フ-コ-入門 (ちくま新書 71)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480056719

作品紹介・あらすじ

「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々の知の「権力」の鎖を解きはなち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起した哲学者、フーコー。われわれの思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす「考古学」においても、われわれという主体の根拠と条件を問う「系譜学」においても、フーコーが一貫して追求したのは「思考のエチカ」であった。変容しつつ持続するその歩みを明快に描きだす、新鮮な人門書。

感想・レビュー・書評

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  • ■著者が扱っているメインテーマ
    思考のエチカとは?

    ■筆者が最も伝えたかったメッセージ
    社会が用意した真理に従うより、自分の欲望が実現される世界に目を向けて、
    自己と社会を変えていこうという意志。

    ■学んだことは何か
    本当の自由って社会や集団が用意した場所に従って生きることではなく、
    自分の欲望と向き合い、そこを追求していける人生なんじゃないか?

  • 網羅的に、一貫性を持って、手堅く、フーコーの著作を解説。最初に読む本として、まさに入門として適切ではないだろうか。

    ・ある種の自由は、直接に制約を加える社会と同一ではないとしても、それに劣らぬ拘束的な効果をもたらす。
    ・カントが試みたのは、人間の理性の限界を明らかにすることだったが、フーコーにとって理性の定めた限界を〈侵犯〉することが重要な課題となる。
    ・精神医学が科学となったから狂気が疾患として認識されたのではなく、狂気が「精神の病」として位置付けられたからこそ、精神医学と心理学が可能になった。
    ・歴史に目的があるという考え方は抑圧的な機能を果たすことがある。「人間の目的」や「正義」に適った行為をしていると確信している人物は、他者に対して過酷な抑圧を行使することをためらわないからである。
    ・この生物学、言語学、経済学の誕生によって、〈人間〉という概念が誕生した。18世紀半ば。
    ・哲学に〈考古学〉の方法が必要となるのは、明晰な自己知が存在しないという認識があるから。
    ・ある思想が一つのエピステーメーにおいて確保していた位置ではなく、だれがその思想を真理と信じて行動するかの方が重要な意味を持つ
    ・これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。
    ・レゾンデタ(国家理性)と同じ構造が司牧者権力にある。より大きなものの維持のため。
    ・司牧者権力が、他者の幸福を目的とするというみかけのもとで、教会の支配の原理を貫徹しようとすることにある。
    ・〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の内部に埋め込まれた主体である、という逆説のもつ意味は大きい。
    ・身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。
    ・社会が欲望の概念によって人々を組織しようとする時に、個人が社会の生-権力に抵抗することのできる重要な根拠は、自己の身体とその欲望である。
    ・福祉社会の先進国である北欧諸国やカナダと米国が、優生学研究の先進国でもあることに示されているように、生活を保障する社会は、「劣った」生命を抹殺することで、生活の質の高さを維持する方向に向かう危険性はないだろうか。
    ・ゲイに〈なる〉こと、それは現在の社会で公認されていない新しい生き方を模索すること、他者との間で友愛に満ちた新しい関係を模索することである。
    ・フーコーが示した可能性の一つは、人々が自己を放棄しないこと、自己の欲望を断念しないことにある。しかも自己の欲望を解釈して、自己の欲望の〈真理〉を求めるという〈オイディプスの罠〉にはまらずに、自己の欲望が実現されるような世界に向かって、わずかながらでも自己と社会を変えていくことである。

  • ◆権力は秘密を欲す
     真理とは何だろうか。真理は常に正しい、しかし、真理が何か戦略的な意図により作られたものだとしたらどうだろう。しかもその真理の意図に、権力が深く関わっているとしたら。フーコーは権力が支配を強めるために、いかに真理を巧みに利用してきたかを解き明かす。
     権力がいかに真理を利用しているかを知るには、学校現場を見ればよいだろう。教師は学生を教育するために試験を実施するが、試験とは教師あるいは第三者が設定した真理を、学生に内面化させる装置である。学生は試験装置の中では、反論する機会を奪われ、一方的な関係性に置かれる。このような真理を利用した仕組みは、社会のいたる所で見つけることができるだろう。そして、真理を利用する者にとって欠かすことが出来ないのが「秘密」である。権力は「秘密」のヴェールで真理を覆うことによって支配装置へと変貌する。もし「秘密」がなければ、真理の化けの皮は剥され、そこに込められた権力の意志が露わとなり、管理・支配の土台が揺らぐことになる。そのため権力は常に「秘密」を必要としている。権力は我々の生活に満ちている、決して権力それ自体が悪いわけではない。だが権力が「秘密」を利用し、一方的な関係性に我々を押し込めるなら、それに抗う力もまた必要になる。
     本書は難解なフーコーの思想を分かりやすく解説しており、入門書として最適である。真理や「秘密」を巧みに利用する権力の姿が、本書を通して浮き彫りになるだろう。
    (龍谷大学ライティングセンター)

  • 史上最も偉大だとされる哲学者であるミッシェル・フーコーの晩年を、主要な著作とその概要を交えながら描いた本。解説もわかりやすいし、何よりこの一冊で、フーコーがどのようなことを問題意識として持ちながら人生を歩んだのかが良くわかる。この点において、本書はかなり有用だといえるだろう。

    フーコーの数ある著作のうち、最も示唆的なものは「監獄の誕生」であると個人的には感じる。なぜなら、後から述べるように、従来信じられてきた「権力」に関する概念を全く新しいものに構築し直した上に、それは現代まで通じるものであるし、加えて、あらゆる学問分野・生活に適用可能だからである。これが幅広い読者によって長年読み続けられてきたのが何よりの証拠であろう。

    さて、監獄の誕生において、フーコーは何を主張したのか。フーコーがこの著作を通じて主張していることは、「主体内部の権力」に関することである。古代ヨーロッパにおいては、罰則とはすなわち体罰を表した。それは鞭打ちに代表され、人間の身体に直接ダメージを与えるものであった。つまり、人間の「身体」という外部的なものに罰を与えることによって、人間の「精神」を正すことが目的とされたのである。これはいわば「従順な身体」を作ることだといえる。例えば、軍隊がいい例になろう。軍隊では規律を乱す人間には容赦なく殴る・蹴るなど身体的な罰則が与えられ、それに従って、やがって軍人の「精神」を持つようになるのである。つまり古代における罰則のベクトルは、身体⇒精神という方向性を持つものであったといえる。

    だが、この罰則は中世ヨーロッパを境に激変することとなる。この変化をもたらした主要因とは、「監獄の誕生」であった。すなわち、罪を犯した人間を「監獄」という非社会的環境におき、精神の矯正を図る形の罰則が誕生したのである。従って、従来の罰則のベクトルが逆転することになる。監獄の誕生によって人間の「精神」という内面的要素を矯正することによって、「身体」の正統性の確立が目指されたのである。

    フーコーは中世ヨーロッパにおけるこの監獄の誕生に着目し、新しい権力論を主張した。それはすなわち、従来の権力とは「相手を支配・抑圧」する力であったが、中世以降は「相手自身の内面から支配・抑圧」する力へと変わったと指摘したのである。これらはそれぞれ、前者が「身体⇒精神」の罰則、後者が「精神⇒身体」の監獄と対応している。複雑な近代社会を作り上げるためには、一人一人の人間を「従順な身体」にすることは不可能である。従って、権力者の意のままに動く従順な人間を作り出すためには、彼ら自身が自発的に行動し、近代というメカニズムの歯車になる必要がある。近代では、こうした主体を形成するために考え出された装置の一つが「学校」であり、先生が学生に知を「真理」として供与することによって、学生という主体を「精神」から支配するのだと、フーコーは主張する。

    この原理を建築的に示したのが、イギリスの法学者であるベンサムであった。彼はパノプティコンという装置を考察した。これは、円環上に配置した建物の中心に見張り台が設置されているという状況である。重要なことは、見張り台からは建物の中で暮らしている人間を自由に監視することができるが、そこで暮らす人にとっては見張り台にいる人間が見えないことである。つまり、見張り台には常駐の監視者を設置する必要がない。それにもかかわらず、建物で暮らす人にとっては「見張られている」可能性が常時発生するので、自身の心の中に第二の監視者を設置してしまうのである。このようにして、パノプティコンは個人の主体の様々な欲望を絡めとり、内面からそれを支配するのである。このように、主体の内部から相手を支配することが、フーコーの主張した新しい権力論である。

    このような監獄の誕生という歴史を踏まえたうえで、現代まで通じる権力論を展開したフーコーの主張は見事といわざるを得ない。フーコーが人生の課題としたことは、その時代において絶対に真理だと考えられていることは、実は歴史的・権力的に形成されたものに過ぎず、普遍的なものではありえないということであった。「監獄の誕生」はこの点を見事に表している著作だといえるだろう。

  • 時代順に主要著作毎で章立てになっているので、各著作の解説を読み進めることにより、思想的な変遷が一応追えるような構成にはなっている。
    著者はフーコーの思想には、現代を生きることの意味、現代において思考することの意味を問う、という一貫性があり、本著では、その思考のツールやモチーフを明らかにすることを目的とすると述べてはいるが、自分の勉強不足が原因なのか、その試みを充分に理解することはできなかったように思う。

  • にゃーむずかっしい

  • 簡潔かつ丁寧なミシェル・フーコーへの導き書。
    キリスト教の司牧者権力と近代国家のポリツァイを同一の視点から分析するとは驚きました。
    告解が罪の意識を作り、そこからまた告解へと戻る。無限のサイクルの内に人が閉じ込められている。
    歴史を過去のものとして振り返る際、そこで表現「されたもの」と「されなかったもの」の差異、ディスクールを理解することの困難さと重要さ。
    一面的な観点を見て単純素朴な結論に終着しないよう吟味することっすね。

  • 自分の信じたものをもう一度見直すことはかなり面倒だと思います。見直さなくてはこのままでは良くならいことは理解してるけど、面倒。
    フーコーの真理を追うために何度も現実に向き合う姿に真理の重さを感じられます。

    ( オンラインコミュニティ「Book Bar for Leaders」内で紹介 https://www.bizmentor.jp/bookbar )

  • フーコー入門として、非常に読みやすい。
    後半は、フーコーの著作から彼のアイデアを解説していく流れになるが、「どの著作について、どのような観点で」解説していくかを明記しているので非常に理解しやすい。

  • わかりやすい

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著者プロフィール

中山 元(なかやま・げん)
1949年生まれ。東京大学教養学部中退。思想家・翻訳家。著書に『思考の用語辞典』などが、訳書にカント『純粋理性批判』、ハイデガー『存在と時間』などがある。

「2022年 『道徳および立法の諸原理序説 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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