レヴィナス入門 (ちくま新書 200)

著者 :
  • 筑摩書房
3.54
  • (15)
  • (34)
  • (56)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 490
感想 : 33
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058003

作品紹介・あらすじ

フッサールとハイデガーに学びながらも、ユダヤの伝統を継承し、独特な他者論を展開した哲学者エマニュエル・レヴィナス。自己の収容所体験を通して、ハイデガーのいう「寛大で措しみない存在」などは、こうしたおそるべき現実の前では無化されてしまう、と批判した。人間は本当はどれだけわずかなものによって生きていけるのか、死や苦しみにまつわる切なさ、やりきれなさへの感受性が、じつは世界と生を結びつけているのではないか、といった現代における精神的課題を、レヴィナスに寄り添いながら考えていく、初の入門書。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 熊野先生の文章はひらがなが多いとは聞いていたが、さすがに「つうじょう」をひらがなで表記するあたりは独特である。
    入門とはいえかなり難解なほうなのでちょっとばかし知識がないと理解しづらい。だからこの本を入門とは言い難いだろう。そもそもレヴィナスの思想自体、哲学のなかでも難しいほうだ。哲学だけでなく語学の知識があるとまた読みやすくなるとおもう。

    主なテーマは「他者」について。
    レヴィナスのいう他者についてエッセンスが散りばめられているのが本書である。
    思想が年を重ねるごとに変わっていくなかで、時系列順に紐解いてはいるが、いろんな本から文章を引っ張ってきているのでちょっと読みにくさはあった。

    他者との関係それ自体が倫理。
    わたしは第二の著書『存在の彼方へ あるいは存在するとは別の仕方で』が好きなので、「身代わり」についてとかもっといろいろ書いてほしかったという気持ちはある。
    ただ熊野先生の文章がすきなので、割と面白く読めた。ほかのも読んでみるとともにこの本は図書館で借りたので買おうかなとおもった。



  • フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの哲学を存在論の視点から描き出した入門書。フッサールやハイデガーになじみがないとやや難解な部分もあるが、全体としては読みやすい作りになっている。

    詳細に立ち入ることはやめておこう。
    ここに書き留めておくべきことはひとつ、レヴィナスは極めて繊細な感受性をもった哲学者だった、ということだ。

    リトアニアに生まれたユダヤ系のレヴィナスはフランスに留学した後、第二次世界大戦に巻き込まれ、捕虜として収容所に入れられる。本書に「奇妙な戦争」とあるように、しかしその収容所生活は穏やかだったようだ。「夜と霧」を著したヴィクトール・フランクルの過酷な収容所体験に比べると非常に恵まれた境遇だったようだ。けれども収容所から解放され、戦火に巻き込まれて何もかもなくなった故郷を見た後、レヴィナスの「存在」や「私」、「他者」の思考が展開していく。

    レヴィナスの繊細な感受性はそれを受けてこう記す。

    “たったいま死んだものによって残される空所が、志願者の呟きによって充たされる。存在の否定がのこした空虚を、あるが埋めてしまうのだ”

    哲学書を読む醍醐味は、こうした繊細な感性に捉えられた事象とそれを解きほぐしていく力強い思考をたどることにあると思っている。哲学者が語るのは真理ではない。彼ら彼女らが語るのは自らの感受性なのだ。その意味で言えば、哲学は芸術でありうる。

  • 一通り目を通した。
    読み終わったというにはほど遠い理解度かもしれない。

    レヴィナスといえば、他者論。
    前半を中心に扱われるフッサールやハイデガーとの接点は、自分の中で少しクリアになった気がする。
    一方、6章以降、レヴィナス自身の他者論が中心となる部分になると、とたんに難しくなるのはなぜだろう?

    文章も独特な感じ。
    使われている言葉は、術語もあるけれど、全体としてはやさしい言葉が使われている。
    何か、詩のような感じさえ受ける。
    ところが、言っている内容は、なかなか頭に入ってこない。
    こちらのセンスとレディネスの問題だろうけど。
    なんだろう、この見かけの平明さとのギャップ。

  • 今年度、ゼミで『全体性と無限』を読むため、導入として読了。レヴィナスに入門しつつ、熊野先生の哲学のしかたも学ぶことができる本だと思う。

  • とても丁寧で親切な解釈が提示されている。入門と呼ぶに相応しい。倫理を究極の形で探究したレヴィナスの鼓動を感じた。

  • 激動の戦時、戦後をユダヤ人として生き抜いた哲学者の思考の足跡を辿る本。

    戦争により親族も故郷も失ない、失意の底に落ちるも世界がそれでも存在し続けること(イリヤ)に苦しむ。しかしそこから抜け出すのが「他者」である。

    という考え方に興味を持ち、読み始めたものの。
    残念ながら全く書いてあることがわからなかった。私の力不足であるとは思うが。。

    言語を対象とする哲学という分野だから仕方ないのかもしれないが、言葉の定義や成り立ちの話が多いし、複雑な事を更に複雑な言い回しで話すし、言葉がどんどん増えていくので、どんどんわからなくなってしまった。
    また、抽象的な話が多く、実生活だとどうなの?とも思ってしまった。

    こういう議論をし続けられる哲学者はすごいが、複雑な現象をなるべく短く簡易に説明する自然科学系学問を学んできた私にはちょっと相性が悪かった。

    前半の50ページくらいまでは良かったのだが。。

  • 難しい。おそらく、字を追ってみたものの、何もわかっていないと思う。「入門」とは、かくも厳しいものであったのか。

    これを読むためには、もう少し、初歩の初歩である知識が必要であったので、ものすごく気が向いたらいつか再読したい。

    なんとなく読み取ったことは、自己の他者性(他者はいやおうなく自己に働きかけてくる、それに気づいた時点で自己は応答せざるを得ない)に対して何らかの方法で主体性を取り戻そうとしている、ということ。なんとなくだが、自己が存在することの悲惨さ、みたいなことはキャッチしたし、どちらかといえばしっくりくる考え方である。

    関係ないのだが、女性は(息子を)産むことで世界を所有する的なことが書いてあったが、これは、先日読んだ『セカイからもっと近くに』と同じように、「命をつなぐこと」によって自分が社会とアクセスできる(と作品は示している)という考え方に通じるところがあると思った。

  • ちっとも入門ではない。語りは専門書みたいな感じ。迂遠な書き方になっているのは丁寧に前提を再定義していくのなら仕方がないとはいえ原書からわかりやすくなったところは殆どない。ただ、読んだ人が理解の助けになると思って少し諸々の関連性を述べているので延長線上にあるテキストといえる。理解が深まる度に、読み直すと見えてくるのかもしれない。そういう感じのテキストでおおよそ新書らしくはない。とはいえ悪いテキストではないと思う。

  • 別の人の講義でレヴィナスを学んだときは「深そうなこと言ってるようだけどなんだか肌に合わないなあ」という印象だったが、著者による解説を読んで考えが変わった。著者の緻密な分析によるところが大きいのかもしれないが、結構かっちりとした真面目な倫理学的主張を展開している。

  • 2017.1.13
    前半はさっぱり。後半はなんとなく理解できた。他者を時間という観点から考えていたとは知らなかった。対話という構造を時間から考えた哲学者にローゼンシュヴァイクがいるが、レヴィナスは他者を時間で考えた。どうしても捉えきれない他者は、私の世界の外側からやってくる。その顔に現前する世界の外側、私には捉えきれないものとは何か、それはその他者の歴史である。思えば確かにそうだ。私は他者の言葉、表情、行為を見て取る事ができる。しかしそれらの背景にあるもの、それまでの文脈は読み取る事ができない。一人の人間の独自性はその人間が生きてきた歴史において様々な関係を経験する事で蓄積してきたものの集積であるとするならば、私にあなたのその歴史的蓄積、皺に刻まれた時間を知るすべはない。
    時間といえばベルクソンなので、そこあたりも含めて学習を進めたい。しかしレヴィナス、入門書にしてもこの難しさか…。

全33件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

東北大学助教授

「1997年 『カント哲学のコンテクスト』 で使われていた紹介文から引用しています。」

熊野純彦の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ミシェル・フーコ...
三島由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×