内田百閒集成 7 百鬼園先生言行録

  • 筑摩書房 (2003年4月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480037671

みんなの感想まとめ

ユーモアと独特の視点で描かれる物語が魅力の作品で、内田百閒の個性的なキャラクターたちが織り成すエピソードが楽しめます。特に、彼のあだ名を持つ七人の登場人物が一堂に会し、季節や背景を気にせず物語が進む様...

感想・レビュー・書評

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  • 内田百閒はあだ名を七つ持っており、それら全員が登場する物語をこのように書き始める。「本来ならば各人別別に登場する事にして、その際一人ずつの風態なり歩き振りなりを説明して行くのが順序であるが、面倒だからみんな集まったところから始める。時候もきめておく筈であるけれど、そうすると窮屈になって、後で何か矛盾した事が起こると困る。それで季節不明と云う事にする。」電車内で読んでひとりでニヤニヤしてた。車内で内田百閒読んで笑ってるようなひと他におる?おったら相当危険なひとなので近付くべからず。

  • 貧乏話のほうが面白かったけど、これもよろしい。学生とのやりとり最高。しかもそれを書いてるというのが本人というのがまた、ふつふつとおもしろいですよ。学生から慕われてたのがそこはかとなく伝わる。解説も含め。

  • 戦時中でも我儘な百鬼園先生。

  • 百鬼園先生独特の論理がユニークで、あわせて、当時の世の中の様子がうかがえ、おもしろかったです。
    拾い屋の家族が出てくる「浮世風呂」や小鳥を溺愛する「春信」、なるほどなぁと思わずうなってしまう「泥棒談義」「忘却」あたりに、百鬼園先生の魅力を強く感じました。

  • 相変わらず百閒先生は面白いなあ~
    忘れると言う事は勉強して覚えることのさらに上の段階である。そうか。とりあえず覚えて忘れることにしよう、うん。とか思ってしまいました。

    自分の父親は朝起きてから出かけるまでの支度になんでこれほど時間がかかるのだろう?と思うほどかかるのです。化粧するわけでもないのに(っていうか私もしないけど…)。でもそれってもしかして百閒先生と同じ?と思えば許せないことも無いような気がするようなしないような。(どっちやねん?)

    百閒先生がなくなられた、追悼のあとがきにしんみりしてしまいました。

  • 小説内の人物、百鬼園先生の思考、言動、行動の全てにおいてパンチが効いていて、生半可なパンチでは「キライ」になってしまうものでも、突き詰めていれば、もう全てを通り越して「逆にスキ」と言ってしまうほどの魅力の持ち主。
    個人的には結婚式でのスピーチでガツンとやられました。

  •  ご存じ、百鬼園先生シリーズ。この頑固で人嫌いユーモア、たまらない魅力である。泣いてばかりいる「ノラや」より、言行録やエッセイがおもしろい。

     何しろ芸術院入りを断った頑固ジジイですから。筋金入り明治人はカッコイイのである。

  • どのページからでも読める本。

    時代とか、国とか、関係なく、人が私らしく生きるコトがどんなに難しいかを感じましたけど、そんなもの意外と簡単なことで、私が勝手に難しいと思っているだけなのかもしれないな、とも思いました。

  • 読みかけで浮気して戻ってきたらしおりが抜けていた。
    何回読んでもいいよね♪ と最初から読み直して、3日で読み終わり。

    「掻痒記」「浮世風呂」は体がかゆくなりそうw
    「つもりの遣り繰り」は何だか納得したようなできないような。
    お昼代150円×2人前が浮いて、夜に300円×2人前のうなぎをとって、
    夜のうなぎは実質半額の150円って・・・・
    え~~~~~???????

    「忘却」が好き。すごく好き。
    忘れることと知らないことの違い。
    覚えて忘れたその後に残る「言葉で以って簡単に説明は出来ない」もの。
    私はまだその境地には達していないらしい。
    (10.07.09)

    09.12.06~

  • 「忘却」という話が大好きで、忘れられません(忘却なのに)。人間は忘れるんだ、と。それでもとにかくインプットしろ、と。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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