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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480058683
感想・レビュー・書評
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「竹島問題」や「尖閣列島問題」で紛糾する日本と中国・韓国との関係を考察しようとすると、どうしても日本の過去の「大陸政策」の是非を考えざるを得ない。そこで過去の日韓関係の詳細を知りたいと思い、本書を手にとってみた。
しかし、「伊藤博文暗殺」(1909年、明治42年)の暗殺犯が、「安重根」ではなく、別人だとの主張は、ちょっといただけないのではないか。
推理小説ではなく、歴史書なのだろうから、もう少し深い考察が欲しい。このような「憶測と決めつけ」が本書の随所にあるようにも思え、本書の価値を下げているようにも思えた。
本書では、当時の人物が何を考えて行動したのかを、だいぶ断定的に語っている。読み物としては面白く、わかりやすいし、何しろ100年以上前のことであるから、どこからも文句は出ないかもしれないが、「歴史の考察」という視点からはどうなのだろうか。
ともあれ、本書は「江華島条約」(1876年、明治9年)や「壬午軍乱」(1882年、明治19年)「朝鮮王妃殺害事件」(1895年、明治28年)などを実に詳細に追いかけている。
著者の視点と見解は、やや強引のようにも思えるが、この時代に日韓関係でなにが起きたのかという事実関係がよくわかる点だけは評価できると思えた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
[ 内容 ]
1909年10月26日伊藤博文はハルビン駅頭で、韓国の独立運動家安重根の銃弾に倒れる。
だが、もし安重根以外にも暗殺実行犯がいたとすると、それは誰だったのか。
また伊藤はなぜ暗殺されなければならなかったのか。
日露戦後の複雑怪奇な国際関係を背景に浮かび上がる伊藤暗殺計画。
国際通と自他ともに認めた知謀伊藤博文の眼に映った明治国家日本と韓国のゆくえは?日韓併合前夜の近代史の謎に迫る。
[ 目次 ]
序章 ハルビン駅頭の銃弾(満州訪問への旅立ち;ハルビン駅頭の銃弾;暗殺実行犯に対する疑問 ほか)
第1章 伊藤博文と韓国(明治六年の政変まで;征韓論;台湾出兵 ほか)
第2章 日清開戦(東学党の乱;伊藤の平和論と陸奥の開戦論;派兵強行 ほか)
第3章 朝鮮王妃殺害事件(日本外交の焦点;三浦任命の背景;「臨機応変」の意味 ほか)
第4章 日韓併合への道(清国漫遊と反軍拡;厦門事件;韓国中立化構想 ほか)
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モナリザは、今ルーブルにあるのが本物かどうかは分からない。
怪しいものだ。
昔盗難されたことがあって、それを取り返したことになってるけど、間に何人かの人が入って取り返しているから、本物でない可能性も高い。
実際、取り返したと言ってみんなが喜んでいるときに、その疑問を口にした人もいた。
しかしそんな疑問は今ではすっかり立ち消えとなって、毎日大勢の人がモナリザを観にルーブルへ押しかける。
彼らは別に、そのモナリザが本物であろうとなかろうと、関係ないのである。
厳重にガラスケースに収められ、「これがレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたモナリザです」と公に言われたその絵が見られれば満足なのである。
実際、美術関係者などはルーブルへ行ってもモナリザは見ず、サモトラケのニケやブルータス、ミロのヴィーナスなどだけ見る人も多いそうだ。
伊藤博文は1909年にハルピンで朝鮮の独立運動家安重根に暗殺された。
これは史実として学校で習う事項である。
1910年2月7日の公判で、安重根は犯行を認め、関東都督府の法院も事実として認定した。
しかし、伊藤に随行し、自身も被弾した貴族院議員の宝田義文は、このことに疑問を呈した。
宝田は伊藤が撃たれたとき、儀仗兵の間から、小さな男が大きなロシア兵の股の間をくぐるような格好をしながらピストルをつき出しているのを見た。
それが安重根であるが、つまり下から伊藤を狙ったのである。
ところが、伊藤は3発の銃弾を受けていたが、第1弾は肩から胸部乳下にとどまり、第2弾は右腕関節を突き抜けてへその側を通って臍下に止まっており、この2つが致命傷となったのである。
宝田は裁判の為にその見取り図を提出しており、遺体の処置を実見している。
そうだとすると、伊藤を狙撃したものは右上から伊藤を狙ったことになる。
宝田は、駅の2階の食堂から伊藤を狙撃したものが真犯人であると考えた。
宝田によると、安重根が狙撃に使ったのはブローニングの7連発の拳銃であったが、伊藤に命中した銃弾は、フランス騎馬銃のものだったというのである。
裁判記録は銃弾の問題に一切触れない。
遺体の処置をした小山医師は、遺体を傷つけないために銃弾は体内に残したと新聞で語っている。
しかし宝田は、小山によって行われた長春での遺体の処置に立ち会ったのであり、そこで銃弾の問題を知ったのではないか。(上垣外憲一『暗殺・伊藤博文』)
宝田は、安重根のほかに真犯人がいることを訴えようとしたが、海軍大臣の山本権兵衛に、ことを荒立てるとロシアとの外交問題にもなるといわれて断念したという。
こういったことは、しばしば見られることだ。
モナリザを見た場合にはルーブル美術館の名誉を重んじており、伊藤を見た場合にはロシアとの外交問題を重んじるがために真実に蓋がされてしまっている。
この蓋を取ることができるのは、第三者だけ(あるいは当事者で、物事の優先順位の付け方が常人とは異なる人)である。
大津事件の際、大審院長児島惟謙は「日露両国国交を断絶して開戦すると否とは、素より裁判官の関する処にあらず。裁判官の眼中、唯法律あるのみ」と言い切り、山田顕義司相・西郷従道内相らの、刑法第116条の適用による津田の死刑の依頼を退けた。
結果は、世論は一様に判決を支持し、大審院の公正さを賞賛、ロシアも満足の意をあらわし、イギリスの世論も、これは日本の司法権が独立している証だと評価した。
大津事件の際は、たまたま良い結果となった。
たまたまではなく、児島の眼が正しかったということでもある。
過去の過ちを正すことは、当事者が死んでいる、欲することに関する文献がない等の理由で非常に困難である。
それよりも必要なことは、現在自分にできることを探し、どんどん進めることだ。
勇気ある人間になりたい。
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