ニーチェ入門 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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レビュー : 96
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056085

感想・レビュー・書評

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  • 最後のところにありましたが、俺は境遇が悪い、運が悪い、弱い、だとかって思いつめて腐っていって、俺はそんなはずはないっていう気持ちで、誰かを呪い始めたり、社会を恨んだりするんじゃなくて、そんな自分であっても肯定して生きていこうよ、っていう、万能な自分、理想な自分を本当の姿としないで、今の自分が本当であることを認めたうえで愛していこう、みたいな考え方なんですよね。それって、ぼくもそういう考え方を持っているところがあるので、まったくもって、共感した次第です。

  • 永劫回帰を勉強したいと思い、ニーチェの本を一通り読もうとしていたのですが、原文をいきなり読む前にこの本を読んでおいてよかったです
    私は哲学の知識が全くないのですが、それでも十分分かりやすかった。あっさりさくっと読める本です。

  • 「ツァルトゥストラ」が読みたいけれど予備知識なしだと理解できそうになかったため文字通りニーチェの入門書として。
     とても分かりやすく書かれている、と思う。それでも難しい。キリスト教批判、超人、永遠回帰、力の意思などがキーワードとして挙げられている。「力への意思」はよく分からなかった。
     形式としては一次資料からの引用を載せて、そのあとに解説をする体裁。一次資料は殆ど何を言っているのか理解できなかった。解説も著者による一つの解釈ということなのだろう。まったく違う解釈もたくさんあるのだと思う。この本の解釈が正しいのか間違っているのかは判断できない。ただ他の学者の解釈も紹介しているし、入門にはいいと思う。

  • 「ニーチェ=神は死んだ」程度の知識で読んだらやけどした。しかしこの人の魅力はよく伝わってきたので、哲学のバックボーンを理解した上で再度読みたい

  • マルクス主義:国家間戦争は資本主義を理由とする。資本主義はその本性として、国内の市場を超えて絶えず外側に新たな市場を必要とする。19世紀末、ニーチェと、資本主義の限界とともにマルクス主義が台頭したが、共産主義国家の瓦解とともにニーチェが重要視された。

    フーコー:権力は暴力によってではなく、知によって組織される。これは個々人のうちに内面化されることで隠れた権力として作用する。

    絶対的真理という概念は、それが支配的なイデオロギー化したときに反論を許さない絶対的権力を生み出しかねない。認識や真理は時代で変化するので、それらの意味や価値を問いなおすのがニーチェ哲学の面白い要素である。

    **

    ショーペンハウアーは世界を「表象」と「意志」に分けた。前者は世界のあらわれで、後者はそれをあらわす根本の原因とも呼べる存在であり、運や(それをもたらす)神、人間の意志だと考えている。
    意志がもたらす世界の表れは「生への飽くなき意欲」だが、これは矛盾を生み出す。そうである以上矛盾は克服できず、昇華される必要がある。

    (以下、ヘーゲル哲学の説明)
    近代以降、自然科学成立とともにキリスト教の世界像が崩壊する。そこで問題となるのは、1.人間は自分の力で世界を認識可能か、2.キリスト教に代わる善悪基準はあるか、ということ。1に関しては「主観」と「客観」は一致するかという問いであり、2に関しては「善」、「悪」をどういう手法で回答するか、という問題になった。

    ヘーゲルの回答は以下。1.カントの「物自体」(経験を生み出すイデアのようなもの)は誤り。理性の歴史を経て、最後には絶対知に達しうるとした。2.カントの「世界をいっそう高い調和に導く普遍的な行為」は誤り。人間は自己中心性を持つが、これは他者の承認によって成立可能であり、自由とは他者の自由を認めて始めて得られる。このような本質を理解して、人は始めて善を意志する。
    つまるところ、「歴史」は理性の本質が自己実現を行うプロセスであり、それに伴い社会を善へ向ける、ということだ。以上は、ショーペンハウアーの反歴史・反理性主義とは大きく異なることがわかる。

    人間には、現実を考慮せず理想を追い求める「ロマン主義」と、理想が簡単に実現しないことを考慮する「現実主義」がある。ニーチェはそれを超え、直接に現実の変革をめざすのではなく、文化の概念に戦いを挑むことでそれを超える。
    ここで、人類の究極目標とは、人類全体の動態には無関係に、個として有力な人間を生み出すことである。これは、1.ルサンチマン思想によって人間を平均化・凡庸化することへの対抗、2.歴史の目標を人間以外のものに設定することへの対抗を意味する。

    1.キリスト教を中心にした思想群は、人間の思想を画一化させる凡庸主義である。道徳とは、精神的に強い人間を制限し、弱い人間を守り、互いの自由を制限するものである。2.キリスト教の最後の審判、カントの永久平和、これらは、存在し得ない超越的理念であり、退けるべきものだ。

    **

    ニーチェは、人間の理想像の一切を徹底的に疑った。具体的には、1.キリスト教、2.道徳、3.真理である。
    言語的起源において「善」とは、高貴ー野卑という対立概念のみに結びつき、利己ー利他とは無関係な自己肯定的なもので、分類するのであれば利己的なものだった。キリスト教は隣人愛のもと、共同体内のみならず異人の受け入れをも求め、最終的には、対立概念である利己心を悪とみなす。これは、本来悪が他人への害であったことを考えると、ズレが発生していると言える。これは、起源を遡って転倒の由来を確かめる学、系譜学である。
    ここで、善悪の評価方式は2つに分類できる。1.自己肯定的な貴族的評価様式、2.暴力は悪、転じて弱いものを善とする僧侶的価値評価。後者は敵(=強者)は悪という否定的評価の反動から肯定を行う点で反動的である。したがって、これは弱者のルサンチマンから現れる、合理化の一種である。加えて、キリスト教は「原罪」の意識を持ち出すことで、自己評価を低く固定させた。このとき、悪とは敵ではなく、ほかならぬ自分になる。超越的な理想を神に置き、自分の絶対的に無価値を確認し、生の欲望の一切を否定する。この態度こそが、ニヒリズムなのだと言える。禁欲主義的理想は、苦痛かつそこから脱することが出来ない場合、ルサンチマンを対象を外ではなく自分に向けることで解決させる。

    近年の神の死からの合理主義者もまた、真理を信じている点で禁欲主義的思想から生じていると言える。合理主義者は世界を没価値的なものとみなし、その意味でキリスト教の系譜を組んだニヒリズムの完成形である。人間は何も欲さないよりは、虚無を欲するのだ。

    近代哲学者たちは、道徳を価値あるものと定義した上で道徳について考えたが、ニーチェはそもそも道徳の価値を問いなおした。道徳とは、キリスト教の没落による超越論的な存在意味の根拠の再定義である。

    道徳は不安や恐怖を根源として生じる。キリスト教は、汝の敵を愛せよ、ということで道徳から自然性と有用性を放逐した。これらが通用するのは、この考え方が超越的なもの(真理)をバックボーンにしているときだけである。

    まとめると、道徳は必要不可欠だが、ルサンチマンによって自然性が反転し、現世を超えた絶対性と結びつくとき、危険なものになる。ルサンチマンは感情の反芻を意味する。恨みの対象を悪とみなし、恨みの対象が自分たちを顧みないことに怒り、他人のことを考える人間だけが正しいとみなす、反自然的思考を生む。これは、現実に対処するのではなく、ただ否認だけを行うという点で、逃避にすぎない。これによって、利己性から生じていたはずの利他性が、それ自体絶対視されることになった。

    真理とは、知性に権力と説得性の感情を最も多く与える仮説のことであり、採用者に利益ある解釈が真理とみなされてきた。もともと、世界に対する解釈は無数で多様だった。「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」

    そもそも、日常生活の矛盾に嫌気が差すから、矛盾のない世界があるだろう、とする推論は、苦悩を否認する心象に基づいた導出による、全くの誤りである。

    現代は、「最も神聖で強力なもの(=神)」を否定し、無意味と無根拠に耐えているが、それは自分の生を肯定し解放する可能性を、長い歴史の中で始めて掴んだということでもある。そこには善悪も正解不正解もなく、「一切は許されている」。

    ヨーロッパのニヒリズムは、苦悩→ルサンチマン→1.目的、2.統一、3.真理を求めるようになる。しかし、実際には何もないので、ニヒリズムの最後の形式が立ち現れる。

    **

    超人思想とは、以下のようなものである。
    1.人間の理想はルサンチマンを内包しているため、最終的に生の否定に至る。
    2.「神の死」により、人間的価値の根拠が抹消された。近代哲学は、キリスト教の代わりになるものを打ち立てられなかった。結果、近代思想はニヒリズム的本性を露出させた。
    3.このニヒリズムを克服するためには、旧来のニヒリズムに立ち戻らない形でニヒリズム徹底し、積極的に新しい価値の根拠あるいは新しい価値の目標を打ち立てる必要がある。
    4.根拠とは、力への意志であり、目標とは、超人の創出である。

    苦悩→ルサンチマン→意味の探求という枠組みにいてはニヒリズムを克服できない。だから、まず強弱という序列を否定すべきだ。

    解釈はその個体のみに属す。完璧な世界認識などというものは存在しない。

  • 「借」(大学の図書館)。

    ニーチェの思想が分かりやすく、詳しく紹介されている。
    ちょっとニーチェに挑戦する気が起きる。

  • とてもわかりやすい。入門書として最適。

  • 『道徳の系譜』を読んだだけでは分かりにくかったニーチェの思想の全体像を概観することができた。

    生と欲望を人間の本性として肯定し、それを阻害するヨーロッパ的価値観(キリスト教がその代表)を批判したニーチェ。

    生の肯定と、ロマン主義と現実主義の彼岸にある思想の探求、という出発点は共感できるけど、思索の末に導かれる結論には直ちに同意することはできない。
    「真理なんてない」と言ってしまえば全ての科学は存在の根拠を失うことになるし、キリスト教批判を敷衍した「道徳」批判はいかにも過剰反応という感じがする。まあそんなラディカルさがニーチェの魅力なのかもしれないけど。

    著者は、「ニーチェの思想は強者の論理である」という批判を、「この世界には強者と弱者が存在する」という事実の否認と混同しているものとして退けている。が、ニーチェの思想が弱者を救ったことがあるのか、果たして? その点で言えばキリスト教の方がナンボかマシという気がしないでもない。

    終わりの方で触れられている芸術論としてのニーチェの考え方はアリ。

  • 会社の方に勧められ、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読もうと思ったのですが、哲学や思想の書物を読んだ事が無かったので、『とりあえず入門書を…』と思い購入。

    が、マルクス主義、ポスト・モダニズム、カオス、ディオニュソス的、などなど、思想初心者の私には全く解らない言葉がズラリ。。

    正直前半は頭が痛かったです。
    が、読んで行くうちに何と無くではありますが言わんとしている事が解るような気がし、『おぉ!面白い!!』と思えるように。
    著者様の力量ですね。

    一番印象に残った言葉は、

    世界と歴史の時間にはどんな『意味』も存在しない。
    それにもかかわらず君は生きねばならず、したがって『なんのために』生きるかを自分自身で選ばなくてはならない。


    是非ともいつしかツァラトゥストラを読んで見たいものです。

  • わかりやすかった。ニヒリズムに陥らないニーチェの解釈を試みているところがよかった。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、早稲田大学国際教養学部教授。主な著書に、『プラトン入門』、『言語的思考へ』、『人間的自由の条件』、『完全解読 カント『純粋理性批判』』、『完全解読 フッサール『現象学の理念』』ほか多数。

「2017年 『ハイデガー入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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