反人権宣言 (ちくま新書 298)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480058980

作品紹介・あらすじ

王は神を追放し、人はその王を、「人権」の名のもとに排除した。それは「人権」が、民族や宗教、国家すらも超えた、普遍的なものであると考えられたからである。その結果、「人権」に異を唱えるだけで差別主義とされかねない空気が広がり、私たちの日常生活は様々な混乱に見舞われている。「人権」の歴史をたどりながら、それが生み出しつつある転倒した現実を解明し、新たな視点を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 先に言っておくと、個人的には最低最悪の悪本の臭いがする。そもそも、学者なのに全体的に理論的記述が薄い。法律婚や夫婦同姓を礼賛するのは構わないけど、それを無条件に良いこととして事実婚や夫婦別姓を“ただ否定するだけ”だと、学者の発言としては説得力がない。それを理論的に語ろうとしないといけないのではないのかなあ、学者なんだから。
    例えば、「『意思』を矯正するなどして、より高尚なものたらしめる」とか、もはや恐怖。こういう人が勝手に「高尚」なものを決めて、勝手に押しつけてくる。
    こういう学者の皮をかぶった非理論家が、一番苦手だ。というか、嫌いだ。

  • 「人権」という概念の来歴をたどった上で、その中にひそむ「闘争の論理」に読者の注意を促し、現代の日本が陥っている「人権」意識の過剰な氾濫に警鐘を鳴らしています。

    イェーリングが明らかにしたように、「権利=法」には「闘争の論理」が組み込まれていると著者は言います。ヨーロッパの中世では、「法」は何よりも古くからの慣習であり、長老や信頼できる人々の記憶によって証明された太古からの伝承と考えられていました。しかしホッブズは、こうした伝統的な「法」概念を一掃し、自然的理性のみによって「法」を基礎づけるべきだという考えを提出しました。それは、現在の生者が父祖たちの英知の結晶である「古き良き法」から正しさを戦い取ることを意味していました。

    次に、アメリカの独立宣言で「幸福の追求」という言葉が登場し、功利の実現と私益の追求が認められるべきだという観念が生まれました。さらに、フランス革命における人権宣言では、反共同体的な個人主義が称揚され、「人権」概念に内在していた「闘争の論理」が個々人に付与されるようになります。

    著者は、こうした「人権」の歴史をたどった上で、そこに含まれていた「闘争の論理」が共同体から分離された個人に付与されることになったために、情欲のままに行動することを個人の「自由」と思いなすような事態が生じたのだと論じています。

    後半は、現在の日本における過剰な人権意識が招いているさまざまな問題について論じられています。が、後半の議論はやや粗いように見えてしまいました。著者が「人権」の歴史をたどったのと同様の慎重さで、「子ども」や「家族」に関する見方の歴史を検討してほしかったという気がします。

  • 人権が想定する人
    ・利己的→自己利益追求型
    ・共同体から孤立(個人主義)
    ・反共同体的・反結社的
    ・人間中心主義

    ミル「他者加害」の原理
    →青少年まで提供しないことが現代では忘れられる

  • 第一部の人権の成立過程については今後また読み直す必要がある。わかりやすくまとめられていた。

    第二部は確かにと思う部分と、ん?と思う部分があり。

  • 『「人間」の権利』としての「人権」という概念が誕生するまでの歴史をたどり、「人権」が如何に特殊なイデオロギーに基づいた概念であるかを明らかにした第一部。

    第二部は筆者が「人権」に違和感を覚えた具体的な問題について詳細な検討を加えたものとなっている。

    「おわりに」に書かれているのだが、「人権」とは文字通り『「人間」の権利」』のことであるとし、これは人々から、その担っている歴史・伝統、その有する宗教、その属する共同体等々、あらゆる属性を取り払って、まったく無機質で丸裸の「個人」に還元したうえで、そのような存在としての「人間」、それが有する「権利」のことをいったものである、している。

    しかしながら、現実社会では到底想定できるものではない。

    「道徳教育」なき「人権教育」が日本社会をおかしくしてしまった。

    いまからでも遅くは無い、しっかり「人格」を陶治する「道徳教育」が復権されなければならない。

  • [ 内容 ]
    王は神を追放し、人はその王を、「人権」の名のもとに排除した。
    それは「人権」が、民族や宗教、国家すらも超えた、普遍的なものであると考えられたからである。
    その結果、「人権」に異を唱えるだけで差別主義とされかねない空気が広がり、私たちの日常生活は様々な混乱に見舞われている。
    「人権」の歴史をたどりながら、それが生み出しつつある転倒した現実を解明し、新たな視点を提示する。

    [ 目次 ]
    第1部 「人権」という考えはどう作られたか(「権利」はいつ生まれたか;「人権宣言」という虚構)
    第2部 現代日本の「人権」状況(「人権」が無軌道な子供を作り出す;「人権」が家族の絆を脅かす;「人権」が女性を不幸にする)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 新書のなかでは大変優秀な一書だと思います。
    よく巷やニュースでみかける若者や被差別者が人権や権利や自由を主張し、自分たちのエゴを通そうと躍起になる姿…健全な良心が存在する人間にとって、これらの模様に違和感を抱くはず。
    しかし、論理的に考えても人権や自由の本当の意味や歴史経緯を知らないが為に思考は頓挫してしまう。
    本書は人権や自由の本当の意味や経緯をきちんとした記述で自明の下に明らかにしている。

    本書は特に小学生中学生の教育者、行政に携わる人間に是非読んで理解を深めてもらいたい一書。
    あくまでも本書は入門書であり、中川八洋さんの書などでさらに保守思想を学んでほしい。

  • ボストン茶会事件以降、アメリカではコーヒーを飲むのが愛国的だ、とみなされることになった。
    子供を市民と考えて人権があるなんて考えるのは良くない。子供なんてタダの餓鬼。人権なんてない。

  • 人権の歴史から始まり、現在乱用されている「人権」という言葉をきっていきます教室でナイフを持っている子に「持ってくるな」ということは、人権の侵害になるのか、ならないのか……。教育を考えるうえでも少し参考にしたいな、と思いましたが……考えるきっかけにはなったかな?。ちょうど授業で、社会学の立場から人権を考える本を読んでいるので、それと対比しながら自分なりに考えてみたいです。著者紹介にも書かれているように保守主義というか、個人的に右よりな感じの印象を受ける著者でしたので、苦手な人は注意。

  • 「民主主義とは何なのか」で薦められていた本だったので、続けて読んでみた。<Br>
    前半の「人権」という概念の発生した過程を紹介した部分は面白かった。<Br>
    後半、その「人権」が暴走した結果、無秩序に拡大されすぎた自由について批判している(子どもの人権、家族のあり方etc)のだけど、同意できない部分も多少あった。<Br>
    「権利」の名の下に、あまりにも個々人の欲望のままに自由を拡大するのはどうかと思うけど、単一の価値を押し出して、それ以外を排除する社会も狭量だと思うのです。<br>
    要はバランスの問題だと思うんだけども。

  • 「人権」という、曖昧、抽象的な概念をそれでも守るか、それとも疑うか。本書は疑う立場。詳しいレビュー→http://yaplog.jp/dreamed_yuzo/archive/281

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著者プロフィール

高崎経済大学教授、日本教育再生機構理事長

「2013年 『日本を嵌(は)める人々』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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