カルチュラル・スタディ-ズ入門 (ちくま新書 261)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058614

作品紹介・あらすじ

日常生活の問題を研究対象とするカルチュラル・スタディーズは、理論と実践をつなぐ運動である。サブカルチャー、メディア、ジェンダー、エスニシティ…などの研究を通じてカルチュラル・スタディーズが目指しているものは何か。体制的なものと反体制的なもの、権威の中心と外側、といった二項対立を突き崩しながら文化と政治の関係を考える、最も新しい理論/実践の運動を始めるための入門書。

感想・レビュー・書評

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  • カルチュラル・スタディーズの概要と本質を分かりやすく説明している入門書です。

    本書で取り上げられている内容には、カルチュラル・スタディーズの前史、S・ホールによるバーミンガム大学現代文化研究センターの設立、マルクス主義やフランクフルト学派、現代フランス思想との関わりなどが含まれています。とはいえ、カルチュラル・スタディーズの入門書の目標は、カルチュラル・スタディーズが作り上げた既成の「理論」を紹介することではないと著者たちは言います。カルチュラル・スタディーズとは、何よりもまず、理論と実践を不断につなごうとする「営み」であり、地理的ないし歴史的特殊性を無視して何にでも当てはめることのできるような、普遍的に「正しい」理論から、それぞれの状況に応じた「適切な」理論へと、「理論」そのものの概念を変えることを提言しています。

    本書では、ホールは、その権威主義的な態度を学生によって批判され、バーミンガムを去ったという事実が紹介されています。このことは、カルチュラル・スタディーズにおける「教育」とは教師から学生へと出来合いの「教養」が一方的に伝えられることであってはならないということを示しています。本書もまた、こうした観点に基づいて書かれている以上、当然のことながら単なる「文化研究」としてのカルチュラル・スタディーズを紹介するものではあってはなりません。カルチュラル・スタディーズにおいては、黒人文化や若者文化への参照がなされますが、それは単に抑圧された人びとの支配者に対する抵抗を読み込むといった理論的枠組みが先行する態度とは異なると著者たちは考えます。むしろ、それらの営みを通じて私たちが「喜び」や「楽しみ」を享受していることに目を向け、そうした自発的な文化活動と協同する形でオルタナティヴな言説を練り上げてゆく可能性を見いだせるのではないかという展望が示されています。

  • メモ)
    フランクフルト学派の批判理論
    1.アドルノ、ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』―メディア、「文化産業」に組織され、受動的に操作される人々←→大衆の能動性を強調するCS 33-35
    cf.「廃物 Müll」(アドルノ) vs. 「廃品 Abfälle」(ベンヤミン)―商品の別の文脈での再利用…「廃品回収の技法」
    2.マルクーゼ『儀礼を通した抵抗』 欲望の解放の肯定(<フロイト、ヘーゲル左派、初期マルクス) 40
    3.ハーバーマス―「公共圏」 西欧的理性と市民倫理への信頼←→CS:西欧的理念への疑い、異議提議 41
    「他者」の問題―アドルノ『否定弁証法』:西欧的理性と思考―対象や自然を同一化しようとする運動―弁証法;「非同一的なもの」―同一化の運動から零れ落ちるもの、思考し得ないものとの遭遇によって思考は支えられ活性化される 41
       cf.「アウラ」(ベンヤミン)、「脱構築」「差異」(デリダ)
       レイ・チョウ―「ネイティヴ性=アウラ(一回性、把捉できない現象/表象)」…「強い読み替え」 44
       cf.「ディアスポラ」の戦略的読み替え P186

    構造主義/記号論の文脈におけるCS的機能を備える理論
    ロラン・バルト『神話作用』50
       神話は二次的な言語―神話はある言葉の表象であったものが、もう一度別の意味するものとして働くときに生まれる→言葉の直接的な意味としてのデノテーション(直示)と多様な意味の含みとしてのコノテーション(共示)との二重の働き
       恣意的な意味論的体系が事実の体系として読まれてしまうこと―客観的な「自然/事実」=「現代の神話」52
       神話は自然さと事実性を仮構しながら、ことがらの歴史性を消失させる cf.「イデオロギー」<アルチュセール 54
       神話の受け手 1.神話の生産者―神話の形式を両義性なしに受け入れる、2.神話学者―意味するものを形式から分離し、神話の変形を理解しながら解読する、3.神話の読者―神話の両義的な意味作用を受け入れる 54-55
    ミシェル・ド・セルトー―日常生活 everyday life を議論の足場にした文化論 60
       『日常的実践のポイエティーク』―「歩く実践」…都市空間論 cf.「遊歩」(ベンヤミン)、「漂流」(シチュアシオニスト)
       戦略と戦術 cf.「レヴィ=ストロース入門」ちくま新書
       「ペルーク」(かつら→策略、機略)―労働の時間に趣味や生活の活動をしたり、仕事場の物品を生活に流用すること

    ペダゴジー pedagogy(教育、教育法)の問題 82
    大学のディシプリンを維持する権力の再生産 83
    サブカルチャーの「マイナーさ」は人数の少なさを反映しているわけではない 84
    知識の生産にまつわる権力をCSは問題にする 84
    「カルチュラル・スタディーズは汚い世界の問題をアカデミズムという清潔な空間に持ち込むこと」スチュアート・ホール 86
    アカデミズムのゲットー化 89

    コード化 encoding/脱コード化 decoding ホールのメディア研究 95
    コード化の過程の条件
       1.知識の枠組み―「お約束」の知識
       2.生産関係―メディアの生産物は「文化産業」の生産物であり、資本家の利益になるように機能する cf.アルチュセールのイデオロギー論、「重層的決定」
       3.技術的インフラ
    脱コード化は単なる消費ではなく、能動的な消費の「生産」 99
       1.優先的読み―支配的イデオロギーに沿った解釈
       2.対抗的読み―イデオロギーに反して逆に読み替える読み
       3.交渉的読み―上記二者を媒介するもの、両者が交渉を通じて意味を奪い合うような読み
    脱コード化=読みの多様性←→効果理論 102

    『儀礼を通した抵抗』Resistance through Rituals 110-112
    儀礼 ritual―(儀礼過程…)人類学における特定の文化的規範(宗教/神話)に従った手続き→一定のスタイルや型によって形作られた身振りや慣習行為
    部族 tribe―文化を小さく断片化した社会的集団
    「両親の文化」(「ペアレンツ・カルチャー」、フィル・コーエン)115

    ポピュリズム的モダニズム 166
    <西洋的近代主義の美学とは、究極的には専門的知識をもった人しか理解することができない徹底したエリート主義の美学であり、それは大衆迎合的なポピュリスト的な美学とは相反するものと考えられているからである。
     しかし、黒人文化では高級文化に対するアクセスが制限されてきたために、黒人のモダニズム的な美学の最もラディカルな核心は、通俗的で大衆的な、ポピュリズムの形式によって伝えられることになる。…
     こうした「ポピュリズム的モダニズム」の形式は、資本主義的商品か自律的芸術かという二項対立を無効にする。つまり、それは商品であるのと同時に一定の自律した文化的価値を持っている。…私たちは「あれかこれか(either/or)」の思考から、矛盾した側面を矛盾のまま併せもつ「あれもこれも(both/and)」の思考法を獲得しなければならない。>

    『美学入門』中井正一 212
    映画は演劇や文学と違い、「である/でない」ということがらの説明の繋辞(コプラ copula)をもたない。
    カット同士の連続のはたらきを、映画は観客の意欲、主体性にゆだねる―受け手の能動的な読みや解釈

    『限界芸術論』鶴見俊輔 214
    「純粋芸術」(Pure Art)と「大衆芸術」(Popular Art)の二つよりも広がりを持ち、芸術と生活の境界に位置する表現―「限界芸術」(Marginal Art):非専門的な表現者によって作られ、非専門的な受け手によって享受される

    「ヘテロトピア」、異他なる空間 フーコー 229
    所与の社会において他の全ての空間と潜在的な関係を結んでいる空間であって、そこにおいてその社会の他の全ての場所が表象され、異議申し立てを受け、また転倒されるような反場所。
    図書館や監獄、病院の一部や墓場、マーケットetc.

  • 入門書というよりもある程度カルチュラル・スタディーズ
    について知見を深めた人が、更なる問題意識を捉えたり、理解を深めるきっかけになる本。

    正直、よく理解できませんでした。

  • つかみづらいカルチュアルスタディーズ。元々ちょっとぼんやりしすぎなのか、読込が浅いのか。

    多文化主義とか人種主義に対する考え方という感じの記述もあるのだけど、たんに二項対立の傍観者としての立場からそれを眺めつつ「実践する」ような考え方がよくわかない。

    「儀礼を通した抵抗」というのも、考え方はわかるのだけど、パンクバンドは「実践」で、その傍観者がカルチュアルスタディーズなのか。それともなのか。社会学との違いもよくわからない。。

    フレームワークというかスキーマというのか、そういうのがないと理解が深まらないしなんだか釈然としない自分というのは確認できた。

  • 入門書をあまり読んだことがないけど、勝手にその分野のことをわかりやすく説明してくれるものだと思っていた。しかし全然理解できない。
    有名な社会学者とそれに関わる理論や社会的な動向を書き連ねているけど、それがどういった人物や理論なのかを知らないと何のことを指しているのかわからなくなる。紹介されていた事を全部自分で調べていくための入門書、ということなのか。ある程度、知識がある人を対象としているのか。
    参考になることにはなるが今の自分には内容をきちんと理解することはできないなと感じた。

  • 「入門」というには少し欲張りすぎでは…

  •  何かを読んだきっかけで「カルチュラル・スタディーズ」という概念に辿り着いた。二三冊関連書籍をあたってみたが未だにスッキリしない。「支配と服従」とか「自己形成のための表現行為」とか「マスコミによる世論形成」とか「階級や差別」とか「実践を伴う社会運動」とか、さらにそれらに関する思想の歴史とか。研究者もその守備範囲の広さを認めているのだが、calutural(教養的、文化的)study(研究、学問)という言葉自体が、なかなか体系的な理解に結びつかない。本書でもまとまった形では頭に入ってはこなかった。しかし個々の内容はあらゆる場面でよく目にする非常に重要な問題に関連したものであり、その方向性を見てみれば期待値が高いものがとても多い。そういったことを実感しただけでも読んだ価値はあった。その反面まどろっこしさも感じる。こうしたことを端緒としてさらなる知識を求めていくということもこれまた楽しみでもあるのだが。

  • 200 文英堂

  • 越境・外部・他者など等、月並みな用語が連発するが、それがスタディーズである限り、追いかけられるのは矢張り残像のみである。それをパワーポイントやらを使って薄暗い教室で「講義」しようとする輩がずいぶん多いが、結局はIPHONE一個の破壊力の前では萎えたものである。結局ダイナミックな批評の筆だけが(多分に主観的な筆だけが)、波打つカルチャーに太刀打ちし、読者の琴線を振幅させるのだろう。CSは入門書だけを書く「学問」でしかない、と思えば本書は確かに、様々な意匠についての「勉強」になる。

  • 「理論と実践とを結ぶのがカルチュラル・スタディーズである」という文句に惹かれ、手にとった一冊。タイトルに「入門」とあり、読みやすさ(分かりやすさ)を期待していたが、(社会)科学者の名前やカタカナの語彙数が多く、やや空の上の話を聞いている印象を受けた(=形而上学的?)。もっとも、机上の文化を操るだけでは物事の本質は見えてこないし、自分が属している文化への理解なしに他文化を分かることは難しい、ということなのだろう。その点、カルチュラル・スタディーズが、現場に一番近い実践的な運動であることは、感じられた気がする。

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著者プロフィール

1962年生まれ。批評家、和光大学教授。専攻は、社会思想史、文化研究、メディア論。主な著書に、『増補版 アーバン・トライバル・スタディーズ』(月曜社、2017年)、『四つのエコロジー:フェリックス・ガタリの思考』(河出書房新社、2016)、『荒野のおおかみ:押井守論』(青弓社、2016年)、『思想の不良たち:1950年代 もう一つの精神史』(岩波書店、2013)、『思想家の自伝を読む』(平凡社新書、2010年)など。

「2024年 『[決定版]四つのエコロジー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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