ、だから自分や社会はそういう人たちみたいにならないよう、賢くなればいい、とは思わなし、思えない。
    なぜなら、賢いことも辛いけど、賢くないことだって、辛いからだ。私は数年前の自分を本当に幼かったな、考えが足りなかったな、と思っている。あんなこと考えてたなんて馬鹿だな、と思うこともいっぱいある。けれど、そのことを恥ずかしいとは、あまり思わない。むしろ、あのときの無知な自分を大いに慰めてあげたいな、と思うのである。無知は無知なりに、苦しいこともたくさんある。それゆえ、愚かなこともたくさんする。
    だからって、誤った道に進んでいいと言っているのでは、もちろんない。私が言いたいのは、人は急に賢くなれない、ということ。賢くなるには時間がかかる。だからある程度まで「自分で考える」ことが身につかない限り、馬鹿なこともいっぱいする。そして、そういうときの「馬鹿なこと」をしている間というのは、本人にとって、真っ暗なトンネルにいるような気がしてしまうものだということ。いつが出口なのか、いつ抜け出ることができるのかも、わからないということ。たとえあと数十メートル先に出口があるとしても、本人にとっては、今この時が全てなのかもしれない、ということ。

    つまり、私がこの作者に言いたかったのは、「あなたにはこういう暗闇で手探りする時期の、あの苦しさを忘れてしまったのか?」ということなのかもしれない。
    でも、本文の中に、暗中模索することについて触れていると思われる部分だって、ちゃんと書いてあったはずだ。それでも私が読後にこう思ったということは、そのくだりの書き方に、やっぱりどこか引っかかるものを感じたのだろう。
    うーん・・・。あまりに長くなりそうなので、感想を書くのは、ここらへんでやめておく。

    それでも私がこの本を☆2つにしているのは、やっぱりなんだかんだ言っても優れた論も書かれているからで、読んで「なるほど」と思うこともいっぱいあったからなのである。
    でも、やっぱりすっきりしない。やっぱり、今思い出しても、ちょっとむかっとする。

  • 宗教と経済の関係性を独特の視点で教えてくれる。生産を奨励しない宗教と、生産を奨励する宗教。人間関係の基本はやっぱり労働の場所にしかないのダと納得の一冊。

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著者プロフィール

1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BAcBAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

「2019年 『思いつきで世界は進む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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