私説東京繁昌記 (ちくま文庫 こ 4-18)

  • 筑摩書房
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480037220

感想・レビュー・書評

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  • 「私説東京繁昌記」

    1980年代前半に文芸誌「海」に連載され、1992年にリフォーム・エディション版が発刊され、さらに少し写真など少し加えて2002年に出た文庫版がこの本。

    作家の小林信彦氏が、アラーキーと一緒に東京を歩いて書いた本。
    もちろん、写真はアラーキーだけどあくまで文章主体の本。

    昨今流行の町歩き本ではなく、小林氏が東京の変貌ぶりをばっさばっさと斬りまくっている。

    1964年の東京オリンピックで行われた開発と町名変更を「町殺し」と呼び、その町殺しを批判しようものなら、「保守主義者!」とどやしつけられかねない雰囲気が当時にあった。

    オリンピックを前にした1964年夏は、東京でかつてない渇水が起き、8月6日からの給水時間は午前6-10時と午後5-10時のわずか9時間だった。
    「東京砂漠」という言葉はこの時に生まれた。
       ・・・殺伐とした人間関係を表現する比喩ではなく、本当に水がなかったということになる。

    佃島は、現在でいう大阪市西淀川区にあった佃村と大和田村の漁師が、大坂の陣において家康に協力したことがきっかけで江戸にて漁猟免許を得て移住したという話は有名で、佃島の名前や佃煮もそれが始まり。
    しかし、移住してきた漁師は凄まじい関西漁法だったため、江戸の漁師を追いつめ、紛争が絶えなかった。
      ・・・この後半の話は知らなかった。

    渋谷について
    <公園通り>なる名称は、パルコ・パート1が開店したときの<すれちがう人が美しい--渋谷公園通り>なるコピーから出たものであり、、、、全共闘以後の、頭がカラッポで、ファッション感覚だけは人なみという<ヤング>にふさわしい、いかにも田舎者が考えそうなあか抜けないコピーとCMが、そうした<錯覚>(渋谷の坂道がなにかの文化施設のような錯覚を与えるという意味)を創り出したが、実体がゼロでは、<文化戦略>はおぼつかない。
      ・・・と手厳しく批判。もちろん、西武の文化戦略を行ったのは堤清二、すなわち作家の辻井 喬。そして、コピーは糸井重里氏。この本を書いた時には、まだ堤清二も生きていたし、糸井氏は時の人。なかなかの勇気というか、自信ありという書き方。

    そして、最後に吉本隆明による解説がまた面白い。
    そういうようにがんがんやっている小林信彦氏を、これまた遠慮無くバサバサ斬っているのである。

  • 1984年バブルのさなかに書かれた東京に生まれ育った人の東京記。下町に生まれ育ったものの、下町には屈折した感情が入り乱れ、それがそのまま東京の現在に繋がる。1992年に再刊され、終章「八年ののち」には「ニューヨークでもロンドンでもパリでも、変貌は付きものである。しかし、東京のように、何かに追い立てられるかのように<街そのもの>を消費してゆく都市は世界にもまれであろう」とまとめられている視点は、この国の現在の姿そのものであると思えた。

  • 15/04/18、ブックオフで購入。

  • 元本は1984年、リフォーム版が1992年、リフォーム版を底本とした文庫版が2002年に出版されたものを2014年に読む。
    小林信彦は、高度成長期に東京は建設ラッシュという”町殺し”が行われたと云う。その後のバブル期の地上げをはじめ何度”町殺し”がなされて今に至っていることか。
    アラーキーによる当時の東京の風景から30年で、なんと遠いところまで我々は来てしまったのだろう。慄然とするしかない。

  • 私も著者同様、東京に生まれ育ち今に至っている。(この著書にも書かれている町だ)。ここ以外の場所に、思いを馳せ帰るべき故郷などない。再開発という名の町殺しに唯一の地元が失われつつある。この嘆きを分からぬ者には、著者の憤りは素通りし滑稽にすら思われるだろう。刻々と醜悪で血の通わぬ表情に変貌し衰退していく東京。この流れはこれからも加速していくだろう。それでも東京を諦めきれない著者の執着がノスタルジーを排除した怒りとなって貫く。言わずもがなレトロな東京なんて嘘くさくていらね。人間が根付き息づく町でいてほしいだけ。

  • 小林信彦が荒木経惟と共に、1983〜1984年当時の東京をめぐった記録です。戦後からの東京の変遷を自らの体験を交えて語っており、いかにも小林信彦らしい一冊といえましょう。

    東京に対する屈折した愛憎満載の本文も魅力的なのですが、注目したいのはそこに描かれた東京の姿。例えば、著者は新宿東口周辺を「やくざ映画専門の昭和館(<全館冷房>の表示が出ている)とポルノ専門の小屋が目立つ」「日が落ちると、閑散として、落ちついて食事ができる店もない凋落ぶり」の街としています。これが2013年現在の新宿東口と一致しないのは言うまでもないでしょう。初版出版から30年を経た今、本書の記述自体も既に歴史に組み込まれた感があります。

    1992年に加筆された「終章」、2002年に文庫化された際に追加された写真、そして2013年の読書と、一冊で30年を追いかけるのは興味深い体験でした。7年後にオリンピックを控えた今、東京がどのように変わっていくのか考えさせられます。

    荒木経惟による都市写真も必見。
    お勧めです。

  • 03011

    貧しいアパート暮らしや新宿渋谷で観た数々の映画の記憶など、自らの半生を重ねながら移り変わる東京の姿を証言するそのベースには無残に町を破壊していく者達への強い憤りがある。最初に出版された84年当時はバブル前夜であり、地上げによる町の変貌はもう少し後のことになるが著者はこの時点ですでに町の景観に嫌悪感を抱いている。東京の東側、下町から西側の山の手に移り住んだ者の後ろめたさのようなものも感じさせる。同じ下町育ちの荒木経惟の写真はとかくバブリィと一口で片付けられそうな80年代も、その前半はまだ風景に「貧しさ」が残っていることを証言する貴重なもの。新宿南口のガード下三角地帯など、どこかのんびりした。8年後に就床を付け加えたときの著者の心境を想像すると痛々しい。

    ※1992「新版・私説東京繁盛記」改題

  • 再読。ようやく〈ハングリータイガー〉の記述を発見。

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著者プロフィール

小林信彦 昭和7(1932)年、東京生れ。早稲田大学文学部英文科卒業。翻訳雑誌編集長から作家になる。昭和48(1973)年、「日本の喜劇人」で芸術選奨新人賞受賞。平成18(2006)年、「うらなり」で第54回菊池寛賞受賞。

「2019年 『大統領の密使/大統領の晩餐』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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