カント入門 (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 1045
感想 : 69
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056290

作品紹介・あらすじ

真理の最高決定機関であるはずの理性が人間を欺く二枚舌をもつとしたら、一大事ではないだろうか。この理性の欺瞞性というショッキングな事実の発見こそが、カント哲学の出発点であった。規則正しい日課である午後の散歩をするカントの孤独の影は、あらゆる見かけやまやかしを許さず、そのような理性の欺瞞的本性に果敢に挑む孤高の哲学者の勇姿でもあったのだ。彼の生涯を貫いた「内面のドラマ」に光をあて、哲学史上不朽の遺産である『純粋理性批判』を中心に、その哲学の核心を明快に読み解き、現代に甦る生き生きとした新たなカント像を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 世界は存在しない!時間や空間はない!

    相対性理論や量子論などが発見される前に脳の中の思考のみで宇宙の真理にたどり着いたカントがすごい。

    カント曰く時間や空間はないものであるということだ。あるとも言えるしないとも言える。ただし絶対的な意味での時間や空間というものはない。 人間から見た時に初めて時間や空間というものがあると言える。 人間は時間と空間に縛られているのであたかも絶対的にあるものと思い全てを考えてしまう。この理性をカントは批判している。これが純粋理性批判である。

    どうやって時間や空間がないものであるかを証明したかと言うと、
    ①もし時間が無限であるとすると、私たちが感じている今この瞬間というもの以前にも無限の時間が経過していることになる。無限の時間ということは一生たどり着くことのない時間という意味である。それなのに現在という完結した時間がある。そこに矛盾が生じる。 無限なのに辿り着いているからである。つまり時間は有限である。
    ②もし時間が有限(始まりがある)であるとすると、その始まり以前には空虚な時間があることになる。何もないところから何かが生じることになる。無から有が生ずることだ。 これはあり得ないことなので、それにより時間は無限であるということになる。

    これにより時間は有限でもあるし無限でもあるという矛盾を生じる。時間があるものとして極地まで思考を飛ばすと矛盾を生じる。つまり時間はないのだ。
    しかし人間は時間と空間があるものとして世界を認識してしまう。よって人間の理性というものが信用できないということをカントは発見した。

    このように極地まで話題を持っていくと理性や言語そのものが矛盾を生じることになる。 日本から見れば北極は北の方角だがもし北極点まで行けばもう北という概念は成立し得ない。所詮言葉も人間が作り出したものなので万能ではないのだ。つまり絶対ではない。 北極点まで達した時点で北という言葉の存在が 怪しくなる。

    カントは人間が三次元四次元までの世界に縛られていて、それより高次の次元については思いも至らないということに18世紀に気づいている。

    アインシュタインは数学によって時間や空間が絶対的なものではないことをを発見し、カントは言葉によって時間や空間が絶対的なものでないことを発見した。

    また、知性の種類を分解していくことによりダーウィンより先に進化論を発見していた。

  • カント哲学への挑戦。懇切丁寧に解説してくれているのはひしひしと感じるのですが、それでもとてつもなく難解。何とかかんとか理解してやろうと必死に食らいつきました。

    特に「純粋理性批判」の内容に触れている前半部分は、結局何だったのと説明を促されても上手く表現できません。とほほです。また別の本やらネットで復習します。

    まだ、「道徳形而上学原論」に触れている道徳感はまだ親しみやすい。自分の実体験として共感できる部分が少なからずあった。第三のアンチノミーは互いに真であるため矛盾が成り立たない、人間は理性と感性の存在様式を有している。そういった観点から論じられていると思っています。仮言命法は「~ならば~すべし」と目的と手段が別個になっており下心がそこにはあり純粋な善ではない。定言命法こそが「~すべし」と義務感を携えながらの真の善であるのだー。あとは、幸せの追求はどこか邪なことで、道徳の追求は幸せを享受するために己を高めることなのだー。とても厳格な生き方だと思いますし、カントの徹底性が表れているとな。

    最後の「判断力批判」は全くの初見でついてのがやっと。「合目的性」という概念をもって快・不快の感覚を紐解いているといった感じでしょうか。美は悟性との調和による「目的なき合目的性」という解釈を経て、人間の「共通感覚」へ導いている。さらに昇華された解釈として自然の合目的性から人間自身のうちにある究極目的へとたどり着いている。もう頭がパンクしてしまします。

    それでは、「純粋理性批判」そのものへアプローチしてみましょうか。多分な解説を所望します。ふふん。

  • 「哲学は難しい」というイメージを絵に描いたようなカント。

    わたしの経験では、「永久平和のために」は、あっさりと読めてしまったのだけど、主著とされる「純粋理性批判」は、全く歯が立たない。1ページも読めない感じですね。

    カント自身による入門書ということになっている「プロレゴメナ」も数ページでギブアップ。

    「日本語への翻訳が難しくしているだけで、日常的なドイツ語としてはそんなに難しくない」とか、「インドーヨーロッパ系の言語である英訳で読むと、意味が通じる」みたいなことをいう人もいた気がするが、アメリカで政治思想のコースを取ったときの先生も、「正直言って、カントは何言っているか、わからない」と言っていました。

    やはり「カントは難しい」のだと思う。

    さて、そういうわけで、「純粋理性批判」を読む日がやってくるとは、思わないけど、どうも、そこが近現代の哲学の出発地点であるようで、いろいろな哲学者がそこに言及しながら、議論を進めることが多いので、まったく無視するわけにはいかない感じがしている。

    あと、アーレントの主著を年内に読破するプロジェクト(?)の最後にそびえ立つのは、難解なアーレントのなかでも最も難易度が高いとされる「精神の生活」で、これを読むためには、カントの3批判を理解するのが前提条件となる。というのは、「精神の生活」は3部作として構想されていて、内容的には、概ね、カントの3批判に準じる順番になっているらしい。。

    というわけで、新書でカントに入門することにした。

    入門といっても、結構、難しい。が、大きな見取り図というか、どういう問題意識をもって、カントがなにを、どう考えようとしていたのかというところがとてもよくわかった。(カントは、思考の結果を本にして、そのプロセスはあまり書かないのでわかりにくいという面があるようですね)

    何が問題なのか?がわかると、だいぶ、接近できる可能性が増える感じがする。

    なるほどと思ったら点はいろいろあるが、1点だけ紹介すると、「純粋理性批判」でやろうとしていたのは、形而上学が、考えることができる領域とそうでない領域を線引きしたこと。

    カントの時代には、論理的に考えれば、なんでも理解できるという思想が主流だったらしい。その中心のヴォルフは、同一律と矛盾律。つまり、A=Aというロジックですべては説明できるという考え。

    一方、カントは、ロジックをどんどん遡っていくと証明不可能な命題にたどり着くと考えた。

    たとえば、「世界は空間・時間的に始まりを有する」ということは説明できない。
    というか、その反対の命題「世界は空間・時間的に無限である」と同様にどちらも正しいと論理的に証明できてしまうという矛盾。

    カントは、この問題は、空間・時間のなかにいる我々にはもともと説明できる範囲を超えた問題であると考える。

    こうした線引きをすることで、いわゆる「物自体」はわれわれの認知の範囲外であり、知りえない。われわれは、認知の限界の範囲で哲学すべきである、ということのようだ。

    これによって、伝統的な形而上学のお題だった「神」「自由」「魂の不死」は、学問としての形而上学から排除されることになった、そうである。

    そういう話だったわけか!!!

    と驚きつつ、それって、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」でやったことと同じじゃないの?という疑問もわく。

    ウィトゲンシュタインが「哲学的な「問題」への最終解答」と言っていたのも、「語り得ること」と「語りえない・沈黙すべきこと」を峻別することのはず。。。

    カントがずっとさきにこの峻別を行なっていたとするなら、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」がどうしてそんなに衝撃的だったのか、どこが新しい発見だったのかがわからなくなった。

    まあ、そんな感じで、まだ、カントの著作を読む気力はないが、カント関係の入門書を将来の読書リストに入れておくことにする。

  • たいていのカント入門書は『純粋理性批判』の構成通りに解説が進んでいくが、この本はアンチノミー論(超越論的弁証論)を軸にして進んでいく。この構成のおかげで、カントがなぜ超越論的観念論という一見奇妙にも思える主張をしたのかがよくわかるようになっている。すぐれた入門書といえる。

  • カントの入門書として分かりやすいと聞いたので読んでみた。
    「二律背反」という、聞いたことあるけど、あんまりよく分かってないことについて理解が深まった気がする。
    ただ、一度読んだだけでは、理解しきれていない感が否めない。
    また、再読するか、他のカントについての本を読む機会を持つ必要を感じた。
    けれども、難解なことを要点をつまんでできるだけ分かりやすく理解させようとしている点で、やはりカントへの入口としてはいいのではないかな、と思う。

  • カントを通して、目的と手段のエセ関係と根本目的を学ぶ。本文に回心とあるような、哲学する醍醐味を存分に味わった。たしかに生きることに厳格な哲学だ。真の批判だ。

    ・哲学においては定義は出発点ではなく、むしろ目標とすべき終着点。
    ・根本真理は原理的に証明不可能。
    ・アプリオリは先天的と訳すのではなく、経験に由来しないという意味。
    ・仮言命法と定言命法。
    ・定言命法は有限な人間にあっては、大なり小なり「~にもかかわらず」という意識を伴う。
    ・道徳法則は、その起点(理性)から落着点(感性)の方向において命法となる。
    ・悪への性癖は英知的所行。根源的である自由に基づいているから。
    ・現代的意味とは何であろうか。現代的意味があればあるほど、束の間の意味しかないということ。現代的意味を問うパラドックス。もし、ある哲学が時代の制約を受けながらも、どの特定の時代にも拘泥せずに営まれたものであるとすれば、その意味を問う者は時代を超えたスケールをもってしなければならない。

  • 哲学の基礎知識が不足していたためか、難解でした。初心者はもう1冊読んだ「純粋理性批判入門」のほうが理解しやすいと思います。
    認識論はとても興味深い。誰でも自分の見えている世界は存在するのかと考えたことがあるかと思います。カントは現象と物自体で論理を展開していきます。素朴にあると思っている世界が様変わりするのは痛快です。考え出すと眠れなくなります。

  •  通常「善」とされている諸々の徳はつねに相対的であり、この善意志を欠けば容易に悪徳に転じる。その証拠に、たとえば「勇敢」という徳も「沈着」という徳も、悪人――たとえば計画的殺人や銀行強盗――にとってはひとつの犯罪を首尾よく遂行するための不可欠の条件なのである。通念ではこれらすべての徳が「善」とされているのは、それらが通常はすでに(暗黙のうちに)善意志を前提にして考えられているからにほかならない。たとえば、わが身の危険をかえりみずに激流に飛び込んで人命を救助する行為を「勇敢」と称するとか、不時着した飛行機のスチュワーデスが乗客を適切に誘導したことを、「沈着」と称賛するように。すなわち、通常の徳は善意志込みで語られており、それゆえにこそ、またそれゆえにのみそれらは善なのである。このことからも、善意志がやはり徳を真に徳たらしめる条件であることがわかる。

     ところで、カントは善意志というふくよかな概念を、一転して「義務」という厳しい概念でとらえる。したがって、カント倫理学の出発点をなす善意志は、ふくよかではあるが、同時にやっぱり厳格なのである。なぜそうするかというと、カントによれば善意志は義務という概念に凝縮しているからであるという。このことからも、カントのいう善意志は、よく口にされる安易な「善意」とは異なることがわかる。いわゆる「善意」には快感が前提され(「喜んで〜する」)、場合によってはそれが目的とされるのに対して、義務には少なくとも直接には快感は前提されないし、目的とされることもない(結果としての喜びや充実感をもたらすことはあるが)。この事情を理解するためには、ひとつの思考実験をしてみればよい。そして実験とは、事情をわかりやすくするために、極端なケースを想定して行われるのがよい。今の場合もそうである。なんの不自由も障害もない場合、善はひょっとして快感から実現されることもあるであろう。しかし、一切の利害を離れて、逆境にあってもなお(すなわち、場合によっては自分に災厄がおよび来たろうが)、善を実現するためには、少なくとも有限な人間にとっては、大なり小なり義務感(快感とは逆の感情)が前提され、それをもって臨む以外にはないのである。このことからも、善意志を義務の概念に還元するカントの意志は理解されうる。

     われわれにでき、また為すべき唯一のことは、幸福になることではなく、ただ道徳性(徳)の研鑽によって幸福に値する人間になることである、と。道徳が答えられるのはそこまでである。もちろん、だからといって、道徳性が幸福を約束するわけではない。道徳性は意志に懸かっているが、幸福の実現性には意志を超えた無数のファクターが控えているからである。それゆえに、幸福は「希望」に属する問題であり、宗教に託される以外にないものである。そのとき、希望は「信仰」という意味になる。

  • 「どっかで聞いた気がするカントの説」を体系立ててコンパクトに解説する良書。カント哲学の内容そのもの難解さゆえ、初心の私には一気読みはできなかったけど、ポイント同士を繋げて有機的に解説してくれる筆者の文章のおかげで、朧げながら全体像を理解できた気がする。

  • ・仮象批判という視点でカントの思想の全体像がわかりやすくまとまっていた。もっと早くに読めばよかったと後悔した。
    ・第4章(真理の論理学)は読む前から予測していたものの、やはり苦手な領域で読むのにかなり時間がかかった。所々読み飛ばしていると思うので、今後時間をかけて理解していきたい。
    ・思ったよりすんなり飲み込めなかったのは、自由による因果性のところと判断力、心的能力のところ。特に前者は私の研究テーマドンピシャなので、何度でも読みかつ人に聞いて自分の言葉で説明できるようにしたい。

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