- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480056429
感想・レビュー・書評
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カトリック文化が優勢なヨーロッパの死生観
読了日:2008.02.16
分 類:一般書
ページ:204P
価 格:680円
発行日:1995年8月発行
出版社:ちくま新書
評 定:★★+
●作品データ●
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テーマ : ヨーロッパの死生観
語り口 : 研究論文風
ジャンル : 一般書(学術系エッセイ)
対 象 : ややマニアックな一般向け
雰囲気 : 研究論文風
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---【100字紹介】-------------------
キリスト教は、固有の「死者の書」をもたぬとはいえ、
その二千年の歴史の中で有形無形の
「死のガイダンス」を残してきた。
エジプト伝承やケルト文化等の影響を受けた
様々な形の「智恵」の体系と死生観を明らかにする
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文化や歴史、国民性により、土地や民族ごとに様々な死生観があり、それが言葉や図柄に表わされることがあります。生まれたからには必ず死すべき運命にあるヒト。ヒトは死んだらどうなるか。残された者はどうすべきか。本人はどのような死を迎えればよいのか。そして…、死を迎えるまでにどのように生きればいいのか。死生観は「死に方」だけでなく、その人の「生き方」にも影響を与えるものなのです。「よき死」を迎えるための死者の書は、同時に「よく生きる」ための生者の書でもありうるということ。
「死者の書」と言えば、まず頭に浮かぶのはエジプト。エジプトでは、その墳墓の中に色鮮やかな死後の世界を描き出し、死者の魂が迷うことなく「審判」を受けにいけるように教え導いていたとか。その絵はそのまま、当時のエジプトの死生観を表しています。また、仏教の世界では「因果応報」で「輪廻転生」という考え方。それもまた、絵になり言葉になり流布しています。
では、カトリック文化のヨーロッパではどうなっているのか。どのような「死者の書の風景」が描かれ、どのような思想が、心の底に根付いているのか。本書はそれを語るのが目的。聖書を中心にした資料が登場し、語られていきます。
読んでいると、言葉がやや難しいですね。菜の花が初めて見る言葉が沢山、特に説明なく登場しまくるので、その辺りでふらふらになりそうでした(苦笑)。うーん、勉強不足。クリスチャンならさくっと読める、キリスト教的用語なのか、それともこの分野の研究者のテクニカル・タームなのかは不明。
文章は流れもよく、読みやすいのですが、展開としてはやや平坦。まあ、研究書系なので、「凄く盛り上がる!」というのはありえませんが。学術性はまあまあ高いかもしれませんが、なにぶん分野外なので何とも。前述のように用語がやや難しいので簡潔性は低めですが、切り口は面白いし、色々と「あー、そういえば」的な発想があって一般の方でも楽しめる内容…かもしれません。この場合の「あー、そういえば」とは、海外の小説を読んだり映画を見たりしたときの登場人物の発言や行動。欧米の物語には、キリスト教的文化が色濃く反映されていることが多々あり、小説でも頻繁に聖書の文言が出てくることがあります。そういうときの発想は、ここから来ていたのか、というのを、本書で再確認した部分が幾つか。聖書くらいは読んだけれども、特にクリスチャンでもないし、くらいの微妙なレベルの方にうってつけな本かもしれません。
何とか挫折せずに最後まで読んでいったわけですが、途中で「で、結局この本は何を言いたかったんだろ…?」という疑問が菜の花の中に生まれてしまいました。が!最後の最後。「おわりに」のラスト1ページで、はっとしました。あ、そうなのか…って。というわけでそれを最後に引用してレポートを終わります。
悲しみに打ち勝つには言葉が要る。恐怖に打ち勝つには知識が要る。
やさしい言葉をたくさん使って、知識を交換しよう。智恵を伝え合おう。そうすることで、きっと、私たちはみんな、時代の病から、お互いを癒しあうことができる。
そんな最初の話しかけのひとつとして本書は書かれたし、そんなふうに読まれることを祈っている。対話が、人がいっしょに「生きる」ためのささやかだけれど有効なアクションだということを信じながら。
(本書P.197「おわりに」より)
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文章・展開 :★★★
学 術 性 :★★★★
簡 潔 性 :★★
独 自 性 :★★★★
読 後 感 :★★★
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