靖国問題 (ちくま新書 532)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480062321

作品紹介・あらすじ

二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、なんの解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 加藤典洋の『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)に対して厳しい批判をおこなったことで知られる著者が、靖国神社をめぐる諸問題について考察している本です。

    著者は、靖国神社に合祀されたひとたちの遺族が示す激しい感情を参照することから議論を説き起こし、「祖国のために命をささげた英霊を顕彰する」という回路のうちに遺族の感情を回収する装置として、靖国神社が機能していることを指摘します。さらに、「歴史認識の問題』「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」というテーマにわたって、著者自身の考えが展開されていきます。

    靖国神社をめぐってどのような問題が提起されているのかということを知るのみならず、哲学者である著者がその論理的な帰結を追求していくことで、英霊に対して公的行事として報恩の儀礼をささげるということに内在している問題が明確にされているという意味で、興味深く読みました。ここまで問題の次元を掘り下げてしまうと、当然のことながら「自然」な遺族感情に依拠するような議論とは完全に乖離してしまうことは避けられにように思います。

    著者のこうしたスタンスに対しては、賛否それぞれの立場から意見があるでしょうが、「靖国問題」とされているものの論理的な帰趨を明確に示したという点では、双方の立場から読まれるべき本なのではないかという気がします。

  •  まず、本書を読むまで勘違いをしていたことが一つある。いや、正確には勘違いというより、忘れてしまっていたという感じなのだけど。それは、靖国神社は決して「悲劇のヒロイン」なんかではないということだ。つまり、日本くんと中国くんが靖国神社ちゃんをめぐって小競り合いをしている、というだけではなく、靖国神社ちゃん自身もかなりの食わせ者だということだ。靖国神社ちゃんだって、自分の思想を持っている。さしずめ、靖国神社ちゃんは『機動戦士Vガンダム』のヒロイン「カテジナ」のようなポジションである。靖国神社ちゃんが日本くんと中国くんを無駄に小競り合いさせているという面もある。このことが本書を読むまで、すっぽり頭から抜けていた。

     さて、そのことを教えてくれた本書には感謝をしているし、それ以外にも「なるほど」ポイントが本書に多くあることは認める。だが、本書はときどき何を言っているかわからなくなる。全体を通して、現行の「靖国」に批判的であるというスタンスにブレはないにしても、さらに小さな視点での立場がわかりづらいことがあった。また、論に若干の強引さもあり、手放しに本書の内容を信じるというわけにはいかないように感じる。
     とはいえ、本書のように明らかな感じで「靖国」に対する立場を表明し、意見を述べる本は貴重なものだ。本書「あとがき」にもあるように、この本をきっかけとして、多くの人が「靖国」について自分の意見を持てるようになればいいと、素直にそう思う。


    【目次】
    はじめに
    第一章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ
    第二章 歴史認識の問題―戦争責任論の向うへ
    第三章 宗教の問題―神社非宗教の陥穽
    第四章 文化の問題―死者と生者のポリティクス
    第五章 国立追悼施設の問題―問われるべきは何か
    おわりに
    あとがき

  • 高橋哲哉(1956年~)氏は、東大教養学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、南山大学文学部専任講師、東大教養学部助教授、東大大学院総合文化研究科教授等を経て、東大名誉教授。専門は現象学、言語哲学、倫理学、政治哲学。
    本書は、毎年太平洋戦争終戦の時季になると話題に上がる(特に、首相が参拝をした年は)、いわゆる「靖国問題」について、様々な視点から考察したものである。
    内容は概ね以下である。
    ◆感情の問題・・・靖国神社とは、国家的儀式を伴う「感情の錬金術」によって戦死の「悲しみ・不幸」を「喜び・幸福」に転化するシステムにほかならない。その本質的役割は戦死者の「追悼」ではなく「顕彰」である。このシステムから逃れるためには、戦死を「喜ぶ」のではなく「悲しむ」だけで充分である。
    ◆歴史認識の問題・・・靖国問題の歴史認識は、「A級戦犯合祀」の問題としてのみならず、太平洋戦争の戦争責任を超えた、日本近代を貫く植民地主義全体の問題として問われるべきものである。よって、仮に「A級戦犯分祀」が実現したとしても、それは中韓との政治決着にしかならない。
    ◆宗教の問題・・・これまで首相や天皇による(宗教法人である)靖国神社の公式参拝を合憲とした確定判決はなく、それは日本国憲法の政教分離規定に抵触していることを示している。政教分離規定は、神道が「国家神道」となって事実上の国教になることを、歴史的反省を踏まえて防ぐためのものであり、その改定はあり得ない。他方、靖国神社の宗教性を否定して特殊法人化することは、靖国神社が戦死者の「顕彰」の活動(=宗教活動)を止めるわけにはいかない以上不可能であるし、それは、かつて国家神道を「超宗教」と位置付けた「神社非宗教」の復活にもつながる、危険な道である。
    ◆文化の問題・・・日本の文化の根源には「死者との共生感」があり、それを首相や天皇の靖国参拝の根拠とする考え方があるが、靖国神社には「天皇の軍隊」の敵側の死者が祀られた例はなく(戊辰戦争等を含め)、それは国家の政治的意志を反映していることにほかならず、文化論的アプローチには限界がある。
    ◆国立追悼施設の問題・・・「無宗教の国立戦没者追悼施設」の新設は、追悼や哀悼が個人を超えて集団的になっていくことにより、「政治性」を帯びてくるというリスクを孕む。そうした移設が意味を持つ大前提は、日本国家としての、過去の戦争責任の認識と、非戦・平和主義の確立の二つ。即ち、「政治」が施設をどう使うのかが全てなのである。
    靖国問題は、極めて複雑な問題である一方、感情的になりやすい性格の問題である。そうした中で、自分の考えを持ち、様々な議論に参加していくために、複雑な論点を整理・理解することは欠かせない第一歩である。
    そういう意味で、著者が最終的に導き出す結論めいた見解への賛否はともかくとして、論点が列挙されている本書は一読するに値する一冊と思う。
    (2023年1月了)

  • 靖国の問題は、感情、歴史認識、宗教、文化、国立追悼施設があり、簡単には解決しない。

  • 大学で講義を受けて以来の再読。

  • 昔読んだ本

  • 内容が難しいというか冗長すぎるため中断しています。

    一気に読みきって終了してしまいたい。

    ↓途中までのメモ

    062 感情の錬金術
    064 A級戦犯合祀問題の本質
    067 80年代までは中国 韓国政府は黙っていた
    072 戦争指導者のみを問題にし日本兵士は被害者と見なす中国の姿勢は大幅な政治的譲歩
    073 小泉の酷い靖国思想

  • イデオロギー以前のそもそも論。

  • 靖国神社について、素朴な疑問を抱いていた。

    (1)靖国神社とは何か?
    (2)「A級戦犯」とはいえ、既に死刑が執行されている。なぜ中国等は問題視するのか?
    (3)公式参拝に違憲判決が出ているのに、なぜ小泉氏に何らのペナルティーもないのか?
    (4)内外の圧力に対して、小泉氏はなぜああも頑ななのか?
    (5)つまるところ、靖国神社は是なのか非なのか?

    そこで、この本を手に取ってみた。

    「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」と章を区切り、それぞれの切り口から問題の所在を明らかにしていく。

    著者は哲学者なんだそうだが、それだけに筆致は論理的であり、公平に思える。そして「素朴な疑問」への答えもおおむね書いてあるように思った。
    ごくごくかいつまむと、以下のような感じ。
    (必ずしも本にこう書いてあるというわけではなく、私がこう理解したということ)

    (1)への答え…国民を喜んで死地に赴かせるために作られた顕彰装置である。
    (2)への答え…刑を全うしていない者も合祀されている。それより以前に「A級戦犯」を問題視するのは、むしろ問題を矮小化して解決を図ろうとする中国指導層の戦略である;「A級戦犯」だけではなく、「靖国の存在」自体が真の問題である。
    (3)への答え…直接合憲か違憲かを問う裁判は起こせない…らしい(起こされた裁判はいずれも「公的参拝」によって原告の利益や権利を侵害されたかどうかについての争い)。その中で「違憲」判断を示したのは2004年4月の福岡地裁判決があり、係争中が6件あるが、少なくとも「合憲」とした判決は現在までにひとつもない。ちなみに7月26日にも大阪高裁で同様裁判の判決があったが、憲法判断には踏み込まなかった。
    (4)への答え…は、明確ではない。てゆーか、小泉氏の胸の中を推し量るしかない。没論理の説明しかしていないのは確か。
    (5)への答え…戦争を非とするならば、靖国も非だ。興味深かったのは、歴史認識を明確にしないまま「国立追悼施設」を作っても第二の靖国となるだけだという指摘。

    非常に「面白い」本だった。

  • 【要約】


    【ノート】
    ・「グーグル・アマゾン化する社会」の関連本宣伝で

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著者プロフィール

1956年生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業。同大学院哲学専攻博士課程単位取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書:『逆光のロゴス』(未來社)、『記憶のエチカ』(岩波書店)、『デリダ』『戦後責任論』(以上、講談社)ほか。訳書:デリダ『他の岬』(共訳、みすず書房)、マラブー編『デリダと肯定の思考』(共監訳、未來社)ほか。

「2020年 『有限責任会社〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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