新・建築入門―思想と歴史 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.45
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本棚登録 : 300
レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056160

感想・レビュー・書評

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  • ※自分用メモ

    【出会い】
    ブックオフ新春セール。
    建築よみもの。

    【概要】
    建築にまつわるトピック・概念の解説。

    【感想】
    前半個別の概念的な話が続いて想像していた内容と違い流していたけど、徐々に西洋における思想の展開と建築の関係をひも解いていくのはおもしろかった。(普遍性の追求、主観VS客観)
    そういう見方もあるのかと。また、そういう思想史のリテラシーを備えたうえで今の建築・都市を見ると捉え方が変わるのだろうなと。

    著者のことをよく知っているわけではないので、こういった哲学的なものを書くとは思ってなかった。
    そして、94年刊なので裏表紙の写真が若い。。。

  • 哲学的な問題とリンクさせるしかたで建築の歴史をたどった入門書です。

    著者はまず、「すべては建築である」というハンス・ホラインのことばを紹介しています。このことばが意味するのは、主体を取り囲む環境はフィジカルなものであれヴァーチャルなものであれ、すべて建築と呼びうるということ、また、環境は主体の感覚によって生成されるということだったと説明が付されます。そのうえで著者は、こうした建築の理解にフッサールの現象学的還元との共振を読み込もうとします。さらに著者は、このようなホラインの建築論が、デリダの「脱構築」によって根底から批判されることになったと述べます。本書は、こうした現代の建築が置かれている思想的状況を踏まえながら、「構築」という視点から建築史を見なおす試みだといえます。

    建築の歴史を概観する入門書ではなく、著者自身の観点から建築と思想とのつながりについて解説されている本です。興味深く読みましたが、現代の建築については立ち入った紹介がなされていないところが、個人的にはすこし残念に感じました。

  • 2008-00-00

  • 【目次】

    まえがき [003-005]
    目次 [006-009]

    第一章 建築の危機 011
    1 すべてが建築である 012
    2 脱構築=脱建築 017

    第二章 建築とは何か 023
    1 物質 024
    2 シェルター 025
    3 空間 026

    第三章 構築 033
    1 洞窟 034
    2 垂直 037
    3 構造 040

    第四章 構築と拡張 045
    1 多柱室 046
    2 比例 051
    3 台座 055
    4 ルーフ 059
    5 視覚補正 061

    第五章 構築と自然 069
    1 生贄 070
    2 植物 072
    3 身体 082

    第六章 構築と主体 095
    1 家型原型説 096
    2 外部対内部 099
    3 光による統合 107

    第七章 主観対客観 117
    1 主観的救出 118
    2 ローマという林 122
    3 ゴシックという主観 126

    第八章 建築の解体 141
    1 透視図法 142
    2 書き割りとテクノロジー 144
    3 絶対的な主観 158

    第九章 普遍の終焉 165
    1 普遍対逸脱 166
    2 新古典主義 174
    3 幾何学と自然 178
    4 自然と崇高 184

    第十章 建築のモダニズム 189
    1 自然の逆転 190
    2 社会の発見 197
    3 理想都市とマルクス 201
    4 構築の否定とミース 208
    5 構築を超えて 217




    【抜き書き】
    「まえがき」
     二十世紀の末にいたって、とうとう建築家は気が狂ってしまったのではないか。そう思われても仕方がないほどに、二十世紀末の建築状況は混乱をきわめている。十八世紀末、十九世紀末にも確かに、似たようなデザインの混乱状況が、建築の世界をおそったが、それらの時代とは比較にならないほどの混乱が、いま建築の世界をおそっている。
     モダニズム、ポストモダニズム、ディコンストラクティビズム、ハイパーモダンなどと呼ばれる諸建築スタイルが驚くべきショートスパンで、あらわれては消えていくその速度は、「様式の交替」という建築史上の概念の枠をすでに逸脱してしまっているといってもいい。しかもそれぞれの様式は連続的にとか段階的にとかいった形容詞で記述できるような変化、交替の形をとらない。思ってもみなかったような姿、形をともなって、全く唐突に新しいスタイルが出現するのである。いっそのこと「狂乱の世紀末」という言葉ひとつでくくって、それぞれの様式の特徴やディテール、その様式の下部にある思想や背景などは無視してしまった方がいい。そう考える人がでてきても不思議ではないほどに、この混乱を整理することはむずかしい。また事実、建築の世界に身を置いている人の中においても、そのような思考停止の波が拡がりつつある。しかし、いつの時代においても、混乱はいたずらに存在するわけではない。混乱の背後には必ずやひとつの明確な問題がひそんでおり、その問題に到達しえない人々が、狂乱とか病とかいう名前でくくることで混乱をやりすごそうとするだけの話である。
     二十世紀末の建築の混乱の背後にあるのは建築というひとつの制度自体を否定し、解体しようとする、抗しがたい時代のムーブメントである。すなわち建築そのものがひとつ決定的な危機をむかえ、その危機がこのかつて誰も見たことがないような建築様式上の混乱を生んでいるわけである。
     ではいかなるムーブメントが、なにゆえに建築を否定しようとするのか。建築という制度のどの部分、どの特質が否定されようとしているのか。それを明らかにする糸口をつかもうというのが、本書の目的である。
     「近代主義の否定」というスローガンが、この混乱の数十年の口火を切った。これは建築の領域に限った話ではない。すべての文化領域で「近代主義の否定」が叫ばれ、そのスローガンが世紀末の混乱の口火を切ったわけだが、建築の領域もまた例外ではなかった。むしるこのスローガンと最も相性がよく、このスローガンが最も豊かな実を結んだのが、他ならぬ建築の領域であったといってもいい。なぜなら建築においては、近代そのものが、誰の目にもそれとわかるような非常にはっきりとしたヴィジュアルな特徴を備えていたからである。近代建築とよばれる、二十世紀初頭に出現した装飾を排した建築様式は、それ以前のいかなる建築様式とも異なる、特異な姿をしていた。近代がはっきりした姿をとっていれば、当然反近代的なものをわかりやすく提示するのもまた容易である。建築という領域は、そのような特質を持った領域であった。それゆえにポストモダン、すなわち脱近代という言葉を最初に使いはじめたのは建築という領域であった。
     しかし、ポストモダンの建築は決して救世主とはならなかった。単なる商業主義建築の新機軸にすぎないと、手厳しく批判された。ポストモダンの建築はなぜかくも短命だったのか。その原因は近代対反近代という問題の設定自体にもとめなければいけない。むしろ問題とすべきは、近代という概念ではなく、むしろ建築という概念であり、さらにその背後にひそんでいる構築という概念であるように、僕には思える。その概念は近代という概念よりもつと根が深く、さらにもっと深くたくみにわれわれ自身をおかしている。その概念を解き明かすことによってしか、建築をこの混乱から救出するみちはないであろう。そしてもちろんのこと、救出されるのは建築という一領域にはとどまらないのである。


    [第三章 構築、第一節 洞窟]
     建築史をいつの時代から書きはじめるか。それによって、その建築史の著者が建築をいかなるものとして定義し、把握しているかを、うかがい知ることができる。かつてほとんどすべての建築史はギリシャを基点として書きはじめられた。十九世紀に確立された西欧の伝統的アカデミズムのもとでは、建築とはギリシャにはじまるものであった茜欧の正統的アカデミズムの中心として機能したのは、エコール・デ・ボザールと呼ばれるパリの美術学校である。エコール・デ・ボザールの前身は一六七一年に設立された建築アカデミーであるが、フランス革命時に他の諸美術と統合されて美術アカデミーと改称され、美術アカデミーの附属機関としてエコール・デ・ボザール〔美術学校〕が設置された。エコール・デ・ボザールはギリシャ・ローマの建築を原型とする古典主義建築をきわめてシステマティックに教育する機関であり、十九世紀の世界の建築界に圧倒的な影響力を持つこととなった)。われわれはいまだにこのパースペクティブをひきずりながら建築を考える癖がある。今日でも建築史の多くはギリシャから書きはじめられる。時としてエジプトのピラミッドや新石器時代のストーンヘンジ、ストーンサークルまでさかのぼるものもあるが、旧石器時代までさかのぼろうとするものはまずいない。旧石器時代の人々は洞窟に住み、けものを追って暮らしていた。洞窟は建築とはみなされない。なぜなら洞窟は人が構築したものではないからである。構築を過大評価し、構築的なものだけを建築とみなそうとする建築観によって、洞窟は建築から排除され続けてきた。しかし洞窟は通奏低音のようにして建築という文化の底部を静かに流れ続け、ひそかに構築的な建築をおびやかし続けてきたのである。そして、洞窟的なるものはひとたび構築的なるものが危機に瀕するやいなや、音もなく建築の世界の表面に浮上する。
     洞窟は三つの特筆すべき建築的特質を持っている。この三つの特質によって洞窟は構築的建築物から区別される。そして構築的建築物に対してなんらかの批判をくわだてようとするものは、すべてこの三つの特質に立ちかえってきたわけであるし、またこれから先も立ちかえらざるを得ないであろう。
     ひとつの特質は形態を持たないことである。通常の建築物は、建築物がのぞむか否かにかかわらず、ひとつの形態を持ったオブジェとして存在せざるを得ない。しかし基本的に内部空間のみで構成されている洞窟は形態を持つことをまぬがれる。
     第二の特質は迷路性である。内部空間のみで構成されているものが、すべて迷路性を有するわけではない。構築的な建築物においては内部空間もまた分節され、秩序を導入されて、迷路性を失う。しかし洞窟はいかなる分節も秩序も拒否して、迷路性を保っている。そして迷路性はまた無限性とも言い換えることができる。分節されない空間は無限である。そこにははじまりもなく、そして終わりもない。そして当然のこと、そこには境界もない。
     第三の特質は、時間の非分節である。洞窟では空間が分節されずにあることで迷路性が出現するように、時間もまた分節されない。逆に構築的建築物は必ずや、ひとつの特定の時間に帰属する。現代的な表現をめざす建築はもちろんのこと現在という時間に帰属し、規定される。そして、いわゆるリバィバリズムの建築と呼ばれるもの――すなわち過去の特定の時代の建築様式を再現しようとするものもまた、自ら進んでその過去の特定の時間に帰属する。そして構築的な建築物は、その帰属する特定の時間が無限に延長されることを目的として構築される
    。それゆえ構築的建築物においては、その永続性、耐久性が大きなテーマとなり、目的となるのである。モニュメント(monument という語はラテン語の monumentum に由来し、記憶を意味する語幹 men から派生した単語である)という概念は、基本的には特定の時間を永続させようとする、この願望から派生したものである。
     しかし、洞窟は特定の時間というものに帰属しない。しかも、それは決して時間の不在を意味しない。旧石器時代の洞窟には無数の絵が描かれている。何世代にもわたる狩猟民が、壁の上に新たな絵を描き加えていったのである。彼らは現在という時間と、過去や未来という時間を分節しようとはしない。ひとつの時間に洞窟を帰属させようとはしない。時間は文字通り重ねられていくのである。現在の中に過去があり、また過去の中に現在があって、それらの時間は境界さえ定かではない。

  • 全体:
    ●建築思想及び建築史の入門書。
    ●全体的にわかりやすく、建築設計と建築理論の骨格となる概念を丁寧に解説している。
    ●一部内容において建築理論の基礎を理解していないと読みにくい部分もある。

    構成:
    ●大きく3つに分けられる。
    ●第一章~第三章は本書における用語の定義を解説している。建物の構造と建物構築の違い、建築と空間、主体と客体といった以後の章の副題に用いられる何解な語彙を具体的に解説する。
    ●第四章~第五章は建物の柱、台座、屋根といった各要素を建築史に沿って、その具体的な意匠的特徴と効果を複数述べ解説している。
    ●第六章~第十章は建物様式のもつ意図やその計画技法を解説している。

  • 難しかったが面白かったし、いろいろ考えさせられた。
    建築を考えるには歴史、とりわけ宗教との関係が非常に重要と改めて認識。

  • 出張から戻る新幹線車中で読んだのですが…素人の私にはかなり難解。正直よく分かりません。内容は「建築入門」というより、「建築とは何か?」という隈研吾氏が自分に向けた問いに対する考察のようなもの(を、多少は分かりやすく敷衍したもの)といえば良いでしょうか。
    隈研吾氏がとてつもなくアタマのよい人であることはよく分かりました。(苦笑

  • 文系でもわかる建築についての入門書を探していた
    門外漢の私でも隈さんの名前は知っていたし、ちくま新書で読みやすそうだったため選択

    建築は実用的なものだと思っていたけれど、芸術的な側面も強いのだと知った

  • 建築は「主観の普遍性を追求する」ことにおいて哲学と共通する、と述べる哲学的な建築史。明快で面白い。個人的には、「構築」とはまとまりすぎてもいけない、という第4章パルテノン神殿の柱についてのスカリーによる記述が興味深かった。

  • 宗教史や思想史から紐解いて、建築家が古来考えてきたことが一本の糸として見えてくる、そんな本でした。

    プラトンからダヴィンチひいてはマルクスまで、高校で「哲学者」と一括りにしていた人たちが建築(構築)を語るのに驚き。
    思想を具現化する器、そんな位置づけで建築を見たことなど無かった。

    でも、よくよく考えればクレーンも使えない時代にあれだけの岩を積み上げるなんて、ひょんな気まぐれで作れるものじゃないもんね。
    現代から見れば非科学的でも当時は信じられていた思想がくっきりと建物に現れてるのが面白い。


    ま、とりあえず全編通して理屈は分かったけど無宗教の現代人である俺には根底で共感できないのが悲しいトコロ。
    それでも頭に叩き込んでおけばヨーロッパ旅行が楽しくなること請け合いかな。改めて再びローマ見に行きたいぜ!

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著者プロフィール

1954年 横浜で生まれる。1979年 東京大学工学部建築学科大学院修了 コロンビア大学客員研究員2001年 慶應義塾大学教授2009年 東京大学教授現在 隈研吾建築都市設計事務所、東京大学教授◆主な作品「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」「那珂川町馬頭広重美術館」「サントリー美術館」「根津美術館」

「2018年 『場所原論Ⅱ-建築はいかにして都市と統合できるか-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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