- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480058805
作品紹介・あらすじ
現在、「知」は混迷状態に陥っている。インテリたちはかつてないほど熱心に西洋の新理論の輸入に血道をあげ、難解な言葉と言い回しに身をやつしている。その一方で、有名大学の学生がフランス革命の存在を知らなかったりする。では、この両極の中間に位置する人は、何をどう読めばよいのか。学校は出たけれどもっと勉強したい人、抽象的な議論がどうも苦手だという人。そういう「バカ」たちのために、本書はひたすら「事実」に就くことを指針とし、インチキ現代思想やオカルト学問、一時の流行に惑わされず、本を読み勉強するための羅針盤となるべき一冊である。本邦初「読んではいけない」リスト付き。
感想・レビュー・書評
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訴求力のあるタイトルで読者を掴もうとする試みだとしたら、かなり上手くいった本だ。
「バカ」の二文字で、もしや自分のことかと手に取る私のような人間もいるし。
ところが中身はしごくノーマルで、歴史を学びましょうという基本方針で語る読書術の本だ。
本書で言う「バカ」とは何か。
学校は出たけれど数学や哲学などの抽象的な思考がどうも苦手だというひとのことらしい。
「そうか、自分はバカだったのか・・!」と落胆することはない(私もしてない・笑)。
著者自身も「バカ」な部分を抱えている可能性を否定していない。
「無知」と「怠惰」は嫌いだが「難解な哲学などは分からない」という人に何とか学問の門戸を開こうとしているのが、この本だ。
気になるとしたら背後から袈裟がけに斬るようなその論調で、これはもう好き好きだろう。
私はあまり気にならない。
「言いにくいけど、実はちょっとそう思ってた」というところを盛大にぶった切るので何度もツボにはまり、大爆笑しながら読んだ。反論も相当あるだろうけど。
本邦初「読んではいけない本」リスト付き。
途中で放り出さずに最後まで読んでみてね。終章とあとがきが特にいいから。
第1章 「難解本」とのつきあい方
第2章 私の「知的生活の方法」
第3章 入門書の探し方
第4章 書評を信用しないこと
第5章 歴史をどう学ぶか
第6章 「文学」は無理に勉強しなくていい
終章 「意見」によって「事実」を捩じ曲げてはならない
極論のように見えても、それぞれ理由がある。
「読まなければいけないような気がする」程度で難解な本を無理に読むのはやめた方が良い。それよりももっと読むべき本があるという。
著者が薦めるのは歴史の概略がわかるもので、小説でも大河ドラマでも「面白い」と思えるもの。面白くなければ頭に入らないからだ。
歴史は蓄積がものを言う分野で年をとるのを恐れずに済む。
持って生まれた才能やひらめきが大切な数学や物理学とは、そこが違う。学者のデタラメを見抜けるし、知識があれば頭のいい相手を論破することも出来るのだと。
通俗心理学やインチキ現代思想、オカルト学問などの流行に惑わされず、「事実に就く」ことを指針とせよと、繰り返し述べている。
「事実」と「意見」を取り違えてはいけない、「意見」は「事実」の上にのみ建てられるものである。そのためにも「歴史に立ち返れ」ということだ。
ね?案外啓蒙主義的な内容なのですよ。
呉智英と渡辺昇一の読書論・勉強論対決や、著者近影を見て「お!」と思えば買って読めばいい、不純な動機でも恥じることはないとか、現代国語のつまらなさの理由とか、読んでいて面白い記事もいっぱい。
「バカのための年齢・性別古今東西小説ガイド」のリストなどは、死にそうなほど笑った。
「面白くなければ頭に入らない」というのを、著者自身がやってみせているのだ。
ブックガイドや書評と同じく、万人受けはしないかもしれない。
それでも「お!」と思う箇所があれば実行してみれば良いかと。
余談だが、本書の中で「村山由佳さん」の名が三度も登場する。実はファンなのかしらね。 -
本を読まない生徒対策になるだろうかと思ったら、自分向けの内容でした。
一部の人文科学が不必要に難化している現実と、教養がないばっかりにその現実についていけない、しかしインテリたちにバカと思われたくない人々。どうやって本を読めばいいのかという話。
難しいと思えば読まなければいい、と言われてほっとした。これが読めなきゃ…って強迫観念を持ってるのは私だけじゃなかったんだなぁ。
私自身「不純な動機の読書家」ってのはよくやるから、それでいいのかーって。
まずは、「事実につく」。自分で学ぶときにも、生徒に教えるときにも、忘れないようにしなきゃ。 -
勉強法とかのハウツー本ではなくて、どっちかというとブックガイド的な本。バカといっても少なくともガチで大学受験した程度の教養はないと、全く役に立たない上に何言ってるか分からないはず。
まぁ小谷野ファン向けの一冊ですかね。
100円。 -
何かを学びたい、という知的好奇心はあるんだけれども、買ってくる思想書は前書きとあとがきしか読まない(読めない)人のための勉強法指南。小谷野が提案するのは「事実」の集積である歴史を学ぶことにより教養を深めていこう、という方法。歴史小説、歴史漫画をとっかかりとして、歴史的な知識を蓄積し、教養を深めていけばいい。思想と違って歴史的事実に関しては「はやりすたり」がないから、学んでソンは絶対ない、と小谷野。思想や文学に接するのはその後でもよいということなのだろう。
小谷野が歴史の学習を勧める背景には、次のような問題意識がある(と思う)。八十年代のニュー・アカデミズムの流行は相対主義を知の領域に蔓延させた。ニュー・アカデミズムというとフランスの現代思想を核とした学問のスタイルのことだけれども、フランスの現代思想がやって来たことというのは、乱暴な言い方かもしれないが「絶対的真理」とか「客観的事実」という概念の破壊だった。こうした概念の是非を問うことは確かに意味のあることだが、俗世間ではこうした「高尚」な問題について考えてみないままそのスタイルだけが受け入れられてしまい、「ほんとうのこと」をまじめな顔して議論することを恥じる風潮や、歴史に対する無関心を生み出す一因となった。でも、知的な議論というは、たとえそれがカッコ付であっても事実を基盤をせざるをえない。例えば、太平洋戦争について議論する場合、皇国史観であれ、左翼の史観であれ、色が付いていてもひとまず手にとって読まなければ議論さえ成立しないのだ。つまり、小谷野が促しているのは、どんな方法であれまず土俵に上がること、知の現場に足を踏み入れることと言っていいと思う。
ところで小谷野はこうした文脈とは別に「知的な」書物は、「明晰に」、つまり判り易く書かれるべきであると書いている。こう書くと実に当たり前なことなのだが、近現代の知の領域では必ずしもそうでないんだな。デリダやドゥルーズ、ラカンの書くものはきわめて難解で、非論理的な書かれ方をしており、小谷野自身も「解らなかった」と言う。この本にはこうした思想家に対する批判もある。小谷野の批判する文体とはどのようなものなのか。去年読んだ本から面白い例を紹介しよう。
「肛門・男根…は価値を奪われた換喩的隣接性の中で機能し、男根状の糞塊という概念は隠喩的代置の領域の中で機能する」(『サイエンス・ウォーズ』 金森修 東京大学出版会 2000)
これは『サイエンス・ウォーズ』(大変面白い本なのでそのうち内容を紹介します)にある現代フランス思想の文体のパロディの一例なのだが、一体何を言おうとしているか理解できるでしょうか?
「肛門とペニスはすぐ隣りにあるのに形は似ていないが、肛門から出てくる大便はペニスと形が似ているときがある」
…アホらしくなってくるが、思想の領域では実際にこういう文体がまかり通っている。
小谷野はこうした明晰でない文体、論理を厳しく批判する。こうした発言からも『バカのための…』における小谷野自身の学問観は保守的、あるいは古くさいと批判されうるものかもしれない。だが、僕自身は小谷野の議論はまっとうなものだと思うし、「面白さ」のみを追求するきらびやかでおしゃれな「思想の戯れ」は無内容と紙一重だとさえ僕は思う。 インテリの文体という事に関して付け足し。易しいことを難しく書くことなら誰でも出来るが、難しいことを易しく書くのはインテリの義務だぜ、と僕は思うのだ。だから、上のような文体で書かれた文章がいくらすぐれた内容を持っていたとしても、批判されなければならない、とも思う。だが、わけのわからん文章を書く人にはその人なりの理由はあるらしい。最近こんな文を読んだ。
なにしろ、文化が「文化財」「文化価値」として商品化され、市場で安易に消費されていく時代、そうした文化のあり方を批判する「文化批判」そのものでさえ、簡単に商品化されかねない。それを拒否しようとするアドルノや、彼の属するフランクフルト学派の人たちの批判の文体は、いやでも安易な理解をはねつける難渋なものにならざるをえない。めったに使われない言葉を選び、文法を無視し、わざと読みにくく分かりにくく書くという戦略がとられる。(『哲学以外』 木田 元 みすず書房 1997)
アドルノはデリダやラカンとは全く別の思想的文脈に属するドイツの思想家だが、この人の書く文章もきわめて難解で翻訳がちぃともでない。上の引用はアドルノの文章のわからなさを説明してくれているが、本当にアドルノがこう思っていたのだったら、アドルノ間違ってるよなあ… 消費社会と戦うためにはそんな方法しかなかったんかい、と僕は思ってしまいました。
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哲学等の抽象的な議論が苦手な人=バカ向けに、著者が読書法を伝授する。はじめに結論を述べると、バカは歴史を優先的に学習すべきである。それは、たとえ本格的な学術書でなかったとしても、小説や漫画をきっかけに歴史を知るべきということだ。
入門書の選び方についても語るが、その際注意すべきこととして、最新の知見が載る本が必ずしも初心者に向いてるとは限らないことである。また、参考文献リストが充実してる本は、良書の可能性が高い。
さらに、各分野における選書方法や学ぶべき最低限の知識にも触れる。経済学は資本主義と貨幣について、社会学は統計データを扱っている、心理学は怪しいものが多い、宗教学は概論よりも個別の宗教を学ぶべきなど、具体的に読むべき本を挙げている。本書は読むべき本のリストを挙げているが、その一方で、バカには向いていない、あるいは、そもそも本としてトンデモのものまで網羅している。そのため、読むべき本とそうでない本のリストが瞬時に分かるのが、本書が優れている点である。
最後に、どの本を読んで学ぶにしても、共通することとして、事実と意見を混同してはいけないと著者は強調する。相手に誤った知識が見られたときに、個人の意見を交えずに、事実をベースに指摘することが大切である。 -
書いてあることにはおほむね賛成
一部、統計学がなぜ信用に価するのか理解してゐない人による感想が見受けられた。統計学が用ゐてゐるものは統計といふ実證的な方法で明かにされた事実だ。その事実はすべて蓋然性が高い。しかしその事実にもとづいた意見(推測など)は事実かどうかわからないから、また別に蓋然性が高いのか低いのか検討されなければならない。
この、事実を足がかりにすることこそが学問において根幹なのである。もし事実を根幹に据ゑなかったら、妄想でも空論でもなんでもありの意見がまかりとほってしまふ。
いまでは生物や社会科学などの研究では統計が欠かせないものである。 -
「バカ」のための読書案内。書名が衝撃的すぎて読み始めた。
内容は、筆者の主張がガンガン出てて面白い。夏目漱石だろうが、今人気の作家だろうが、面白くないと思ったものを面白くないとバシッと言い切っちゃうとこなんて、自分と意見が合わなくても、その書き方で笑える。特に歴史に関しては、わかんないよりわかってた方がいいんだから、下手に内容の難解なもの、長いものよりは、まんがとかの方がいいよっていう主張とかも、本当その通りと思う。
でもまあ、読むべき本にはとても納得したし、そういう意味ではいい本だと思うんだけど、ものの見方に関しては自分とあんまり意見が被らないな〜っていう印象。 -
この本は、速読術ではなく、どういう本を読めばいいのかという読書術の本です。
「ここで読者に想定しているのは、いちおう学校を終えてしまって、しかしただのベストセラー小説を読んで生きるような人生に不満で、けれど難解な哲学書を読んでわからないという人たちだ。」というように、若干向上心がある人向けでしょうか。
【参考図書】
・読書家の新技術(呉智英)
・知の欺瞞(ジャン・ブリクモン)
・悪女論(田中貴子)
・英文解読術(行方昭夫)
・スカートの下の劇場(上野千鶴子)
・パラサイトシングルの時代(山田昌弘)
・朝日新聞記事に見る恋愛と結婚
・天と地と(海音寺潮五郎)
・赤人の諦観、など(梅原猛)
【引用】
もっとも、初学者の場合、要約の訓練としてカードを取る、というのはいいかもしれない。(P43)
週刊誌は、たまたまその雑誌のその号を買っただけであって、やり方が行き当たりばったりではないか、つまり、システマティックではないのではないか、と。気にすることはない。情報などというのはどうせランダムにしか入ってこないのだから、たまたま入っってきた材料から最大限の情報を引き出せばいいのだ。(P51)
辞書類はたいてい古本屋できれいなのを売っているから、あまり新刊書店で買わないほうが節約になる。(P58)
とにかく、新書版なら信頼できるだろうとかわかりやすいだろうとかいう考えは捨てなければけない。(P65)
(わかりやすい入門書で文章としても面白いというのはなかなかない。)そこで、一つの方法として、文庫版などに付いている「解説」を利用する、という手がある。(P67)
結論から先に言うと、岸田(秀)や河合(隼雄)の本は、いくら面白くても、とうてい「学問」あるいは「科学」の何は値しない。ユング心理学は、たしかにスイスに研究所はあるが、アカデミズムの世界では、ふつう学問として認められていない。オカルトなのである。(P78)
つまらない本は出たときに絶賛されても、一、二年でたいてい誰も口にしなくなる。一、二年たってもまだ評判がよかったら、その時読めばいい。(P103)
書評よりも、一番の近道は、自分が興味を持った本のなかで触れられている本を読むこと、あるいは自分が興味を持った著者が挙げている本、ないし友人に勧められた本を読むことである。(P104)
とにかく、司馬遼太郎だろうが大河ドラマだろうがマンガだろうが、何を使ってもいいから歴史の大筋は知ってもらいたい。(P138)
たとえばテレビのワイドショーとか低級なお笑い番組とか、ああいうものをあまり見ていると確実にバカをこじらせる。(P156)
飛行機にはファーストクラスからエコノミークラスまであるし、新幹線等はグリーン車がある。ああいうのは実は、サーヴィスの良し悪しとか座席の広さなどより、マナーの悪い下等乗客の姿を見ずに済ませるための装置なのである。(P174)
私自身が研究者として生きてゆき、いくつかの論争的な出来事に関わった結果「事実」を根底に据えなければ個々人の主観だけがぶつかり合い、合意は得られず、暴力の介入を引き起こすしかない、と考えるに至ったからだ。(P176)
「本当のことなら何を言ってもいいのか」という人もいよう。なるほど、特定の個人や団体を不当に傷つけるような事実は、言わないのが礼儀というものだろう。しかし、「美人は得である」とか、「女といってもいろいろである」とかいう事実は、その種の事実ではない。(P180) -
読書術といっても、単純なテクニック等を指南するのではなく、読書を通じて教養を身につけるにはどうすればいいか、を論じている本なので、普段読書をまったくしない人にはあまり向いていないであろう一冊。
専門家やインテリと呼ばれる人が薦める本がいかに素人向けではないかや、読まなくていい本の紹介など、若干ネガティブな視点ではあるものの、初心者の立場にたった記述が多く参考になる。
印象に残ったのは、「『事実』を根底に据えなければ個々人の主観だけがぶつかりあい、合意は得られず、暴力の介入を引き起こすしかない」(P176)という一文。現代のあらゆる問題を考えるための起点になると思った。 -
打ち合わせで出た席で勧められた本を読んでみた。
読書好きな人で「今何読んでる?」といつも聞かれる。手にしているのが大江さんの論説集のようなものだったので、またかと思いながら考える。文芸書にしようかな?ミステリかな?SF? ホラー?
私の上げた本はどれも腑に落ちない顔で、勧めてくれたのがこの本「バカのための読書術」
「前に読んでとても面白くて参考になった」そうで、それなら読んでみよう。
たぶん私には「学問」を勧めてくれたのかもしれないが。
まず 序言 バカは歴史を学ぶべし
「諸学問の中核になる学問は何かという問題がある。」という書き出し。
私は楽しみと好奇心で本を読む。宿題はない、予習も復習もない、ましてテストや提出課題もない。こんな平穏な毎日に学問とはもう遠い距離があるのに。
それでも、学者の書いた本はどういうものか読んでみた。
親切に、学問に向かう心構えが書いてある。それを読書を通しての指南書と思えば、役に立つ。
特に難解な本について読まなくてもいいというのは、本音をついた意見だった。額にしわを寄せて難解な内容を読もうとするよりも、易しい解説本がいい。
「難解でなくても面白い」と書かれている。
面白くなってきた。
第三章 入門書の探し方
☆ 新書版はかならずしもいい入門者ではない
☆ 「解説」は使える
☆ 「バカだと思われたくない」インテリ病
☆ 「経済学」入門書
☆ 「通俗心理学」は怪しい
☆ これからは統計学の時代である
☆ 宗教「学」というのもおかしい
第六章 「文学」は無理に勉強しなくてもいい
☆ 「バカ」もこじらしてはいけない
読むと「バカ」になりそうな本やテレビの版組、携帯電話依存が「バカ」になってそれをこじらせると書いてある。
「読んではいけない本」ブックガイドがある
私家版小説ガイド がついている
☆ 難解なものは入れない
☆ マンガも居れる
☆ 国籍・時代を問わない
☆ むやみに長いものも入れない
☆ 現代日本の人気作家は入れない
☆ 読者の年齢・性別で分けてみる
という方針で紹介されている。参考にして「バカ」に向かっての直滑降状態を少しでも抑制しようかな。
この本のテーマに賛同できる部分を見つけたとい...
この本のテーマに賛同できる部分を見つけたということです。
ここはどうしても言っておかないと(-_-;)
はい、「華麗なる事件簿」は読まないと思います。
ひとにも薦めません。ご安心ください。
ポー推しのところもすごくよかったですね!
ポー推しのところもすごくよかったですね!
そうですね、アンチがなぜ多いか改めて確認できました。
本の主張するところは賛同できるのですが、伝え...
そうですね、アンチがなぜ多いか改めて確認できました。
本の主張するところは賛同できるのですが、伝え方って大事なぁと・笑
でもお好みの方もいるかと思い、レビューすることにしました。
はい!ポー推しがちょっと感動しましたね。
大島弓子さんも推しで、そこは嬉しかったです!
今日は三浦哲郎さんを読みます。心が疲れたときに効くので。