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- / ISBN・EAN: 9784480059192
感想・レビュー・書評
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整体のやり方について書かれているわけではなくて、なんだか哲学的な内容。
非常に面白いのだけど、小難しくて取っつきにくいかな…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
高度に情報化された世界では、地理的空間、距離感、身体の境界は曖昧に、希薄となり拡張されると同時に、その存在は透明化され存在の場は見失われる。身体の拡張によって全能感に充たされながら、反転して「取るに足らない存在」として卑小感に襲われることにもなる。(P180・「ボクはいったいどこにいるのか?」)
ここを読んですごく共感した。私の全能感や万能感はこういう経緯をたどって蓄積されていくのかもしれない。そして躁になる。だから私はインターネットはあまり見ない方がいいのかもしれない。 -
20180731読了
2001年発行。新書だけあって内容は難しめ。さらっと流し読みが多かった。楽しくて主体的に集中しているときと、義務感で集中しているときでは骨盤の縮みかたが違っていて、楽しいときのほうが本物の集中、というのは前にも別の著作で読んでとても興味深かった点。 -
整体に関する文章は10%、初歩的な西洋哲学と現代社会論。
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内容は面白いけど、ちょっと哲学的な感じかな。
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身体と、世界は密接な関係を持って、循環している。現代の世界は、その身体を忘れてしまっているような気がする。効率に追われる会社組織。それは、身体自身を、機械のように駆動することによって、廻る世界のあり方。まるで全てを資本という物に変えてしまう勢いにたぎっている世の中に、身体そのものの価値を復興させ、世に問う好著であった。
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「気」や「ツボ」を使わずに説明をしようとしているのは、好意的。
だけれども、それによりクリアになった部分もあれば、必要以上に説明がややこしくなっているようにも思う。
ものすごくよく考えている作者なのはわかるけど、それほど難しくもない同じような内容が、わざわざいろんな現代思想的な難しいいい方でなされるので、なにが著者の言いたいことなのか、よく分からなくなる。
いや、こういうことを現代思想的なタームを使って説明するのはいい。
それは適切だと思う。
ただ、やりすぎってだけで。
「気」や「ツボ」を使わないというのを厳密にやりすぎたんじゃないかなあ。
そういう説明をしてもいいから、もうちょっとテンポよくやって、肝心なところではそういう言葉も使う。というあたりがバランスが取れそうに思います。
玄侑宗久の現代語訳般若心経をご参考あれ。 -
[ 内容 ]
心理学で不安ととらえられる現象は、整体では胸の緊張であり、腰推をゆるめれば解消する。
つまり身体が心をドライブしているのだ。
整体とワークショップで20年間見つづけてきたかずかずの身体の物語から、医学とは異なる身体像を提示し、気持ちのいいからだを手に入れる方法を紹介する。
[ 目次 ]
序章 「胸騒ぎの腰つき」の謎
第1章 身体はメディアである
第2章 「不眠」の腰つき
第3章 身体観を整体する
第4章 身体が心をドライブする―「われ思う、前に身体あり」
第5章 身体が世界を生む
第6章 身体をめぐる空間―この200年間の変貌
第7章 「胸騒ぎの腰つき」と進歩主義
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
レビューは後ほど。
整体というか、骨から見た身体論、という感じ。 -
目次
序章「胸騒ぎの腰つき」の謎
第一章身体はメディアである
第二章「不眠」の腰つき
第三章身体観を整体する
第四章身体が心をドライブする−「われ思う、前に身体あり」
第五章身体が世界を生む
第六章身体をめぐる空間−この二〇〇年間の変貌
第七章「胸騒ぎの腰つき」と進歩主義
あとがきと謝辞