現象学は思考の原理である (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480059932

感想・レビュー・書評

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  • 前半は現象学についての説明。
    後半は現象学を使った思考方法の実例として、言語と身体について。

    終盤の現象学的身体論は難解を極めたが、それまでは非常に面白かった。
    特に言語哲学について詳しく書いてあり、しっかり読み込めばすごい知識量が得られるはず。

    終盤はバタイユのエロティシズム論などにも触れつつ身体、欲望、世界など根本的な議論が展開されている。
    特に「世界が空間と時間という形式で我々に立ち現れるのはなぜか」という問いについて、カントとハイデガーの論を比較しながら進む議論は面白すぎた。

  • 「世界」及び「社会」在るイデオロギーに基づく対立のに現象学的思考を用いて、それらの本質を捉え、その解消の方法を考察する。
    イデオロギーというものをどのように捉え直せばよいのか。その具体的な視点として、まず、イデオロギーにおける暗黙の前提を問題にする。その前提とされているものに対し、原理的な再構築が必要である、と。

  • さて、大昔に読んだので記憶は薄い。
    しかし現象学メッセージは今も届いています。
    私が確信する事で、あらゆる「もの」が存在しているのだと。
    それはその通りだと思います。

  • シンプルで理解できる。応用もできそうな気がする。ここでいう現象学に基づいて色々考える事ができるんじゃないか。そう思わせてくれる。ただし、納得がいかないところも多々ある。それはそれで考えるのが面白くなる。

  • 主観-客観、正しい-間違い、良い-悪いなど、すれ違いや揉め事に自分はどう向き合うのか、という点において私はこの考え方にとってもお世話になりました。いいタイミングで復習できた。ノスタルにも浸ったわ。

  •  目の前にリンゴがあります。そこにあるリンゴは確かにリンゴであるとなぜ私たちは確信できるのでしょうか。これは認識論という哲学上のひとつの問題です。もちろんリンゴなら食べればわかります。ところが世界像になるとそうはいきません。今世界で起きている深刻な争いは本をただせば「正しい世界」についての認識の仕方が異なるからです。竹田氏は,現象学的思考がその解決の手がかりを与えると述べています。まずどこかに「正しい世界」があるという考え方をいったん破棄します(これを哲学用語ではエポケーというそうです)。そして私たちの中に一つの世界像が成立する条件と構造を取り出していくのです。こうすることによって私たちの世界像は,普遍的に共通了解の可能な領域(例えば物理化学の世界)とどうしても共通了解の成立しない領域(例えば宗教的価値観)とが存在することがわかってくる。この世界像認識の基本構造が理解されれば,「絶対的な真理」ではなく「異なる世界観の『相互承認』の可能性」が開けてくるというのです。ちょっと手強い本ですけど,私たちが日ごろくよくよ悩んだりしていることが,どんな条件や構造の中で現れるのかと突き詰めて考えていくと,そんな悩みをちょっと突き放してみることができるかもしれません。(菅)

  • 竹田先生大好きになりそうな今日この頃。
    穏やかそうな顔で押しの強い人にどうも弱いらしいですよ。

    少しずつ、少しずつですが現象学、言語の謎とその解き方が
    自分の中で再構成できるようになっていると思います。
    キーワードは「企投的意味」と「一般的意味」ですね。

    後半の欲望論に関しては初見だったのでまだ消化できていないところが
    たくさんあったりします。関心相関性と繋がってゆくのだろうな。

    興味対象がだんだんつながっていきます。
    と同時に今のアプローチがどんどん妥当でないように思えてきます。
    やはり切り離して考えていかないといけないのでしょうか・・
    使えるときまでずっと温存していなければならないのでしょうか。

    距離を置いておくスタンスはどこへ行ったんだろう。
    深みにはまるなとは別の先生にも言われたばっかりだったなぁ。

  • むずくてむずくて何度も挫折しそうになりながらも時間をかけて読んだ。新書にこんなに手こずったのはびっくり。こういう本を読むと、哲学は標本の中だけに存在して「こんな化石がありましたよ」と取り出されて紹介されるだけの学問ではないと強く思う。かなり生きている(というのも変な言い方だけど)。フッサールが誤読(翻訳がではなくてそのまた翻訳が)を重ねられ眠っていたのを、正しく解読して掘り起こしてくれた竹田先生は偉大。現象学的還元で価値闘争の克服を図るというのはこのひとにしかできまい。理論の壁にぶちあたることが学問の本質的スタートではないかと、壁を探してフラフラさまよう自分、この、ふしぎな存在。

  • いや、とにかくはまった1冊である。
    ただし、ちょっとややこしい(特に後半の2章)ので読了に時間はかかった。

    ・現象学は、本質観取により、共通理解を作り出すための学問である
    ・独我論ではない

    ・本質観取、共通する世界観を見出す、など
     SSMと関連すると思われる部分が多数。
     本質観取はコンセプトを捉えることに近い。

    ・ポストモダンでは堂々巡りでどうにも進みようがない、
     と一度でも感じたことがある人には面白いのではないか。
     ただ客観的立場を維持していてもしょうがない。
     自分の世界を構築するもの、
     他人との関係の中で何が共通で何が異なるのか、
     それらを反省(省察)して取り出していくことは即ち、
     こう考えれば上手くいく、という簡単な方法などないんだよ、
     と悟ることでもあるのではないか。

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著者プロフィール

1947年生まれ。哲学者、文芸評論家。著書に『「自分」を生きるための思想入門』(ちくま文庫)、『人間的自由の条件ーヘーゲルとポストモダン思想』(講談社)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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