シリーズ・人間学 3 現象学は〈思考の原理〉である

  • 筑摩書房 (2004年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784480059932

みんなの感想まとめ

思考の原理を探求する本書は、異なる価値観を持つ個人や共同体がどのように理解し合い、共生する道を模索するかをテーマにしています。現象学の視点から、答えが明確でない社会の矛盾や課題に対し、自身の思考を深め...

感想・レビュー・書評

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  • 図書館。む図。先日読んだ『はじめての現象学』(竹田青嗣
    海鳥社 / 1993年4月27日発売)が良かったので、もっと現象学について知りたいと思い同じ著者の本著を借りた。

    前提となる価値観や状況が異なる個人や共同体同士が、どのように互いに了解し、落としどころを見出していけばよいのか。現世代だけではなく次世代の生活も考えた上でその落としどころを見出すのは、前提とすべき事項が多すぎて難しい。分断ではなく共同・共生していくためにはどうすれば良いのか。その答えを見つけたくて、次々と本を手に取っている気がする。答えや正しさは、無い。でも、自分が納得できる意味や理由を探したい…という自分のエゴだとも思う。考えつつ、先人の知恵を学びつつ、且つ、実生活を生きる。時間は限られていて、こんな学びや思考をしつつ、実生活をおろそかにしては元も子も無いと、生活する…。

    答えは無いのだろうし、本書もあくまで、思考の実践。それをどう実生活に活かすか、自身の考え方に活かすかを考えながら読書することが、生活の中で感じる矛盾や社会課題を考えるときに自分の不甲斐なさを感じるときの救いのようなものになる。

    「ハーバーマス」の存在を、本書で知った。本書は2004年初版発行。それ以降の竹田氏の著作をあと一冊は読みたい。その後、ハーバーマスの本を読みたい。

    本書の気になった箇所を、ブクログ読書メモ欄に記録した。

    2024/5/1(水)

  • この世には絶対的な本質は存在するはずなのだけど、人の目を通す限りは確認することができない。誰かが本質を語ったとしても、それは主観の域を脱することができない。本質は見えないとしても、突き詰めて考えた人間同士でその主観が一致することはよくあり、それが普遍。そのような普遍は多種存在し、各々いる領域で「これこそが本質だ」と誰しもが考えるため、信念の対立が起こる。信念はバラエティに富んでおり、それぞれの信念の間には優劣は存在しないということを前提として、もっと互いに認め合えればと述べられていた部分にはっとさせられた。

  • 体験や認識そのものについての記述と捉えている現象学ですが、本書を読んでいろいろと考え変わりました。

    フッサール『イデーン』の解説から始まり、ヘーゲル、デリダ、ウィトゲンシュタインと様々な視点を現象学の立場から眺めていく構成が斬新でたのしい。
    まず、その思想がどういった思想なのかを説明したのちに、現象学としてその思想を捉えるというわかりやすさも手伝ってあっという間に読み終えてしまった。

    「現代言語哲学の挫折」の章は、なんとなくモヤモヤしていた言語・分析哲学へのモヤモヤが一気に晴れていく感じで爽快。

  • とても気に入った前回の「言語的思考へ」と同じ著者の
    比較的新しい本。基本的スタンスや述べていることは同じ
    なのだが、少しだけ考えや哲学的作業が進んでいる感じ。
    これからの本が楽しみである。

  • 難解なところが多いため、途中で返却。

  • 37995

  • 小浜逸郎・佐藤幹夫主催の「人間学アカデミー」での講義に基づいて書かれた本です。フッサールがめざしていたのは「確信成立の条件」を解明することであり、「還元」はそのための方法にほかならないという著者の年来の主張に基づいて、フッサールの現象学の内容が解説されるとともに、現象学批判への反論が試みられています。

    著者は、現代の言語哲学やフランス哲学から投げかけられている現象学批判に対して、現象学の立場を擁護する議論を展開しています。「言語論的転回」以後の哲学は、言語にまつわるさまざまな問題の存在を指摘しているものの、いずれもわれわれが言語的表現へと向かっていくことの根拠になっている実存的な本質に目を向けようとしないと著者はいいます。現代哲学の言語に関するさまざまな議論は、言語の一般的な表現(一般言語表象)だけを見ていることから生じた問題に足をすくわれており、現象学的な観点に立つことではじめて、言語表現を介して発話者の「言わんとすること」をめがけるような信憑構造を解明することができると著者は主張します。

    さらに、著者自身の欲望論の立場から、とくに身体をめぐる問題に対する考え方の方向性が示されます。われわれはみずからの欲望のあり方を、言語を通じて深く「了解」します。また欲望のあり方は、主体を取り巻く社会的関係の中で、そのエロス的な布置をたえず組みなおしていくような性格をもっていることが論じられています。

    このように、著者によれば現象学とは、われわれの欲望のあり方とその変容を深く了解するための方法にほかなりません。そしてこの方法は、人びとのあいだで意見の相違が生じたときに共通了解をさぐっていくための原理であり、このような努力を通じてはじめて、ひとはイデオロギーの相違を乗り越えることができると主張しています。

  • [ 内容 ]
    世界観や宗教、信念上の深刻な対立は、現代にあっても絶えることがない。
    現象学は、「信念対立」を調停し克服する原理として構想されたのにもかかわらず、現在、そのことはほとんど理解されておらず、種々の誤解にさらされている。
    本書はこうした誤解を解き、現象学の重要概念を分かりやすく解説してゆく。
    3部以降では現象学の方法原理を用い、人間そして社会の原理論の礎石をなす言語、身体の本質を探究する。
    本書は、「真理」を僭称する知に対抗する思考の原理としての現象学の、新たな一歩をしるす一書である。

    [ 目次 ]
    序 現象学は哲学の可能性を拓く
    1 「思考の原理」としての現象学
    2 時代閉塞を乗り越える原理―現象学の射程
    3 言語の現象学
    4 「欲望論」原論
    結 現象学は「本質」についての学である

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 読んだのはずいぶん前ですが…
    難しいけど、すごく大事なことを言ってると思う。
    現象学的還元は、かなり勇気がいるし、普通に考えると困難。
    子ども時代の主観性→大人になるにつれて客観性を獲得→もう一度主観に帰る。
    多分画家がある程度客観的な絵を学んでから抽象や主観的な絵に向かうように、客観的な見方を獲得した大人が現象学的還元をすることで単なる主観ではなく、より深い主観で世界を見渡せるんだなと思う。
    言わば主観'(ダッシュ)。あるいは人間が介在した客観視?
    後半はかなり読むのが苦痛。

  • 前半は現象学についての説明。
    後半は現象学を使った思考方法の実例として、言語と身体について。

    終盤の現象学的身体論は難解を極めたが、それまでは非常に面白かった。
    特に言語哲学について詳しく書いてあり、しっかり読み込めばすごい知識量が得られるはず。

    終盤はバタイユのエロティシズム論などにも触れつつ身体、欲望、世界など根本的な議論が展開されている。
    特に「世界が空間と時間という形式で我々に立ち現れるのはなぜか」という問いについて、カントとハイデガーの論を比較しながら進む議論は面白すぎた。

  • 「世界」及び「社会」在るイデオロギーに基づく対立のに現象学的思考を用いて、それらの本質を捉え、その解消の方法を考察する。
    イデオロギーというものをどのように捉え直せばよいのか。その具体的な視点として、まず、イデオロギーにおける暗黙の前提を問題にする。その前提とされているものに対し、原理的な再構築が必要である、と。

  • さて、大昔に読んだので記憶は薄い。
    しかし現象学メッセージは今も届いています。
    私が確信する事で、あらゆる「もの」が存在しているのだと。
    それはその通りだと思います。

  • シンプルで理解できる。応用もできそうな気がする。ここでいう現象学に基づいて色々考える事ができるんじゃないか。そう思わせてくれる。ただし、納得がいかないところも多々ある。それはそれで考えるのが面白くなる。

  • 主観-客観、正しい-間違い、良い-悪いなど、すれ違いや揉め事に自分はどう向き合うのか、という点において私はこの考え方にとってもお世話になりました。いいタイミングで復習できた。ノスタルにも浸ったわ。

  •  目の前にリンゴがあります。そこにあるリンゴは確かにリンゴであるとなぜ私たちは確信できるのでしょうか。これは認識論という哲学上のひとつの問題です。もちろんリンゴなら食べればわかります。ところが世界像になるとそうはいきません。今世界で起きている深刻な争いは本をただせば「正しい世界」についての認識の仕方が異なるからです。竹田氏は,現象学的思考がその解決の手がかりを与えると述べています。まずどこかに「正しい世界」があるという考え方をいったん破棄します(これを哲学用語ではエポケーというそうです)。そして私たちの中に一つの世界像が成立する条件と構造を取り出していくのです。こうすることによって私たちの世界像は,普遍的に共通了解の可能な領域(例えば物理化学の世界)とどうしても共通了解の成立しない領域(例えば宗教的価値観)とが存在することがわかってくる。この世界像認識の基本構造が理解されれば,「絶対的な真理」ではなく「異なる世界観の『相互承認』の可能性」が開けてくるというのです。ちょっと手強い本ですけど,私たちが日ごろくよくよ悩んだりしていることが,どんな条件や構造の中で現れるのかと突き詰めて考えていくと,そんな悩みをちょっと突き放してみることができるかもしれません。(菅)

  • 竹田先生大好きになりそうな今日この頃。
    穏やかそうな顔で押しの強い人にどうも弱いらしいですよ。

    少しずつ、少しずつですが現象学、言語の謎とその解き方が
    自分の中で再構成できるようになっていると思います。
    キーワードは「企投的意味」と「一般的意味」ですね。

    後半の欲望論に関しては初見だったのでまだ消化できていないところが
    たくさんあったりします。関心相関性と繋がってゆくのだろうな。

    興味対象がだんだんつながっていきます。
    と同時に今のアプローチがどんどん妥当でないように思えてきます。
    やはり切り離して考えていかないといけないのでしょうか・・
    使えるときまでずっと温存していなければならないのでしょうか。

    距離を置いておくスタンスはどこへ行ったんだろう。
    深みにはまるなとは別の先生にも言われたばっかりだったなぁ。

  • むずくてむずくて何度も挫折しそうになりながらも時間をかけて読んだ。新書にこんなに手こずったのはびっくり。こういう本を読むと、哲学は標本の中だけに存在して「こんな化石がありましたよ」と取り出されて紹介されるだけの学問ではないと強く思う。かなり生きている(というのも変な言い方だけど)。フッサールが誤読(翻訳がではなくてそのまた翻訳が)を重ねられ眠っていたのを、正しく解読して掘り起こしてくれた竹田先生は偉大。現象学的還元で価値闘争の克服を図るというのはこのひとにしかできまい。理論の壁にぶちあたることが学問の本質的スタートではないかと、壁を探してフラフラさまよう自分、この、ふしぎな存在。

  • いや、とにかくはまった1冊である。
    ただし、ちょっとややこしい(特に後半の2章)ので読了に時間はかかった。

    ・現象学は、本質観取により、共通理解を作り出すための学問である
    ・独我論ではない

    ・本質観取、共通する世界観を見出す、など
     SSMと関連すると思われる部分が多数。
     本質観取はコンセプトを捉えることに近い。

    ・ポストモダンでは堂々巡りでどうにも進みようがない、
     と一度でも感じたことがある人には面白いのではないか。
     ただ客観的立場を維持していてもしょうがない。
     自分の世界を構築するもの、
     他人との関係の中で何が共通で何が異なるのか、
     それらを反省(省察)して取り出していくことは即ち、
     こう考えれば上手くいく、という簡単な方法などないんだよ、
     と悟ることでもあるのではないか。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者、文芸評論家。著書に『「自分」を生きるための思想入門』(ちくま文庫)、『人間的自由の条件ーヘーゲルとポストモダン思想』(講談社)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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