人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.22
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本棚登録 : 590
レビュー : 56
  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480059772

作品紹介・あらすじ

人はなぜ、「美しい」ということがわかるのだろうか?自然を見て、人の立ち居振舞いを見て、それをなぜ「美しい」と感じるのだろうか?脳科学、発達心理学、美術史学など各種の学問的アプローチはさまざまに試みられるであろう。だが、もっと単純に、人として生きる生活レベルから「審美学」に斬り込むことはできないだろうか?源氏物語はじめ多くの日本の古典文学に、また日本美術に造詣の深い、活字の鉄人による「美」をめぐる人生論。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は、「美しい」とは「合理的」ということだと主張します。ただし、「美しい」が自分の中で生じる感動なのに対して、「合理的」は「他人の立場からの説明」だという違いがあると言います。その意味で、「合理的」ということは「他人の声」だとされます。「感動してしまった自分自身」を納得させようとして、言葉に出して説明するとすれば、それもまた「他人の声」です。

    そして著者は、「美しい」という感動に打たれてしまったとき、人はそれを理解するための言葉にたどり着くまでに「時間がかかる」と言います。「美しい」とは、合理的かどうか判断するまでの時間の中に存在するのです。しかしその一方で、対象が自分にとってどのような利害をもたらすのかという「合理的」な判断をおこなう以前の、「美しい」という体験は、「自分とは直接にかかわりのない他者」に出会うことだと著者は言います。

    「自分はこれを美しいと思うが、あなたはどう思うか?」という話をするとき、人は「おどおど」するということから、「美しい」と「孤独」をめぐる考察に進んでいくところなど、著者らしい繊細な視点が示されていて、興味深く読むことができました。

  • 「美しい」がわかる人と、分からない人。

    「美しい」を実感するということは、「シンボリックに自分を語ってくれるものを発見する」ということで、それは理解されない孤独を癒す友達のようなものである。
     そして、そもそもの始めに「美しい」を実感するためには、他者の愛情という「豊かさの力」が必要である。

     しかしながら、人は「孤独」という「自由」に安住することなく、成長=自立に向かわなければならない。センチメンタリズムなどという言葉で孤独からの脱出をひとたび放棄(=時間の囚人)してしまえば、それは「美しいをわからない」ことなのだ。

    「美しいを実感すること」は敗北を知ることに似ていて、その「実感」の先には「他者に対する敬意」がある。
    「美しい」は、「存在する他者を容認し、肯定すること。」
    注がれた愛情が「美しい」を生むのだとすれば、そういう気持ちで日々を過ごしたいものだと思う。

  • 不思議な本だ。タイトルからして妙だ。
    「美しい」は理解するものではなく感じるものだと言っているのに「わかる」とは一体どうしたことか?結局最後まで訳がわからなかった。
    認めたくないことだが、自分は「美しい」がわからない方の人間なのかもしれない。何を見ても分析・解析が先に立つ性分では仕方がないか。

  • 橋本治節が炸裂している為、オレは何故橋本治の文がわかるのかという気分に陥ってしまう。

    知的興奮を味わいながら、「美しい」と感じることに対して理解が深まったような気がするのだが、それは何? と説明しようとすると言葉に出来ない。

    読みが浅かった…と思い、久しぶりに読み返しても然り。

  •  分かっている人間は、「自分はもう分かっているから」という理由で、さっさと重要なことをすっ飛ばしてしまいます。ところが分からない人間というのは、「一体あいつは“なに”が分かっているんだ?こっちは“なに”が分かっていないんだ?」という悩み方をするものです。分かっている人間には、この分かっていない人間の悩み方自体が理解できないのですが、分からない人間は、「なにを分かるんだ?」というところでつまずいているのです。(pp.12-13)

    「美しい」は、直接的にはなんの役にも立たない発見です。役に立たないものだから、「美しい」なんてことは分からなくてもいいということになります。だから、「美しい」が分かる人は、「美しいが分からないなんていう悲しいことがあってもいいもんだろうか」と思いますが、分からない人は分からない人で、「それがどうした?分からないものは分からない」で終わりです。それで片がついてしまうのは、「美しい」が、直接的にはなんの役にも立たない発見だからです。
     直接的にはそうですが、しかし、「美しい」には重大な役割があります。それは、「自分とは直接に関わりのない他者」を発見することです。
    直接的には関係がないーしかし、それは存在する。「関係がない」という保留ぐるみ、「存在する他者」を容認し、肯定指定しまう言葉ーそれが「美しい」なのです。もちろん、この「他者」には、「ゴキブリ」とか「小石」といったものまで含まれています。「それがどうした?」と言いたい人もいるかもしれませんが、「美しい」がそうした言葉である以上、これを捨ててしまうと。一切の存在が無意味になります。存在していても「存在していない」と同じになって、この世に存在するのは、「自分の都合だけを理解する自分一人」になってしまいます。「美しい」はその程度のもので、直接的には「なんの役にも立たないもの」なのです。(pp.48-49)

     兼好法師は、日本で最初に登場した「駐留てきで平均的な日本の中年男」でしょう。「美しい」が分からないわけではない。「美しさ」への自負心もある。その「知識」だけはあって、でも気がつくと、いつの間にか「美しい」とは遠いところに来てしまっている。だから、自分が「美しい」を分かるのかどうかが、根本で危うくなりかかっている。「美しさ」への自負心ーー「自分にはそれが分かる」という、自分自身への自負心が、いつの間にか、「無難が一番」という社会的な調和へと落ちている。しかもそれは、「“無難が一番”と思っているわけではないけれど、気がつくと“無難が一番”という選択をしてしまっている」という微妙さです。もちろん、『徒然草』の作者には、その微妙さが歴然としています。第19段の冬の部分—既に挙げた「年の暮れはてて人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる」と、それに続く、「すさまじきものにしてみる人もなき月の寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心細きものなれ」です。(p.153)

    「美しい」という感情は、そこにある者を「ある」と認識させる感情です。「美しい」と思わなければ、そこにある者は、「なくてもいいもの」なのです。(中略)「美しい」という感情は、そこにあるものを「ある」と認識させる感情で、「ある」ということに意味があると思うのは、すなわち「人間関係の芽」です。「美しい」は、「人間関係に由来する感情」で、「人間関係の必要」を感じない人にとっては、「美しい」もまた不要になるのです。(pp.173-174)

     歴史上の有名人の内実をつつき出すと、「なるほど、こういう風にも孤独か」ということが分かって、興味は尽きません。あまりにも当たり前に「孤独」なので、「孤独ということはどうってことのないことなのだな」と思うくらいです。なんでそうなるのかと言えば、近代の以前に「孤独」というモノサシがないからです。(p.188)

  • 期待した内容とはややズレた。
    というか、

    「この本のタイトルは、『人はなぜ「美しい」がわかるのか』です。なぜ分かるのでしょう?
    知りません。」

    と冒頭3行で驚かされる。
    続いて、

    「人が美を理解するのは、きっと「脳の働きがどうとかなっているから」でしょう。「人はなぜ〝美しい〟が分かるのか?」は、「人はなぜ〝きれい〟と感じるのか?」であって、こちらをタイトルに採用すれば、この本は「理科系の知性による脳の本」にも見えるかもしれません。しかし私は文科系の人間で、脳のことなんかよく分かりません。」

    とまあ、言い切ってしまうのだった。

    美しいと感じるのは、どういう時か。
    筆者のかなり具体的な例が出てきて、まあ、エッセイ感覚で読むなら良いのかなと思う。
    美しい、は、人に本来備わっているもの(機能しない人もいるけれど)だけど、反対に美しいを求めて創り出したり、そこに力を与えて権威化するようにもなった。

    あー。なんか、ムズムズするー。

  • 2015/3/8西図書館から借りてきた。

  • 同年代、というか、僕より年下の小説家さんで、津村記久子さんという人がいます。
    もう6年くらい前に友人に本を勧められたのがきっかけで、新刊が出るたびに愉しみに読んでいる、大好きな小説家さんです。
    その津村記久子さんが、橋本治さんの「人はなぜ「美しい」がわかるのか」について、
    「最近読んでとても面白かった」と昨年おっしゃっておられたのがきっかけで、この本、読んでみました。

    橋本治さんの、2014年の本。
    いわゆる新書本ですね。
    表題通り、どうして「美しい」という想いをひとは抱くのだろうか?というのがお話のはじまりです。
    なんですが…まあ、65歳も過ぎて、橋本治さん、知とことばの地平線を自由わがままに爆走、という感(笑)。

    ●美しい、というのは、何の得にもならない観念でしかない。当然ながら、知識偏光の受験エリート的な考え方では、「美しい」という感じ方はあまり育成されない。

    ●美しい、というのは、ある種の合理性、ヒトの体、世界の成り立ちの合理性から感じられるところもある。

    ●美しい、というのは、ある種の余裕、精神的余裕、愛情に恵まれたゆとり、みたいな隙間から生まれるものであろう。

    ●そして、美しい、という判り方は、自分の都合だけで回っていない世界を認識することと重なってくる。他者を、世界を受け入れる、という受容性や寛容性が無いと、育まれない。

    ●つまり、美しい、というのが分からない人、判っているつもりでも、判っていない人と言うのも大勢いる。

    と、言うような考察部分は、いつもながらの橋本節の剛腕さと相まって、楽しめるところでした。

    そこから話は、飛ぶというかどんどん発展していきます。

    ●美しい、というのは、かつて王侯貴族が権威づけに使っていたもの。現代になっても、結局は美術品を始め、それと変わらない部分も多い。

    ●いわゆる民芸運動などは、人間の歴史ではごくごく最近のマイナーな、それこそ観念的な運動に過ぎない(だから価値がない訳ではないが)。

    ●美しい、と感じる心の動きには、孤独みたいな個人性が絡んでいる。

    ●そして、孤独の歴史。近代以前は、「孤独」という観念は存在できなかった。生きるために共同体が必要で、そこからこぼれおちて個人になることは、生きていけないこと。それが狂乱として芸術では記録されることになる。これ、かけおちものを含めて、前近代の日本の物語論とも相まって。

    ●結局は、20世紀もずっと、前近代の制度を否定しようとして、新しい制度を作れずに前近代制度に組み込まれていく運動に過ぎなかった。例として、全共闘世代が会社員になっていく、的な。

    ●21世紀になって、恐らくは経済等のグローバル化から、外部的に「前近代の枠組みでは立ち行かなくなる」という状況に現れて、「次なる枠組みは見えないけど、今の制度では立ち行かない」という変革受難期に入っているのでは。

    ●そこから話は「美しい」が判ることから教育論にも足を踏み入れる。内田樹さんの「修業論」じゃないけれど、「基礎」を会得しないとそこを超えていけない、そして「基礎」はつまらないし理不尽なものだ、みたいなオハナシ。

    ●そこから、ぐぐぐっと「清少納言と吉田兼好」に。「美しい」を享受する枕草子と、「美しい」の彼岸で世をすねる徒然草。この考察は、桃尻娘の作者的感性爆発で、前後の文脈関係なく面白い。判りやすい。

    と、いうような内容が実に相前後して語られて、

    ●ひとはなぜ「美しい」がわかるのか、…というか、なぜ私橋本治は「美しい」が分かるのか、という、幼年期まで回想しての自分史が自由に語られます(笑)。いやあ、自由だなあ。
     その例が、「例えば若い青年の友人がウチに泊まった時に、キスまでして…」みたいな言及があって、内容結論以前にそのたとえに「ちょっと待ってちょっと待って」と読みながら慌てたりしたり(笑)。
     いやあ、ほんと自由だなあ(笑)。

    というような感じでさくさく淡々と読みこなせちゃった一冊。
    …ですが…総論としては、面白くなくはなかったし、部分的に「へー」はいっぱいあったけど、読み物としては比べれば小説の「結婚」の方が全然、破壊力がある一冊だったなあ、という感じ。

    自由に語る、橋本治さんの人生論的な一冊、そのつもりで斜めに愉しみながら読めば、愉快なのではないでしょうか。

  • BSフジ「原宿ブックカフェ」のコーナー“コンクラーベ”で登場。
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/highlight/53.html

    SPBS 鈴木美波さんが片岡鶴太郎さんへ向けてプレゼンした1冊。
    『片岡さんは画家としてご活躍ということで、「美」という言葉が私はピンときたんですね。なので今回、「美しい」ということに関して考える一冊を選んでみました』(SPBS 鈴木美波さん)

    見事、片岡鶴太郎さんの今読みたい本に選ばれました!

    原宿ブックカフェ公式サイト
    http://www.bsfuji.tv/hjbookcafe/index.html
    http://nestle.jp/entertain/bookcafe/

  • 「美しい」と思う感覚はどこから来るのか。著者によると、「美しい」を感じるには「リラックスを実現させる人間関係」と、自分の所属するもの以上にいいものがあるという「外への憧れ」が必要とのこと。なんとなく分かる。そして、どういうわけか日本では「美しいが分かる人」は敗者との位置づけらしい。そうであれば、圧倒的な敗者にこそなりたいものだ。
    橋本治はあまり読んだことがないので分からないのだけど、うねるような、伸縮するような文章が特徴なのか、思考の流れをそのまま文章にしたような感じと、言葉を多義的に使ったりしている部分とが少し読みにくかった。

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著者プロフィール

橋本治
1948年3月25日 - 2019年1月29日
東京生まれの作家。東京大学文学部国文学科卒業。イラストレーターを経て、1977年に小説『桃尻娘』を発表、以後文筆業を中心とする。同作は第29回小説現代新人賞佳作となり、映画・ドラマ化もされた。1996年『宗教なんかこわくない!』にて第9回新潮学芸賞、2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』にて第1回小林秀雄賞、2005年『蝶のゆくえ』にて第18回柴田錬三郎賞、2008年『双調 平家物語』にて第62回毎日出版文化賞、2018年『草薙の剣』で第71回野間文芸賞をそれぞれ受賞。
編み物にも通じており、1989年『男の編み物(ニット)、橋本治の手トリ足トリ』を刊行。自身の編んだセーターを着てCMに出演したこともあり、オールラウンドに活躍を続けた。

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