阿房列車―内田百けん集成〈1〉 ちくま文庫

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 409
レビュー : 48
  • Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480037619

作品紹介・あらすじ

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。昭和25年、先生は旅に出た。道づれはヒマラヤ山系なる茫洋とした男。役に立つこと、ためになることはひとつもせず、借金まみれなのに一等車に乗り、妙に現実ばなれした旅はふわふわと続く。上質なユーモアに包まれた紀行文学の傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 目的地に用事がない旅のお話。
    そこに行くまでに乗る列車、汽車が目的。
    その方面にはあまり興味がないので、列車の説明はさらりと読み飛ばしてしまった。
    注目したのは、先生と山系くんの会話だ。
    のんびり気ままな二人旅。
    乗り継ぎの接続が悪いと何時間もただ待っていたり、床屋を探し始めたり。
    そのマイペースな感じがとてもいい。

    私自身旅行の1番の楽しみは「新幹線で本を読むこと」という人間なので、目的地にこだわらないのもなんとなく分かる。
    列車から降りたら宿に直行して宴会というパターンの旅もありでしょう。きっと。

    それにしてもこの本はエッセイではなく、小説とのこと。
    そう思うと今まで読んだ中で最も不思議な小説かもしれない。
    でもその不思議さがとても好きだ。

  • 最も好きな作家の最も好きな作品と言って良いと思う。
    新潮文庫版で既読だが、ちくま文庫で再読(筑摩版は「阿房列車」全話が収められているわけではないが。)

    百閒先生のユーモアが面白いのは、百鬼園先生の言動とその語りが、決して単にわがままや独善的な判断、突拍子もなさとか、そういうものだけで成立しているわけではないからだと思う。そこには、先生独特の理論があり分析がある。わかったようで、やはりなんだか全然わからない論理があって、その思考に基づいた結果として、結局かなり独特なまたは一見わがままな行動をとることになる。
    箱根や日光などの人気の観光地には一切行ってやるものか とか、旅行先の名物もあえて食べないとか、戦災を被った各地の様子や原爆ドームなどについても、記者から質問されたとしてもさらりとかわす。当然注目するべきところに注目せず、何ら政治的な要素も入れこまず、淡々と描かれるこの旅行記は、単に頑固親父が、道楽で好きなことをしてそれを描いているだけではないか、というだけでは説明できないと思う。こういう態度は、内田百閒がおそらく生涯を通して貫徹してきた態度で、本人としては奇をてらってもいないし、意図的でもないし、しかし単に怠惰によって通してきた態度でもないと思う。こうした態度は、私はとても面白いと感じるから、この作者が好きである。
    時々はっとさせられる美しい描写や、狐や狸の類の不思議な挿話も入ってくる。文章も簡潔で無駄がない。
    ただ、再読してみて批判があるとすれば、百鬼園先生は岡山の生まれだから、どうしても瀬戸内の白砂青松の明るい風景に惹かれるのは仕方ないとしても、仙山線等の紅葉の描写を除いては、いささか東日本(東北や雪国の地方)の車外の風景に厳しいように思う。ごつごつした無骨な山峰であっても、私にとっては太平洋より美しいと感じる。

  • なんにも用事はないけれど、汽車に乗ってどこかへ行ってみようと思う。旅費は人に借金することにして、切符を買って汽車に揺られる。目的地に着いてもなんにもすることはなく、また汽車に乗って帰るだけ。それが阿房列車の阿房列車たる所以である。東京の上野から北は青森、南は鹿児島まで、同行のヒマラヤ山系くんと、窓外をぼんやり眺めたり、ホームで二時間半も乗り継ぎの汽車を待ったり、九日間かけて東北を一周したり。そういう欠伸の出そうな旅をいつかしてみたいと思う。

    p175
    鹿児島まで行くのだったら、是非帰りは肥薩線に乗って、球磨川を伝って八代へお出なさいと勧めるから、ついその気になった。
    (中略)
    宝石を溶かした様な水の色が、きらきらと光り、或はふくれ上がり、或は白波でおおわれて、目が離せない程変化する。

    p252
    その山の横腹は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色が染めて、色の雨が降るかと思われる。

  • 【展示用コメント】
     先生は用事も、目的地も、そしてカネもないけど、旅に出る

    【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=2001036322&key=B154509988604425&start=1&srmode=0&srmode=0#

  • 長らく積読にしてあったが、まとまった時間がある折に、出掛けに鞄に入れてみた。
    古い言葉遣い、初めて見る単語が満載なのに、軽妙で面白い。同行の山系氏の扱いがぞんざいなのに、愛が溢れてて、じんわりする。

    目的地へ短時間で到着できるのはありがたいけれど、
    なんちゃって乗鉄でお酒好きの身としては、イベント列車ではない、食堂車で内田百閒先生のように杯を重ねてみたかったな。

  • 知り合いに、君は鉄道に乗るのが好きならこれを読みなよと勧められて読んだ。
    読んで驚いた。こんなにも面白い文章があるのか。細部の描写が面白い。宿屋の風呂の寒さに文句をつけ、飯の貧相をくさす書き振りやら、美しい風景の描写やら、一文一文が面白くてなん度も読み返してしまう。こんな調子で文章を書いてみたいものだ。

  • 私が生まれた1,950年代の国鉄時代には1.2.3等の切符があったそうだ 内田百けんは贅沢な旅を繰り返したと思うが、当時の鉄道を紹介してくれて、感謝

  • 軽妙洒脱、大人で子どもの文章
    電車好きには良い手本

  • 宮脇俊三は大好きだし、阿川弘之の『南蛮阿房列車』も好きだが、本家の『阿房列車』は読んだことが無かった。先日、吉野朔美の訃報に接っして、ふと彼女が阿房列車について(おそらく本の雑誌か何かに)書いたマンガを思い出し、急に読みたくなった。手に取ったのは筑摩の「内田百けん集成」巻一。第一阿房列車全編と、第二阿房列車から 2編を収録している。

    かつて、列車に乗るということは、それ自体が楽しみであった。いまでも飛行機がそうであるように、それは単なる移動の手段ではなく、わくわくと胸踊る素晴しい体験だったのだ。昨今、この列車に乗る楽しみは再発見され、カシオペア(現在も観光ツアー専用として走っている)、ななつ星をはじめ、観光列車が日本各地を走るようになっているが、その嚆矢はやはり「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という名文で始まる、この「阿房列車」であろう。

    第二、第三阿房列車も読む。久しぶりに宮脇俊三も読み返そうかと思う。

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