教えることの復権 (ちくま新書)

  • 筑摩書房
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本棚登録 : 417
感想 : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480059994

作品紹介・あらすじ

今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。これまでの「詰め込み」への反動であろう。だが一方で、教師の役割を軽視しすぎてはいないだろうか?本書では、教師が「教えるということ」をもう一度正面から見つめ直し、今もっとも必要なことは何かということを、すぐれた教師とその教え子、教育社会学者の間で徹底的に考える。

感想・レビュー・書評

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  • 担任に貸して頂いた一冊。
    私も大村氏の授業を受けてみたかった。
    どんなに充実した授業だったろうか。
    うらやましい、と思ってしまった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「うらやましい、と思ってしまった。 」
      もう少し教育にお金を掛ける。つまり教師の数を増やして、ジックリ少人数を相手に出来るようにしてあげれば...
      「うらやましい、と思ってしまった。 」
      もう少し教育にお金を掛ける。つまり教師の数を増やして、ジックリ少人数を相手に出来るようにしてあげれば、変わるかも、、、
      でも甘えられても困るから、2年に1回は査定して、ダメ教師には去って貰う。。。
      って言うのは如何でしょうか?
      2013/05/28
  • 大村はま先生の言葉は一つ一つにパワーがあり、たくさん学ぶところがありました。
    これまでの本と比べて「近頃の若者は…」という感じが強い印象もありました。話し言葉が混在しているからかもしれません。
    現在の「総合的な学習の時間」に対しての否定的な考えについてもすごく納得しました。

  • ふむ

  • 大村はまに関する著書は何冊か読んできたが、何度読んでも大村はまの言葉には身につまされる。
    本書も何度も繰り返し読みたくなる金言、また私もやってみたいと思える実践がたくさん。
    例えば、目標を具体化し、その評価を毎回の授業のたびにしていたというエピソードや、中学生を大人にするために話は必ず一度で聞くようにさせたこと、掲示物はこまめに張り替えていたことなどが印象に残っている。
    どれも奇をてらった取り組みではなく、むしろ当たり前にやらなくてはいけないことなのかもしれない。
    しかし、実際にこれらを継続的に行うには教師の覚悟が必要である。
    大村はまの言葉からその覚悟と教師としての矜持を感じた。
    72歳まで自分の話をテープに採って聞いていたというのだから脱帽だ。
    ちなみに本書の刊行は2003年。約20年経っても教育問題として取り上げられていることはあまり変わらないように思える。いくら新しい時代の学力観と騒ぎ立てたとて、大村はまの思想が今でも色褪せないように、教育の本質は不易流行であると改めて感じた。

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    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00195529

  •  確かめておく必要があること。
     ①専門家としての教師は、授業づくりの手間暇を楽しむこ
      とができる。
     ②「教える」ということは、=「説明すること」ではな
      い。ここの誤解が解消されないと、一方的な講演型の授
      業になってしまう。「教える」ことには、学習者を思考
      に導くということが、含まれている。

  • 教えることの専門職としての教師の役割についてはっとさせられた。自分がはっきり言葉にできないまま今まで来てしまったのを大村はま先生と刈谷夫妻が引き出してくれた。
    「社会人でも勉強はできるが、学ぶことだけを専門にしている時間は生徒、学生でいる間だけ。学校という場があって、教える専門職の教師があって、その中で学ぶことのを専門としている時期の子どもがる。社会の中で特別な場である。」本当にそう思う。

  • 2003年刊行。

     日本が生み出した最高の国語教師の一人に数え上げられよう大村はま氏。
     師の最晩年の教え子とその配偶者(「階層化日本と教育危機」の著者である東京大学教授)らが、時には対談、時には師の授業風景を回想、また、同じ教育者として論を交わすというごった煮のような書である。

     大村氏はもちろんだが、苅谷教授も一教育者としての体験を誠実に語る点は好感を持てる。

     そして、教えることの重要性は尤もで、何らの異論はない。が、疑問が残る点もある。著者たちは学校教育の中心は教科教育・学習と考えているが、学校運営においてそれでは不十分という実情だ。

     また、考える授業(総合学習)を展開するにあたり、優秀かつ真摯な東大生を相手にする苅谷教授ですら、相当の事前準備をし、2人の院生の手助けを得た上で、わずか週2コマだけが実施できるだけである。
     学びの構えができていない小中学生で、1人の教員が20人の生徒を相手にすら総合学習を実施しうるか。まして、30人なんてとても無理ではないか。
     ごく一部の特別に優秀な教員はともかく、多くの教員は大村氏のごとき実践は不可能だろう。

     先の生活指導の面も座視できない。結局、学校に関わる人的配分を増加させざるを得ない。だが、財政的にこのような方法論が採れるのか。
     苅谷教授は少し触れているが、学校教育で重視されているのは、教科教育に止まっていない。むしろ、生活指導教育を、教科教育よりも一層重視(ただし、「否応なし」にという可能性も高い)している場面もあり得る。
     かかる生活指導を教師が行わないという選択をとる場合、一方で、それを親がしない、あるいはできないことは明らかだ。少なくとも、学校内まで親が監督することは非現実的である。
     そうなると、別の誰かが実行せざるを得ない。
     学校に介入する人員をより増やす帰結となるだろう。
     個人的には教科教員以外に、生活指導を主とする教員(俗に体育の先生)、心理的ケアを中心とする教員(保健の先生)、あるいはクラブや放課後授業の顧問を密に行う
    教員がいてもいいし、そうあるべきだと思う。
     が、現実には、文教予算の削減が取りざたされる今、そういう方向には向いていないだろう。果たして……

  • 以下引用。

    多分迫力の問題。迫力が伝わって、一度で聞きなさいって言えば一度で聞こうとしたし、素直になれた

    はじめからこれをやるんだという堂々たる教師の姿勢

  • 大村はま先生をご存知だろうか。私は名前だけ知っていて、テレビで少し見ただけで、どんな取り組みをされていたのかほとんど知らなかった。たまたま教育社会学者の刈谷さんの本でも読んでみようと探していて出合った本だ。大村先生の実践されてきたことを読み、もうぶったまげた(こんなことばしか思い当たらない)。以前、林竹二先生の教育実践例も読んでびっくりしていたが、それは1年に1回だからできるのかな、などと失礼にも考えていた。しかし、大村先生は普通の中学の国語教師で、普通の生徒たちを相手に、日々新しい取り組みを実践されてきた。いろいろな教材を使って、同じことを2度繰り返さない(違う生徒に対しても)というのだからすごい。いつも新鮮な気持ちで授業に臨むためだという。100人の生徒に、100人違う文章を渡して、それについて考えさせる。それぞれに考える道筋の手引きを添える。それぞれの生徒のことを良く見ているからこそできる技だ。戦後間もないころは、荷物を包んでいた新聞紙の切り抜きも教材になったらしい。看板や標語、広告なども教材になる。身の回りのものすべてが教材だ。「総合的な学習の時間」を50年以上前から実践してこられたわけだ。最近の先生は、子供の自主性ということを尊重するあまり、大切なことを教えていないという。大村先生に対しては教えすぎとの批判もあったようだけど、教え込まず、教えすぎず、ほんの少し生徒の背中を押してあげる(ヒントをあげる=考える手引きを示す)、そして生徒はそのことに気づかない、自分でできたという達成感を味わえる。そんな教育ができたら素敵だなあと思う。もっと、大村先生の本が読みたくなった。最近、大村先生は100年近くの人生を終えられました。

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