本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480035141
みんなの感想まとめ
多様な短篇が収められたこの作品は、散文詩のような美しさと、深い思索が交錯しています。各短篇には、強烈な印象を残すものや、軽やかに読み流してしまうものもあり、そのバラエティが魅力的です。再読を重ねること...
感想・レビュー・書評
-
散文詩のような短い作品やダロウェイ夫人が出てくる短篇など、いろいろな作品が収録されている。強く印象に残るものがあるかと思えば、斜め読みしてしまったものもあり、それも短篇集のおもしろさだと思う。解説に「私たちはウルフを読む時、ただ作品を読んでいるのではなく、そうしたコードのなかに組み込まれた作品を読む。」「私たちは多かれ少なかれそうした自伝的な情報とともにウルフの作品を読むしかないのである。」とあり、そういう読み方でもいいのかとちょっとほっとした。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
彼女は私と、まるきり世界の見え方が違う。
考え方。
物事のとらえ方。
発想やイメージ。
どれをとっても、他とはまったく異なっているように思える。
おそるべき才能とは、きっと、彼女のことをいうのだろう。
彼女の狂気たるゆえんはいったいなんなのなのだろう? -
ラピンとラピノヴァ
夫婦で同じ夢を見ていられる間は、夫婦生活は破綻しない。 -
②再読
やはりウルフを読むと(読解力の)消化不良を起こしてしまうのだが、知らない町へ行く電車内で読んだら思いのほか読み進められた。
キュー植物園で放ったエリナーの言葉が印象的だった。
最近発売されたウルフの短編集『青と緑』よりも、こちらの表紙がとても好きなのだが、この写真を撮った小林健二さんという方がとても気になる。
①意識の流れは私には少々難し過ぎたが、次々と流れる意識はウルフの頭の中を覗いているようで、ウルフの言葉が、役者の訳文がとても素敵な言葉で綴られていて、全文章を書き写したいと本気で思った。
もう一度読み直したいと思う。
-
"子供時代の代わりになるものなど何もない。薄荷の葉がそれを取り戻させてくれる。でなければ青い縁取りのついたコップが。"(p.85)
"時の推移にかかわらず、時代の推移にかかわらず、多くの者が、ひじょうに多くの者が独りでここにやってきたに違いない。自分の想念を水のなかに流しいれるために、何事かを池に尋ねるために。この夏の夕つ方ここにいる者がちょうどそうしているように。たぶん池が魅力を持つのはそのせいだろう――池は水のなかにあらゆる種類の夢想や、不平や、確信を擁している。書かれたこともなく、口にされたこともないそれら。ただ流体のような状態で犇めきあう、実体性の限りなく希薄なそれら。 "(p.142)
"男性の視点、それが私たちの生活を統治している。それが標準を決めている。"(p.164)
"私は水流に抗って、まるで風に靡く旗のように、水のなかで静止する魚のことを考えるのが好きだ。私は河床の泥の小山をゆっくりと登っていく水棲の甲虫のことを考えるのが好きだ。"(p.169) -
ヴァージニア・ウルフが私の一部になればいいのに。
-
ウルフは初めて読んだので、意識の流れと呼ばれる作風には慣れなくて没頭できない部分もあったけれど、それでも美しい感覚の世界は魅力的だった。
「ラピンとラピノヴァ」と(最後の一文よ!)映画A Ghost Storyにインスピレーションを与えたという「憑かれた家」が特に好きだった。 -
Kindle版
-
詩と小説のあいだ。
-
再読。私の手は必ず【青と緑】で止まる。わずかニページ足らずの作品だけれど、初読時には眩暈を覚えるほど強烈で鮮烈な衝撃を受けた。
青から緑へ、緑から青へ…。最低でも三回は読む。澄明な水の軟らかさと滑らかさと煌めき。磨き上げられた直後の宝石の硬さと鋭さと輝き。瞼の裏で青と緑がせめぎ合い、次第にそれらは全身に染み渡り、血液が沸騰するような高揚感を与え、恍惚を陶酔に、陶酔を酩酊に、酩酊を耽溺に塗り替えていく。だから先に進めない。
【月曜日あるいは火曜日】についても同じような状態に陥る。焦点を定めることのできない私は、空の彼方に霧散する「真実」を見失ってしまう。
《2015.08.11》 -
-
訳がすこし耽美的な感じなので、詩に近い煌めきの短篇集だった。「ラピンとラピノヴァ」は最後女性にはずきんとくる話。ヴァージニア・ウルフの研ぎ澄まされた繊細な感覚と表現に驚く。「乳母ラグトンのカーテン」「サーチライト」「憑かれた家」「池の魅力」「徴」「壁の染み」が好き。何度も読み返したい…読み返す必要がある…リリカルで暖かくて切なくて魅力的な作品が多かった。
-
2014/04/14
-
好きな話もあったけど基本的によくわからなかった。長編のほうがいいかもしれない。
-
ラピンとラピノヴァ
青と緑
堅固な対象
乳母ラグトンのカーテン
サーチライト
外から見たある女子学寮
同情
ボンド通りのダロウェイ夫人
憑かれた家
弦楽四重奏団
月曜日あるいは火曜日
キュー植物園
池の魅力
徴
壁の染み
ミス・Vの不思議な一件
書かれなかった長編小説 -
ヴァージニア・ウルフの 17の短篇から成る本。
細部の描写は面白いけれども一連の文章の意味はわかりづらい、装飾的な感じのする文体だと思いました。
翻訳の言葉選びや言葉の流れも独特で、ウルフの差し迫った緊張感をいっそう膨らませているような印象があります。
クセのある翻訳ですが、ある面で大げさなくらいにウルフの特徴を示してくれているので、趣味が合う人ならとことん好きになる文章なのではないかと。
ウルフの短編集では、みすず書房の「壁のしみ」もありますが、読みやすさなら「壁のしみ」のほうが上回っています。
抽象画あるいは誰もいない世界のどこかを描写したような「青と緑」、景色のうつりかわりを色彩豊かにこれまた描写した「キュー植物園」が好きです。
対象そのものに飛び込んだり、一歩引いたりと、様々な視点の移り変わりを楽しみました。 -
買った後、喫茶店で購入した本をちらちら眺める至福の時間(それきり読んでいない本も数々・・・)。「ヴァージニア・ウルフ短篇集」では「ミス・Vの不思議な一件」を読んでみる。自分は短篇集の場合、あんまり順番通りには読まない。ミス・Vとは作者自身? ウルフ流ミリアム? でも「ミリアム」よりこちらの方が想像力が働く余地が広くて自分好み。と、語り手とミス・Vを同一人物と思って読んでいたけれど、「解説」には別人という解釈で載っていた。まあ、それもよろし。 (2008 09/14)
今日は、前から少しずつ読んでいたヴァージニア・ウルフの短編集を持ってきた。
自分は「オーランドー」の執筆している時間の経過の描写や、「灯台へ」の朽ち果てそうになる屋敷の描写など、ウルフは時間を描くのが巧いなあ、ってかとりつかれているなあ、と思っているのだが、ここでも、主人公はやはり時間のような気がする。「堅固な対象」のジョンが探し求める何かのかけらなど。それらはどこに生まれて、どこを通ってきたのか?そして、何をもって彼の元へ辿り着いたのか?そんなかけらはまた、彼の意識の中へ沈澱していく。かけらはまたもや(今度は海ではなく、意識の)波に揉まれてますます丸くなっていく。
とか。
「サーチライト」では、過去の曾祖父の話と今の話が見分けがつかなくなったり…
「緑と青」という断片詩といってもいい短編でも、昼と夜との交替がテーマ…
時間って本当に始点から終末に向かって流れるものなのだろうか? (2008 12/01)
引き続き、「堅固な対象」と「サーチライト」から。まずは「堅固な対象」から。
考えごとの途中で何度も何度も視線の対象となったものというのは、それが何であれ、思索の織物と深く関係を持ち、本来の姿を失い、少し違ったふうに、空想的な形に自らを作りなおし、まったく思いつけない時に意識の表面に浮かびでたりするものだ。 (P35)
ここで登場するジョンという人物、あるいはウルフという作家は、なんと言うか自分自身を外在のもの(ここでは波に揉まれたガラス、陶器の欠片)に転位(あまりよい言葉がみつからないが)し、それら外在のものが自分内部に入り込む、外在のものはそこで単に異化されるのではなく、自分自身も異化のものとして並列に並んで存在する。そんな感じ。ガラスと欠片と自分(の中の何か?)がともに波に現れる幻想、というよりも記憶。
「サーチライト」ではこの一文。
「光は」と彼女は付けくわえた。袖無し外套やら何やらを拾いあげながら、「ただあちらこちら照らすだけ」 (P59)
まさにサーチライトであるが、「光」という言葉は西洋人にとって「神」と直結する言葉なのかもしれない。しかし、ここでの表現は「全能の神」を否定するかのような、それは無神論とかいうより人間の意識から到達不可能な部分を神から差し引いたというような、そんな表現である。物語論でいえば、作者という登場人物に対しての特権的権限を放棄すべき、ということだろう。
この短篇集に収められた他の作品でも、欠片のことがクローズアップされているところがある。この辺り、ちくま文庫オリジナル編集というこの短篇集、緻密に短篇の並び順まで考えた趣きがある。 (2008 12/01)
リリーの全部が靴のなかにあるような気がした。おれの愛情とか欲望は蜻蛉のなかにあった。 (P128)
ヴァージニア・ウルフの短篇の中でよく取り上げられ、「20世紀イギリス短篇集」(岩波文庫)にも収録されている作品である「キュー植物園」より。昨日も取り上げた外在化の一例。
ひとつのことが一度為されてしまえば、誰もそれがどのように為されたかを知ることはもうないのだ。(P159)
こちらは「壁のしみ」より。この文などは時間の線形性を言っているような気もするのだが、「池の魅力」という別の短篇では、様々な時点の過去が一体となって池を構成している、そこには線形性時間に対する異議申し立てが感じられる。「知ることはもうない」が確実になにかしらの変化はしている。・・・時間は過去は戻ってこないのではなく、戻ってきてももはやわからないのだ。人間に認識できるのは時間と空間しかない。
ということで、もっとゆっくり読みたかったような気もするけど、ヴァージニア・ウルフ短篇集を読み終えた。この人の文読むたびに「こんな繊細な人は、天寿を全うするなどということはないんだろうなあ」と思うのだが。
内在化と外在化との並列… (2008 12/02) -
直接、自分の中に差し込まれるようなものと
目で触るもの、中に入れるもの入ってはこないもの
文字で書かれたものには少なくともふたつの種類があるような気がする
ことばが森のようになっていて、自分で決める前にそこへ入っていく自分
絵を見ているようではなく、映像でもなく、ことばが見える
文字ではなく、ことばが柔らかく突き刺さるような感じ
女の人が書いているってわかりきっているような、まっすぐさ
だけど
これが男の人だったら・・・と考えるとぞくぞくするところがある
性別って別があるだけのことはあって、染みでて美しくある
詩とか小説とか評論とか、そういったジャンルを超えて
差し込まれるものをたくさん読みたい
久しぶりに本が好き
一昨日みたモネは、そういう意味では文字のようだったかもしれない -
すごい、と思った。好きかどうかと聞かれると困る。ただ、自分はだいぶすれてしまったんだなあとぼんやりと感じる。
-
「ラピンとラピノヴァ」が異様に大好きなので、再読のために買いました。他の作品もいいのだけど、全然覚えてなかったぜ。電車の中で読むにはたいへんな集中力を必要とするので、寝る前に一編づつ。ちょうどいい長さ、ちょうどよく幻想的。でも意外と現実。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
ヴァージニア・ウルフの作品
本棚登録 :
感想 :
