- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480058775
作品紹介・あらすじ
二〇世紀哲学における最大の巨人ハイデガー。半世紀以上にわたり、彼の思想があらゆる知の領域に及ぼしてきた圧倒的な影響はいうまでもない。大いなる成功と絶望的な無理解の断層に屹立する今世紀最も重要な哲学書『存在と時間』。その本当の狙いとは何か?本書は、難解といわれるハイデガーの思考の核心を読み解き、プラトン、アリストテレス以来西洋哲学が探究しつづけた「存在への問い」に迫るとともに、彼が哲学者としてナチズムのなかに見たものの深層に光をあてる。ハイデガー哲学の魅力の源泉を理解するための一冊。
感想・レビュー・書評
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この本が入門書として良書かどうかはこの後実際に「存在と時間」を読む段になって明らかになると思う。なので今は星三つ。
不満な点を挙げるとすれば、一部の術語(「時熟」、「脱自的」など)が最後まで意味を説明されずに使われていることか。入門書の読者としては、国語辞典に載っていないような術語については一言説明が欲しかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
僕の学生時代、中央公論社から「世界の名著」シリーズが出て、今年5月に逝去された、辻村公一先生が、ハイデガー(Martin Heidegger)のそれまでは通常「存在と時間」と和訳されていた「Sein und Zeit」を「有と時」(うととき)という刺激的なタイトルで訳されて、僕も古本屋で買った。結局正直難しくて読み終えられなかった。大学一年先輩のYさんが確か、卒論を書かれたと思う。息子が大学へ入った時にプレゼントした。今、アマゾンでみると結構プレミアムがついている。(笑)
そこで、死ぬまでに読めなかったトラウマ解消のためにも、少しチャレンジしてみるべく、入門書から読むことにした。「ハイデガー入門はそれが必要とされなくなることをめざしている。」と著者がおっしゃる通り、僕にとって、正直、素晴らしくよくできた入門書であった。ハイデガー哲学は実存哲学でない。「存在への問いを新たに立てること」だということから始まって、プラトンとアリストテレスの存在への問いを取り返すことだという。キーワードWoraufhin「それへ向けてのそれ」、「存在者ー存在ー存在の意味=時間」から「形而上学の二重性」を神を「範例的存在者」とする解決策、ニーチェ、ウィトゲンシュタインとの関わりなど興味深く、哲学への思いがますます強くなった。 -
ハイデガーをプラトン、アリストテレスと接続し、ギリシア哲学から存在論を位置づける。ナチズムのニーチェ利用との距離とプラトン哲人政治と詩・思惟・政治の三位一体の理想と失望。ハイデガー『存在と時間』を中心に歴史的位置づけと狙いをさらう入門書。
『存在と時間』の根本的な問いが存在の意味への問いであること、そしてその問いがアリストテレス存在論の核心であるプロス・ヘンの取り返しであり、さらにプラトンの善のイデアの取り返しであること。現存在の明るみを照らす光は時間性に求められる。このことを『存在と時間』は「脱自的時間性が現を根源的に明るくする」と表現している。認識が成立するために認識する者と認識されるものだけでなく、第三のもの(イデア、カテゴリー、形式、言葉、基準枠、パラダイムなど)が必要とされる。「現象は光のうちで視られうる」というテーゼがハイデガー現象学の核心をなしていること、光の問題がプラトン、アリストテレスにおいて重要であること、善のイデアの光、能動理性の光が語られていること、そしてこれらを関係づける可能性。前期ハイデガーはギリシアの光の視覚モデル、後期ハイデガーは言語の聴覚モデル。
古代ギリシアから西洋近代まで貫かれる、形而上学の二重性。ハイデガー存在論・メタ存在論、アリストテレス存在論・神学、プラトン イデア・善のイデア、カント一般・特殊形而上学、ウィトゲンシュタイン論理・倫理、ヘーゲル現象学・論理学。
プラトン『国家』の「哲学者=統治者」のテーゼに言及する。このプラトンのテーゼに対して、ハイデガーは「詩人―思惟者―国家構造者」の三位一体を構想した。ナチズムとの接続を見出すが、戦後決別する。
アリストテレス『デ・アニマ』「心はある意味で存在者である」が『存在と時間』「現存在は存在者をその存在に関して理解する」の根幹をなしている。
「私の思想の根本思想とはまさに次のことである。存在あるいは存在の露呈性は人間を必要とし、逆に人間は存在の露呈性のうちに立つかぎりでのみ人間である」。人間と存在とのこうした関わりの場をハイデガーは問うのであり、存在の「意味―真理―場所」への問いは、「存在が存在として露となり、非秘蔵的となる境域」を問う。
わかったつもりの浅薄な理解(単なる誤解)より、わからないと知るほうがいい。おとぎ話を信じないためには、実際に『存在と時間』を自分の目で読むことである。そしてわからない箇所をわからないとはっきり知ることである。あるとき、突然ハイデガーの核心が見えてくるだろう。そして今までに見たことのない光景が一挙に開けるだろう。それは、人まねでない自分独自の読みを獲得することである。 -
20世紀に活躍した哲学者ハイデガーの主著『存在と時間』を中心に、本入門書の著者の言葉通り、「ハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすることを目的にしている」本になっています。原語でハイデガーを読む人のための入門書という位置づけのため、本書では、中身の解釈にまでは立ちいっていません。「哲学」というもの自体、頭を使うもので、難しくて、なかなかとっつきにくいものだったりしますが、そんな「哲学」のなかでも、ハイデガー哲学はとりわけ難解な部類に位置付けられる「哲学」だそうです。なので、本書自体も難しいです。『存在と時間』にあたるための外堀を埋めていくにしても、古代ギリシャ哲学者である、プラトンやアリストテレスから始めなければわからない。『存在と時間』は、古代ギリシャからの存在論を甦らせるというか、より一歩進めたような哲学のようだと僕は思いましたが、『存在と時間』を読んでいないし、たぶん読まないので、そこはわからないですね。ただ、存在の意味への問いが、形而上学的(神学を含んでいる学問)にいえば、それが「神」が答えになるところで、ハイデガーは「時間」を答えだとしてました。さらに、ハイデガーは存在の意味においては、神がそこに立ち上ってくることを嫌い(?)、存在の真理を問うというかたちで回避していこうとしていくようなんですが、もうね、なかなか、読み終わってしばらくたつと、脳内から湯気のように蒸発していくような、頭に定着しずらい難解な抽象的思考で構築されていました。
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本書の目的は、「ハイデガー哲学が動いている問題地平を明らかにすること」だとされる。そのため、ハイデガー哲学はいわゆる実存哲学ではなく、プラトン・アリストテレスによる存在への問いを改めて立てる西洋哲学の嫡子であることを導きの糸として、ハイデガーの思考がどのような問題に関わっているのかが詳細に論じられる。主たる分析対象は『存在と時間』であるが、その論点を逐一検討していくのではなく、ハイデガーがプラトン・アリストテレスの哲学をどのように解釈し、そこから何を得たのか、同時代のウィトゲンシュタインの哲学と実は形而上学の次元において交錯していることなどが主張される。「入門」と題され、しかもハイデガー哲学への導入の役目を果たせば「入門」は不要だと言い切る本書であるが、哲学史上の様々な問題群と関わるハイデガー哲学をいかなる視座のもと理解するべきかについて、極めて明快な解答を与えているように思われる。
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数学や物理学などは、ある一定の高みまで行かなければ、数学する、または物理学する喜びは得られない。本書は哲学に関して、ハイデガーを通し、哲学する喜びを味わう「入り口」まで引き上げてくれる良書だ。
ただし、ハイデガーという名前を聞いた程度、その主著『存在と時間』のあらましすら分からない、という読者向きではない。
ナチスのあたりは、なぜ?が拭えなかったが、西洋哲学史上繰り返し問われてきた内容についての指摘は、全般に驚きを持って読み進めた。 -
主にM.ハイデッガー『存在と時間』を解説していく本です。他のレビューでもご指摘のある通り、入門レベルとは言えません。ハイデッガーはともかく、ある程度の哲学に関する知識が前提として要求されています。
わたしは『存在と時間』(ちくま学芸文庫)を一通り読んだ後に本書を読みました。当然ながら『存在と時間』はわたしのようなサラリーマンが一読した程度で何かが分かるような本ではありませんので、本書を読むことで、つかみ切れなかったいくつもの概念(例えば先持・先視・先駆、企投、決意性、など)が、なんとなく身に浸み込んでいくような感がありました。
著者は1947年生まれとありますので今年67歳でいらっしゃるのでしょうか。かなりの偏屈ジイさんとお見受けします。他の学説や翻訳への批判もそこかしこで展開され(特に「実存」の受け取り方には厳しい)、われわれ若い読者に対しても注文の多い先生であります。
”本書が想定している読者は、ハイデガーを手軽にわかろうとする人、わかったつもりになろうとする人でなく、ハイデガーのテクストを自分の目で読もうと思っている人である”だそうです。
本書は読者側に注文が多い、でもむしろそれがこの本の良いところと言えると思います。「美とは何か」と「美しいものとは何か」という問いを例にしたところなど、よく読めば存在の問いの本質を説明する上で適当な例えであることがわかるのですが、これだけ書いても何のことだかさっぱりわかりません。頭の能動性が求められる。”「存在と時間」を結びつける「と」は心(現存在)である”というところも、改めて感じ入りました。
しかしウィトゲンシュタインやヘルダーリンを並行して論じ始めるあたりからさすがにチンプンカンプンになってきました。こちらは一度『論理哲学論考』を読んだ後に再トライしたいと思っています。(なお、ここをまともに読めていないので星はつけません)
ハイデッガーの哲学を極端に噛み砕いて「ハイデッガーの言葉」なるものとして説明することは、書き手の能力によってはたぶん可能だと思います。しかしさすがにさもしいと思っているのか、馬鹿だと言われるのを嫌っているのか、ともかくそれをやっている人を見たことがありません。本書も入門と言いつつ非常にややこしく、ある意味でつまらない本になっている。「入門」ですらごらんの有様、この寄せ付けなさもハイデッガーが持つ魅力と言えるでしょう。
なお、ちくま学芸文庫の細谷訳とは翻訳が異なっているいくつかのキータームを、以下にメモ書きしておきます。
(※本書訳[原文] ⇒ 細谷訳)
気遣い[sorge] ⇒ 関心
ウーシア ⇒ (存在)
存在理解 ⇒ 存在了解
超越論的地平 ⇒ 超越的地平
テンポラリテート[Temporalitat] ⇒ 時節性
そのつどすでにそれへ向けて理解されているそれ[woraufhin] ⇒ いつもすでにそのことを見越して存在者として了解されているゆえんのもの
企投[Etwurf] ⇒ 投企
用在者 ⇒ 用具的存在者
物在者 ⇒ 客体的存在者
決意性[Entshlossenheit] ⇒ 覚悟性
終わりに至っている存在[Sein zum Ende] ⇒ 終末へ臨む存在 -
難解で、飛ばし読みし、ハイデガーが難解であることだけが解りました(涙)。
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