スポ-ツを考える: 身体・資本・ナショナリズム (ちくま新書 47)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056474

感想・レビュー・書評

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  • 近代化によってスポーツが誕生した歴史を振り返りながら、記号論を頼りにスポーツを捉え直す試みだと読んだ。
    一部読み切れなかった部分(主に身体についての章)もあったが、大衆、性差、ナショナリズム、資本主義とスポーツの関係についてとても面白く読んだ。
    ただ、多木があとがきで白状している通り、「問題提起以上に到達していない」と感じた。
    しかし、多木浩二の形作った議論の枠組みは、刊行から30年ほど経過した現在でも驚くほどに陳腐化していない。
    国家予算規模ともいえる選手の年俸の高騰、シティフットボールグループに代表される本来は街のクラブであったはずのサッカークラブの世界進出、SNSとスポーツ、女子スポーツのさらなる普及など、現在、スポーツは更に変化している。
    本書での議論を引き継ぎ、スポーツは何かを考えさせる著作があれば読んでみたい。

  • 11 身体技法:教育をからだの次元から考える[石岡丈昇先生] 3

    【ブックガイドのコメント】
    「日本語で読めるスポーツ論ではいまだ最高峰の著作。からだと社会的秩序の関係も卓抜に整理されている。」
    (『ともに生きるための教育学へのレッスン40』68ページ)

    【北大ではここにあります(北海道大学蔵書目録へのリンク先)】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_link/bibid/2000856451

  • 現代社会において、スポーツが政治的な力学のなかで読み解かれるべき対象であることを、さまざまな事例とともに論じている本です。

    イギリスにおけるスポーツマンシップの形成と、スポーツがアメリカナイズされていく過程をたどり、国家や資本主義との結びつきのなかでスポーツが現代社会においてその特有の位置づけを獲得することになったことが明らかにされています。

    個々のスポーツにかんして立ち入った考察がおこなわれているわけではありませんが、スポーツの記号論的分析のための見取り図をおおまかに示した本といえるのではないでしょうか。

  • スポーツの社会的役割、原点、時代による変遷、新たな文化など、スポーツをテーマにとことん掘り下げている。私がこの本を手に取ったのは、ふと「人はなぜスポーツをするのか」ということが疑問に思ったからだ。スポーツが人々や社会に与える影響から、その答えは出そうである。そして今や、男女差の消滅という地点にまで来ているようだ。今までの歴史、そしてこれからのスポーツからも目が離せなくなりそうだ。

  • 非常に分かりやすい問いの立て方をしており、読みやすい。

  • 凄く面白い。自分のやりたいことの半分くらい書いてある。

  • スポーツというものは何か。その根本を考える上で大変役に立った。
    オリンピック創成期、このころのジェンダー、目的や大切とされていたもの、そしてアリエスの金言など当時の歴史背景も考慮しつつ、
    現代のスポーツ観に焦点を当て書かれている。
    私のようなスポーツ学科生は一度読んでみると良いと思う。

  • [ 内容 ]
    近代スポーツはなぜ誕生したのか?
    スペクタクルの秘密は何か?
    どうして高度資本主義のモデルになったのか?
    スポーツと現代社会の謎を解く異色の思想書。

    [ 目次 ]
    序章 方法としてのスポーツ
    第1章 近代スポーツはなぜイギリスで生じたか
    第2章 近代オリンピックの政治学
    第3章 スポーツのアメリカナイゼーション
    第4章 スポーツの記号論
    第5章 過剰な身体
    第6章 三度目のスポーツ革命―女性の登場
    第7章 スポーツの現在
    終章 理想は遠くに

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 題名からしてって感じですが、とても深い内容の本だなーと、思いました。スポーツって一言にいっても、いろんな歴史があったり、いろんな思想があったりして、「自分がいつも何気なくやっているスポーツって、実はこんなに深い考え方があったんだ…。」と、感心しました。スポーツについて、うわべだけではなく、その本質まで深く知りたい人や、また逆に自分のように単にスポーツが好きという方も、読んでみたら案外おもしろいかもしれません。

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著者プロフィール

1928〜2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998〜2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。

「2021年 『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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